エピローグ アサダチの手記
野朝達夫の手記を読んだ中田ひとみは、特に驚きもしない。
何故なら、彼女自身が日常をはるかに超越した体験をしているから。
それよりも、野朝達夫の凄まじい復讐劇に感動すら覚える。
生きていてもただ苦しいだけ。
学校生活では、彼女にとって絶望的な時を刻んでいた。
クラスメートからの無視。親友だった子からの、残酷な、言葉のない絶縁宣言。
だが、ネットの噂で知った“あのセカ”の11曲目を聴き、癒されない心の傷口が閉じていった。
苦しみから解き放たれて、ふわりふわりと知らないセカイを彷徨った。
自分は死んだのだ、と気づくのに長くはかからなかった。
悲しみも楽しみも、ない。
怒りも慈しみも、ない。
感情のない、思考のない様はまるで雲のよう。
それから何年経ったのか分からない。
知らない間に中田ひとみは現世に戻っていた。
目を開けると、早朝なのか静寂に包まれていた。
彼女はヘッドホンをつけたまま自室のベッドに横たわっていた。
本棚には見慣れない医学書。なぜか看護師姿の自身の写真。
何時誰が買ったのか全く記憶のない真っ白な座卓。
その上に掌サイズのメモ帳が置かれていた。
顔を横に向ける。オーディオコンポが起動したまま。
“あのセカ”の1stが11の数字を示して終わっていた。
メモの内容は、日記調で記されている。
ひとみは達夫の遺した手記を全て読み終えて、泣いた。
同時に、激情は生きている内にしか味わえないことを学んだのだった。
***
いま、“あのセカ”を聴きながらこれを書いてる。
ひとみさんに全てを知って欲しいから。
約束して欲しい。
絶対、公表しないで。
あなたのためにも。
***
新財権力に直接に会うことは簡単にはいかない。
なので、かつて僕の母親だった宮乃が社長をしている芸能事務所から入り込むことにした。
ひとみさん、美人だし、看護師であり、実は女優志望だとか適当なことを言えば中に通してくれると思ってた。
だけどそんな簡単にいかなかった。
どこの誰かが分からない者が突然押しかけてもダメだった。
あああ。
ひとみさんを元のカラダに戻すには時間がない。
そう焦っていると。
七生がでかでかと映り込んだ、トレンディドラマのポスターを目にしながら事務所の入った高層ビルをあとにしようとした途端、男に声を掛けられた。
その男が、なんと、新財強汰だった。
昔と比べて、もっとチャラチャラしてて、耳だけじゃなく鼻にもピアスをしていた。
「アンタ、女優になりたいの?」彼はそう聞いた。
どう応えて良いかすぐに判断できなかったけれど、兎に角、頷いてみた。
「は! そうか! アンタをつけていたんだけどさ、俺さ、実は社長の息子なんだよ」
獲物が初めて罠に掛かったかのような、嬉しい悲鳴を上げて彼は黒のワゴン車に僕を誘った。
運転席に彼は乗り込んだ。他には誰もいない。
僕は後部座席に座らされた。窓はミラーフィルムが貼ってあり外から車内は覗けない。
機嫌良く運転する強汰。大方、義理の母親である宮乃にカネをせびっていたのかも知れない。
だけど、うまくカネが引き出せなくなり、彷徨いていたら僕を見つけたんだろう。
車内を見ればすぐに分かった。カメラの機材や、モニターなどが所狭しと置かれている。
この男の考えそうなことを聞いてみた。「これからHな撮影するんでしょ?」
ピクン、と彼の両肩が跳ね上がる。
「お! よく分かってんじゃん!」
やっぱり。
権力からの援助も渋られているのか。
なのでよほどおカネに困ってるのか。
「いいけどさ、でもその前に頼みがあるの」
***
山中にある場末のラブホテル。昭和の時代に建てられたかのようなかなり古びた2階層の建物。
なんの疑いもなく彼は僕とホテルの一室に足を踏み入れた。
裸になり、僕の言うなりにベッドに横になる。
バッグから注射器を取り出して彼を動けなくさせることは容易かった。
結束バンドで彼の手足を縛る。
最初は喚き散らしていたが、やがて恐怖に駆られたのか、彼は僕の聞かれたことに全てを話すようになった。
強汰は、美波の行った僕の手記の公開を境に、次第に彼の仲間から疎ましくされるようになったのだった。
彼の築いた帝国が徐々に崩れていった。
すると、彼のことを良く思っていない勢力がチカラを持つようになった。
新たな勢力から、あらゆる因縁をつけられてカネをせびられるようになっているのが今の状況なんだそうだ。
話終えた彼は、化けの皮が剥がれて頼りない面構えに変化していた。
よく見たら彼の目の周りに黒いクマが出来ている。
殴られた痕にしかみえない。
調子に乗りすぎたバツだ。
僕から逃れようと、ピクンピクンと跳ねるカラダが陸に上がったサカナのように次第に弱々しくなってきている。
これが、僕を虐めていた新財強汰。
「あと、1000万必要なんだ」
どうも、縄張りの利用料として彼等から後請求されているらしい。
払わなければ、命の保証はないのだとか。
「親には相談しないの? 警察は?」
「ダメだ、最近、親父は俺に冷たい、母親からもさっき門前払いされた・・・・・・警察もヤバイよ、ヤツラとつるんでいるやつが中に紛れ込んでる」
裏社会のことはよく知らない。
僕は彼の持ち物を手にして部屋を出る準備をした。
「お、おい、ちょっと待て、俺をこのままにしておく気かよ、ところでアンタは何者なんだ!?」
「アサダチ」
ホテルを出て、強汰のクルマで権力の自宅に向かう。
その間に強汰のスマホに入っている連絡のやりとりから、敵対していた者を見つけ出した。
連絡先も書いてあったから、サービスエリアの電話から匿名で、
『彼が全てを警察に自白してアナタ達を道連れにする気なので、或る場所に監禁した』と伝えておいた。
場末のホテルの住所を彼等に教えると、僕は強汰のスマホをサービスエリアのゴミ箱に捨てた。クルマも乗り捨てて、歩いて国道にでるとタクシーを呼んで目的地に向かったのだった。
***
全身を特殊な生地で出来たタイツですっぽり包み込み、強汰の鍵を使って新財邸に忍び込んだ。
セキュリティーのカードも間違いなく使えたから問題なかった。
果たして、権力は一人で帰ってきた。
あとは、やるしかなかった。
権力のベッドの下に潜り込んだウータの合図を待ち続けた。
GOの合図の代わりにウータが駆けてきた。
僕は注射器片手に権力の寝室に向かった。
無我夢中だった。
これを終わらせなければ、僕はひとみさんのカラダを返すことが出来ない。
彼に馬乗りになると、僕は彼の首筋に針を刺した。
彼は目を見開いて抵抗したが、彼の血液内に残らず注入した。
全てが終わった。
***
翌日。
新財権力が謎の死を遂げた、と世間で騒ぎ出した。
毒は効いたのち血液で完全に消えたから分かんないだろうね。
それでは、このカラダを返すね。
いままで好き勝手に使ってごめん。
追伸:
昨日、“あのセカ”を聴く前にニュースでやってた。
強汰の遺体が、裸のまま山中に捨てられているのを通行人に発見されたんだって。
殴られたり蹴られたりされたのか全身アザだらけだったそうだ。
あ、そうだ、ウータが僕から去る際にこう言ったよ、
『部屋を綺麗に片づけてあげてね。』
いまの気持ちは清々しいから難なく出来そうだ。
ミツグオトジョ。 吉川ヒロ @hirokichi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます