34

 四時限目の授業か終わると同時に水木に連れ出された枝折は、その足で理事長室まで来た。

「サンドイッチでいいか?」

 水木に勧められるままソファーに座ると、早々そうそうに葵に訊かれた。何の話をしているのか把握はあくできなかった枝折に、水木が言葉をおぎなって問いかける。

「枝折ちゃん、お昼サンドイッチでも平気?」

「うん、大丈夫。ありがとう」

 水木の言葉で、葵が昼食を手配してくれることをやっと理解した枝折は、彼に感謝を伝える。枝折の言葉に頷いた葵は応接テーブルの上に用意を始めた。

「どうぞ」

「……いただきます」

 面倒見めんどうみのよい鬼だな、と枝折はイメージする鬼と違う状況に戸惑いを抱きながら、葵がれた紅茶に手を伸ばす。

美味おいしい」

 一口飲んで、さっぱりとした味に感想が零れる。鬼が淹れたのに美味しく感じることに枝折は驚いた。

「それはよかった」

 そう呟いた葵はティーポットを持ったまま理事長の机に座る柊に近づくと、机の上に置いてあるティーカップに紅茶を注いだ。

「寮生の親睦会、どうしてもやるの?」

 ミーティングテーブルに腰かけた木蓮が不服めいた声を発したが、誰も答えようとしない現状を不思議に思い、枝折はサンドイッチを食べながら室内を眺める。

 目の前の応接ソファーに座って、紅茶を飲みながら水木はくつろぐ。扉をはさんで応接セットの反対側にあるミーティングテーブルに両手を広げてうつぶせになっている棗。その対面で、すらりと長い足を組んだ白衣姿の木蓮が髪をかきあげて、柊に双眸を向けた。

「この不安定な状況の中、本当に校内を開放するのですか?」

 木蓮は丁重な言い方に変えて、もう一度問いただした。

「中止するよう促したが、却下きゃっかされた」

 木蓮の言葉で親睦会の中止を期待した枝折は、生徒会副会長の葵の答えに落胆らくたんした。

「うわぁ、不用心。のんきだねぇ」

 テーブルに頬杖をついた棗が楽しげな口調で呟く。

「家族に会える少ない機会だからなくすなと」

 葵が眼鏡の奥の目を神経質そうに細める。

「枝折ちゃんは、家族に会いたくないの?」

 水木に問われて、枝折は言葉にまった。


 ……言ってしまおうか。


 パンを飲み込みながら、枝折は逡巡しゅんじゅんした。

 隠していても、いつかは知られる。それに、彼らは出会ったばかりなのに、自分に正体しょうたいを明かした――そこに彼らの思惑おもわくがあったとしても――ひた隠しにすることもできたはずなのに。

 そんな風に接した彼らに、枝折は嘘を言いたくないと思った。

「母が、小さい頃に亡くなって、ずっと父と二人きりだったんだけど。去年、父が再婚して、妹ができたの」

「妹がいたのか」

 枝折の言葉に反応した柊。

「うん。かなえちゃんって言うの。とても父になついているんだけど……私、うとまれているみたいなの」

 感情がこもらないように気をつけて、軽い口ぶりで話す。そうしないと、今まで誰にも話したことのない、心の奥に仕舞った思いが溢れてしまいそうだった。

 父の再婚相手はおだやかな女性で、実の娘のかなえとへだてなく枝折にも気さくに接しようとしていた。そうしようとする義母の気負いを、枝折は察してしまった。

 父をしたう、血のつながらない妹。むつまじい父と義理の母。枝折から見ても、三人は仲のよい家族だった。

 自分がいなければ、うまくいく。そう感じるようになっていた。

 枝折はぎこちない笑みを浮かべた。

 こんな話を誰かにしたことがない。こんなことを言える人が今までいなかった。


 ……だけど――


 枝折は胸の前で合わせた手に視線を移した。

 新しい家族と仲よくできない。そんな自分のことを彼らはどう思っただろう。そう考えると不安になり、柊たちの目が見られなくなった。

 駄目な人間だと知り、離れていくだろうか?

 誰も何も言わないことに、たまれなくなる。


 ……それでも、仕方ない。

 傷の浅いだろう、今のうちなら――


「そろそろ……教室に戻る」

 腕時計の文字盤を確認しながら呟くと、わずかに声が震えた。

 枝折は理事長室を後にした。

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