覆面作家企画7 クビをキレ

「すみません、この二つってなんでこんなに値段が違うんですか?」

 お客さんが持っているのは、「ローズ風邪キラー」と「薔薇露風邪退治」。株式会社魔女工房の、風邪に効くまじないセットだった。使い方はどちらも同じで、中のハーブをお皿に出して枕元に置いておくだけ。それなのに薔薇露風邪退治はローズ風邪キラーの倍以上の値段で、これなら風邪薬を買っても大して変わらない。

 風邪にはまじないより薬が効きますよ、なんて言うわけにもいかない。うんざりした気分を飲み込んで、「お調べいたしますので、少々お待ちいただけますでしょうか?」と笑顔を向けた。これで「じゃあいいです」と退いてくれれば楽だったのだが、残念ながらお客さんは待つつもりのようだった。

 カウンターに戻り、電話を手に取る。魔女工房に問い合わせの電話をするのは大嫌いだ。まず魔女工房はなかなか電話に出ない。他のメーカーはたいてい3コール程で出てくれるのに、魔女工房は10コール以内に出てもらえればラッキーな方だ。今回もなかなか出てくれなかったので、呼び出し音を聞きながら自分でもカタログをめくって説明文を読み返してみた。ローズ風邪キラー、薔薇の香りが風邪に効く。薔薇露風邪退治、薔薇の朝露が風邪によく効く。……よく分からない。

「はい、魔女工房マリーで~す」

「お世話になります、シュエット薬局のセリーヌです。商品についてお聞きしたいのですが」

「なんですか~?」

「ローズ風邪キラーと薔薇露風邪退治の違いを教えてください」

「私分からないので、ほかの者に繋ぎますね~。少々お待ちください。ルイ~」

 いつも最初に電話に出るマリーさんは保留ボタンが使えない。だから用件を何も伝えずに電話を替わろうとしているマリーさんの甘ったるい声が丸聞こえで、毎回いらいらさせられる。そもそもマリーさんに用件を伝えて「分からない」以外の答えが返ってきたことなど一度もない。分からないなら最初から聞こうとしないで欲しい。

「お待たせしましたオーギュストです」

 しかしマリーさんが保留ボタンを使えないことや商品知識がないことなど問題にならないくらい、私はこのオーギュストさんが大嫌いだった。いつも早口でとても不機嫌な対応をしてくるのだ。

「お世話になります。シュエット薬局です。ローズ風邪キラーと薔薇露風邪退治の違いを教えてください」

「チッ。薔薇露風退治は、薔薇の花びらについた朝露で浄化の儀式をしたハーブなので高価ですが効き目も高いです。ローズ風邪キラーは、人工香料で香り付けした水で浄化しているので効き目は弱いですが安価です。他に何か?」

「いえ、ありがとうございました」

 ガチャン! 私の「ございました」が言い終わるか終わらないかのうちに、叩き付けるような大きな音をたてて電話が切られた。本当に腹が立つ。どうしてこっちが客なのに、舌打ちされて乱暴に電話を切られなければいけないの。あんなやつ早くクビになればいい。怒りを抑えて深呼吸し、お客さんの元に戻る。

「お客様、お待たせいたしました。こちらは薔薇の花びらから取った朝露を使用して儀式をしているので、高価ですが効き目が高いです。こちらは人工香料で香り付けした水を使用しているためお安くなっております」

「香料で効くんですか?」

「軽いお風邪でしたら問題ないと思います」

「分かりました。じゃあこっち買うのでこれ戻しといてください。ありがとうございました~」

 お客さんは私に薔薇露風邪退治を渡すとレジの方に歩いて行った。私は薔薇露風邪退治をしばらく眺め、これはもう入荷するのをやめようと決めた。高いのでめったに売れないのだ。

「すみません~」

「はい、いらっしゃいませ」

 カウンターに戻ろうとしたところを、今度は別のお客さんに呼び止められた。

「お腹が痛くならないようにするまじないの……サンタさんとかいうやつ……」

「ファンタサンでございますね。こちらにございます」

 ちょうどすぐ横の棚にある商品だったので、取り出して手渡す。これも魔女工房の商品だ。私は魔女工房の商品は絶対に買わないが、一般的にはまじないと言えば魔女工房なのだ。

「これ今週末までに30箱欲しいんですけど、お取り寄せ出来ますか?」

「30箱ですか……確認いたしますので少々お待ちくださいませ」

 ああ腹が立つ。また魔女工房に電話しなければならない。


――/――


 閉店間際。接客で忙しかったので放置していたファックスを確認し、顔をしかめた。魔女工房に出した注文書の返事。私の書いた注文書にオーギュストさんがぐじゃぐじゃとした何かを書き込んで返してきているが、何も読めない。オーギュストさんの字はいつも雑で読みづらいのだ。それでもたぶん、これは了承したということなのだろう。

