エピローグ

「…やっと出発できる」

「誰の所為だ、誰のっ」

「…自分ではないと?」


 もうすでに太陽は、今日昇らなければいけない高さまで、あと一歩のところまで進んでいた。


「だいたいだな、荷車の用意しとらんとは何事だ」

「それは、元々一人で行く予定だったからで…」


 サンタンデルの街を守る南門の前にある広場は、朝のピークが過ぎ去り、ところどころに人を見掛けることができる程度の比較的穏やかな時間を迎えていた。


「お二人とも…そろそろその辺で」

「…」

「ああん?」


 朝早くにもこの広場に集まっていた一団が、再集結をする中で、涼しげな眼をした青年と、ざっくりとした短い茶髪の精悍な顔つきをした男が、言い争っていた。周囲から注目を浴びている二人を止めようと、この集団では年嵩の職人っぽい男が仲裁に入るのだが、青年からの凍えるような冷たい視線と、茶髪の男からの怒気を含んだ声を受け、すごすごと引き下がっていった。


「とりあえず、皆の気合いを返せっ」

「俺は、呟いただけだろ」

「ああん?いろいろと台無しなんだよっ」

「んなもの知らん」

「チッ、しかもだっ―」


 見るからに老練な職人風情の男が離れると、すぐに茶髪の男が青年に噛み付き、また益もない言い争いが始まる。そこへ今度は、白い髭を蓄えた初老の男が近づいてくる。


「おぬしら…こんな人の往来が絶えない広場のど真ん中で何をしとるんだ」


 その勇気ある行動によって、苦笑を浮かべている集団からだけでなく、騒ぎを聞きつけて集まり始めていた野次馬や、呆れた様子で眺めていた門番の兵士からも賞賛の眼差しを一身に浴びたその初老の男は、やれやれと首を振っていた。


「…こんなところで何を?」


 しかし、そんな初老の男に、青年は何時にも増して冷たい視線を送る。


「おぬしらが、朝ここで集まっていたというのを聞いてのぉ…それを知った若者が一人、連れて行って欲しいとな」


 そう言って、初老の男が振り返った先には、日光を浴びてキラキラと光る金髪の青年というには、まだ顔にあどけなさを残す少年が控えていた。


「…おまえはっ!」


 初老の男よりも顔一個分以上背が高いその少年に青年は気づいていたうえで冷たい視線を投げ掛けていたのだが、青年を睨み続けていた茶髪の男は、その少年に初めて気づいたらしく、目を瞠っている。


「僕も連れて行ってください。お願いします!」


 一歩前に出て、頭を下げる少年と、それをただ見下ろしている青年の間を、茶髪の男の視線が行ったり来たりしている。


「…旅の準備は?」


 そう問われた少年は、一旦顔を上げると足元に置いてある大き目のダッフルバッグへと視線を向ける。青年も同じようにしてそれを見て一つ頷くと、次の質問をする。


「会えなかったら、どうするつもりだった?」


 その問いに、一度俯いた少年は、ギュッと手を握り込むと、青年の黒い瞳へ力強い視線を向ける。


「隣町まで行くつもりでした」

「それでも会えなかったら?」


 即座に返ってきた問い掛けに少年は、グッと唇を噛み締める。


「わしの教え子を虐めるのは、その辺にしといてくれんかのぉ」


 何かを堪えるように、青年の底冷えするような黒い瞳を睨みつけていた少年の肩を、初老の男がポンポンと叩く。


「わしからも頼む、…この通りじゃ」


 そして、横に並んだ初老の男が頭を下げた。隣にいた少年も慌てたように、続いて頭を下げる。茶髪の男は相変わらず視線をキョロキョロと動かしていた。


「もう一つだけ聞いてもいいかな?」


 頭を下げている二人の誠実な願いは、固唾を飲んで見守る周囲の人々の心を掴んでいた。しかし、しばらくその様子を伺っていた青年はというと、それを分かったうえで、完全に悪役だと自覚しつつ、なお変わらずに淡々と問い掛ける。


「…はい」


 頭を下げたままではあるが、静かにはっきりと届いた返事に、ゆっくりと頷いた青年は、最後の質問をした。


「君には、どんなに辛くても頑張れるくらい好きな人はいるかな?」


 その言葉に少年はピクリと反応する。


「……はい」


 いつの間にか、青年のすぐ後ろに移動していた少女が音のない「えっ?」という呟きを漏らす。皆が無言で注目する中、その少女の声が聞こえてしまった青年だけは、苦笑を浮かべていた。


「なら、いっか」


 それが、青年の答えだった。何ともいえない表情を浮かべて顔をあげる初老の男にニカッと笑う青年。彼の普段を知っている一部の人間は、はぁっと盛大な溜息を零す。


「ん?どうなったんだ??」

「え?どういうこと?」


 しかし、彼を知らない周囲の者たちは、どうなったのかが分からずに、ざわざわと騒ぎ始める。そんな状況の中で、恐る恐る頭を上げた少年に、青年が笑顔で頷く。


「ありがとうございます!」


 勢い良く頭を下げた少年の姿に、


「「よかったなぁ」」

「「「おめでとう!!」」」


 広場が大きな歓声に包まれるのだった。




「よろしくねっ」

「てめぇ、こらっ、娘から離れろ!」

「まぁまぁ、親方、落ち着いて」

「お前は新人扱いだからな」

「よろしくお願いしますっ」

「とりあえず運べ!」


 これから旅立つ一行に、少年が揉みくちゃにされている。それでも嬉しそうに笑っているその姿を少し離れたところで青年が眺めていた。


「最初から連れて行く気じゃったろうに」

「そんなことないですよ」

「そうかのぉ」

「そうですよ」

「わざわざ、あの時間に南門に来たこともかのぉ」

「たまたまですよ」

「まぁ、そういうことにしとこうかのぉ」


 白髭を撫でながら、初老の男が笑う。


「ところでのぉ」

「…はい」

「やはり避けられないのかのぉ」


 白髭の横顔にちらっと一瞬だけ向けた視線を、青年は、すぐに前へと戻した。


「どうでしょうねぇ」

「なんじゃ、落ち着いてるのぉ」

「俺は、自分の大事な人が守れれば、それでいいですから」

「…変わらんのぉ」


 目の前では、騒いでいた一団が動き始める。


「本気でそう思うようになったのは、あの日からですよ」

「…そうじゃったのか」

「あの石が集まると不幸が起きる」

「……かもしれんのぉ」

「だから、もし、また誰かが傷つくのであれば、その時は―」

「アルトぉ!いくぞぉ!!」


 そこへ怒鳴り声が飛んでくる。


「……」

「…行かなくてよいのか?」


 青年へと優しげな笑みを浮かべる白髭の男。


「行ってきます」


 青年は、ぺこりと頭を下げて走っていく。その後姿に、初老の男は、いつまでも優しい顔で見送っていた。


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夜明けの記録 梁井 祝詞 @Norito

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