終幕 epilogue

◆惑星テラツー


 惑星テラツーはその名の通り、環境から大陸比に至るまで極めて地球に近い惑星である。

 神々の悪戯と呼ぶには作為的ですらあるその酷似は、かつて発見者であるパイロットが「I've come home帰ってきちまった」と言った程で、この有名な言葉は歴史の教科書にも載っている。


 そこに何者かのどのような意図があるにせよ、それは未知の世界へと人々を導く希望に他ならなかった。

 AHドライブのテスト中に偶然発見されたこの星は、銀河の奇跡と呼ばれ、人類にとって真に希望の星となったのである。


 星暦となった現在も、テラツーは統合人類宇宙連合の主星であり、名だたる星間企業が本社をかまえるまさに人類宇宙の中心だった。


◆首都ネオトーキョー 

ミツルギグループ 本社アーコロジー


 時間はわずかにさかのぼり、ジョン・スタッカーが影の国での死闘を生き延び、病院のベッドで深い眠りに落ちていた頃。

 遠く離れた人類の主星で、一つの幕引きが行われようとしていた。


 王の居城とも言えるミツルギグループ本社アーコロジー(完全都市型建造物)は、遠目にはまるでクリスタルで出来た巨大なピラミッドのようにみえる。

 だがその中枢、主の間は広くはあったが、玉座と呼ぶには実務的で驚くほど殺風景だ。


 装飾と呼べるものは、部屋の角に置かれた二鉢の観葉植物のみ。

 後は年季の入った木製の執務机と、一対になった椅子のみが全てだった。


 今、この部屋にいるのは二人。

 一人は椅子に深く腰掛けたこの部屋の主だ。

 その佇まいからは、人が持つ生々しさを微塵も感じさせない。

 まるで、彼もまた歳月を経た木工家具の一部であるかのように、歴史と思慮深さを感じさせる威厳をまとっていた。


 かなりの高齢であるはずだが、背筋は真っ直ぐに伸び、鋭い眼光には真実を見通す光が宿っていた。頭髪は見事な白髪。鼻が高く、それがまるで猛禽もうきんくちばしのように見えた。


 アレクサンダー・マクマソン・ミツルギ。

 “皇帝カイザー”と呼ばれ、恐れられる、ミツルギグループの総帥である。


 皇帝と机を挟んで立っているのは、ミツルギ重工開発部部長、デクスター・ルッツ。この部屋にいるもう一人の人物だ。


 小柄な体をピンと伸ばした姿は、王に謁見を許された忠実な臣下といった風だ。やや紅潮した面には、栄誉と、抑えても抑えきれない喜びが溢れている。


 ルッツが監視役の部下から「統括専務ゴードン・マクマソン死亡」の知らせを受けたのは、10時間程前。

 このプライドの高い重役にとって、天敵とも言うべき年若い上司の死は、頭上を覆っていた分厚い雲が一気に消えてしまったような、晴れ晴れとした気分だったに違いない。


 皇帝からの呼び出しは、思いの他急だった。

 常の彼であれば、そこに不吉な予感を感じ取っていたかも知れぬ。

 だが今、ルッツは笑顔さえ浮かべ、輝かしい栄光に満ちた未来に酔っていた。


 主の目に、不出来な創造物を見るような、冷たい光が宿っていることなど気づきもしない。


 もちろんルッツとて、天下のミツルギ重工の重役である。やや慎重すぎるきらいはあるものの、企業人としては極めて優秀だったし、その地位に見合った実力の持ち主だった。


 もし仮に、これ程までにゴードンを意識することなく、その実力を認め、ただ職務に忠実であったなら、渇望してやまない権力の座に手が届いたやも知れぬ。


 だがルッツは、ついにゴードン・マクマソンという存在を認めることが出来なかった。


 これ程の地位に登りつめた彼のことだ、本心では、ゴードンの才能と実力、そして何よりもその王の器に気づいていたはずだ。そこに皇帝と呼ばれるミツルギグループ総帥と共通する何かを、感じ取っていたはずだった。


