第十二話 連れ
第十二話 連れ
オレは真っ白い世界に立っていた。ここは、どこだったかな?
周りを見渡したけど、真っ白で何も見えなかった。けれどオレの頭の中の記憶は消えてはいなかった。想いだせる。涼花の事、桐生君の事、そして親父との事。生きてきて、してきたオレの胸の痛むような事も。忘れてはいなかった。
そしてワンダーランドで見てきたこと。すべての事はオレの頭の中に焼きついている。
親父にたたきつけたあの言葉さえ、思いだせる。涼花の「ありがとう」の声は胸の奥深くに響いている。けれど違っていた。前ここに来たときのずっしり重かった何かが変わっている。苦しい何かではなくなっている。いや、そのものがなくなっているのだろうか。
ふと足元を見ると真っ白い霧の中のオレの立っている場所が、階段になっているのがわかった。白い石が横に並べてあって、その上に階段状に一段二段と続いている。目線から先は雲の中で見えないが、ずっと続いているのがわかる。だけど、立っている段の一段下はない。降りることはできない。もうオレには下の世界、ワンダーランドって天使野郎が言ってた、には降りてゆくことはできないってことなんだろうと悟った。
まあ今思い返してみるとへなちょことかへこたれとかあいつに言われ放題だったけど、確かにオレはたいしたことはできなかったように思う。あいつがかなりがんばってくれたお陰で、妹もなんとか希望がもてたんじゃないのかな。そして涼花も桐生君に、もう一度巡り会えた。果たしてオレが涼花に付いていたとして、こんな幸せな展開にもっていけたんだろうか。
そんな事も考えてみると、オレはやつに助けられたのかもしれない。なんだか、もうあいつに会うこともないと思うと、本当に感謝だなと思った。オレらしくもなく、人に「ありがとう」なんて言いたくなっているから不思議だよな。
思いを巡らせながら、一段目を上った。瞬く間に今立っていた石段はなくなり、霧の中にふわふわと一人ぼっちで浮いているみたいな感覚になる。
(いつまで、ワンダーランドに未練がましく想いをはせてるんですか?)
ふいに、頭上からあいつの声がした。
「おまえ!いつからいた?」
オレの目線くらいの高さの白い石段に天使様は立っていた。
(いや~~~、びっくりしましたね。あなたのお母さんの事ですよ)
さっきのセピア色のぼやけた光景をこいつも見たのだろうか。
(まったく、びっくりです。あなたのお母さんが桐生君を助けて亡くなった、なんて本当に知りませんでしたからね)
なんだか大切な隠している宝物を見つけられたような気持ちになって、うなった。
「なに、勝手に人の映像見てんだよ!だいたいお前、いつからそこにいたんだ?」
(え?わたしですか?あなたが気づかなかっただけで、ずっと前からいましたけど?)
しらっと言ってのける。
「桐生君って?」
まさかと思って言葉に出してみる。
(そうですよ、あの少年は桐生君でお母さんは桐生君を助けて命を失くされました。残念な事です)
たいして残念に思ってもいない様子だ。
(ところで、あなたはあの場所を覚えていないようですが?)
そうか、なぜ母さんは家を出てあんな場所へ出かけて行ったのだろう。
(まあ、こんなところまで来て時間を使うのもなんなので教えて差し上げますが)
オレはグッと天使様をにらみつけて
「教えろ!」
背中の羽を半分にしてすくみ上った。
「教えてくれ」
オレはもう一度言い直した。
天使は息を吐き出しながらほっとした表情を作って
(あの場所は思い出の場所なのです。桐生君のお母さんとお父さんの実家が近くにある、桐生一家には苦い思い出も増えてしまいましたが。桐生君と行動を共にしていて浮かびませんでしたか?この悲しい光景さえ桐生君は時折思い出しては、自分の糧にしていましたし)
そういえば、何度か浮かんだ。海がきれいな美しい断崖。どこか頑張らなくてはという気持ちとともに。
ただ、オレが知りたいことは違うだろう。
「そうじゃない、母さんはオレの母さんはなんでこんだところまで来たんだ?ここに何がある?」
驚いた表情を作って天子様はのたまった。
「さあ、わかりませんね」
その時、
『ショウ』
母さんの声だ。真っ白い中に目を凝らす。
『ショウ、ごめんなさいね。この場所はたった一度だけ家族みんなで来た事がある場所よ。とても幸せだった。お父さんもお酒も飲まなかったし手も上げなかった。ショウはとてもやんちゃで元気だった。生まれたばかりの涼花は花のように愛らしかった。もう一度あの頃に戻りたくて帰りたくて。あなたと涼花を残して家を出た事、この場所に来て後悔した。本当は命を絶つつもりだったけど、通りかかった可愛い男の子を見ているうちに帰らなくちゃという気持ちになったの』
じゃあ、母さんはオレたちのもとに帰って来るつもりだった?
