第173話 epilogue-02
「……まだいたのか」
ジンは、不愉快そうな仏頂面を崩さずに、目の前にいる黄金の髪の青年に言った。
あからさまな態度を見せるジンに対し、青年──ダルタニアン・ルヴル・レーヴェルは、オールバックにした髪を、純白の手袋をはめた手で撫で上げながら、大仰に手を広げた。
一つ一つ、どれをとっても隙なく精錬された仕草。実にエレガントである。
「ふっ……私と君の再会は、いわば宿命! そう驚くことでもないさ」
「……まあいい。俺はクロエに会いに来ただけだ。おまえに用はない」
ジンが、ポーズを決めるダルタニアンの横を通り過ぎようとした時、ダルタニアンはジンの腕を掴もうと手を伸ばす。
「待ちたまえ」
しかし、当然のように掴み取るより先に手を取られ、腕を捻り上げられる。
「ぶふぉぁ!」
「ダルタニアンさん? 汚いんだけど」
踏み潰されたカエルのような悲鳴を上げ、唾を飛ばしたダルタニアンに、迷惑そうに顔をしかめたティナが、じっとりとした視線を送る。
ジンは、無言のまま捻り上げた手を解き、ついでに腹に拳を叩き込む。唾が飛んだ先にいたのは彼なので仕方のないことと言えるだろう。
「ごふっ……」
呻いて膝をつくダルタニアン。明らかに無様なその姿。実にエレガントではない。
その隣を通り過ぎようとしたジンとティナに背後から声がかかる。
「ごほっ……待ちたまえ」
「だから、どしたの?」
「君たちはその格好でクロエ嬢に会いに行く気かね?」
「……なにを言ってるんだ?」
「ふぇっ? 別に変な格好してないと思うけど?」
ジンが胡乱げな目でダルタニアンを見、ティナが自分の服装を見回し、なぜかすんすんと鼻を鳴らして、自分の身体を嗅いだ後、こてんと首をかしげた。
そんな2人を前に、ダルタニアンは耐えかねたように叫んだ。
「そんな傷だらけの姿でクロエ嬢に会いに行くつもりか、と聞いたのだ!」
「あっ……うん」
「…………」
ティナが若干、気まずそうに目を逸らし、ジンは面倒くさそうに息を吐く。
確かに、ティナは、頭に包帯を巻いて、折れた左腕を吊っている。服の上からは見えないが、打撲や切り傷はいくつもあった。
ジンも、ティナよりは軽症であるが、腕や頭に包帯を巻いており怪我人であることは誰の目にも明らかであった。
当然だ。2人とも
「クロエ嬢は君たちに会いたがっていた……しかし! そんな姿で会いに行っては、心配をかけてしまう! それでは、互いにとって不幸というものだろう。違うかね?」
「うるさい」
「うっさい」
2人揃って疎ましげな表情をするジンとティナ。そもそも、屋敷それ自体はそれほど大きくないのだ。そんな大声を出しては、クロエに聞こえてしまう。
「無論、君たちが激戦を潜り抜けてきたことは承知しているつもりだ。君たちほどの騎士がそこまで追い込まれたのだ。相手も賞賛に値する騎士に違いない。しかし──」
「黙っていろ」
ジンは一言そう言っただけだった。だが、ダルタニアンはそれだけで飲まれた。ジン・ルクスハイトの放つ気配に。
強い意志を宿す真紅の瞳。ダルタニアンは、それに睨み据えられて硬直した。それはまさしく覇気。最前線で戦い続けた騎士だけの持つ、威圧感。
──ああ、なんという未熟!