 ――むしろ、それ故に。

 そこに自らと圧倒的に違う何かを感じたが故に、破滅を招きかねない危険を冒してまで、その若き統括専務を亡き者にしようとしたのかもしれない。


◆◆◆


「総帥――――」


 恐る恐るといった風に、ルッツは口を開いた。

 用件を告げられない内に、先んじて口を開くなどあってはならないことだった。厳しい叱責が飛んで来てもおかしくない。

 だが主は咎めることなく、先を促すように軽く頷いた。


 内心安堵に胸を撫で下ろしたルッツは、これに気を良くして言を継いだ。

 期待していた肉親の死が皇帝に与えた衝撃は、自分が考えていた以上に大きかったのかもしれないと、この時彼は思った。


 同時に、神格化さえしていた存在が、死を悼む心のある人間なのだと、親しみにも似た感情を覚えていた。


「総帥――賢明なあなたのことだ……お孫さんの身に起こった不幸な出来事は既にご存じなんでしょう?」


「ふむ――不幸な出来事か」

 アレクサンダーは、言葉の意味を咀嚼するように、しばし目を伏せた。

 それを悲しみに耐えていると取ったのか、ルッツは芝居がかった仕草で頭を垂れた。


「ええ……実に、悲しい出来事です。

 そして、残念だ。彼には、私も期待していましたから」

 

 奇妙な高揚感がルッツを包んでいた。

 自分は今、皇帝を相手に対等に話をしている。その思いが彼の背を押した。

「今だ――今がその時」と何者かの声がした。


「――ですが、悲しんでばかりは、いられません」

 慎重に――細心の注意を払ってルッツは続けた。


「彼を失った痛手は、大きい。

 だが私たちには、ミツルギという王国を守っていく責任がある」


 足が震え、手に汗が滲む。ルッツは、心の中に沸き起こる不安を振り払うように、声にいっそう力を込めた。


「彼の後任を選ぶ必要があるのではないでしょうか?

