第六話 件と鵺 結

「とりあえず、今から坊主には俺の店を手伝ってもらうぜ」

「え……?」

 店主のやぶから棒の発言に、少年は理解が追い付かず固まってしまう。

「今、何て言いました?」

「だから、この店を手伝ってもらうって言ったんだよ。まずは妖怪についての知識を叩き込んでやるからな。覚悟しとけよ」

 どういうわけか、少年の返事も聞かないうちから、店主の中では店を手伝うことが決定事項となっているらしい。

 少年は反論しても無駄かと思いつつも、精一杯の抵抗を試むことにした。

「勝手に決めないでください。というか、妖怪の知識って……そもそもここは何の店なんですか?」

「あ? そういや言っていなかったな。ここは妖怪の相談所だ。妖怪の悩みを聞いて、それを解決してやる代わりにあるものをもらう」

「あるものとは?」

 少年の問いに、店主は似合わない眼鏡を押し上げながら答えた。

「例えばこの眼鏡。こいつは照魔境(しょうまきょう)っていって鏡の妖怪――雲外鏡(うんがいきょう)の依頼を解決したときにいただいたもんだ」

 次に傍(かたわ)らの灰皿に置いていた煙管(きせる)を手に取る。

「あるいはこの煙管。こいつは煙の妖怪――煙々羅(えんえんら)からの依頼の報酬で、その名も奪衣煙管(だつえきせる)。

 俺がこの店をやっているのは、こういった妖怪たちの持つ品々――妖怪骨董(ようかいこっとう)を集めるためさ」

 妖怪骨董――その品々に少年は少なからず興味を引かれた。

 おそらく乱雑に店内に置かれているガラクタたちも、すべてその妖怪骨董なのだろう。

 ただこれだけの数を集めながら、その扱いが粗末に見えるのが少年には不思議だった。

「何のために?」

「鵺(ぬえ)を倒すためだ」

 店主の口から思いがけず飛び出した妖怪の名に、少年の緊張は一気に高まる。

 店主は続けた。

「鵺を倒せるたった一つの妖怪骨董――『頼政(よりまさ)の弓矢』。俺はそいつを探しているのさ。

 だから坊主。お前は死にたくなけりゃ、少しでも早く『頼政の弓矢』を見つけるために、この店を手伝う必要がある」

 店主が少年に店を手伝わせようとした理由。

 それがようやく開示されて、少年の疑問は氷解した。

 と同時に、店主の言葉の足らなさに呆れもする。

「なるほど。そういうことなら仕方ありません。店を手伝いましょう」

 少年の了承を受けて、店主は満足そうに腕を組みふんぞり返った。

「よし、それじゃあさっそく――ん、そういや坊主。お前、名前は?」

 不意に名を問われると、少年の顔はたちまち曇った。

「……言いたくない」

 その様子から何かを察して、店主は名前を聞き出すのをあきらめる。

「……そうかよ。じゃあ、せめて年くらいは教えとけよ。これから色々世話してやるんだからよ」

 少年はこれにも答えるかどうか少し迷ったが、確かに世話になるからにはそのくらいは話すのが礼儀だ。

「数えで十(とお)になります」

「ふん。じゃあ今からてめえのことは十歳坊(とおせぼう)って呼ぶことにするぜ。いいな?」

 安直な名付け。ただそれでも、名を付けられそれを呼ばれることは、少年にはたまらなくうれしかった。

 何とかそれを悟られまいとしながら、少年は努めて平静を装う。

「まあ、呼び方なんてどうでもいいです。それより、僕の方はあなたを何て呼べば?」

「そうだな……じゃあ師匠と呼んでもらおうか。精一杯の敬意を込めてな」

「死んでも嫌だ……」

 どうあっても尊敬できそうに店主からの命令。

 少年はこれにはつい本音がもれた。


                            ◆


 それから店主と少年の忙しい日々が始まった。

 妖怪相談所の仕事を手伝ううちに、少年は妖怪への理解を深めていく。

 ただそれは知識の上での理解であり、分かり合うという意味での理解は依然として程遠かった。

 自身の運命を狂わせた妖怪という存在に対し、少年の中には消化しきれない憎しみがあった。

 さらに日々は過ぎていく。

 ぬらりひょんや海坊主との出会い。少年の妖怪に対する見方は少し変わる。

 もしかしたら、妖怪を好きになることができるかもしれない。そう思い始めた。

 ところが、そんな少年の大きな一歩を遮(さえぎ)る――通せんぼする出来事が、この後に起きるのだった。

 ついに訪れた鵺との直接対決。

 結果として、鵺を倒すことはできず逃がしてしまった。

 ただ少年の中の件の呪いを消すことに成功したのだ。

 しかし、その犠牲はあまりに大きかった。

