第22話 帰るのはいつもおうちへ

 終業式が終わって、俺はグレようと思った。田舎の夏なんてグレたくてもグレられない。夜更かしもできないし、うっかりすると熊出るし、最終的にはジジィ世代から認可下りてる猟銃借りて(違法)、熊巻きに出て「そーりゃ、そーりゃ!」とか叫びながら山を駆け巡り最終的になぜか熊鍋を喰っているというわけのわからねぇ夏になったりする。俺はもうそういう野蛮な因習からは卒業するんだ。普通の高校生になるんだ。

「天泰、なに難しい顔してんの? バカみたーい」

「ぶっ殺すぞ茶樹」

 てめぇなにアイス食いながら帰ってんだよ。俺にもくれよ。

「それにしても、今年はなんか騒がしい一学期だったねぇ」

 茶樹がバニラバーをぺろぺろしながら言う。俺はため息をつき、

「てか、高校一年だし、むしろ入学早々みんなして落ち着いてたらこえーよ」

「え~? ちなっぴとかざねるが来なかったら、絶対天泰とかダラけてたよ、もう」

「うっ」

 確かに……いや、だからこそ俺はグレるんだ。よし、なにか悪いことするぞ!

「おいこのクソバカ女! アイスよこせ! カツアゲだ!」

「シネェ」

「うわっあぶっやめてっ」

 ミニスカートで回し蹴りなんて純情な乙女がするんじゃないよ。というか暑いからって裾折り込みすぎだろ。デフォルトでパンツ見えてんぞ。磯野さんちの次女メタファーかよ。

「あーあ。結局、今年も一回戦負けか~」ずりずりとスカートを戻しながら、

「勝利の女神が入学したというのに、信心が足りないのう」

「お前が神様とか市役所に黒祠として通報するわ」

 などとバカ話をしながら、稲荷家の前までやってくる。いや、普通に帰り道なんだけどさ。

 あれからも、たまーに帰ったりしてるけど、いまではすっかり鷹見家にいるほうが多くなってきた。

「……天泰、稲荷のほうには帰ってこないの?」

 茶樹がちょっと寂しそうに見上げてくる。

「いや……地夏とも話したんだけど、もうちょっとこのまま生活してみようかって。よく考えりゃまだ数ヶ月で、ホームステイかよって話だし……」

「そっか……うん、二人がやりたいようにしたらいいよ。でも、いつでも帰ってきていいんだからね、天泰!」

「うん、その言葉は嬉しいが、お前はよそんちの子だぞ?」

 なんか当たり前みたいに「ただいまー」とか言ってあがっていくし。これも新手のカツアゲなんじゃないの? 田舎にはありがちだけど。

 なんとなく釣られて、俺も稲荷の家にあがった。うわあ、懐かしの我が家のにおい。何度嗅いでもたまんねーな。なんでなんだろね。

「……あれ?」

 座敷の襖を開けた茶樹が目を丸くしている。

「……風嶺ちゃん?」

「ほえ?」

 おいおい、なんで俺の妹がいるんだ、と茶樹とかいう邪魔者をおしのけると、茶飲み卓のそばにチョコンと風嶺ちゃんが座ってニコニコしていた。そのそばには不貞腐れたように地夏がいる。うおおお、義理の姉妹にこういうのもなんだが、珍しいツーショットだ。

「どうしたんだよ地夏、お前がここにいるなんて珍しいな」

「こ・こ・は・あ・た・し・ん・ち・だ、っつーの!!」

 顔真っ赤にして怒鳴ってくる白リボン娘。おこりっぽいな~冗談じゃん。

「で、どしたの風嶺ちゃん」

「あ、いえ……ちょっと、稲荷さんちのみかんが食べたくなって」

「みかん?」

 といえば、庭に生えてるうちのじいちゃんがどっかから引っこ抜いてきたんだか盗んできたんだか実はみかんじゃない謎の風土果物だとかいろいろ言われているあれか。そもそも鷹見家が引っ越してきて、鷹のジョニーが俺んちのみかんを食い荒らしていたもんだから、俺は鷹見家にいや~な印象を持っていたのだった。もう払拭されたけどね。

