00:『終わらない物語』の始まり≫≫ 〈最終話〉
「…………
ぼんやりと視界が広がると肉付きのいい見慣れた顔がそこにあった。俺が仮想世界の中で頻繁に連絡をとっていた男、
〈 ストーリー・ライター 〉は基本、内部に
「…… 毎回同じことを言ってすまんが、寝起きざまにおまえの顔が目の前にあると最悪な気分だよ。
俺は大袈裟に顔をしかめてみせた。
「もっと最悪な気分にさせてやろうか? おまえの寄り道のおかげで予定より二分もオーバーだ。加えておまえは顧客への守秘義務を破った。このことはきっちり上に報告させてもらうからな」
「勘弁しろよ。ただでさえ安月給なんだ」
そうボヤきながら俺は
「で、俺の可愛い
「もうすぐお目覚めだ」
「そりゃあ大変だ。おい、榎本、俺と同じ思いをさせたくなかったら眠り姫にあまり顔を近付けるんじゃないぞ」
内部観察用のディスプレイを確かめるとイグジステンス=レベルは
「見ろ、
冗談めかして榎本にそう言ってはみたが正直俺はその数値に驚きを隠せなかった。それはこれまでにおける大幅な記録更新、いや、それどころか手動で書いたにも関わらず、〈 REM 〉というマシンが作り出す
ーー人にはまだ物語を書く価値があるのかもしれない。まるでそう思わせるほどの。
「………… 」
俺はソファに座ったまま昏睡状態から目覚めようとしている
涙だ。
おそらく彼女は胡蝶の夢から目覚めるこのほんの僅かな時間の中で今頃 “蝶” とすれ違っているはずである。七色の燐粉をまき散らしながら美しく羽ばたく “蝶” と。
やがて低い唸り声とともにうっすらとその目が開いた。
彼女は幼い頃、交通事故で生死の間をさ迷うが最先端の科学により一命をとりとめる。ただし下半身が不随となってしまうことは避けられないだろうと診断され腰から下を
これらは彼女の
俺は彼女の下半身に目を落とすと腰下辺りから伸びるその二本の “鋼鉄の足” にそっと触れてみた。冷たく無機質な感触ーーそれらがまるで彼女の青春の全てを
▼ ▲ ▼ ▲ ▼ ▲
私はこの鋼鉄の両足が嫌いだった。
確かに高性能の義足で歩行する分には不便を感じなかったが、その動きといえばまるでロボットや節足動物のようだった。歩く時に鳴り響く電子音も金属と金属が擦れ合うような音も大嫌いだった。
母は私が生まれた時に死んだ。さらに父がこの世を去って親戚に引き取られた私は小学校でもずっと『アンドロイド』とバカにされた。
時には同情心から近寄ってくる者もいたが健常者との心の壁はどうしても取り払うことはできなかった。逆に腫れ物を扱うように優しくされることもあったが、それはそれで私にとっては恐怖と苦痛の対象でしかなかった。そうやって一方的に心を閉ざす私に友達などできるはずもなかった。
足を
中学校からは登校することをやめた。ネットでの授業にだけ参加し、うちに引きこもって生活するのが大半となった。その状態のまま高校へ進学したのでお洒落な姿を見せ合う友人も胸のときめきを伝え合う彼氏も、そんなものは夢のまた夢 …… 私の十代には青春という言葉など
父を殺したのは私なのだという罪悪感に苦しめられたこともあった。だが、その一方で私をこんな足にしたままこの世を去ってしまった父を心の何処かで恨んでもいた。
ーーこんなことならあの時に死んでいればよかった。そう、いっそのこと父ではなく私の方が死んでいればよかったのだ。
次第にそんな気持ちが鬱積していく自分自身を私は常に感じ、そして嫌悪した。
普通の生活がしたかった。ただ、それだけが望みだった。この鋼鉄の脚が心から憎かった。私から青春を奪い取ったこの脚を圧縮機で粉砕してやりたかった。この義足もネット授業のため何年も睨み続けたパソコンもディスプレイも父の命を奪った車も、
それでも生きていくためにはそれらに頼らざるを得なかった。社会人になっても私はネットでの賃貸取引きやプログラミング、委託通信サービス業務からアフィリエイトまで、そういった外に出なくてすむ仕事を選んだ。
そんな中、インターネットの中で何度か男性と知り合う機会もあるにはあったが、皆私の下半身を見るなり口を濁すように去っていった。私には女性としての価値さえないのだ。そう思うようになった。結婚の適齢期を越えてくると私は次第にアルコールに溺れるようになっていった。
一本の〈 REM 〉のソフトに出会ったのはそんな時だった。普通の高校生活を送る、普通のーー平凡な高校生のーー
代わり映えのない、
興味を持った私は早速このソフトをインストールし、アクセスした。アバター名は何にしよう。奥田……。マシンに標示されている登録商標が目に入った。〈 REM 〉……か。── 〈 REMI 〉…………
私はそんなことを頭のどこかで願いながら目を閉じ、スリープ状態に入る。深い深い、うねる海よりももっと深い
▼ ▲ ▼ ▲ ▼ ▲
〈REM〉がイジェクトを開始する。仮想世界から精神が切り離され、目覚めるまでのほんの僅かな時間の中、 “私” は彼女と交差したような気がした。そこは、どちらが本当の私であるのかすらわからないーーもはやそういったことには何の意味もない、そんな真っ暗で混沌とした空間の中だった。
ーー目覚めたら、強く生きてくれますか?