 鵺の妖怪の能力を奪う力を逆手に取るという店主の策。

 それは見事にはまり、少年は件の能力を失った。寿命を削る力も同時に。

 そして、それらの力はそのまま店主の身の内へと入り込んだのだ。

 少年は知らなかった。店主ははじめから、我が身を犠牲に少年を救うつもりだったのだ。

 鵺との激闘の結果、店主はすでに事切れようとしていた。

 少年は血だまりに横たわる店主に縋(すが)りつく。

 そうして、店主は最後に少年に告げた。件の能力で見たという希望の未来を。

 少年は妖怪相談所――仏嫌房(ぶっきらぼう)を継ぎ自分の店とする。

 そして、そこに一人の少年が訪れる。未来の少年は、その訪れた少年と共に鵺を倒す、と。

 正直、少年にとって鵺のことなどどうでもよかった。ただ少年は店主に助かって欲しかった。

 しかし今の少年には何もできない。ただの無力な人間だった。

 少しずつ閉じかけていく店主の瞳。

 少年は最後に、これまで決して口にしなかった呼び方で店主を呼んだ。

 精一杯の感謝を込めて――。

「師――」


                            ◆


「――匠! 師匠ってば!」

 聞き慣れた少年の声に、店主の意識は現実へと引き戻された。

 ここは遠然房(とおせんぼう)。顔を起こせば、少年――境ミナトが心配そうにこちらをのぞき込んでいた。

「珍しいね。師匠がうたた寝してるなんて」

「……私としたことが。少々、気が抜けていたようですね」

「まあ、仕方ないんじゃない。この間の『七人岬と本所七不思議』事件は、師匠もかなり手こずっていたしね」

「誰のせいで苦労したと思っているんですか……」

 店主――遠然坊(とおせんぼう)はため息をつきながら、手探りであるものを探した。

 しかし、その手は空を切る。

「あ、眼鏡ならここだよ。はい」

 ミナトから手渡された眼鏡を身につけ、遠然坊はようやく安堵(あんど)する。

「ありがとうございます、ミナトくん」

「その眼鏡、ずいぶん古いものなんだね」

「ええ。これは恩人からもらった大切な物なんです」

 初めて聞く話にミナトは少し驚いた。

「そうなんだ。師匠にすごい似合っていると思っていたけど、他の人のものだったんだね」

「ええ。もっとも、その人にはあまりこの眼鏡は似合っていませんでしたが」

 遠然坊は昔懐かしむように遠くを見る。

「この眼鏡をもらってすぐは、私はかけることさえできませんでした。まだ子供でしたからね。

 ようやく、この眼鏡がかけられるようになったときは、それはそれは嬉しかったことを覚えていますよ」

「そうなんだ。何か、本当に珍しいね」

 ミナトはどこか楽しそうに言う。

 その理由が遠然坊には分からなかった。

「何がですか?」

「師匠がそんなに自分のことを話すなんて。いつもは僕が聞いても、何にも教えてくれないからさ」

 確かに、いつもならこんなことはミナトには話さない。

 一体、どうしてしまったというんだろうか?

 ただ遠然坊は不思議と悪い気はしなかった。

「さっきまで夢を見ていたんです。子供のころの夢を。それで少し、思い出に浸りたくなったんですよ」

「そうなんだ。ねえ、もっと聞かせてよ! 師匠の子供のころの話!」

 無邪気に身を乗り出すミナト。そんな彼の姿が遠然坊には少しまぶしかった。

 自分もこのくらいあの人に素直になれていたら――帰らぬ日々を思いながら、遠然坊は微笑んだ。

「駄目です。もう何も話すことはありません。それに何度も言っているでしょう。私を師匠と呼ぶのはやめなさい」

「え~今更それを言うの? もう無理だよ。僕にとって師匠は師匠なんだからさ!」

 それから、なおもしつこく聞いてくるミナト。

 聞き分けのない弟子に頭を悩ます遠然坊を、店内に響き渡る鈴の音が救った。

「ほら、ミナトくん。話はここまで。お客さんです」

「うわ~今日はどんな妖怪だろう?」

 暖簾(のれん)をくぐり見える顔に、少年は期待を膨らませる。

 そして店主はいつもの言葉で出迎える。

「いらっしゃいませ。ようこそ、遠然房へ」

 


 それは路地裏にひっそりとたたずむ小さな店。

 妖怪相談所――遠然房。

 意識を広げてみれば、あなたにもその店が見つかるかもしれない。

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遠然房異聞 @susumu

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