「あんなのでよければいつでも食べていいよ」

 俺がそう風嶺ちゃんに言うと、地夏は不機嫌そうに「ふん!」と鼻を鳴らした。いやいや、ここは俺んちでもあるでしょ。

「わーい、みっかん、みっかん!」

「茶樹お前はいつでも喰ってるだろ」

 懲りもせずにテーブルの上のみかん皿からみかんを取って食い始める茶樹。実に幸せそうである。

「あれ、熱ちゃんは?」

「そこ」

 見ると頭にタンコブを作った熱也が畳の上で「ビクンビクン」と痙攣していた。そのそばには意味ありげに転がったみかんが二つ。いい加減にセクハラはやめろ。

「あてててて……ちなっぴ、お兄ちゃんの頭は精密機械なんだぞ……」

「先輩のカラダで大切にするのは左腕だけですノデ」

「そ、そんなあ……あれ、天泰じゃん。よっ」

「よっ」と俺も手を挙げる。

「兄貴、どんなイタズラしたんだ?」

「ちんちんとおっぱいで迷ってさー、ちんちんにしたら回し蹴りが飛んできて……」

「おいやめろ」

 聞いといてなんだが風嶺ちゃんが真っ赤になっている。男同士の下世話なトークはまだ彼女の心には触れさせてはいけない。

「最近、回し蹴りが流行ってるみたいだよね」

「さっきお前も回し蹴りしたしね茶樹」

 カンベンしてくれよ。

 俺も座ってみかんを食べ始めることにする。俺が丁寧にムキムキしてる間に、「あっわたしもっ」みたいな感じで嬉々としてみかんに手を伸ばした風嶺ちゃん。地夏が嫌そうな顔をしたからなんかするんだろうなと思ったら、皮に親指を突っ込んだ瞬間、

 ぷしゅっ

「うわあああああああ! めっ、目があーっ!」

「……なにやってんのよ、もう」

 地夏が深々とため息。うんうん、わかるよ。俺は可愛いから許してるけど。

「貸して。あたしが剥いてあげる」

「あ、ありがとう、お姉ちゃん……」

「ったく」

 ぶつくさ言いながらみかんを剥いていく地夏を見ながら、俺はぼんやりと、こないだ熱也とかわした会話を思い出していた。

 ――最後の最後、風嶺ちゃんが倒れたの見て、指がすっぽ抜けたのはほんとなんだ。

 試合が終わってしばらくしてから、熱也は俺にそう言った。自分の左手の指先を見ながら。

 べつに熱也はそれで風嶺ちゃんを責めたりしない。むしろそんなのは自分の弱さと清算してしまうだろうし、事実そうだ。でも、地夏がそれを割り切るには、まだまだ時間がかかるのかもしれない。

 とか考えていたら、

「おっ、きょうだいで剥きっこしてんの? じゃあちなっぴのは俺が剥いちゃうもんね~」

 とアホ丸出しの笑顔で熱也が地夏の持っているみかんをその手ごと掴んだ。

 その瞬間、

「ひゃあああっ!」

 ビックゥ! ……と地夏が飛びあがり、みかんが空中に放り上げられた。綺麗なキャッチャーフライを捕ったのは、

 パシン。

 ……俺。

 じぃ~~~~っと俺は地夏を見る。地夏は顔を真っ赤にして、夏用のブラウスを着たまま、しかしなんかいつもより色っぽく見えて、目をぱちくりしている俺と熱也から視線を逸らしまくっている。

「……地夏、お前、ひょっとして……」

「あ~~~~~~~なんか暑くない? クーラーつけよっと。ていうか先輩、手ぇぬるぬるしててキモチワルイです。なめくじの生まれ変わりですか?」

「俺っ、俺はちなっぴをそんなひどいこと言う子に育てた覚えはっ」

「泣くなよ兄貴……」

 出会ってまだ数ヶ月だから育ててねーだろ。

 ……あれ? 俺、いまなに考えてたんだっけ。

 忘れた。

「ほらほら天泰、あんたもみかん食べなさいよ! おいしいわよ!」

 地夏がおもむろに「あ~ん」と自分で食おうとしていた茶樹のみかんをまるごとひとつ鷲づかみにして俺の前に差し出してきた。

「あ、あたしのみかーんっ!」

「いくらでもほかのがあるでしょ茶樹。……ほら、食べなさいよ、天泰。なんていうの、そう、あれよあれ」

 地夏は笑った。

「家族の味がするよ!」

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