♥後編♥

ここにきて芳乃のあやねに対するデレがすごい、そんな大晦日の夜

「もう、エッチな匂いが充満しすぎだよ?」


 そんな声とともに窓の開く音が頭上から聞こえ、俺は目をこすりながら上体を起こした。


「芳乃……? いつの間に帰ってきたんだ?」

 時計を見ると、午前七時を回ったところだった。

「ただいまお兄ちゃんっ、今帰りました♡ でも、ちゃんとメールしたよ?」

 風になびく長い黒髪を手で押さえながら、芳乃が言う。


 俺は枕元のスマホを手に取った。電源が切れていた。

「もしかして、気づかなかった?」

「あぁ」

「ま、しょうがないよね。なんといっても昨日はイヴだもんね、周りのことなんて目に入らなくなるくらい盛りあがっちゃうよねっ」


 実際、芳乃の言うとおりだった。昨日の夕方ごろから今まで、ほとんどずっとベッドの上で過ごしていた気がする。頭が痛い……。

「う〜ん……芳乃ちゃぁん……?」

 俺の隣で寝ていたあやねがもぞもぞと動き、薄目を開けて芳乃を見やる。


「おはよっ、あやね。メリークリスマス♡」

「…………芳乃ちゃんっ!? え!? どうしてここに!?」


 あやねはものすごい速さで口元まで毛布をかぶると、腕だけ出して衣服を掴み取った。

「あやねにもメールしたんだよ? ていうか、なんで隠すの?」

「そっ、そんなの恥ずかしいからに決まってますっ!」

 毛布の中で器用に着替えながら、こもった声であやねは言う。

 そんなあやねを、俺は微笑ましい気持ちで眺めていたのだが、


「変わらないね、あやねは」


 ……芳乃はどこか、寂しげな微笑を浮かべていた。

「ええと……あ、ほんとだ。0時ちょうどに来てます。全然気がつきませんでした……」

 着替えを終えてベッドから抜け出したあやねが、スマホの画面を覗きこむ。


「メリークリスマス、あやね☆☆☆ クリスマス楽しんでる? お兄ちゃんと仲良くやれてる? くれぐれも喧嘩にだけは気をつけてね? ま、ラブラブな二人のことだから心配ないとは思うけどね。……あのね、わたしね、本当によかったって思ってるんだよ。本当にね、うれしいの。お兄ちゃんとあやねが結ばれてくれたことが。だって、大好きなあやねになら、大好きなお兄ちゃんを安心して任せられるから。わたしのお兄ちゃんのこと、これからもよろしくね。あ、ついでにわたしとも、ずっと親友でいてほしいな♡♡♡ P.S.朝になったら芳乃サンタさんがプレゼントを届けに行くから、いい子にして待っててね♡」


「ねぇ、あやね? 普通さ? そういうのって本人の前で朗読しないよね? やめてくれる?」

 芳乃がほんのりと頬を朱に染め、やんわりと抗議する。

「ごっ、ごめんなさい。まだ寝起きで、あまり頭が回っていなくて……」

「まぁ、いいけど。そんなことより……はい、これ。プレゼント」

 芳乃はバッグからクリアファイルを取り出すと、照れを誤魔化すように素っ気なく、ずい、とあやねの胸元に押しつけた。


「これは……?」

 あやねがファイルから、一枚の紙を取り出す。

 俺は後ろからそっと、内容を覗き見た。真っ先に目に飛びこんできたのは、


     婚 姻 届


 という三文字だった。


「っ!? に、兄さっ……こここ、これっ!」

「あぁ、婚姻届だな」

「っっっ〜〜〜〜!!?」


 なるほど、と俺は思った。

 たしかに俺もあやねもすでに誕生日を迎えているので、結婚しようと思えばいつでもできるのだ。

 芳乃なりのジョークではあるのだろうが、具体的に何年後のいつごろに籍を入れるのか、これを機にあやねと話し合ってみるのも面白いかもしれない。


「わたしはあと二年も待たなきゃなんないけど、あやねは今日にでも結婚できちゃうんだよねっ」

「きょ、今日っ!?」

「いいなぁ……わたしもお兄ちゃんにすればよかったかも。そしたら結婚できたのに。あ、書き損じたら言ってね、たくさんあるから」

「…………」

 あやねは赤い顔で、じっと食い入るように用紙を見つめていたが……やがて意を決したように顔をあげ、まっすぐに芳乃を見つめた。


「ありがとうございます、芳乃ちゃん。いつか必ず、使わせていただきますね」

「……うん」


 丁寧に礼を言い、頭を下げるあやねに、芳乃はどこか複雑そうな表情でうなずいた。


「……ところで、芳乃はいつまでこっちにいるんだ?」

 俺はあえて話題を変えるように訊ねた。

「お正月までかな? みーくんが実家に帰省してるあいだは、こっちでお世話になろうと思いますっ。ついていこうかとも思ったんだけど、さすがに家族の団欒を邪魔するわけにもいかないし」

