35

 人に見えないモノが視える。

 気づいた時には、それは当たり前だった。だから、みんなにも見えているものだと疑わなかった。




 ――ゆみちゃんのうしろにいるおじいさん、だれ?

 一緒に遊んでいた近所の子の背中にぴたりと寄りう白髪の男性。子どもが年寄りを背負って重くないのだろうか。不思議に思って枝折は言葉にした。

『どこに?』

『……だれもいないよ』

 生気のない老人の目が枝折に向けられる。

 ――いるよ。ゆみちゃんのせなかに……。

 老人が、子どもたちに相手にされない枝折をあざけるように、顔をゆがめた。

『しおりちゃんのうそつき』

『うそつきはどろぼうのはじまりだって、おかあさんがいってた』

『あっちいこう』

 枝折は離れていく女の子たちを眺めて、締めつけられたみたいに胸が苦しい。


 ……うそじゃないのに――


『おかえり、枝折……どうしたの?』

 信じてもらえなかった悲しい気持ちをかかえたまま、家に帰った枝折を母は優しく迎え入れた。おおらかで温かい雰囲気に、こらえていたものが溢れ出す。

 枝折の話を聞いた母は「そう……それは、悲しかったね」と、何度も娘の頭をなでた。

『その目は神様から頂いたもので、他の人は持ってないの。だから、みんなには見えないの』

 ――みんなにみえないの?

『そう、パパも見えないの。だから、枝折とママの秘密ひみつ

 内緒ね、とほがらかに笑った母の顔が、枝折の目に焼きついた。その表情が、頭をなでる手が、大丈夫よと言っているようだった。




 優しかった母。唯一ゆいいつの理解者だった。

 仲睦まじい新しい家族に、亡き母の面影おもかげが薄れていく気がして、枝折は心寂うらさびしさを覚えた。

「枝折ちゃん」

 水木の声に呼ばれて、枝折は肩を揺らす。びくり、と。立ち止まって恐る恐る後ろを振り返ると、枝折が通ってきた渡り廊下の先、特別棟は日中にも関わらず薄暗く感じた。ひっそりとした薄闇うすやみの中から、ゆっくりと水木が姿を見せる。

「一人にならないで。と言ったばかりなのに」

 仕方ないという口ぶりで呟きながら、水木は枝折の隣に並ぶ。

「どうして……?」

 枝折は高い位置にある水木の瞳を見上げて尋ねた。新しい家族と上手に付き合えない枝折に、水木は何の感情も持っていないようだ。

「誰と仲が悪かろうが、関係ないわ。実の親子でも傷つける。所詮しょせんは、赤の他人」

 興味がない、と断言された。


 彼らは、鬼。

 他の人とは違う枝折を、柊たちはあるがまま受け入れる。

 人間とは違う存在に、おそれはなくならない。それでも、彼らの態度に言葉に一度もいつわりを感じたことがなかった。


「枝折」

 低く素っ気ない声で呼ばれて目を向けると、枝折の方へまっすぐ歩いてくる柊の姿があった。

「柊、どうしたの?」

「それは、こちらの台詞だ」

「……?」

 柊の言葉の意味がわからず、枝折は首をひねる。

「朝、何か言いかけていたよな」

 朝の掛けた声を柊が覚えていて追いかけてきたことに驚きつつも、枝折の胸の奥がじわじわと温かくなる。

「どうした?」

 短い柊の言葉は力強く、それに背中を押されるように枝折は口を開く。

「黒い靄みたいなのが、増えている気がする」

 そう伝えた途端、きな臭さが鼻について、枝折は探るように目を凝らして周囲を見る。

「視るな」

 柊は左の手で枝折の目を塞いで、きつく発した。こめかみに鈍い痛みが走り、反射的に閉じたまぶたに手のひらが接した。

「意識して視ようとするな。お前のは強すぎる。それは、我らの正体しょうたいをつまびらかにする」

 柊の手の冷たさに痛みがまぎれたようで、枝折は気が楽になった。


 ……人と違うモノが見えるこの目が嫌い。


「言葉を飲み込むな。言いたいことは何でも口に出せ」

「私たちは化生けしょう。あなたがどう感じても何を言っても、気にしないわ」

 ぶっきらぼうな柊の言葉に、水木がおごそかに続けた。

「……人に見えないモノが視えるこの目が嫌い」

 ずっと思っていた。視えなくなればいい、と。

 瞼に触れていた柊の手のひらが枝折の頭に置かれた。

「そうか」

「うん」

 あやすように、柊の手が枝折の頭を軽やかに叩く。その規則的な感触に、枝折の心が安らいでいく。

 午後の授業開始の予鈴が校内に鳴り渡ると、「先に行け」と目で告げて、柊は枝折の頭から手を離した。

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オニゴト 田久 洋 @Takyu

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