 ――早急に、次の統括専務を指名する必要が」

「そのために、あなたは私をここに呼んだのではないですか」と、ルッツは心中で続けた。


 だが――――


「なかなか熱のこもった演説だったが――」

 ミツルギの王は、再び深く椅子に背を預けるとため息をついた。

 心底落胆したとでもいうように。


「その必要はない」短く、言い放つ。


「なっ――――」


 あまりにも予想外――とりつく島もない冷たい物言いに、ルッツは声を詰まらせた。

 酸欠気味に口を動かすが、次の言葉が出てこない。

 当のアレクサンダーは、用は済んだとばかりに、そんな部下の狼狽ぶりを気にもとめていない。


「そんな――そ……それなら、なぜ私をここに呼んだんですか」


 ここで引き下がれば全てが終わる。そんな不吉な予感が頭をもたげ、ルッツは必死で食い下がった。


「た……確かに、我々は彼の訃報を聞いたばかりだ。気持ちの整理をする時間も必要でしょう。幸い世間もまだこの事を知らない。

 ――――だが、統括専務はただの役職ではないのです。後継の指名もせぬままにするのは、あまりに危険だ」


「やつの資質を、私は高く評価しているが、こういった悪ふざけだけは、理解できんな」


 ルッツの熱弁を冷めた目で見ながら、皇帝は独りごちた。


「は? ……それはどういう……」


「私は必要ないと言ったぞ」


 特に声を荒らげることもない、どちらかと言えば静かな声音だった。

 だがその声は――発された何かは空気を振るわせ、肌を切り裂く鋭さを秘めていた。


「も……申し訳ございません!」


 ルッツは、熱いものに触れたように飛び退ると深々と頭を下げた。

 期待を寄せていた孫の死に、心を痛めていると思い込んでいた老人の身体が、何倍にも大きくなったような気がした。


「何を思い上がっていたんだ」全身を冷たい汗に濡らし、ルッツは自らを責めた。

 カチカチと歯が鳴り、震えが止まらない。

 相対しているだけで、支配され、屈服させられる。


 そこにいるのは、生粋の支配者。

 ミツルギグループ総帥、皇帝カイザーアレクサンダー・マクマソン・ミツルギその人だった。


◆◆◆


 沈黙はわずか――だが、ルッツにとっては永遠に近い責め苦だった。


「デクスター・ルッツ開発部部長」


 王は厳かに、名を呼んだ。


「――はいっ!」


「私はおまえたちが小細工を弄するのを責めはしない。弱く資質の無い者が淘汰されるのは、自然の摂理だ」


 やはり――ルッツは思った。

 総帥は全てを知っている。彼の行動の全てを知っているのだ。

「賢明なあなたのことだ――」

 先程の自らの言葉を思い出し、ルッツは自嘲気味に口元を歪めた。


「だが、敗れた者には、それなりの責任を負ってもらう」


「敗れた者ですか?」


 ルッツは恐る恐る顔を上げた。


「敗者の沙汰は、勝者に任せよう」


 ミツルギの王は、そう言って入口のドアを見た。


「いったい誰が――」


 ルッツの呟きに答えるように、ノックの音が響いた。



◆◆◆



 短い応えの後、うやうやしくドアは開いた。

 途端に、一陣の爽やかな風が、重く張り詰めた室内の空気を一掃した。

 すくなくとも――この気の毒な重役にとっては、そう感じられた。


 入って来た男の姿に、全身を打ちのめされる程の衝撃を受けながら、それでも初めて、ルッツは彼の登場によって救われたと心からそう思ったのだった。


 それでも――ルッツの受けた衝撃は相当なものだった。

 それこそ息をするのも忘れ、あんぐりと口を開いて入って来た男の姿に見入った。


 ゴードン・マクマソン・ミツルギ統括専務。

 ミツルギグループの新しき英雄。

 そして、ルッツにとっては死んだはずの男がそこにいた。


 一方、当の本人はルッツの驚きなどまるで気にもとめず、颯爽と部屋を横切った。


「ただ今戻りました」ルッツの横に並ぶと、総帥に向かって頭を下げる。


「ご苦労だった」


 総帥は一瞬とがめるように目を細めた。

 しかしゴードンは、まるで悪びれた様子もなく、にっこりと笑って見せた。


 今日の彼は、クリーム色のスーツにチャコールグレーのシャツを着ている。ネクタイは金糸の刺繍が入った白。

 見事な伊達男振りだ。

 奇術師か詐欺師のような出で立ちだが、不思議と似合って見えた。


 ルッツは知るよしもないが、影の国で変装のために染めていた髪は、本来の茶色に戻っている。

 しかし、真実の口で負った怪我はさすがに癒えておらず、左腕の肘から先は樹脂製のギブスで固めていた。

 そのため、上着も左手は通さずに肩に羽織っている。


「ごぶさたしております。叔父さん。

 なかなか凝った趣向でしたよ」


 ゴードンはルッツを横目で見ると、小声で言った。

 と――何かを思い出したように総帥を見る。


「かまわん。許可する」


 皇帝は、興味なさそうに短く答え、手を振った。


「総帥のお許しも出たことだ。

 ――僕に聞きたいことがあるんだろう?」


 ゴードンは一転、くだけた口調でルッツに向き直った。満面の笑顔――楽しくて仕方がないという風だ。


「生きていた――んですね」


 しばらく幽霊を前にしたような顔をしていたルッツだったが、やっと頭が働き始めたのか、何とかそれだけ口にした。


「少し怪我をしたが、一応生きてるよ。

 でも、私にそっくりな誰かが、人違いで殺されてしまったようだね」


「マルコポーロで死んだのは、影武者だったのか……」


 いけしゃあしゃあと言うゴードンを睨みながら、ルッツは独りごちた。

 と――――何かがおかしいという声を、彼は聞いた気がした。


「あなたは――――」


「しかし、実際のところ大ピンチだった」


 口にした違和感は、宿敵の言葉によって遮られた。


「さすがは伝説の殺し屋腕斬り。

 薬漬けにされてガタがきていたようだったが、ジョンたちがいなかったら危ないところだった」


 内容とは裏腹に、ゴードンは上機嫌で言を継いだ。


「以前、君がスカウトしようとしたチンピラとは、格が違う」


「チンピラ?」


「そう。確か、首狩りと言ったかな。

 腕斬りと首狩り、名前は似ているが月とスッポンだ」


「し……知りませんな」


 気圧されたように後退り、ルッツは首を振った。

 ふと思い出し、アレクサンダーを盗み見る。しかし、ミツルギの王は下々の諍いには感心がないのか、静かに様子を見守っていた。


「首狩りを使って僕を殺すつもりだったんだろう?」


 ゴードンは何を今更と、肩をすくめた。


「その頃の僕は、まだ統括専務じゃなかったとはいえ、ミツルギの人間の暗殺はなかなかリスキーな依頼だ。

 君にとっても、首狩りにとってもね」


 その通りだと――ルッツは、心中で同意した。だから、ゴードン暗殺の代わりに、ジョン・スタッカー殺しに手を貸せという条件を呑んだのだ。首狩りの実力を確かめておく必要もあったので、それは渡りに船とも言えた。