そして同時に、ダルタニアンは自らを恥じた。ダルタニアンがクロエと過ごした時間はほんの数日ほど。そんなダルタニアンに、ジンとクロエの関係を語る資格があろうはずもない。
「すまない。私としたことが、言葉を誤ったようだ」
「え? それ、いつものことじゃない?」
「ぐはっ……」
ティナが真面目な顔で辛辣なことを言う。いや、本人は辛辣なことを言ったなどと思っておらず、純粋に真実を口にしたと思っているだけにタチが悪い。ついでに言うなら、ダルタニアン自身、否定できるだけの根拠は思い浮かばなかった。
「ふふっ……だから言ったではありませんか。余計な気は回すものではありませんよ?」
「フランソワ卿!?」
不意にドアが開き、くすくすと笑みをこぼすシャルロットが現れる。ダルタニアンは驚愕を口に出すが、ジンは気付いていたらしく、一言、
「趣味が悪いな」
「ふふっ、盗み聞きというつもりはなかったのですけど」
「シャルロットさん、こんにちは」
「ええ、お帰りなさいませ。少し見ない間にお揃いになってしまいましたね」
シャルロットが、右手を吊ったまま、カテーシーの如く礼を取る。淀みない優雅な淑女の礼であった。実にエレガントである。
対するティナは、
「やっ、これお揃いとかじゃないと思うんだけど……?」
──っていうか折れたの逆の腕だし……
と、甘いと思って口にしたチョコレートが、思いの外苦かった時のように、微妙そうな顔をした。
まあ、腕が折れたことをお揃いと言われれば、そんな顔にもなろうというものである。
しかし、そんなことを言った当の本人はといえば、くすりと柔らかい笑みを見せた。
「冗談ですよ、ティナさん」
「分かりづらいんだけどっ! 微妙過ぎて分かりづらいんだけどっ!」
思わず突っ込んだティナを、微笑ましげに見るシャルロットに、ジンは尋ねた。
「それで? おまえたちは何をしに来た?」
「いえ、特には。私は、外に用事があっただけですので」
「ザビーナ・オルレアンか?」
ジンの直截的過ぎる物言いにも、シャルロットは笑みを返しただけだった。しかし、その目は柔らかな表情に比べて鋭利であった。
「ふふっ……どうでしょう? ですが、近いうちに戦場で会うかもしれませんね」
「俺は斬るが、構わないな?」
「ええ、それはもちろん」
そして、一度言葉を切ったシャルロットは、凛とした表情で、
「貴方も覚悟してくださいね? ジン・ルクスハイト」
そう言った。騎士として、強い意志を宿した
しばし、視線を交錯させた後、ふっと視線を外したシャルロットが、騎士の礼を取る。
「では、私はこれで失礼します。レーヴェル卿、私は、おそらくはシルペストル卿やシャントゥール卿も数日中には戻らねばならなくなるでしょう。後のことはお任せしてもよろしいですか?」
「あ、ああ、分かっているとも」
ダルタニアンはうなずきながらも、どこか口惜しそうであった。とはいえ、それも仕方のないことかもしれない。
あるのは、歴史あるレーヴェル侯爵の嫡男という立場だけ。それは、貴族としての立場でしかないのだ。
そう、ダルタニアン・ルヴル・レーヴェルは、本質的な部分で、彼らの隣に立って戦うことはできないのだ。
そんな悔しさを噛み締めるダルタニアンの前で、シャルロットはゆっくりと歩き去っていく。
引き止めたい気持ちはあるが、ダルタニアンにはできなかった。理解しているのだ。これからシャルロットが行く場所にダルタニアンはいるべきでないことくらいは。
ただの騎士ではなく、
「ん? 要するにダルタニアンさんって暇人ニートなんだ?」
「ごはっ……」
そんなダルタニアンに、ティナが無邪気にトドメを刺した。
今度こそ膝をつくダルタニアンに、ティナはそんなことはどうでもいいとばかりに、次々と口撃を入れていく。
「うわぁ……でもよく考えたらそうだよねー。貴族の嫡男なのに、騎士でしょ? この時点でほぼ趣味だし、その上、領地経営には関わらず、剣を振ってるわけだから、これ無駄飯食らいだよね? 絶対」
「ぐふっ……」
「しかも、極め付けは、覚悟を見せた女の子にろくなことも言えずに、見送るだけ。騎士どころか、男としても3流だよね、うん」
「…………」
ダルタニアンは真っ白に燃え尽きていた。ジンもこれにはさすがに、同じ男として哀れみを覚えたのか、
「ティナ、その辺にしておいてやれ」
「ふぇっ? あっ……ご、ごめんね? わ、悪気はなかったんだけど……」
ジンに言われて、ティナが今気が付いた、という風に、慌ててダルタニアンに謝った。
しかし、ダルタニアンの心は晴れなかった。
──そうだ。ティナ嬢の言う通りではないか……!
ダルタニアンは騎士道を追いかけるばかりに、自らの責務を見失っていた。だからこそ、父は自分に情報を教えようとはしなかったのではないか?
ダルタニアン・ルヴル・レーヴェルが、レーヴェルとして未熟であるからこそ、父は、ダルタニアンに教えないかったのではないか?