 ろくに仕事をしていると思えないマリーさんにしろ、お客さんに対してひどい態度をとるオーギュストさんにしろ、どんな人なのか想像もつかない。魔女工房の人に実際に会ったことも、事務所の様子を見たこともないので、私のイメージする魔女工房はいつも真っ暗だ。真っ暗な空間に、マリーさんの砂糖を入れすぎたミルクのような声と、獣の吠え声のようなオーギュストさんの早口と舌打ち、乱暴にメモを取ったり資料をめくるガサガサという音が響く。私のイメージする魔女工房は音で構成されていた。

「順調?」

 ふいに、店長が私の手元をのぞき込んできた。

「うわ、なに書いてあるのこれ」

「わかりません。いつもこうなんですよここ」

「分からないじゃ困るから、ちゃんと確認しておいてね」

「え……たぶん普通に入荷しますよ。なにかあるときは電話来ますもん」

「そんな適当言わないで、確認の電話して」

 店長はそう指示を残し、薬コーナーに戻っていった。逆らうわけにもいかないので、どうせ今日はもう遅いし出ないだろうと思いながらも電話をかける。3コールで「はい、」というマリーさんの返事が聞こえて驚いた、のだが。

「魔女工房です。本日の営業は終了いたしました。営業時間は午前10時から午後17時までとなっております。またのお電話をお待ちしております」

 やっぱりね、と電話を切る。明日になったら店長も忘れているだろうから、この件はもういい。書類を引き出しに片付け、エプロンを脱ぐ。帰ろう。

「お先に失礼します」

 挨拶をして店を出る。今日は曇で月が隠れているので、外はいつもより暗かった。住宅街の静かな道を一人で歩く。駅までは10分ほど歩くが、玄関灯をつけている家が多いおかげで明るいので、危険を感じることもない。

 半分ほどいったところで、前から女の人が歩いてくるのが見えた。顔は見えないが、ふんわりと広がったスカートのシルエットで女性と分かる。近づくにつれ姿がはっきり見えてきて驚いた。彼女はロリータ服を着ていた。

 頭には白いレースたっぷりのヘッドドレス。ワンピースはピンクで、胸元には大きなリボンが三つ。長袖で、袖先にももちろんフリル。ふんわりと広がったスカート部分はバラの柄。薄桃色のフリルの下から伸びた足は、うっすらとレース柄の入ったタイツで覆われている。靴はピンクの厚底。秋が近づいてきたとはいえまだまだ暑い中、彼女は全くといっていいほど肌を露出していなかった。顔はファンデーションで真っ白で、チークや口紅は薄い。目元では、涙ぼくろがきらきらと輝いていた。

「すみませ~ん」

 すれ違って終わりかと思っていたのだが、彼女はにこやかに笑って私に話しかけてきた。

「はい、なんでしょう」

「この近くに~ご飯の食べられるところはありませんか~?」

 おっとりとした声に聞き覚えがある気もしたが、そんなことよりも私の注意を引いたのは、ヘッドドレスを止めるリボンの下から覗く、彼女の喉だった。

 首も下の方はほとんどフリルの襟で覆われて隠れているのだが、彼女の首が長すぎるせいか、少しだけ肌が見えている。そしてその色が、明らかに顔と違っていた。ファンデーションの色が明るすぎるのだ。顔は真っ白なのに、首の色は浅黒い。

 その喉は彼女の体と顔をはっきりと二つに分ける区切りに見えた。ここを境に上は白い顔、下はピンクの体だった。その区切れ目が彼女の声に合わせて動くのが、妙に不思議な心地がした。

「ご飯が食べられるところですか……あっちにはしばらくないですね。駅の方に戻ればありますよ」

「そうですか~。あの辺のお店はいまいちだったんですよね~。分かりました。ありがとうございました~」

 去って行く彼女の後ろ姿を見送りながら、しばらく現実感のなさでふわふわしていた。顔と体を分ける境目は、後ろからではくるくるに巻かれた髪の毛に隠されて見えなかった。

「ご飯がないならお菓子を食べるしかないな~」

 彼女の大きな独り言を聞き、まるでお姫様だな、と思ってから気がついた。この声は知っている。この安い蜂蜜のような声は、マリーさんの声だ。さっき聞いたばかりのあの声だ。真っ暗だった魔女工房のイメージに、さっと光が差した気がした。マリーさんはふりふり姫だ。そしてあのべたついたキャラメルのような声は、顔と体を区切る喉から出ている。


――/――


 マリーさんの喉を見てから、私は男性の喉に注意を払うようになった。マリーさんの喉を見つけたので、今度はオーギュストさんの喉を知りたくなったのだ。店長の喉や父の喉、町を歩くサラリーマンたちの喉を怪しまれない程度に見ていたが、どれもオーギュストさんのイメージには合わなかった。けれどある夜見つけた。あの低くて不機嫌で早口な声に、ぴったりな喉を。

 それはバイト帰りの電車の中でのことだった。棚卸しがあったためいつもより遅くに乗った電車はがらがらで、自分が座った隣に荷物を置くことができたし、向かいの席も空いていた。