 丁度良い肩慣らし程度に思っていたのだが……


「殺しの腕は超一流。伝説の魔剣使いにも引けは取らない」


 首狩りを紹介してきたギャングの言葉を思い出し、ルッツは口元を歪めた。

 スタッカー殺しは、どちらかと言えばあの男――ギンディの希望だったようだが……結果はどうだ? ゴードン暗殺どころか、たかだかBHに返り討ちに会う始末だ。

 あれだけお膳立てを整えてやったというのに……

 ルッツはその時の事を思い出し、歯噛みした。


「君のお友だち、ギンディくんから詳しく聞いたよ」


 そう言ってゴードンはニヤリと笑った。

 突然ギンディの名を出され、ルッツの心臓が大きく跳ねた。

 内心の動揺を悟られないように、努めて平静を装いながら、ゴードンを見る。


「素性を知られないように気を遣ったようだが、あの手合いは意外と鼻が効くものだよ。

 もっと上手くやらないと――ミステリアスなご婦人に声をかける時のようにね」


 まるで世間話でもするように、ひた隠しにしていた秘密が暴かれて行く。


「敗者の沙汰は勝者に」


 ルッツは総帥の先程の言葉を思い出した。

 なるほど、敗者とは自分のことであり、勝者とはこの若き統括専務のことかと、ルッツは諦めと共に自覚していた。


「もしかして……あの時、首狩りとスタッカーの決着の場に腕斬りを送り込んだのもあなたが――」


「そんなことは、どうでも良いじゃないか」


 ゴードンは大袈裟に腕を振った。


「結果、君は本物の魔剣使いを手に入れた。

 ――


 そう――ルッツは思い出した。

 超一流の殺し屋は、とんだ期待外れだったが、おかげで彼は本物の伝説を手に入れた。


 あそこで、建物の倒壊に巻き込まれた魔剣使いを見つけたことが、全ての始まりだった。

 そのすぐ後、次期統括専務の名を聞いて、ルッツの腹は決まったのだ。


 自我が崩壊しかけ、壊れた人形のようだった腕斬りを使って、ゴードン・マクマソンを殺す。そう決めたのだ。


 しかし――――


 なぜ失敗した?


 ルッツは自問した。


 どこで間違ったんだ?


 どこで――――


 そこまで考えて、ふとルッツはあることに気がついた。


 どうやらこの男は、全てを知っているらしい。

 だが、どこから知っている?


 否――


 不意に沸き起こった思いに、背筋が凍った。

 全てが――この男の掌の上なのではないかと、そんな疑惑が頭の中をぐるぐると駆け巡った。


 そんな――いくらなんでも、そんなはずはない!


「大丈夫かね?

 顔色が悪いようだが」


 我に返り、顔を上げると、心配そうにこちらをのぞき込むゴードンと目が合った。

 ルッツは思わず出そうになる悲鳴を必死に堪え、揺れる膝に全身の力を込め、耐えた。


「あなたは――――」


 不安を振り払うように激しくかぶりを振り、何とか言葉を口にする。

 と――――最初に感じた疑問が頭に浮かんだ。


「あなたは、今までどこにいたんです?