ダルタニアンは騎士道を奉ずる騎士だ。しかし、同時に、歴史ある正義を奉ずる貴族家、レーヴェル家の嫡子だ。
ならば──
──レーヴェルとしてもまた、その
「ふっふっふっ! はっはっはっ!」
燃え尽きていたと思ったら、突然高笑いを始めたダルタニアンに、ティナがびくっと身をすくませる。
そして、突然立ち上がると、ティナの手を取り、顔を近付ける。
「ひゃっ!?」
「ティナ嬢!」
「なっ……なっ……にゃ……」
「君のおかげで目が覚めた。私には、私のやるべきことがあったというのに……」
ぷるぷると震えるティナに気が付いていないように、ダルタニアンは続ける。
「そうとも! 騎士としての技を磨くだけでは、一流の騎士ではない! そうとも、貴族ならば、貴族としての剣を磨かねば、いつまでも未熟なままなのだ……」
「……んたは」
「私はまた、急ぎ過ぎるばかりに大事なことを見失ってしまった。改めて礼を言わせて欲しい。ありがとう」
「あんたは、そのデリカシーの無さを一番最初に直せぇえええ!」
ジンは溜息を零して、目を逸らす。手を振りほどいたティナの、渾身のストレートが、ダルタニアンの顔面に直撃し、受け身を取り損ねたダルタニアンは、ドアを弾きながら、屋敷の中に消えた。
「ぜぇ……ぜぇ……」
ジンは労うように、荒い息を吐くティナの頭をぽんぽんと軽く撫でると、慣れた手付きでドアを開け、屋敷の中に入っていく。
「……ふふん、って待ってよねっ」
ティナも慌てて追いかけるが、すぐに立ち止まったジンの背中に鼻をぶつけてしまう。
「むっ……ジン急に止まんないでよね、って……あっ……」
ティナは、ジンの背中から顔を覗かせ、彼が足を止めた理由を悟った。
そこにいたのは、車椅子に乗せられたクロエと、その父、ジェラルド・カルティエだったからだ。ちなみに、ダルタニアンはどこからともなく現れた老執事によってキャッチされたらしく、頬を押さえて、執事の隣に立っていた。
「よお、ジン。遅かったな」
「……ジェラルドさん」
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、おかえり」
気軽な口調に反して目が笑っていないジェラルドと、ジンが睨み合う。妙な緊張感の中、クロエが軽やかに笑うと、弛緩した空気は霧散した。
「ああ」
「うん、ただいま。えーっと、クロエちゃん? 大丈夫だった? その……わたし、あんまりうまくないから、傷残っちゃわないか心配で……」
ティナは、ひしひしと感じる気まずさに目をつぶりながら、クロエに話しかけた。まあ、なんだかんだ言おうとも、これが一番きになるところだった。男ならいざ知らず、クロエは女の子なのだから。
「お医者様は、大丈夫だろうって言ってたよー。お姉ちゃんのおかげなんだよね? ありがとう!」
花が咲いたように笑うクロエに、ティナはほっと胸を撫で下ろし、近付いてクロエのふわふわの金糸を撫でる。
くすぐったそうにするクロエの柔らかい表情に、ティナも思わず、笑みがこぼれる。
「ううん、わたしもありがと。クロエちゃんが元気で、よかった」
ティナは、そう言って片腕で優しくクロエを抱きしめる。少女の明るさを象徴するようなお日様の香りがした。
ぎゅっと抱きしめ返してくれるクロエに、妹がいたらこんな感じだったのかな、と益体もないことを考えた。
「お姉ちゃんも大丈夫……?」
「ふぇっ?」
心配そうな声音で聞かれ、ティナはそこで自分の状況を思い出した。そういえば、折れた腕を筆頭に、傷まみれだった。
「うん、大丈夫だよ。名誉の負傷って感じだから……たぶん」
ぼそっと付け加えたのは聞こえなかったかもしれないが。どちらにせよ、ティナは、怪我をしたことに後悔はなかった。仲間のために命を張ることに、迷いはないのだ。
抱き合ったままのクロエとティナに、ジンがゆっくりと近付いてくる。そのどこか、躊躇いがちな様子に、ティナは、クロエから手を放すと、ジンの隣まで行き、背中を叩いた。
「ほら、しゃきっとしなさいよね、
「ちっ……」
舌打ちをこぼしたジンだったが、諦めたようにクロエの側に寄ると、優しい手付きで頭を撫で、
「すまない」
そう謝った。突然の謝罪だったが、クロエは何のことか分かったらしく、ころころと笑って、
「いいよ」
とだけ答えた。ジンは、何も言わず、優しくクロエを撫で続ける。言葉は少なくとも、通じ合っている。それが伝わってくる。
「次は約束を違えるようなことはしない」
「ううん、いいの。お兄ちゃんも大変なのは分かってるから」
励ますようにいうクロエの頭をぽんっと軽く叩くと、ジンは少々気まずげに目を逸らしながら、