 二つ目の駅で、酔っ払った男性がふらふらと乗り込んできた。細身で色白だが筋肉がしっかりあって肩ががっしりして、顔もなんとなく怖い。男性は私の向かいにどかっと足を開いて座り、ワイシャツのボタンを三つ目まで開けた。そして背もたれに頭を預け、あっという間に地響きのような大きないびきをかき始めた。

 初めは嫌だな、と思ったが、彼の喉を見て気が変わった。オーギュストさんの低くて不機嫌で早口な声に、ぴったりな喉だった。私が探していた喉はこれだ、と思った。そういう目で見ると、大きく頭を反らし、いびきで喉を振るわせている彼の姿勢は、私に喉をよく見せるためにしているのではないかすらと思えた。

 筋張った白くて細い首から飛び出した大きな喉仏は、いびきに合わせて震えていた。この首は、力の抜けた体と重い頭を繋ぐ任務に疲れているようにも見えた。いびきは規則的とは言えず、たまに苦しげに止まることもあった。突然ころりと頭がとれでもすれば私も面白いし、首も楽になるんじゃないか、と思った。

 降りる駅が近づいてきたので私は立ち上がった。いつも不愉快な思いをさせられている仕返しに、この大きく突き出た喉仏をつついてやりたいという衝動に駆られたが、なんとか我慢して電車を降りた。

 これで私は魔女工房の様子をはっきりとイメージできるようになった。事務所は無駄に豪華な家具を傷めぬように照明が絞ってあり、薄暗い。電話は白い猫足のテーブルに乗っている。マリーさんはピンクのふりふりドレスを着て、傍らの赤いソファーの上でゆったりとくつろいでいる。オーギュストさんはマホガニーの書き物机で、書類に何か書いたり、八つ当たりにゴミ箱を蹴ったりしている。絨毯の上にオーギュストさんが放り出した資料が散らばっているが、二人とも気にもかけない。やがて電話が鳴る。シュエット薬局からの電話だ。マリーさんは初め、あくびを一つして電話を無視する。しばらく待っても鳴り止まないので、マリーさんは仕方なく電話を取る。

「はい、魔女工房マリーで~す」

 マリーさんの喉が動き、甘ったるい声が流れ出す。私は電話の向こうで腹を立てている。私は薬局でせわしなく働いているのに、魔女工房でマリーさんはのんびりしている。「ルイ~、」オーギュストさんは盛大に舌打ちし、電話を替わる。オーギュストさんの喉はいらだちを隠しもせずに乱暴な声を送り出す。私はそのぞんざいな態度にいらいらを募らせる。ガチャンと大きな音を立てて電話が切られる。私はメーカーのくせに店をかえりみない二人の態度に、いつか罰が下ることを祈っている。二人に怒りを覚えているのは私だけではない。彼らが担当する顧客たちは皆、革命の時を待っている。二人はそんなことは露知らず、元の作業に戻る。


――/――


 ある日、新商品の注文のため魔女工房に電話をすると、オーギュストさんはいなかった。というより、いなくなっていた。

「私分からないので~、分かる者が来たら折り返させます~」

「オーギュストさん、いないんですか」

「クビになっちゃったんですよ、彼」

 マリーさんは溶けたチョコレートのようないつもの声で、なんでも無いことのようにそう言った。

「接客態度が悪い、ってクレームが来たみたいで~なので、新担当が戻ってきたら折り返させますね~」

「はい」

 ガチャン。電話が切れた音に、私は驚いた。相手がマリーさんだったので、こんな風に音を立てて電話を切られるとは思っていなかったのだ。マリーさんが無邪気に出した冷たい音は、気を抜いていた私の胸に突き刺さった。

 しかし少し間を置くと、だんだん愉快になってきた。人の不幸を喜んではいけないと思っても、もうオーギュストさんと話さなくていいと思うと気持ちが軽くなった。いい子ぶることを諦め、私はオーギュストさんの処刑風景を空想した。太陽の光降り注ぐ広場に、古い断頭台が置いてある。土台は薄汚れているが、ギロチンの刃だけは日光を受けて鋭く輝いている。台に寝かされて不機嫌そうに眉間に皺を寄せるオーギュストさんを、マリーさんはお菓子を食べながらのんびりと眺めている。マリーさんがお菓子を飲み込むたびに、浅黒い喉が大きく動く。お菓子の粉がスカートに落ちたことを気にしてマリーさんが下を向いた瞬間、ガチャン! というあの乱暴な音が響く。オーギュストさんのあの大きな喉仏を目印に、刃が首を落としたのだ。マリーさんは最後の瞬間を見逃してしまったことを特に気にもせず、あくびを一つ。マリーさんはまだ分かっていないが、いずれマリーさんも同じ目に合う。適当に扱われた私たちの怒りが、いつか彼女のクビも飛ばし、顔と体を切り離す。あの浅黒い線にそって。

 近くにお客さんがいないのを確認して受話器を持ち上げる。そしてどこにも電話をかけることなく、手を離して受話器を落とした。受話器はまっすぐに落下し、金属音にも似た小気味いい音を立てた。

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