 その口ぶりからは、まるでマルコポーロにいたように聞こえるが」


 ゴードンは一瞬、質問の意味が解らないとでも言う風に目を瞬かせた。


「マルコポーロに行っていたに決まってるじゃないか」


「嘘だ!」


 ため息混じりに答えるゴードンに、ルッツは激しくかぶりを振った。

 思わず出た言葉は、本人が驚く程に大きかった。


「からかわないでいただきたい。

 そんなことは不可能だ。

 あなたが死んでから――死んだという報告があってから、半日も経っていない。

 仮にマルコポーロに着いた日にとんぼ返りしたとしても、そんな短期間でここまで来ることは出来ない」


「――――不可能?」


 火が点いたように吐き出される言葉をゴードンは、静かに遮った。

 その短い言葉には、不思議な迫力があり、ルッツは思わず口をつぐんだ。


「ねぇ叔父さん」


 ゴードンは、優しく囁いた。

 柔らかな笑顔、人を安心させる笑顔だ。

 そして、ルッツの大嫌いな笑顔でもある。


 ルッツは大きく身を震わせた。

 先ほどの――それ以上の悪寒が再び全身を襲う。

 優しげに微笑む統括専務の仮面の向こうから、何か得体の知れないモノが顔を出したような気がした。


「僕はありのままを言っているだけだよ。

 もちろん、からかってもいない。

 あの星での顛末を全て見届けて、そしてここに戻って来た、それだけだ。

 それは不可能でも何でも無いことなんだ」


 まるで、別の何かがゴードンの体を使って喋っているような気がして、ルッツは思わず一歩後ずさった。

 

「これで――僕は合格ですか?」


 ルッツの怯えた様子を見て興味を無くしたのか、ゴードンは総帥に向き直り、言った。


「よろしい。君を統括専務と認めよう」


 満足気に頷くミツルギ総帥の顔には、微かな笑みが浮かんでいた。



◆◆◆



 執務室から続く長い廊下を、ルッツは足早に歩いていた。

 顔が映る程に磨き上げられた廊下は、彼が大股に歩を踏み出すごとに、カツカツと乾いた音をたてた。


「よろしい。君を統括専務と認めよう」


 耳に残るアレクサンダーの声を振り払うように、ルッツは激しくかぶりを振った。


「私は――夢でも――」見ていたのかと、自問する呟きに応えはない。


 総帥は、笑みを浮かべていた。

 ルッツが知る限り、この偉大な男が笑ったという話は聞いたことがない。

 故に、アレクサンダーは精巧に出来た人形であるとか、立体映像だという噂すら、まことしやかに囁かれる程だ。


 人間の――生物としての気配がない。

 そこにあるのは、人を超越した圧倒的な存在感。

 それが、ミツルギグループ総帥に対するルッツの印象だった。


 しかし――――「君を統括専務と認めよう」

 ――満足気に笑っていた。


 それはあるいは、ルッツがゴードンの生存を知らされるまで、彼の妄想の中、何度か聞いた言葉であったのかも知れぬ。


「認めん! 私は認めんぞ!」


 ルッツは握りしめた拳をワナワナと震わせ、呟いた。


「デクスター・ルッツ開発部部長。

 僕は君の実力を高く評価している。

 出来れば、これからも変わらず力を貸してくれないか?」


 総帥の言葉の後、ゴードンはそう言って手を差し出した。


「あ……あんな屈辱を受け入れろというのか!」


 ゴードンの申し出をルッツは無視し、部屋を飛び出した。

「全てを水に流してやる」と――彼にはそう聞こえたのだ。

 ゴードンの言葉、総帥の笑み、今までの様々な思いが彼の中で渦巻いた。


「わ……私は――!」


 持てあました感情をはき出すように、再び声を上げようとした、その時。


――――ドンッ!


 何かがルッツの肩に当たった。

 とてつもなく重く、硬いものとぶつかった。そう思った。


「うぉっ」


 彼はよろめき、尻餅をついた。

 最初は岩かと思ったが、考えるまでもなく、ミツルギの本社内の廊下に岩などあるはずもない。


 慌てて顔を上げる。

 そして、自分がぶつかったものの正体に我が目を疑った。


 ――人だ。

 岩などではなかった。

 濃紺のスーツを着た、広い背中がそこにあった。


 身長は190cmを超えていよう。

 かなりの巨躯に違いないが、鈍重な印象はまったくない。

 均整の取れた鍛えぬかれた肉体。それが凄まじい鍛錬によるものだということは、素人目にも明らかだった。


 ルッツは一瞬、怒りを忘れて見入った。


「あ――――」


 我に返り、抗議の声を上げようとする。


 ――しかし。


 ――声が出ない。


 ――息が出来ない。


「な……――がっ!」


 突然、胸を貫かれたような鋭い痛みが襲い、そのまま仰向けに倒れた。

 ドンドンとうるさい程に早鐘を打つ心臓の音が聞こえる。

 ルッツは、無意識に助けを求め、目の前の背中に向かって手を伸ばした。


 声は、やはり出ない。

 だが、暗闘に敗れた男の声なき声が届いたのか、目の前の人物は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。


