第17話 出発の日
「できたっ!」
旅立ちを翌日に控えた休日も日が暮れかかる頃、この一週間、没頭していた作業を終えたアルトが応接室で雄叫びをあげた。
―コンコンコンッ
「失礼いたします」
雄叫びから数分後、バルドメロがお茶を入れて応接室を訪れる。
「何を御作りになったのですか?」
雄叫びが聞こえたのだろう。机の上の僅かに空いている場所へお茶を用意しながらも、興味深そうに問い掛ける。
「これです」
鉱石の切れ端と削り粉が散らかる机の上から一つの鎖のついたアクセサリーを持ち上げる。
「ほぉ…これは素晴らしい」
当初、十字の予定だったものは、四つの羽根が組み合わさる形となっており、まるで風車のような形をしていた。その羽根一つ一つは、一本の銀色に輝く細い軸から、鈍い銀色の羽根が広がっている。軸同士がぶつかり合った中央の部分は、輝く銀枠に囲まれた鈍い銀という形をしており、もちろん、羽根の中央の窪みには、精霊物語に出てくる四精霊のデフォルメが、中央の部分には、これまた子供が好きそうな童話に出てくる世界樹の画が彫られている。
また、補強するかのように、片端を軸の根元から伸ばす細く輝いている銀色の線が隣の軸へと段違いに掛けられており、その先端はワザと少しだけ飛び出すように配置されていた。飛び出している部分からは、四本の鎖が垂れ、二つの輪を作る。これを、鈍い銀色のプレートで絞って止めるような仕組みが施されていた。
「よく出来ていますな…実に素晴らしい」
手渡されたそのアクセサリーを矯めつ眇めつ眺めていたバルドメロは感嘆の吐息を零す。
「アルト、何を作ってたの?」
カエデが扉を開いてやってくる。おそらく廊下に置かれた給仕のためのワゴンを見て、遠慮なく飛び込んできたのだろう。期待するような眼差しを受けたアルトは、ニコリと笑うとバルドメロのほうへ顎をしゃくってみせた。
「これって、もしかして?」
微笑むバルドメロから、そっと手渡されたアクセサリーに惹きこまれるカエデ。そこへ、最近めっきりカエデと仲良くなったミーナが顔を出すと、続くようにしてセリノまで現れる。
「失礼します。カエデさん、どうでした?」
「何を作ってたのかな、アルト?」
急に騒がしくなり始めた応接室である。カエデが真ん中を摘むようにしてアクセサリーを持つと、ミーナと「綺麗だねぇ」と見惚れている。セリノもその輪に入ると、「これはすごいね」と驚いているようだった。それをバルドメロが優しく見守るという穏やかな時間が暫く流れた後、カエデが何かに気づいたように、ハッと顔をあげる。
「ビビアナにも教えてあげなきゃっ!」
「呼ばれなくても、来たわい」
相当、騒がしかったのだろう。アオイを抱いたビビアナが姿を現した。女性陣の恐ろしさを知っているアルトは、さささっとアオイを受け取りに行く。セリノが何かを察して離れた代わりに、ビビアナがその輪へと加わった。
「…これまた器用に作りよるのぉ」
そして、今まで誰も触れなかった留め金にビビアナが触れてしまう。
「これは…よもや自分で彫ったのか?」
和やかだった応接室に張り詰めた空気が拡がる。
「そうですよ………ねぇ」
鋭い視線に耐えられなかったのか、最後は身動ぎするアオイに向かって話し掛けるアルト。もう目を合わせるつもりがないその様子に、はぁっと盛大に溜息を零したビビアナは、薄らと刻まれた魔術陣を優しく触る。
「ミスリルを削るのも大概じゃが、…この魔術陣も大概じゃぞ」
「…え?」
「……ミ、スリ、ル??」
「アルトなら当然!」
緊張感が散った代わりに、輝いていない銀の部分がミスリルだったと気づかなかった二人が、ふるふると震えだす。なぜか、カエデは、腰に手を当てて勝ち誇っていた。
「でも、まさかミスリルまで使ってくれるとは思わなかったなぁ」
「だいぶ形は変えられてしまっておるがのぉ」
「こっちのほうが素敵です」
納得がいかなそうな顔をしているビビアナから、アクセサリーを再度受け取ると、カエデは夕食までの間、うっとりと撫で続けるのだった。
「ホントに、あの船造るんだねぇ」
夜になって、カエデとアオイがいる寝室にアルトがお邪魔していた。
「できあがるかどうか分からないけど…ね」
そういって苦笑を浮かべるアルトに、カエデが向けた視線はどこまでも優しいもので…。
「なんか、あった?」
「…どうして?」
俯いたまま顔を上げなくなってしまったアルトを、それでもカエデは愛おしそうに見つめている。
「辛そうな顔…してたよ?」
「そっか」
しかし、何かを吹っ切ったように笑うアルトに、カエデはただ笑顔を向けるだけだった。
降り出した雨のしとしとという音だけが聞こえる静かな夜が、ゆっくりと流れていく。
「がんばらなくちゃな」