『だけど、こんな事になってしまって、あなたたちを裏切る事になった』
どこからか聞こえる声に耳を澄ます。
『だから、行けなかった。ずっとずっと眠るような時間の中、見つめていた、あなたが変わってゆくのを。様々な色に染まってくすんでいくのを』
オレは初めて恥ずかしいと思った。母さんは見ていた、オレが汚れてゆくのを。変わってゆくのを。
『でも、あなたは門までたどり着いた。だからわたしは命の石になった。あなたがどうしても捨てられないワンダーランドの愛しさのもとに行けるように』
そうか、そうだったのか。あの石は母さんそのものだったんだ。
『だから、ショウ。もうわたしはもうすぐ消えてしまうでしょう。あなたが次の場所へと行くために』
「かあさん、オレは恨んでた、憎んでた。オレを捨てた母さんを。ごめんなさい、弱いオレで、ごめんなさい」
涙は止まることなく流れた。
『ショウ、先を目指しなさい、それだけでわたしには十分よ』
暖かい風がほほを撫でた気がした。
「かあさん!」
呼んだ声は大きくこだましてかえってくる。今はもう母さんはここにはいない。そうわかった。
さっきまで姿を消していた天使様が、三段位上の白い石段に腰かけてあごに手をやり肘をついて見つめている。
「何見てるんだよ!」
涙のあとを手でこすると鼻声になっている事に気づいた。慌てて咳をする。
(あのですね、私たちは同じゴールを目指してたんですよ。なのであなたと一緒に消えてここに来たって訳です。最初にご説明しませんでしたっけ?)
「そうだった?」
(記憶も戻ったのですし、同じ様に兄弟の元に降りていったという事は推測できたんでしょうか?普通の人なら自分の記憶がもどったら私の立場も推測できたのでは?)
さっきまで、こいつに礼を言いたいなんて思っていた気持ちは消し飛んで、この忌々しいしゃべりにいらだって聞いた。
「お前の立場って、どういう」
オレがぼそぼそとつぶやくのをさえぎって
(とにかく、私たちはワンダーランドにはもう戻れないんですよ!というか、一応やるべきことはやったんですから、先を急ぎましょう)
そう言うと天使の翼をふぁさふぁさと揺らしながら、石段を登ってゆく。
オレの足元の石まで消えやしないかと、はらはらしながらあわてて天使のところまで駆け上がった。
(フットワーク良くなりましたね、ワンダーランドではどうなることかと思いましたよ。ぜんっぜん動こうとしないんですからね、まったく)
口の減らないやつだ。
白い世界の中にのびている石段は、上っても上っても変わりなく続いていた。ふとさっきの、天使の言葉を思い出した。
「お前の立場って境遇ってことか?同じ兄弟って、お前は桐生君の兄弟ってことか?」
だいぶ、頭の回転も良くなってきたのか、思いついたことを聞いてみる。
(そりゃそうですよ、あなたはどうしても気がかりだった人の元へ。私は守ってあげたい人の元へ、です。なんて言ったって、私はワンダーランドに降りれる日を夢に見ながら勉強してきたんですから)
何かがひらめいた。
「お前って、桐生君のお兄ちゃん、なのか?」
まっしろい顔を赤く染めた。メガネを恥ずかしそうに押し上げながら
(お恥ずかしいですが、そうです。彼とは面識はないんですが)
「はっ?」
面識がない兄、ってどういう?
白い雲の間に映像が流れる。
病院のベッドだろうか、ほほ笑んでいる女性の姿。
そして傍らに見覚えのある青年が立っている。
幸せが二人を包み込み、暖かい空気が満ちているのがわかる。
そして場面は変わり、絶え間なく動き回る看護師たち。
病院のガラス窓の向こう側、新生児室だろうか、心配そうな表情の先ほどの夫婦が見守っている。小さな赤ちゃんの胸や鼻から延びるチューブは、痛々しい。
小さな手を握る看護師が、ガラス越しの夫婦の方に顔を向ける。必死の形相でその看護師に向かって頭を下げる二人。小さな命の火が燃えているのがわかる。一生懸命生きようとして何かと戦っている。
目を背けるまいと手を握りながら、夫婦はガラス窓に張り付いている。
生きることを願いながら祈りながら、立っている二人の姿は見ている者をも辛くする。
そしてまた場面は変わる。
黒い衣装に身を包み、まだ顔の輪郭さえもはっきりしない写真を抱きしめて泣いている母と父。
オレは声が出なかった。
「あ、れ、お前なのか?」
オレたちは、絶え間なく石段を上ってゆく。先は長そうだ。右も左もまっしろい世界で、どこから来てどこへ行くのか目の前の霧は流れてゆく。
辛い話はする気がしなかった。
「そうか、お前は桐生君が生まれる前にこっちに来ちまった兄貴ってこと?」
どうって事ない、そんな気持ちを込めて言ってみる。
人が生まれる時ってやつは、どんなやつだってああして、命の火を灯して懸命に生きようとするんだろう、そう思うと喉がつまる。涙がこぼれそうになるのを、ごまかして上を向く。
また困った顔を作って、頬を赤く染めてうなずく。
(今回の事で、少しあなたの事がうらやましくなりましたよ。お兄ちゃん、なんて呼んでもらえる事は私にはありませんでしたからね)
そうかお兄ちゃんって呼ばれた事ないよな。
(あ、でもあなたが消えてからですが、僕にも亡くなった兄がいるんだと涼花さんに言っていました。あの時はうれしかったなぁ~)
とろけるような笑顔を作って、心底嬉しそうに宙を見る。
なんだか、この偉そうにしている天使様が、子どもに思えてきた。いや、実際子どもだったんだろう。赤ちゃんのうちに亡くなったって事だろうから、本当にこの世界の事は何もわからなかったんだろうし、きっと生まれて色んな事を経験しないでここまでやってきたんだろう。
偉そうにオレに説教じみた事を言ってたのを思い出すと、なんだかおかしくなる。
「うはははは!おまえ、ガキだったのかよ!」
オレはおかしくて笑い出した。屁理屈ばかり並べ立てる、偉そうなこいつはガキだったって事だ。
(わ、笑わないでください!ガキっと言われましてもその辺のガキとは違いますから。ワンダーランドにはたいして長い時間いられなかった訳ですが、その分降りる時のために勉強もしましたし、研究もしましたからね!人の気持ちはどうやったら、動いてくれるかとか、色々と、色々と!)