「……約束くらい守らせろ。俺はお前の……兄だからな」
「えへへ……お兄ちゃん、大好きだよ!」
クロエが、ぎゅっとジンに抱き付く。ジンは一瞬手を伸ばしかけたが、思い直したようで、抱きしめ返すでもなく、ただそれを受け入れた。
2人だけの空気から疎外されたティナは心に浮かぶもやっとした感情から目を逸らした。なんとなく、気付くとろくでもないことになりそうな気がしたのだ。
「ふっ……君もそんな顔をするのだな、ティナ嬢」
「うっさい」
いつの間にか復活していたダルタニアンがそんなことを言ったので、鉄拳をもって答えた。
そんな様子を見ていたクロエは、ジンの方を真面目な顔をして見つめた。
「お兄ちゃん」
「なんだ?」
「お姉ちゃんをちゃんと大事にしなきゃダメだよ?」
「は?」
豆鉄砲に撃たれたような表情をするジンに、クロエは溜息を吐いた。そして、不満げに言う。
「お兄ちゃんは鈍感なんだよ!」
「いや、なんの話だ……?」
戸惑うジンがティナの方に目を向ける。ティナはぷいっと目を逸らした。
「ね? お姉ちゃん」
するとクロエと目が合う。クロエが、同意を求めるように拳をぎゅっと胸の前で固め、うなずいた。
ティナはくすりと笑みをこぼすと、
「ねー」
とにっこり笑って、うなずいた。もやもやとした感情は消えている。クロエの邪気のない笑顔を見ていると、心が洗われる気分だった。
「さて、水を差して悪いんだが……」
そこで今まで黙っていたジェラルドが、口を挟んだ。むっと、クロエが頬を膨らませて彼を見るが、ジェラルドは、軽く手を振って、それをいなした。
「ジン、ちょっと来い」
「なんですか?」
「おまえに教育的指導を付けてやろうと思ってな」
「…………」
ジンが無言のまま身を翻す。しかし、その肩にはいつの間にか動いた老執事の手が乗っていた。
「……おい、離せ」
「申し訳ありませんが、旦那様の命にございます」
「ジン。たまには俺と本気でやり合ってもいいだろう?」
「いや、結構です」
ジンが真顔で断るが、すでに彼の身体は、老執事によって完全に固められている。
「姫……いや、ティナと言ったかな?」
「ふぇっ? あっはい」
突然水を向けられたティナは、ジェラルドの言葉にうなずく。
「この間は時間がなかったんで、まともに挨拶もできなかったが、改めて礼を言おう。うちの娘と馬鹿弟子が世話になったな。ありがとう」
ジェラルドは、腰を折って頭を下げた。大の大人が、そんなことをすると思っていなかったティナは、しどろもどろになりながらも、言葉を返す。
「いや、その……クロエちゃんにもジンにもわたしがお世話になってるくらいで……」
ティナのそんな様子にジェラルドは素直に驚いたような表情を浮かべ、笑った。
「性格はいい方に似たらしいな」
「ふぇっ?」
ジェラルドの意味深な言葉に、ティナが首をかしげる。しかし、彼はそれ以上そのことに言及することはなかった。
「じゃあ、ジンを借りるんでな。お嬢さんはゆっくりしていくといい」
「え? いや日帰りのつもりで……」
「気にすることはない。ジンは今日は動けんだろうからな」
「え……?」
こてんと首をかしげるティナ。何をするか知っているのであろうジンは、苛烈な視線をジェラルドに向けた。
「は? おい、ふざけるな」
しかし、ジェラルドは飄々とそれを受け流すと、
「何もただボコってやるつもりじゃないぞ。おまえも腕を上げたようだからな。少し早いが、双剣の極意をおまえに教えてやる」
「…………」
ジンはその言葉に黙り込んだ。言うまでもなく、彼は力を欲していた。
2人の
そして、シェリンドン・ローゼンクロイツには一蹴され、〈ガウェイン〉は大破した。
全てはジンが弱かったからこそ。ならば、力を渇望するのは当然の帰結だった。
そんな心の動きを感じ取ったのか、老執事はジンから手を離した。
「いい面構えになったな、ジン」
「うるさい」
「では、行くぞ」
「いってらっしゃーい」
呑気に手を振るクロエ。しかし、ティナはそこまで楽観的にはなれなかった。ただの訓練にしては、あの2人の空気は張り詰め過ぎていたからだ。
「では、ティナ様。お部屋にご案内します」
いつの間にか目の前に現れた老執事が、非の打ち所のない礼を取る。
「お姉ちゃん、行こっ!」
「う、うん……」
ティナは言われるがままに導かれながらも、ジンのことが頭から離れなかった。
noblesse;oblige 雪羅 @quanta670
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