第六話 件と鵺 転

 鵺(ぬえ)という妖怪は、人間の『分からない』という感情から生み出された。

 『分からない』ものに姿形を与えることで、人間はそれを理解しやすくしたのだ。

 そうすることで恐怖を和らげると同時に、それを崇(あが)め奉(たてまつ)れるようにした。

 自然の猛威を神の怒りと捉え、あらゆる自然に神の姿を見出したのと同じように。

 暗闇の恐怖から逃れるために人は鵺という偶像を作り、やがてそれは多くの人間に信仰され実像を得た。

 鵺に畏れを抱いた人々は神と同じように鵺を崇めた。

 鵺もそうした人々から妖を遠ざけ、恩恵をもたらす代わりに危難を払った。

 こうして鵺と人とは共存していた。

 ところが、次第に人間は驕(おご)りはじめ暗闇を怖れなくなった。

 鵺などまやかし。暗闇の中には何もない。

 人間が鵺を信じなくなったことで鵺の力は弱まり、妖を人から遠ざけることができなくなった。

 人はそれを鵺の怒りだと捉えた。

 鵺は悲しみを覚えたが、例えそう思われたとしてもそれで人々が暗闇の恐怖を思い出してくれればそれでいいと思った。

 しかし鵺が思っていた以上に人間たちは増長していた。

 鵺を自らの手で討ち倒し、すべての妖を消し去ろうと考えたのだ。

 人々の鵺への恐怖心は完全に消え失せ、鵺の存在もまた消えかけ始める。

 鵺は逃げるしかなかった。逃げながらも鵺は自分が消えることで抑えのきかなくなった妖が、さらに人間たちを襲うことを心配していた。

 鵺の思った通りに人の世には前以上に妖怪が溢(あふ)れ出した。

 それでもなお人は、鵺さえ倒せば妖が消え去ると考えていた。鵺に許しを乞おうという謙虚さは欠片も見えなかった。

 どころか人間たちは鵺となんら関わりのない人間たちの間のいざこざでさえ、鵺に責任を押し付け始めた。

 一方で鵺は妖怪からも狙われ始めた。

 長年、自分たちを闇の中に押し留めていた鵺をこの機会に甚振ろうとする者。あるいは鵺を殺すことで箔(はく)をつけ、自分が次の暗闇の主になろうとする者。

 理由は様々なれど、鵺は同じ妖からも恐怖ではなく迫害の対象となった。

 人にとっても妖にとっても邪魔者。この世で最もいらない存在。 

 ありとあらゆる『都合の悪いもの』を押し付け不幸の象徴とされた。それが彼らにとって『都合がよかった』ために。

 そしてとうとう鵺はある人間の弓矢によって討たれた。


                            ◆


「――はずだったんだがな。すでに鵺は妖怪としてのありようが変わっちまってたんだよ。『分からないものに対する恐怖』から『都合の悪いもの』にな」

「『都合の悪いもの』……ですか」

「ああ。色々あんだろ。ああだったらいいのにとか、こうだったらよかったとか。まあ不平不満だな。

 そういった思いのすべてが今の鵺を形作っている。お前らこれ要らないんだろ、じゃあ俺がもらってやるよ。って具合にな。

 今は力をつけている段階だが、いずれ数百年に渡る怨嗟(えんさ)がこもった復讐の刃を、俺達人間に向けてくるだろう。

 いいや、妖怪も含めた自分以外のすべてを滅ぼすつもりだろうな」

 ゴクリ――と少年は生唾を飲み込んだ。

 こんな話を聞いてしまうくらいならば、いっそこの店に来ない方がよかった。

 こんな恐怖に晒(さら)されるくらいならば、何も知らないまま一瞬のうちに死んでしまいたかった。

 そう思った。

 店主が少年一人の生き死に無頓着な理由も納得がいく。世界と天秤にかければ些細なことだ。

「まあそんな感じだ。今のお前の現状は。内からは件、外からは鵺。さ~て、どうするかな」

「僕は……」

「ん?」

「僕は今すぐ死んだほうがいいんでしょうか? 鵺に未来予知の力を渡してしまうくらいなら、この場で死んだ方が……」

 少年は震える声で悲痛な覚悟を絞り出す。

「どうせ件の肉を食べてしまった時点で先が知れた命だし、特に生きてやりたいことがあるわけでもないし……」

 自分に必死に言い聞かせて、これしかないんだと思い込もうとする少年。

「知らん」

 店主はそんな少年の思いを、あっさりと一蹴する言葉を言い放った。

「別に坊主が死にたけりゃ死んでもいいが、お前は助かりたいんじゃなかったのか。そう言ってたろ」

「それは……そのときは鵺のことを知らなかったから」

「そうか。じゃあ、お前は鵺の話を聞いて死にたくなったのか。変わった奴だな」

「いや、それは――」

 反射的に否定の言葉を口にしかけて、しかしそれが自分の本心なのだと少年は気付く。

「死にたくない。僕は死にたくはありません。でも!!」

 クシャ――と、気付けば少年の頭の上に店主の手があった。

 武骨で、しかし温かい大きな手に包まれて、少年はなぜだか涙が溢(あふ)れてきた。

「よし。じゃあ坊主も救って鵺も倒すとするか」

「…………僕を助ける方法が分かったんですか?」

「知らん」

「……鵺を倒す方法を知ってるんですか?」

「知らん」

 店主は無責任にいい加減に適当に、けれどはっきりと言った。

「俺が知っているのは一つだけ。坊主が死にたくねえってこと。そんだけ分かってりゃ十分だ」 

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