アルトが呟くように言葉を零す。穏やかな笑みを浮かべて、視線を向けるだけのカエデに、笑顔を返すと、
「俺たちの家ができるんだから」
そう言って、期待に満ちた嬉しそうに顔をする。そして、少しだけ目を大きくしたカエデに、「ね?」と笑い掛ける。
「そっか、私たちの家になるんだねぇ」
「そう…俺たち家族のための家だ」
その夜は、静かに降る雨の音が全てを洗い流しているような、そんないつになく穏やかだった。
「それじゃ、行ってくる」
翌朝、やっと空が明るくなり始めた頃、カンタブリア伯別邸の玄関では、旅立ちの挨拶を交わすアルトの姿があった。昨夜降っていた雨はすっかり上がり、気持ちの良い朝である。
「気をつけてね」
カエデの腕の中には、アオイがスヤスヤと眠っている。少しだけ頭を撫でてやると身動ぐその様子を眺めてから、アルトが、うんと頷く。
「「お気をつけて」行ってらっしゃいませ」
「無茶しちゃダメだよ」
昨日の応接間に集合した面子が、朝早くだというのに集合している。何も声を掛けてこないビビアナは、目が合うとフンとそっぽを向いていた。
「2週間後まで、必ず元気で!」
その言葉を残して、アルトは旅立っていった。
「…」
呆然とする青年の前に、屈強な男たちが立ちふさがっている。先頭に立つ男の朝陽を受けた茶色い髪は、いつもよりも少しだけ明るく見える。ボサボサだった髪をざっくりと短く切ったその男を先頭に、一人の少女がすぐ後ろに控え、その後ろには、二十人はいるであろう筋骨隆々の男たちが並んでいた。
「…そんな真剣な表情をされても心当たりがっ―」
「―ファーリス殿っ!!」
琥珀色の鋭い眼光で、睨みつけるように立ちはだかる男とは、もう話がついていたはずである。しかし、言葉を遮って名を呼んだその男は、まだ何か話がしたいのか一歩前に踏み出すと、さらにギラリと睨みつけてくるのだった。
「ん~…」
アルトは、困ったように髪の毛をくしゃくしゃっと握ると、肩を竦めてみせる。その仕草に、眉をピクリとさせた男は、ゆっくりと左の腰に挿した剣へと手を伸ばし、触れるか触れないかのところでピタリと止める。しかし、それでも相変わらず、アルトは、緊迫感のない苦笑を、ただただ浮かべていた。後ろに立つ一人の男がゴクリと唾を飲み込む。アルトとは対照的に、目の前に並ぶ少女を含めた男達全員が緊張しているようであった。
そうして少しの間、誰も動けない静かな時間が流れる。まだ、カンタブリア伯の別邸からそれほど離れていない、繁華街には少し距離のある朝の大通りは、ささやかな風の吹く音くらいしか聞こえなかった。しかし、見つめ合っていた二人の間に、一陣の風が吹き抜けた、その時である。
「一緒にやらせてくださいっ!」
そう言い放った男は、腰から勢いよく鞘ごと剣を抜き取ると、そのまま地面に叩きつけ、流れるように跪いて頭を下げる。
「「やらせてくださいっ!!」」
それを合図にしたかのように、後ろに控えていた少女が続くと、後ろの男たちもまた、続くように跪いたのだった。
「…え~と」
一人ぽつんと突っ立っている青年は、混乱の境地へ叩き落されたのだった。
「あの?あのぉ…え~と、とりあえず顔あげません??」
返事を聞くまでは顔を上げるつもりはないのか、跪いたままの男たちは、そのままの姿勢でアルトの言葉を聞いていた。そんな中、先頭で頭を下げる男は、二日前の夜、ある老人に言われたことを思い出していた。
「あやつはのぉ。自分のことには無頓着だが、一度世話になった者には、あれで滅法甘い人間なんじゃよ。だから関係ない者たちがする噂なんてものは気にしていないんじゃろうが…なぁ」
この男は、今度は絶対に譲ってやらんと心に固く誓ってこの場に来たのだった。そして、後ろに並ぶ者たちも似たようなものだった。ベテランの職人の中には、助けられてばかりで、何も返していないのに平然としている青年のことを、むしろ危なっかしく思っている者までいる。
「…あの」
普段では滅多に見ることができないほどワタワタしているアルトが、さすがに気の毒になったのか控えていた少女が、頭を下げたままアルトへと声を掛ける。
「皆、助けられてばかりで…お礼がしたいんです」
アルトは、少女の言葉に耳を傾ける。
「それに、ここのところ、いろいろあって…でも、父さんすごく楽しそうでした」
そんな言葉に、それでもアルトは髪をくしゃくしゃと握るだけで何も言わない。
「お願いします!」
「「お願いします!!」」
少女は、地面にぶつかるんじゃないかという勢いで頭を下げる。ザッと地面を擦る音をさせて、それに続いた男たちも同様であった。
「…」
そんな頭を下げ続ける男たちを見て、アルトは、はぁっと長い溜息を零した。
「…仕方ないですね」