「そうか。まぁ、会おうと思えばいつでも会えるしな」

 実家といってもウチの二軒隣だからな。


「それにね……やっぱりクリスマスとかお正月くらいは、家族で過ごしたいなって、そう思うから」


 笑顔でそう語る芳乃に、おそるおそるといった様子であやねが口を開く。

「あの……そういうことでしたら、私ってお邪魔じゃないですか……?」

 心の底から不安そうな顔をするあやねに、


「もう、なに言ってるの?」

 芳乃は笑って、


「あやねだって、家族になるんだよ?」

 出来の悪い子どもを諭すように、言った。


「どうせ結婚するのは確定してるんだから、もう家族も同然でしょっ、?」


「…………」

 あやねは、しばしのあいだ固まったのち、


「……芳乃ちゃんが義妹いもうとになるなんて、考えてもみませんでした……」


 ぽつりとそう漏らしたのだった。



 その後は本当のクリスマスプレゼントを三人で交換しあったり、夜は父さんも交えてフライドチキンやケーキを食べながらパーティーをしたりと、楽しく充実した時間を過ごした。

 そうして、楽しくもどこか気怠く、のんびりまったりとした毎日は、けれどあっという間に過ぎていき……



 12月31日、23時32分。


 俺たちは三人仲良く風呂からあがると、いつものように三人並んで俺のベッドに腰を下ろした。

「で……どうする? せっかくだしこのあと行くか、初詣?」

 風呂でそんな話になっていたのだ。

「やっぱり、やめよ? なんかね、今日はこうやってお兄ちゃんに甘えてたい気分なの……」

 気怠げにそう言って、芳乃が肩にもたれかかってくる。

「あやねは?」

「……あやねも。ずっと兄さんのそばにいたい……」

 あやねは頬を上気させながら、俺の腕にぎゅっとしがみついてきた。


 初詣に行ったからといって、そばにいることには変わりないのだが。

 まぁ、別に、いいか。

 実のところ俺も、あまり外出したい気分ではないわけだし。


「それじゃ、下でテレビでも見るか? カウントダウンとかやるぞ」

「ううん……」

「いい……」

 芳乃が俺の腕を胸に抱き、あやねが俺の肩に頭を載せた。


「んじゃ、もう寝るか」


 俺は両サイドの拘束をいつもの要領で振りほどき、電気を消し(あやねの強い希望により常夜灯はつけてある)、ベッドの真ん中に横になる。

 それを合図とするように芳乃が右側、あやねが左側にのそのそと移動した。

 芳乃が戻ってきてからというもの、この狭いシングルベッドでぎゅうぎゅうと身を寄せあいながら三人で寝るのが、なぜだか知らないが日常となっているのだった。


「兄さんと一緒にいられるなら、あやね、ほかになにもいらない……」


 俺の右半身に半ば覆いかぶさるように、全身をフルに使って俺に密着しながら、ごく自然な口調でそんなことを言う――


「……兄さん? あやね?」


 今まさに俺の左半身に覆いかぶさろうとしていたあやねが、その動きを止める。

「……芳乃ちゃん、なんですか、今の」

「……」

 芳乃は答えない。

 蔓延していた気怠い空気が、どこかへ押し流されていくのを感じる。


「まさかとは思うんですが、私の物真似のつもりですか?」

 問い詰めるように言うあやねだが、怒っているというよりも、意図が掴めず困惑している感じだった。


「聞いているんですか、芳乃ちゃん?」

「……つーん」

 と口で言って、芳乃は俺の二の腕に顔を埋める。


「芳乃ちゃん……?」


 薄闇の中、あやねが助けを求めるように俺を見た。

「どうしよう兄さんっ、芳乃ちゃんがっ、」

 最後まで言いきる前に、ガバリと跳ね起きた芳乃があやねの腕を掴んだ。

 そして至近距離まで顔を近づけると、芳乃は――


「そ・れ! そ・う・い・う・と・こ・ろ! なんなのっ、それ!?」


 感情を、爆発させた。


「……えっ? え、……えっ……?」

 ただただ困惑するばかりのあやねに、芳乃は畳みかけるように言う。


「お兄ちゃんに対する態度と、わたしに対する態度が! 違いすぎるって言ってるの!」


「……えっと……」

 いまいちピンときていない様子のあやねだったが。

「わたしたち、家族になるんだよ? 姉妹になるんだよ? 妹に敬語使うお姉ちゃんなんて、わたし嫌だからねっ!」

「……っ」

 そこまで言われ、ようやく芳乃の言わんとするところを呑みこめたようだった。


「で、でもっ……聞いてください、芳乃ちゃんっ。これは、ただの癖というかっ……意識して使い分けているわけでは、けっしてなくてっ。それに……今さら接し方を変えるのも……その、気恥ずかしくて」