 ルッツはその男の姿――上着に刺繍された鳳の紋章に見覚えがあった。


 年齢は30代半ば。

 短く刈り揃えた髪は、黒というより濃い灰色、同色の濃灰色の瞳。

 見る者を威圧する精悍な男が、静かに見下ろしていた。


 ルッツは男の正体を思い出し、理解した。彼が救いの主などではないことに。

そして彼が自分にとっての死、そのものであることに。


帰還者リターナー――」


 最後の呟きは、やはり声にはならなかった。

 伸ばした手が力を失い、床に落ちる様を見届けた後、鳳の男は踵を返し去っていった。



◆惑星チリエリ メトセラ総合病院



「もう退院なのね。寂しくなるわ」


「また来るさ」


 顔見知りのナースの軽口に手を振って答えると、ジョンは病室を後にした。


「何が、――よ」


 隣に並んだナオミがジロリと睨む。

 彼女が心配してくれているのは、解っていた。

 それが余計に照れくさくて、ジョンは歩を早めた。


「もう――。

 私はスタッフと話があるから、先に下に降りていてちょうだい。

 ピートが迎えに来ているはずだから」


 諦めたようにため息をつき、ナオミは離れていった。


「あいつなりの気遣いなんだろうな」


 数人のスタッフと話をするナオミの後姿を見ながら、ジョンは独りごちた。


 ケイのことを彼女には全て話した。なぜか、ナオミには話しておかなくてはならない、そんな気がしたからだ。


「――そう」


 その時、彼女はそう言ったきり、何も言わなかった。ナオミにも思うところがあり、気持ちを整理する時間が必要だったのだろうとジョンは思った。


 思えば、チリエリの病院に運び込まれてから傷の治療や、精密検査、果ては、義手のメンテまで、なんだかんだで1ヶ月近く入院することになったのは、もしかするとジョンにゆっくり考える時間を与えようという、ナオミの配慮だったのかもしれない。

 もしくは、これ以上無茶をさせない為の強行手段か。


 後者の可能性は極めて大きかったが、いずれにせよ、今回の件でナオミに大きな借りが出来てしまったのは事実だった。


「やれやれ」


 エレベーターホールに着いたジョンは、暗い気持ちで下階行きのボタンを押した。


◆◆◆


熊孩子悪ガキ――」


 冷たくなったケイの体を抱いてどれくらいそうしていただろうか。

 不意に誰かに呼ばれ、ジョンはのろのろと顔を上げた。


「ジジィ……」


 白い眉に仙人のような長い白髭、純白のカンフー服を着た老人がこちらを覗き込んでいた。


「しっかりせい」


パァン!


 言うや否や、老人――白龍はジョンの頰を張った。


 乾いた破裂音が響き、ジョンの体が横に吹っ飛んだ。

 老人の細腕とは思えぬ破壊力だ。


「何しやがる!」


 皮肉にも、張られた頰の痛みがジョンの意識を覚醒させた。慌てて起き上がろうとするが、体に力が入らない。

 と――腕の中にケイがいないことに気づき、辺りを見回した。


「探し物はここじゃ」


 声の方を向くと、ケイを抱きかかえた白龍の姿が目に映った。


「そいつに触るな」


 なおも起き上がろうともがくジョンに、白龍はため息をついた。


「あまり暴れるな。

 それ以上無茶をすると命にかかわるぞ」


「うるさい!

 そいつを、ケイを――」


「この女は、まだ死んではおらん」


「なに――――」


 白龍の言葉がジョンの動きを止めた。


「今――なんて言った?」


「死んではおらん。そう言ったのじゃ」


 そう繰り返し、老拳士はニヤリと笑った。


「不死王がそう簡単に死ぬものか。

 あの男ですら、自らの内に取り込むしかなかったというのに」


「不死王――じゃあ、ケイの死は無駄死にだったのか!」


 思わず声を荒らげるジョンに、白龍は首を振った。


「そうとも限らんぞ」


 未だケイの胸に突き刺さったままの短刀を見て、老人は呟いた。


「この刀が特別な力を持っているのは、確かなようじゃ。

 これは、面白いことになるかも知れんぞ」



◆◆◆



 あの時、白龍の物言いに一抹の不安はあったが、ジョンにはどうしようもなかった。

「腕斬りはわしに任せろ」という老人の言葉を信じる他になかった。


 エレベーターの降下にしたがって減っていく階表示を見つめながら、ジョンはチリエリでの出来事を思い返していた。

 次に会った時――会えればの話だが――彼女はジョンの知るケイなのか? それともあの恐ろしい吸血鬼なのか?