頭上でボソリと呟いたその声に、トマスは、ガバッと頭をあげる。その琥珀色の瞳を真っ黒な瞳がじっと見つめる。ごくりとトマスが唾を飲み込んだ。
「ただし、条件があります」
ふっと視線を柔らかくしたアルトが告げると、トマスは何も言葉を発さずに、グッと真剣な眼差しを返すと、身体を支える腕に力を籠めて、身を乗り出した。
「…アルトって呼んでくれる?」
可愛らしく首を傾げると、耐えられなかったのかぷっと吹き出し、ケラケラと笑い出すアルトに、そのまま前のめりに崩れ落ちる。
「あっ、後ろの皆さんも…ね」
顔を上げたまま呆然とする男達を見たアルトは、悪戯小僧のような笑顔でそう告げる。
「なんか、いろいろ台無しだ…」
地面に顔をつけたまま、脱力しきっているトマスに何とも言えない憐憫の視線が集まるのだった。
「それがお前さんの獲物か」
横に並んだトマスは、アルトが両腰に挿している細身の剣に視線を向けて、問い掛ける。
サンタンデルの外門を抜けるため、一行は大通りを歩いていた。他愛もない会話をしながらの移動はなかなかに騒がしいものであったが、アルトだけは終始無言であったため、放っておけなくなったトマスが、話のネタを見つけて話し掛けたのだった。
「気を遣わなくてもいいのに」
そう言って苦笑を浮かべたアルトだったが、左の腰にある細身の剣を、左手でそっと撫でると質問に答える。
「刀っていうんだ」
「ほぉ…そんな細身で折れないのか」
「これは、剣みたいに叩き切るんじゃなくて、ホントに切り裂くからね」
「また、恐ろしいもんもってんなぁ」
トマスは、アルトの戦闘を少ししか見ることができなかったが、残された跡を知っている身としては、切り裂くイメージが鮮明に出来てしまい、先程の自分の行動を思い出すと、背中に冷や汗を流すのだった。
「でもよぉ、そんな武器、どこで手に入れたんだ?」
だいぶ遠慮がなくなったトマスに冷たい視線を送るが、刀に視線を向けていて全く気づかないその様子にアルトは、はぁっと息を零す。
「学生時代に、恩師が…ね」
「ほぉ…そういえば、アルトは何処の出なんっ」
顔を上げたトマスが、送られていた冷たい視線に気づく。しかし、そこへ救世主が現れる。
「私も聞きたいなっ」
トマスの横から顔を出したのはカルラだった。その好奇心溢れる笑顔に負けてしまったアルトは、渋々と口にする
「スキエンティラ」
「えぇ!」
「あの、スキエンティラかっ」
二人が驚くのも無理もないことであった。ここサンタンデルにある学院は15歳以上という年齢制限がある。しかし、北にある島国が共同で設立したというスキエンティラ学院は、10歳以上の年齢制限であり、しかもあらゆる技術の最高峰が集まっていると言われている学院であった。
「どのスキエンティラだ?」
しかし、二人は、ギロリと視線を向けられると固まってしまう。
「はは………あ、チュイさん、その話わたしも混ぜてぇ」
そして、救世主は、後ろの集団へ走り去った。
視線を前に戻したアルトは、また無言になってしまう。その様子をちらちら伺いながら、トマスは横を歩いていた。
「ファビラ様に聞いたのか?」
漸く、サンタンデルの街を守る大きな外門が見えてきたところで、前を向いたままのアルトがふいに言葉を投げ掛けた。
「あ~、…あれな」
「…」
二人とも視線を前に向けたまま、暫くの沈黙が流れる。
「結局、何も聞かなかったな」
「…」
アルトは何も反応を示さなかったが、トマスは、独り言のように続けた。
「まぁ、気にならないって嘘にはなるが…過去に何があったかは、さておき、それがあったから今のお前さんがいるんだ。そんなお前さんと仕事ができる。今は、それで十分だ」
前を向いたままのアルトの表情は見えないが、それでも少しは詫びになったかなとトマスは思う。
「どうしても知りたいというなら、あの日何が起きたか教えようか?」
あの老人と同じようなことを言うアルトに、苦笑したトマスは、老人へと返したのと同じものを答えに選んだ。
「話したくなったら、その時に聞いてやる」
いつの間にか、お喋りをやめ、二人の話を聞いていた後ろの男たちは顔を見合わせて笑顔を浮かべる。そのまま、会話もなく、しかし嬉しそうな笑顔を浮かべる一行は、すぐに外門へと辿り着いた。
外門の前の広場でアルトは立ち止まると大きく聳え立つ門を見上げた。空は、雲ひとつなく、どこまでも透き通るような青が続いている。
「それじゃ、まぁ、いってみようか」
決して大きくないその声に
「「おおおぉぉぅ!!」」
男達の怒号にも似た楽しそうな雄叫びが響くのだった。
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