「そんなこと、わかってるもん! それでも、他人行儀に感じちゃうんだもん! お兄ちゃんとの“差”を見せつけられてるみたいで、嫌なのっ!」

「……芳乃ちゃん」

「ねぇ、あやねにとってわたしは、なんなの? ただの、彼氏の妹?」


 秘めた期待を隠そうともしないまっすぐな眼差しで、芳乃が問いかける。

 その想いを真っ向から受け止めるように、あやねは微笑んでみせた。


「そんなわけないでしょ? 芳乃ちゃんは、あやねの大事な大事な親友だよっ――――こ、こんな感じでしょうかっ……?」


 あやねは顔を真っ赤にして、芳乃を窺う。

「……まだ、なんか距離を感じる」

「そ、そんなこと言われてもっ、これ以上は……っ」

「…………芳乃っ!」

「えっ?」


 芳乃は睨みつけるようにあやねを見た。その顔はあやねにも負けないくらい、真っ赤に染まっていた。


「……芳乃って、呼んでみて」


「それって……呼び捨てで、ってことだよね?」

「当たり前でしょっ、早く呼んでよ!」

「う、うんっ……えっと」


 あやねは照れくさそうに、しかしハッキリと、



        「芳乃」



 次の瞬間には、芳乃は再び俺の二の腕に顔を埋めていた。

「お兄ちゃん、どうしよう……今、あやねが、芳乃って」

「あぁ」

「うれしい……」

「よかったな」

 俺は芳乃の頭をぽんぽんと撫でた。


 実は以前から、あやねがいつまで経っても他人行儀だと相談を受けていたのだ。

 深刻に悩んでいるという様子でもなかったので、俺は気にしすぎだとやんわりなだめていたのだが……ついに今日、爆発してしまった。

 だがまぁ、結果オーライといったところだろう。


「そんなに喜んでくれると、あやねも呼び甲斐があるけど……ねぇ、芳乃?」

「わっ、また呼ばれちゃった♡ 記念にもっかい撫でてっ、お兄ちゃん♡」

 猫撫で声でおねだりされ、俺は仕方なくぽんぽんしてやった。

「……兄さんに抱きつく必要は、ないよね?」

「はぁ……♡ やっぱりお兄ちゃんに頭触られるの、気持ちよすぎるっ♡」

「ねぇっ、聞いてるの! 密着しすぎだって言ってるんだけど! もっと兄さんから離れてよっ、芳乃〜っ!」


 俺は左腕を投げ出し、手の甲でトントンとベッドを叩いた。

「兄さんっ……!」

 あやねはすぐさま、甘えた声を出しながら俺の左半身に身体を密着させた。


 そうして、三人でひと塊になりながら。

 ただ、時間だけが過ぎていく。



「お兄ちゃん、まだ起きてる……?」


 曖昧な時間感覚の中、芳乃が耳元で囁いた。

「なんだ?」

「……あのね、もう一回、ちゃんと言っておきたくて」

 そう言って、俺の胸元に頬を寄せる。


「みーくんと仲直りさせてくれて、本当に、ありがと……。お兄ちゃんのおかげで、わたし今、すっごく幸せだよ」


 隣で、あやねがもぞもぞと動いた。

「……あやねも」

 芳乃に張り合うかのように、胸元に頬を寄せてくる。


「あやねも、幸せ。あやね、兄さんの彼女になって、人生変わったもん。兄さんと出会えて、本当によかった……」


 俺は抱き寄せるように二人の頭を手のひらで包みこみ、同時に撫でた。


 どこか遠くのほうから、花火の音が聞こえた。日付が変わって、新しい年を迎えたのだろう。


「芳乃」


 こんな幸せな時間は、きっといつまでも続くものじゃない。いつかは、終わりがやってくる。変わらないものなんてないのだから。


「あやね」


 それでも、だからこそ。

 俺は、願うのだ。


「今年も、よろしくな」


 こんな幸せな毎日が、いつまでも続きますように――――と。




♡おしまい♡

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