突然目の前に七色の星が散らばり、そんな声が聞こえた。ちょっとはにかむように笑っている、そんな優しい声だったーー私が仮想世界の中でずっと聞いていた声、使っていた声……。
「鏡の中で会ったよね。私に会ったわよね。あなた、
ーーもう哀しげな顔はやめてくださいね。笑顔で頑張って生きていけるって私にちゃんと約束してください。明日も、明後日も。
それは二つの白色の彗星がすれ違おうとする、まさに
ーー私は、嬉しかった、悲しかった、楽しかった、苦しかった…………生きたかった…… そう、忘れないで、私はもっと…… もっと生きたかったの…………。
私は思わず手で口を押さえ
ーーだから私もあなたに願いを託してもいいですよね? あなたが私に何かを求めたように。
「ごめんなさい……ごめんね…… 私はあなたに約束します、だから…… ごめんね……」
やがて星が拡散し目の前が真っ白になると、再び闇が戻ってきた。全てを放出し、空っぽになってしまった私の中にそっと何かが入り込んでくる。私は胸に手を当て呟き続けた。
「あなたを忘れない。きっと覚えてる。約束するから」
一人で歩いてきた道をまた一人きりで帰っていく。そんな気持ちだったのに不思議と寂しさはなかった。懐かしいような匂いが私の鼻腔を
▼ ▲ ▼ ▲ ▼ ▲
誰かが私の髪に触れているのを感じ、私はゆっくりと目を開いた。夢と
広大な砂漠の真ん中に世界を潤す魔法の涙が
『夢を引きずる』という言葉がしっくりくるあの一刻。素敵な夢であればがっかりし、悪夢であればほっとする、あの二十四時間の中で一番不思議な不思議な
カミジョウだ。
あのバカライターがまた目の前にいる。私は口元を緩めた。
さっき別れたばかりなのにあれから随分と長い年月が過ぎ去ったような気がする。いや、そうじゃない。初めて会うのにどこか懐かしい感じがする。そう言った方がいい。
「カミジョウさん……」
「よう、おかえり。お嬢ちゃん」
「私ね…… 走れたの………… 」
どうして私はカミジョウにこんなことを言ってるんだろう。やはり記憶が混乱している。
「まだ、覚えてるかい? 」
「なに…… を?」
「いろんなことをさ。君が忘れたくないと言ったいろんなことだ。できることなら忘れないでやってほしい。彼女のためにも」
カミジョウは私に微笑みかけた。そんな笑顔、あっちの世界じゃ見せなかったくせに。
「カミジョウ……さん」
「ん?」
「笑わない?」
「んぁ?」
「私ね…… 私も、物語を書いてみようかな」
カミジョウはきょとんとした顔を見せると、クスクスと笑いだした。
「やっぱり笑った」
「いや、そりゃあいい。君ならきっといい物語が書ける」
「また、皮肉?」
「本心さ、それに…… そうだ、〈 REM 〉の中だったらどんなことだって可能だぞ。海底に潜ることだって、光も通さぬ森の中で怪物と戦うことだって……」
「あなたををひっぱたくことだって」
今度は私が笑った。
「ああ…… 走ることだってな」
そう言ってカミジョウは私の “鋼鉄の脚” にそっと触れた。
「むしろ君は俺なんかよりこの仕事に向いているかもしれん。なんだったら中途で 〈 ストーリー・ライター 〉 の採用試験がある。興味があれば受けてみるといい。あれは…… あ~っと…… 何月だっけな、おい、榎本!」
「三ヶ月後だ!」
「だ、そうだ。ただし…… 給料は期待するな」
カミジョウは片目を細めて囁いた。
「なんだかまだ
「そんなんでいいのさ。いっそのこと
「もっと楽しめ?」
「ああ、前向きに生きろ」
「行動的になれ?」
カミジョウはソファから立ち上がるとーー始めて会ったあの時のように、そっと私に左手を差し出した。
「さあ、物語を始めようーー」
〈 了 〉
本当にありがとうございました。最後までお読み頂けた方に心よりの感謝を申し上げます。
“あなたの物語”にも心震わす展開と素晴らしいラストシーンが待ち受けていることを祈りつつ ──
── ペイザンヌ ──
Never Ending Story Writer≫≫ ペイザンヌ @peizannu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます