Act2

 実の妹の涙を間近で見るのは、彼にとってつい最近の事でもあった。しかしそれでも、どうしても慣れるものではない。自分の決断が彼女を傷つけ、思いを踏みにじるものだと理解していてもだ。

 久遠がその重圧を飲み込むのとほぼ同時に、MIDGALに新着のメールが届く。

『覚悟は出来ましたか?』

 まるで、こちらの会話を一部始終聞いていたかのようなメッセージ。彼はその分に苦笑を零し、ARディスプレイを操作する。ディスプレイ端に設置されているメール返信機能を立ち上げ、彼女に対する答えを入力、そして送信。もちろんNOなんて言葉は入れていない。

 ふと、久遠は雪花の視線が気になった。いつのまにか彼女の涙は枯れていて、ほんのりとした表情でこちらの事を眺めている。何かを悟ったかのような表情に久遠は若干不気味さを覚え、苦笑いを浮かべながら雪花の隣の椅子に座る。

「けど、なんだか不思議だなぁ。兄さんが、あそこまで凶暴な声色を出すんだもん。考えられない」

「なんだそりゃ、酷いなぁ」

 雪花の言葉に、そう返す事しか出来なかった。自分だって怒る事はあるのだから、別に唸り声上げたって構わないだろうに。そう久遠が思っているのを知ってか知らずか、彼女は再び久遠に語りかける。

「兄さんは結構穏やかで、私の友達からもそう言われてるんだよ? それなのに、あんな獣が唸るような声で怒鳴るなんて、別人かと思っちゃった」

「い、言うじゃん、雪花?」

「言うよ。それぐらいに、今の兄さんは怖い」

 真っ直ぐな妹の言葉。しかし、その真っ直ぐな言葉がここまで鋭利な刃物になるとは。久遠はえも知れぬ哀愁に吹かれ、自分でも思わず雪花の肩に手を置く。……思わず、妹に据わった眼で見られてしまった。やはり、妹の侮蔑はどうにも慣れないものである。

 ゆっくりと進む時間だった。雪花の隣からそそくさと逃げ出した久遠は、台所で食材と静かな格闘を繰り広げる。怒鳴りあいですっかり遅れてしまった昼食を作るためだ。冷蔵庫の中にある卵とレタスを適度に取り出し、卵は火にかけたフライパンで手早くスクランブルに、レタスは水を切ってボウルヘ上げる。予め食パンをぶち込んでいたトースターが甲高い音を立てると同時に、久遠は白のランチプレートを二枚用意、その上に小麦色のトーストを乗っけて準備完了。ちゃっちゃと食卓へ運んでいく。

 いつもの昼食。スクランブルエッグトーストにしゃきしゃき緑のレタスを添えて、赤のケチャップを添える程度にかける。久遠はトーストにマーガリンを付けるタイプだが、雪花は逆に付けたがらない性格だ。……なのでマーガリンがよく余り、他の料理へと併用する事も少なくないのだが、そんな事はどうでも良いのである。

「やっぱり美味しいね、兄さんの作るトースト」

「大した事はやっていないんだけどね……」

 久遠は妹の言葉に笑みを浮かべ、トーストをかじる。さっくりふわふわ、悪くない出来だった。他愛もない雑談を妹と交えながら、久々に穏やかな昼食を楽しむ。このような出来事が、ここまで愛しく思うとは。……久遠は過去とのギャップを、麦茶で無理矢理喉の奥へと流し込んだ。

 その時、再び気の抜けるようなチャイムの音が居間に響く。一体このタイミングに誰が、と雪花は呟くが、久遠は誰が来たのか、勘で理解した。

 Leavateinnの開発を告げるニュース、そしてそれと同時に届けられた彼女のメール。余りにも速く事が動きすぎ、そして都合が良すぎるのだ。

「ちょっと待ってて、出てくるよ」

 彼はそう言って、玄関に向かう。インターホンに向かう事も無い。向かう必要も無いと思ったのだ。足早に玄関の扉を開き、外の風景と共に眼に映ったのは――

「おや、この坊やが永久の見込んだ狂犬か? 思ったより大人しそうじゃねぇか、なぁ、ラン?」

「狂犬がいつも暴れているとは限らない。そうだろうが、レオ」

 黒いコートに身を包んだ二人の男性が、こちらを眺めながら会話していた。狂犬だの大人しそうだの言われたい放題の久遠だが、不思議と嫌な感じはしない。それはまるで、自分がその評価を暗に認めているかのようだった。

「……どちら様で?」

 久遠の問いに、茶色の髪をぼさぼさに跳ねさせた三白眼の男性――ランと呼ばれた男性が反応した。久遠よりも若干身長は高く、纏う黒スーツは糊でも付けたかのように形が決まっていた。そして目つきからは、こちらへの猜疑の感情が見て取れる。

「ナイトバーズ。あんたの入隊審査に来た」

 まぁ、細かい事は永久に任せようか――そのランの言葉と同時に、二人の陰に隠れていた人物が姿を現す。いつぞやと変わらない白い長髪に、やはり白のワンピース。そして血に染まったかのような双眸でこちらを興味深そうに眺める少女。永久だ。

「久方ぶりですね」

 そう言葉を発しながら、笑いかける永久。しかしその瞳に喜色は浮かんでおらず、ただ真っ直ぐこちらを眺めるだけ。久遠も口角を上げ、彼女に一歩近づく。

「久方、というほど長くはなかったよ。心待ちにはしていたけどね」

「それはそれは、重畳です。ここまで来た以上、あなたに拒否権はありませんよ」

 突如、ニヤリと笑みを浮かべながら、永久は言葉を紡ぐ。その表情に久遠は底冷えするような恐怖を感じるが、しかしそれはあまりにも遅すぎる警告だった。

「始めましょうか、レオ、お願いします」

「あいよ……災難だなぁ、お前さんも」

 永久の呼びかけに応じて、待機していたもう一人の男、レオが憐憫の情を垂れた。ぱっと見て中年かと思われる容貌だが、しかし双眸にははっきりと確かな力が篭っている。百九十はあるかと思われる背丈で着込む黒ジャケットはかなり着崩れており、彼の性格が見て取れた。

「さて、坊やは少しお疲れだな。心配いらんよ、ぐっすり眠るといいさ」

 そう言って、レオは軽く指を鳴らす。まるで魔術師のようなそぶりだと久遠が感じた瞬間――視界が暗転する。四肢には少しも力が入らない。まるで、身体に鉛を詰め込まれたように気だるく、そのまま眠りに落ちてしまいそうな気分。あまりにも呆気なく、瞬間に起こった失神。

 何が起こったかも理解出来ない理不尽さ。……もしかしたらそれは、エネミーに殺された時と全く同じ『痛み』なのかもしれない。暗闇の中で、久遠は朧げにそう感じていた。

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