赤かった頬をもっと赤くしてあせりまくって、しゃべって興奮している。
「いいじゃないか!オレみたいに後悔するようなことばかりして生きてこなくってさ!やり直したくてもやり直せない事ばっかりだぜ!それよりきれいさっぱり何にもない方がいいさ」
ガキかと思うと腹も立たなくなってきたし、可愛くも見えてくる。
オレたちはかなり石段を登って来たが、まだ先は雲の中で石段はゆっくりとカーブして続いているようだった。
天使様が小さな声で言った。
(本当にあなたの事、うらやましいです。悪い事だってしたからそれが悪い事だってわかった訳ですよね。辛い事だって胸が痛むことだって、私は実際に経験してなかったのですから。人は胸が痛むから人を愛せるんだなぁとか、辛い事があるから幸せを感じられるんだなぁとか。今回よぉくわかりました)
本当にうらやんでいる様子なのがわかると、照れくさくなる。こんなどうしようもない人生を、オレの生きて来た道筋をそんな風に思えるなんて、心の中が純粋なんだろう。
ちょっと意地悪をしたくなった。
「でも、そんなことだって勉強してわかってたんだろう?」
小さくて頼りなくなっていた天使の声が、もっと小さくなる。
(そうですよ、わかっていましたよ。だから、わたしは正直あなたに少しだけ感謝しているんです。正しいルートで降りていたわたしを、つまり桐生君にわたしは兄弟ですから入り込んでいた訳ですが。横からあなたがわたしの事を吹き飛ばして入り込んでしまった)
脳裏に桐生君の落ちてゆく身体に体当たりした時の衝撃が戻って来る。
ふとあの時歩道橋の下に、命の石が光っていたのを思い出した。あの時涼花はすぐ下にいてオレがフォローするのを待っていたのかと思うと、切なくなる。
(お陰で、わたしはあなたの妹さんをフォローしなければならなくなった。でも、誰からも好かれていて愛されている桐生君の人生のフォローはさほど難しい事ではなかった。それよりもあなたの妹さんは、苦しんで悩んで辛い事ばかりだった。苦しかったですよ、辛かった。教科書の中に書かれていない苦しみって言う物が、こんなものなのかと。あなたに対する、狂おしいほどの切ない愛情と愛しさ。お父さんを憎みたいけれど憎みきれない不条理。言い表せない感情です。こんな感情を味わう事はきっとないんでしょう、生きている者だけしか経験できないに違いありませんから)
オレの中に素直な気持ちがもどった。
「ありがとう」
オレはこいつと出会って、良かった。自分の辛かった人生も、それが正だと理解することができた。
はたして、オレは妹の気持ちを受け止められただろうか。そんな毎日を生きさせてしまったのはオレなんじゃないかと、冷静に見つめることができただろうか。それは正直難しかったかもしれない。親父の事、呪い殺しちまってたかもしれないと思うし、耐えられなかったかもしれない。そんな事をしても、妹も誰も喜ばないし、幸せにはなれない。
今だったらオレは理解できるだろうが、そんな簡単なこともわからないまま生きてしまったんだ。でも、こいつのお陰で今は、わかる気がする。辛い境遇だって、それを乗り越えるのは自分でなくっちゃいけないんだ。そうしなくちゃ、周りまで変える事はできないんだ。わかるのが、遅すぎたのかもしれない。
白い霧に包まれて、できることならばオレは人生ってやつをやり直してみたいと思ていた。今度こそ苦しみから逃げないで、悲しみから顔をそむけないで生きてみたい。
今だったらできる気がする。
ずっとずっと先の方に明るい光が見えた。白い霧の向こうに周りを照らしている光を感じる。
(さあ、もうちょっとですね。私たちはワンダーランドで大切な想いを経験したんですから、次に行けそうですよね)
天使は羽をお茶目にすぼめて笑った。
「次に?」
(そうですよ、次につながる物を手に入れたじゃないですか。ここに!)
天使は胸のあたりに握りこぶしを作り、とんとんと叩いた。
「そうか、次か」
オレは自分の胸のあたりに拳を作って叩いてみた。空っぽだったここに、熱い何かがつまっている気がした。
石段を登る足に力が入った。オレはへなちょこでへこたれだったけど、次があるんだ。
その先にもっと、愛すべき自分に出会えるかもしれない。
振り向いて大きな声を出した。
「ガキより先に行くぜ!オレの方が人生の先輩だしな!」
オレは天使の野郎の前に飛び出した。
(待ってくださいよ!わたしだってガキとか言われたって負けませんからね。わたしだってずいぶんと経験をつんだんですから!以前のわたしよりずっとずっと大きくなってますからね)
オレたちは、石段を駆け上がった。白い霧の先の光はまだまだだったけど、オレたちは競争しながら笑いあった。
疲れるのも苦しいのも、ちっとも苦にはならない。
心地よい身体のなかに、暖かいものが広がっていくのを感じていたから。
へなちょこへこたれワンダーランド sakurazaki @sakurazaki2
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