覆面作家企画8 トゥルーエンド

 丁寧に髪を梳き、紅を引き。勾玉や金、玉の装飾で、重く煌めく衣を纏い。準備は全て、整った。

 日の出と共に私は、国を永久に守る神となるため、神聖なる滝に身を投げる。

 お付きの者は皆郷へ帰した。あとはこの洞窟で独り、静かにその時を待つのみ……ではなく、私には未だ、果たすべき勤めがある。

「輝陽(キヒ)様、いらっしゃいますか」

 真っ直ぐに伸びる洞窟を、男が一人、私を訪ねて歩いて来た。

「蒼(ソウ)、来てしまったの」

「はい。貴方を止めに」

 青く長い髪、涼やかな瞳。腰には、私が呪い(まじない)を授けた剣が携えられている。

「今からでも儀式をお辞め下さい。貴方が命を投げ打つ必要はありません。私が鍛えた軍は強い。鬼王(キオウ)が侵略して来たとしても、必ずや打ち果たしてみせます」

「心強い言葉をありがとうございます。私亡き後も、どうか此の国を守って下さい」

「俺は!」

 力強い腕が私を引き寄せる。

「貴方のいる国だから護りたいんだ! 貴方を護ることが出来るなら、この命だって惜しくない!」

 --私には、選択肢が二つある。一つはこの力強い腕に身を任せ、二人で洞窟をあとにすること。彼は軍人として国を護り、私は妻としてそれを支える。そんな未来(エンド)も、私には用意されている。

 けれど此の私は、その道(ルート)は選ばない。

 彼の顔を引き寄せ、深く口付けた。彼の目が、驚きに大きく見開かれる。やがて、彼は気がつく。何かが、彼の中に流れ込んでいったこと。

「……何を」

「私を護るためなら命とて惜しくはないと。偽りではありませんね」

 両手で彼の手を強く握る。涼やかな彼の雰囲気とは対照的に、ごつごつと硬い武人の手。此の国を護ってきた手。私亡き後、此の国を護ってくれる手。

「三年後。東の国境に鬼の国の大軍が押し寄せます。我が国は敗北し、東草原の一部を失います」

「私がさせません」

「いいえ、奪われてしまうのです。必ず。だからこそ、私の御霊の一部を、貴方に授けた」

 彼の手を離さぬまま、目を閉じる。私は今から、とても酷いことを言う。

「必ず敗けます。ですが貴方には、最後の最後まで戦って欲しいのです。その命が、尽きるまで」

「……その真意は」

「貴方が其の地で散ることで、私の御霊が土地に根付く。翌年、大雨によって川が氾濫します。洪水が、鬼の国が彼の地に築いた全てを洗い流すでしょう。そうして東草原は我が国に戻る」

 恐る恐る目を開く。瑠璃の瞳が、静かに私を見つめていた。そのことに、安堵する。こんなに酷いことを言っているのに、彼は私から、目を逸らさずにいてくれる。

「私は明日、此の国の一部となります。水も、風も、大地も陽の光も、此の国の全てが私。私を護るためなら、命も惜しくないのなら。私を愛しているのなら、」

「貴方亡き国でも、護れと」

「私はいます。此の国と共に、いつまでも。だから」

 --国のために散ることで、どうか私と結ばれて。

 今度は、蒼が目を閉じる番だった。拳を握り、何かに耐えるように震え、そして再び眼を開いた時、瑠璃の瞳は、決意の色に染まっていた。

「その役目、必ず果たして見せましょう。此の国を、貴方を、必ずやお守り致します」

「ありがとうございます」

 両手をつき、深くこうべを垂れる。彼が立ち上がる気配がした。

「……三年後、またお会いしましょう」

「はい。必ず」

 彼が去っていく足音が届かなくなるまで、私はその姿勢のまま動かずにいた。


--


 数刻後。洞窟の外から、何やら複数人の声が聞こえてきた。やがて声は止み、一つの足音だけが、こちらにゆっくりと近づいてきた。

「輝陽」

「……黎(レイ)様」

 普段は豪華な装飾に身を包んでいる彼だが、忍んでの山登りのためだろうか、今は質素な麻衣を着ている。それでも艶のある漆黒の髪と滑らかな肌、そして全身より溢れる力強さが、彼が王になるべき身分の者であることを物語っていた。

「我の言いたいことはわかるな。我と共に山を下りよ」

 --私には、選択肢が二つある。一つはこの言葉に頷いて、彼と共に山を下りること。王の妻として、夫のために霊力を振るい、夫婦で力を合わせて国を護っていく。そんな未来(エンド)も、私には用意されている。

