必ずや本懐を遂げるべし

歌峰由子

第1話


 夏が終わる。毎年、この日だけは必ず墓前に参るようにしている。水桶と柄杓を傍らに置き、袴の裾を捌いて墓石の前にしゃがんだ。蝉が鳴いている。酷く暑苦しいその鳴き声はその実、夏の終わりを告げるものだ。みーんみんみんみん。こめかみを一筋、汗が伝う。数珠をかけて合わせた手が熱く湿っている。閉じていた目をそっと開けば、目の前には小さな墓石。見上げる空にはいつの間にか鰯雲が高くたなびいていた。数珠を仕舞い、漆塗りに螺鈿細工の入った守り刀を懐から取り出す。すらり、と鞘を払えば抜き身の刃が光った。必ずや本懐を遂げるべし。母上。姉上。仇はこの平次郎が。



 夏が終わる。毎年、この日だけは必ず仏前に参るようにしている。花瓶に仏花を飾り、正座してひとつ仏鈴を鳴らした。コオロギが鳴いている。秋の訪れを告げるようなその鳴き声はその実、まだまだ暑い時期から聞こえるものだ。きりきりきりきりきり。胸元を一筋、汗が伝う。数珠をかけて合わせた手が熱く湿っている。閉じていた目をそっと開けば、目の前には簡素な位牌。障子越しには、日に日に明るくなる月影が青い光を差し込ませていた。数珠を仕舞い、小ぶりな脇差を傍らから取り上げる。すらり、と鞘を払えば抜き身の刃が光った。必ずや本懐を遂げるべし。母上。平次郎。仇はこの文音が。



 夏が終わる。毎年、この日だけは必ずこの場所にやってくる。菊を手向け、線香を上げるこの場所はかつては領主の館、今は何もないただの荒れ地だ。文音。平次郎。この母を許しておくれ。毎年こうして、もう二度と逢うことの出来ない我が子に詫びる。その二つの小さな手を、決して離さないと誓ったのに。私は今、たった一人でからっぽの両腕をぶら下げて歩いている。

 北と南、国の全てを二分した戦の中、私は夫と我が子を喪った。夫は戦へ出て帰らず、二人の子供たちは焼き討ちに遭い煙に巻かれて消えた。

 幼子だったゆえ、骨も残りはしなかった。討ち入った敵に攫われた私は妾とされ、今もその男に仕えている。私達の国は夫をたばかった裏切り者どもに二分されて消えた。亡き夫の形見の小柄を握りしめる。革の鞘に入れたそれには、たっぷりと鴆毒が塗られている。必ずや本懐を遂げるべし。文音。平次郎。仇はこの母が。

 私を捕えたあの男も、裏で糸を引いて私達を孤立させたあの大名も、機に乗じて裏切ったあの領主も、全て私が平らげてみせましょう。



 その日、その国を治める領主の館では盛大な宴が催されていた。敵対していた隣国との講和を兼ねた祝言である。夫婦となるのはその国の嫡男武継と、隣国の長女綾姫だ。世は戦国まっただ中、離合集散、下剋上を繰り返しながら大きくなった二つの勢力がこのたび和平を結ぶ。これでようやく平穏が訪れる、そうどちらの国の者も内心胸を撫で下ろしていた。

 そうそうたる顔ぶれで臨む婚儀、厳粛な空気の中で交される盃に映る己の顔が、緊張と憎しみに歪んでいるのを知るのは新郎と新婦の二人だけだ。新郎、墨川武継。幼名を平次郎。新婦、秋沢綾姫。元の名を文音と言った。二人は共に、墨川一派に騙し討たれて滅ぼされた芳河氏の子女ながら互いにそのことを知らない。武継は数奇な運命を辿って墨川の養子となり、綾姫は墨川討ち入りの混乱に乗じて進出してきた秋沢の養女として育てられた。

『おのれ秋沢』『おのれ墨川』

『『わが母と姉弟の仇』』

 懐に、袖に隠した守り刀と脇差へ手を伸ばす機を窺いながら、一の盃を飲み交し、二の盃に口をつける。それを部屋の隅で食い入るように見守る老女があった。この婚儀の炊事を手伝いに来た墨川配下の領主の妾だ。

 袖の下に隠し持つ小柄を握りしめる。次だ。三の盃にはこの鴆毒を。憎き仇どもの倒れる様を見届けたなら、己もこの小柄で喉を突こう。

 三の盃に御神酒が注がれる。盃を武継が飲み干す。綾姫が脇差に指をかけた。老女の拳が震える。武継も守り刀に手を伸ばす。



 ――必ずや本懐を遂げるべし。



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Twitter フリーワンライ企画(#深夜の真剣文字書き60分一本勝負)参加作。使用お題:「この日だけは」「抜き身」「離さないと誓ったのに」

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