 入院以来、何度も繰り返してきた問いに未だ答えは出せないままだ。

 今、ジョンに出来ることは何も無い。考えても仕方がないことだ。

 だが、考えずにはいられなかった。


 ジョンは無意識の内に首に手をやり、伯爵の怪力を思い出して身を震わせた。


「俺はどうすれば――」呟きにも似た問いは虚空に溶けた。


 と――――ある異変に気付き、ジョンは我に返った。

「ちっ――」舌打する。物思いに気を取られていたとはいえ、なんと迂闊な。

 階を示すデジタルパネルは4階から3階の間、降下中を示す矢印が表示されている――表示され続けている。


 とうに次の階、いや1階に着いていてもおかしくはない時間が経過している。

 降下時独特の感覚はある。機械は動いている。――ではパネルの故障か?

 ジョンは緊急時の呼び出しボタンに手を伸ばした。


「心配するな」


 不意に背後から女の声が聞こえ、ジョンは手を止めた。

 そのまま、ゆっくりと振り返る。


 赤いコートを着た女が壁に背を預けて立っていた。

 ついさっきまで、ジョンが立っていた場所だ。

 そもそもこのエレベーターに、他に人はいなかったはずだった。


「病院の怪談ってのも、ベタすぎてインパクトに欠けるぜ」


「恐い?」そう言って女はクスクスと笑った。

 笑い声に合わせて青緑髪のツインテールが触覚のように揺れた。


「しばらく見ないうちに、随分と化けるのが上手くなったな、ポチ。

 アルを付けるのを忘れてるぜ」


 確かに、ピューレス人の女に背格好は似ている。

 ジョンに確信があったわけではない。単なる勘だった。

 だが、その言葉に女は顔を上げた。

 大きなエメラルドグリーンの瞳が、責めるようにジョンをジッと見つめた。


「もう少し動揺してくれないと張り合いがない」


 見た目に反して幼い、少女のような声だ。


「悪いな、天の邪鬼なんだ。期待されると余計に裏切りたくなる」


 ジョンは肩をすくめた。

 視界の端でパネルを捉える。やはり、表示は降下中のままだ。


「連続する時間に隙間を作っただけ。すぐ元の時間に戻る」


 それに気づいたのか、さらっととんでもないことを言う。


「なるほど――あの喋る黒猫の同類か」


「……彼に会ったか」


 なぜか女は嬉しそうに目を細めた。


「どういうわけだか、ここのところ個性的な連中が寄って来る。

 どうやって来たかは聞かん。どうせおまえらは何でもありなんだろう?

 何の用だ?」


「話が早くて助かるわ」


 その言葉とともに、女の体が揺れた。

 水面に映った虚像のようにグニャリと形が歪み、別の姿へと変わった。

 髪は長いブロンドに、赤いコートは体にフィットした銀色のダイバースーツのような服に。背が高くなり、幾分大人びた顔立ちへと変化した。


「私の名前はクレア。

 神衣カムイのクレア――魔剣使いよ」


 女――クレアはそう言って艶然と微笑んだ。


 なんというプレッシャー。

 全身が痺れるような威圧感。だがそれだけではない。包み込むような温かさも併せ持つ、神々しいという表現がピッタリと当てはまる女だ。

 信仰心とは無縁のジョンだったが、もし女神というものがいるのなら、こんな存在かも知れないとそう思った。


「魔剣使いね……」伝説と呼ばれる程の存在がこうも相次いで現れるとは、まるで魔剣使いの大売り出しだと、ジョンはこっそり嘆息をついた。

 ともあれ、目の前の女が同等の化け物であることも認めざるを得ない。


「いいぜ……信じよう。

 で、アンタは何が得意なん――――?!」


 思わず――続く言葉をジョンは失った。

 いつの間にか、目の前にケイが立っていた。


「記憶を、情報を操るのが私の力。

 荒事は苦手なの」


 元の姿に戻ったクレアが言った。


「たちの悪い冗談だ」


 思わず、言葉に怒気がこもるのをジョンは抑えられなかった。


「ごめんなさい。悪趣味だったわね」


 素直な謝罪にジョンが鼻白む。


「いや……」


 今見たケイの幻、カムイと言う名。

 ジョンの中で閃くものがあった。


「――おそらく、俺はあんたに礼を言わないといけないんだろうな」


「礼?」クレアが小首を傾げた。

 幼く見えたかと思えば、妖艶でもあり。

 人間くさい表情を見せたかと思えば、作り物めいて冷たくも見える。


「そうか、おまえがカムイか――――」

 チリエリでの伯爵の言葉がジョンの中で蘇った。


「あんたなんだろう?

 チリエリで、あの吸血鬼から俺を助けてくれたのは」


「私はただ、あなたの大切な人の想いを届けただけ」


 クレアは、そう言って笑った。


「あの夜は特別な夜だった。

 それに、あのお守りに込められた願いも大きかった。

 あなたを救ったのは、私じゃない――」


 彼女の銀色の瞳が不意に大きく見えた。深い、湖のようだとジョンは思った。


「――ルシィよ。あなたの愛する人があなたを護った。

 それだけは間違いないわ」


 思わず、熱いものがこみ上げてきて、ジョンは顔を逸らした。


「そ……それだけを言いにわざわざ来たのか? ポチの体を借りて」


「いいえ。それだけではないわ。

 あなたと縁を繋いでおく必要があったから。

 その本当の意味は、私にもまだわからないけれど」


「縁か……よくはわからんが、お近づきになりたいってことかな」


「そうね」クレアは可笑しそうに肩を震わせた。


「一つ言っておくとね。私はあなたの言うところの――ポチの体を借りているわけじゃないわ。

 私たちピューレス人には、個々の区別はない。彼女は私でもあるし、私は彼女でもある」


「みんな同じ――」と以前ポチが言った言葉を思い出し、ジョンは頷いた。


「だからまた会える――いいえ、会うわ。

 とても大切な時に、あなたが私を必要とした時に――もう時間がないわね」


 何かに気付いたように、クレアはちゅうを見た。時間が元に戻ろうとしているのだ。


「何を期待しているのかはわからんが、俺はただのBHだ。

 大したことは出来ないぜ」


「それで良いわ――今はまだ」


 その言葉を最後に輪郭がぼやけ、神衣カムイの魔剣使いは消えた。

 あの夜のルシィのように、燐光を残して。


◆◆◆


「シャバの空気は美味いぜ……」


 空へと昇っていく紫煙をぼんやりと眺めながら、ジョンはしみじみと呟いた。


「おつとめごくろうさん」


 それを横目にピートが笑った。

 迎えに来たピートと合流したジョンは、ナオミが戻ってくるまで外の喫煙コーナーで時間をつぶしていた。


「看護師たちの目を気にせずにタバコを吸えるのが、こんなに気持が良いなんて知らなかったぜ。つくづく……健康って大事だよなぁ」


「……大丈夫そうだね」


 うんうんと頷く相棒を見ながら、ピートは安心したように言った。


「どうやら、落ち込んでもいられないようだからな」


 エレベーターでの不思議な出来事を思い出し、ジョンは苦笑した。


 何かが動き出したという予感があった。

 とてつもなく大きな何かが――――

 そして、その予感が正しかったと、後にジョンは実感することになる。


「ん? なんのこと?」


「お告げがあったのさ――女神のな」


 首を捻るピートの肩を叩いてジョンは言った。

 短くなったタバコを灰皿に投げ入れて、病院の入り口で辺りを見回している女に手を上げる。


 ナオミはすぐに彼らを見つけ、手を上げて答えた。

 不機嫌そうに何か言いながら近づいて来るエージェントを見ながら、これは長くなりそうだとジョンはため息をついた。


「順調なら良し。苦難が来ればそれもまた良し」


 姉フローレンスの口癖を呟くと、ジョンは歩き出した。

 






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BOUNTY HUNTER 魔剣使い 原田ダイ @harada-dai

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