 けれど此の私は、その道(ルート)は選ばない。

「お断り致します。凡庸な貴方の、凡庸な妃になどなりません」

「言ってくれる」

 力強い腕が私の胸ぐらを掴む。怒りに燃える瞳が、私を射抜く。

「我は凡庸な王などにはならぬ。必ずや此の国を他国より護り、栄華をもたらす王となる。それを我が横で見届けよ。先に逝くな!」

「確かに私が貴方の物となれば、貴方は凡庸な王ではなくなる。神子に愛されし王。神と結ばれし王。その権威は、貴方を好まぬ者たちへの牽制として働くでしょう」

「我がお前を求めるのが、そのような理由と思うてか! どこまで人を愚弄すれば気がすむのだ!」

「愛のためとおっしゃるおつもりですか!」

「言うまでもなかろう!」

 怒りの中に哀しみが見える。誰にも真に愛されなかった人。私だけが、孤独を分かってあげられる人。可哀想な人。

「ならば証明して下さい」

「ほう……?」

 私はこの人にも、残酷なことをお願いする。

 彼の手をとり、両手で包む。普段は大きな指輪で飾られているが、今はただ柔らかな手。けれど、右手中指の先だけは硬くなっている。法案に署名をする時、筆の柄が当たる場所。

「此の国を護り続けて下さい。決して、他の誰にも渡さないで」

「何を当然なことを」

「親を手にかけようとも、兄弟を、親友を、愛する者全てを失おうとも、決して誰にも渡さないで」

 沈黙。彼は、私の言葉の意味を測りかねているようだった。

「私は明日、此の国の一部となります。水も、風も、大地も陽の光も、此の国の全てが私。黎様、貴方の国は、外からも内からも様々な者に狙われています。貴方が気を確かに持たねば、数年のうちに、国は他者に奪われる。そうして安定を失った此の国は、五年と待たぬうちに滅びてしまうのです」

 不吉な預言。昔の彼なら怒りに震え、耳を貸さなかっただろう。けれど今の彼は違う。私の言葉を、信じてくれる。

「私は此の国を、他の誰にも渡したくない。私は、私は! 貴方以外の物になどなりたくはない!!」

 洞窟全体に、私の声が響き渡る。荒く息を吐く私を、黎様は強く抱き寄せた。

「愛の証に、国を護れと」

「ええ。私を愛しているのなら、他の者に奪われるなど我慢ならないはずでしょう?」

 勝気に笑ってみせる。この人はこんな強気な私を、愛してくれた。

「……神に奪われることとて、我慢ならぬが」

「神に身を捧ぐつもりなどありません。此の国そのものとなるのです。そして貴方と結ばれる」

 やがて彼は、諦めたように腕の力を抜いた。

「いいだろう。天の国にてしばし待て。我が凡庸な王ではなかったと、証明してくれる」

「お側で常に見ています。貴方の命が尽きるまで」

 去って行く彼の威厳ある後ろ姿を、私は見えなくなるまで見つめていた。かつて私が恐れた背中。かつて私が憧れた背中。私に、上に立つ者の覚悟と責任、哀しさと孤独を教えてくれた背中。

 --私は態と、話さなかった。私の言葉で強き王であることを誓った彼は、王座を狙う者や自らに刃向かう者を次々と処刑して独裁を敷き、三十年後に暗殺される。

 けれどその三十年の間に軍備は整い、隣国を滅ぼすことにも成功し、彼は此の国の栄華の土台を築くのだ。

(お慕いしています、黎王様。孤高な貴方を)

 暗闇の中独り目を閉じ、彼と私、二人ぼっちの孤独に想いを馳せた。


--


 いつの間にか眠っていたらしい。暖かさを感じて目を覚ますと、懐かしい手が頬を撫でていた。

「アカネ……どうしてここに」

「ソウさんが教えてくれた。君は決意を変えないだろうけど、それでも会いたいなら、って」

 柔らかな赤毛から、お日様の匂いがする。カサついた手から、土の匂いがする。故郷の匂い。

「モモ、帰ろう。死んじゃダメだ。神子なんてやめて、一緒に郷に帰るんだ。俺はね、キヒ様じゃなくて、モモを迎えに来たんだよ」

 --私には、選択肢が二つある。一つは輝陽の名を捨て、モモとして彼と共に山を下りること。郷に帰り、アカネと子を成し、貧しくとも支え合い、幸せに生きる。そんな未来(エンド)も、私には用意されている。

 けれど此の私は、その道(ルート)は選ばない。

「アカネ。狼が来るとか、大雨が降るとか。最初は誰にも信じてもらえなかったのに、アカネだけは信じてくれたね」

「当たり前だろ。お前は嘘なんかつくやつじゃない」

「変わり者扱いされてた私に、神様に選ばれてるんだ、凄い力を持ってるんだ、って、最初に言ってくれたのもアカネだったね」

 自然と涙が溢れる。あの頃の日常が、アカネとモモの思い出が、私の胸を掻き乱す。

「ああ、俺は間違ってなかった。お前はすごいやつだった。鬼国が攻めてくるのを預言して、何度も国を守ったな。だけどもういいじゃないか。もう十分だ。もう十分使命は果たしたんだよ」

「私は、貴方を、郷のみんなを、護りたい……!」

 伸ばされた手を、振り払う。決意が揺らいでしまいそうで、アカネの顔が見られない。

「春には種を植えて、夏は川から水を運んで、秋には収穫して! 冬は身を寄せ合って、一緒に眠る……そんな当たり前の、平凡な、幸せな日々。此の国で生きている民たちの命」

 神子になった当初、民と国を守るということがどういうことか、大き過ぎて分からなかった。神子としての生活に慣れ、郷を懐かしむ余裕ができたとき、漸く分かったのだ。国を守ることは、アカネや、かつての私を守ること。民のことを考えるとき瞼に浮かぶのは、アカネと過ごした日々の暖かさだった。

「アカネ。信じてくれてありがとう。私が神子になれたのは、輝陽として此の国を護れるのは、貴方のおかげ。だからこそ私は護りたい。貴方を、貴方と同じ民達を」

「モモ、」

「私、明日此の国と一つになるの。だからずっとアカネと一緒にいるよ。水も、風も、大地も陽の光も、此の国の全てが私。だから笑って。今まで通り生きて。結婚して子も成して、幸せになって。隣にいるのが私じゃなくてもいい。アカネの幸せが私の幸せだから」

 勇気を出してアカネの顔を見る。アカネは見たこともない、悲痛な顔をしていた。

「お前がいなきゃ、俺は幸せになんてなれないよ」

「なれるよ。だって私、いなくなるわけじゃないもん。いつでも側で、アカネとみんなを護り続けるもん」

 --私は嘘なんかつかないよ。アカネだけは、信じてくれるでしょ。

「モモ……お前、なんか遠い人になっちゃったな……俺が守れるお前じゃ、なくなった」

「神子様ですから。凄いでしょ?」

 真っ赤な目で胸なんか張っても、きっと威厳のかけらもない。それでもアカネは、初めて神子服を着た私を褒めてくれた時のように、頷いてくれた。

「お前はすごい。ほんとに、……すごいやつだ」

寂しそうに笑い、離れていく。大きく息を吐き、なんとか笑みを作って見送った。

さようなら、アカネ。そしてさようなら、モモ。


--


 私は知っている。私にはいくつもの道(ルート)があり、未来(エンド)がある。そして此の世界に良く似た別の世界には、今の道ではない道を選んだ私たちが、様々な幸せを手にしている。

 けれど私は知っている。

 蒼様と結ばれた私は預言で彼を助け、見事東草原を護ることが出来る。けれど私たちの死後、再び鬼国が攻めてきて土地を奪い、それを足掛かりとして、鬼国は我が国を攻め滅してしまう。

 黎様と結ばれた私は、王家の権威と神の権威の双方を用い、国に莫大な富をもたらし、栄えさせることができる。けれど数十年後、私は鬼国と結んだ黎様の弟君に暗殺される。神の権威を失った黎様は王位を追われ、此の国は鬼国の傀儡と成り果てる。

 アカネと結ばれた私は、神子としてではなく一人の女、モモとして、平凡で幸せな日々を送る。子供は二人。男の子と女の子が一人ずつ。息子は私に似て少し勝気で、娘はアカネに似て優しい。けれど数年後、此の富山が噴火する。王都は溶岩の海に沈み、国土は火山灰に覆われ、民は飢えと渇きに苦しみ死んでゆく。


 別の世界に生きた私たち。幸せになった私たち。恋に惑い、取るべきでない手を取って、国を護れなかった私たち。

 見ていなさい。私は護る。そして私は結ばれる。緑が溢れ、四季は美しく、交易も農耕も盛んで、人々は朗らな国。蒼様が護り黎様が治めアカネが暮らす国。私が一番愛した国(おとこ)。

 意志を持って歩みを進め、洞窟をあとにする。滝の水飛沫が空気を冷やしていて心地いい。地平線の向こうが徐々に明るくなっていくのが見えて、自然と口角が上がった。

 夜が明ける。陽が昇る。我が国の、私の、永久に続く栄光が今、此処に始まる。

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覆面作家企画参加作品 木兎 みるく @wmilk

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