第16話 すれ違い

「ん~…図書館にでも行ってみよう」


 この数日間、応接室に籠もりっぱなしだったアルトであったが、休日を翌日に控えたこの日、少し行き詰まりを感じていた。しかも、朝から良く晴れた気持ちの良い天気だったため、気分転換がてらに資料でも漁りに行こうと思い立ったのだった。


「聞いてくれぇ!ファーリスの旦那っ」


 しかし、そうは問屋が卸さない。遠くからボサボサの暗い茶髪を振り乱したガタイの良い男が走ってくる。

 見なかったことにして歩き出したアルトの前に立ちふさがった男は、ゼェゼェと息を切らしながら、両手を前に出して止まれアピールをしている。


「何か御用でしょうか?」


嫌そうな顔を隠しもしないアルトの前で、呼吸を整えた男は、顔をガバッと上げる。


「聞いてくれってば!アクニの奴らがっ―」

「賠償してくれることになりましたか?」


 勢い込んで話す男に冷たい視線を送りながら、さらっと先読みしたアルトに、男は目をパチクリしている。


「そういう話でカルラさんが帰ってきたって言っていたじゃないですか…終わりなら、これで」


 早く図書館へ行って、切っ掛けを掴み次第、作業に戻りたいアルトは、そこで手をひらひらと振ると、また歩き出そうとする。


「だから待てって!」

「…」


 無言で凍えるほどの冷たい視線を送ってくるアルトに、少しだけ怯んだ男だったが、姿勢を正すと今度は勢い良く頭を下げた。


「何かしてくれたのは、何となく分かっている。ありがとう!」

「あ~、リバデネイラ殿のために動いた訳じゃないので、お気になさらず」


 この時、アルトの顔を見ていたら、冷たい言葉が照れ隠しだと気づけたのだが、頭を下げている男には見えていなかった。さっさと用件を伝えないと無視してでもこの場を立ち去りそうなアルトに、慌てて言葉を繋ぐ。


「それで本題なんだが、アクニから賠償として金じゃなくて楢材が送られてきたんだ。そこでな、良かったら―」

「それは、ちょっとマズいですねぇ」


 突然、困ったような顔をするアルト。途中で遮られたことよりも、その言葉のほうが気になった男が聞き返す。


「な、何がマズいんだ?」

「その木材って今どこにあります?」


 質問に質問で返された男は、困惑するが、アルトの真剣な顔つきに嫌な予感が脳裏を掠める。


「昨日、うちに届いて、そのまま倉庫に入れてあるが?」

「そうですか。では、急ぎましょう」


 そのまま走り出そうとしたアルトが何かに気づき方向転換する。


「ちょっと待ってくれ。何がなんだか―」

「バルドメロさん、これ預かっといてくれます?」

「承知いたしました。」


 男の声を無視して、門扉の近くにいたバルドメロに左腕のブレスレットを外して渡すと、白い魔術陣を一瞬だけ浮かび上がらせたアルトが走り出す。


「いや、だから……ちょっと待てぇぇぇ!」


 魔術で強化された走力に叶うはずもなく、あっという間に引き離された男の叫び声が、辺りに空しく響くのであった。




 かなりの速度で走るアルトを道行く人々が驚いたように避けていく。

そんな中、アルトは思っていた。違ったらいいなぁと。そして、思う。でも、たぶんそうだよなぁと。結論に至る。もう既に始まってるんだろうなぁ。




「こっちはダメだ!」

「2人で対応しろと言ってるだろうが!!」


 アルトがリバネ造船の倉庫に到着したときには、彼の予想通りの状況となっていた。


(全く…余計なことをっ)


 心の中で悪態をついたアルトは、開きっぱなしの扉から中へ飛び込むのと同時に、例の柄だけしかない剣に魔術陣を浮かび上がらせる。


「この間より強いぞっ!気をつけろ」

「若い衆は退避だっ」


 怒号が飛び交う倉庫を駆け抜け、辛うじて白蟻の顎から身を守っている一人の職人へと近寄ると、炎の刃を展開して、そのまま真横から一閃を放つ。


「…すまねぇ」


 余りの見事さに呆然としていた職人が礼を言ったときには、もう既に次の獲物へと向かっているアルト。


(この間、一度やっといてよかった)


 内心で一人安堵するアルトは、そのままの勢いで二匹目、三匹目と潰していく。次々と対峙している相手に集中している白蟻たちの不意をついて倒していく。そして、四人がかりで鬩ぎ合いをしている最後の一匹へと向かおうとしているところへ、息を切らした所長が倉庫へと飛び込んできた。


「なんじゃ、こりゃ!」


 以前に対峙したアンティスのワンランク上、アンティオの焼き切れた死骸がゴロゴロと転がっている風景に思わず叫ぶ。


「合図したら、退いてください」


 若い四人は、声を掛けられたことに驚くが、アルトが背後にいる一人を除いた三人が頷きを返すと、残る一人も僅かに首を縦に振る。


「………今!」


 倉庫へ飛び込んできた男が、状況を把握しようとしている間に、四人の職人へと声を掛け、最後の一匹を一振りで切り裂いたアルトは、炎の刃を消すと、ふぅっと息を零すのだった。


「あいつらっ!また、性懲りもなく仕掛けてきたのか!!」


 それも束の間、やっと状況が分かったのか、かなりの剣幕で、怒りを撒き散らしている男に気付いたアルトは、ゆっくりと歩み寄る。


「ファーリス殿…なんか、助けてもらってばかりで…すまねぇ」


 急に、そんな真摯な態度をとる男に、アルトもまた勢い良く頭を下げるのだった。


「本当に申し訳ないっ!!」


 倉庫内に動揺と混乱が拡がったのは言うまでもない。




 事は、先週の休日まで遡る…が、簡単な話である。アルトは、アクニ造船へと返却する木材に仕返しを仕掛けたのだ。トマスから経緯は聞いたとしても証拠は残っていない。教会を通しての取引であれば、そこに証拠が残ったのであるが、口約束ではどうにもならない。そのため、アクニ造船でも同様のことが起こればと、証拠にならなくても腹いせ程度にはなるだろうと仕込んだのだった。

 ところが、アダン・アクニャは、アルトが自分より上位の信者だと勘違いしてしまう。怒りを買った理由が、今回の木材であったのであれば、金銭で弁償するのではなく、当初の取引どおり、木材を納めようとしたのだ。結果、これが最悪の結果に繋がった。


「―と、いうわけです」


 全ては話せないため、アダンがしたと思われる仕込みと同様のことをした木材を持って行かせて、繋がりのある証拠にしようとしたことと、結果としてアダンが反省をして、木材という形で弁償したことが今回に繋がったことをアルトは伝えたのだった。


「なるほどなぁ」


 それを聞いて、思わず苦笑を浮かべる所長のトマスであったが、状況が状況なだけに怒るに怒れなかった。むしろ、トマスとしては、俯いたままのアルトに、自分たちのためにここまでしてくれたのだという思いがあるため、申し訳なさを感じる。


「どうやったかは、どうせ教えてもらえないんだろう?」

「…それは、ちょっと」


 どう声を掛けていいか迷ったトマスが、少しおどけた様子で聞いてみるが、その言葉が、余計にアルトを沈ませてしまう。ボサボサの髪をぽりぽりと掻いたトマスは、どうしたものかと悩むのだった。


「素材になる顎は綺麗に残っていると思うので、今回は、それで許してもらえませんか?」


 そう言って、沈黙を破ったのはアルトであった。魔素や魔力を取り込んで大きくなった虫の素材は、硬く丈夫であり重宝されるのだ。


「いや、そうじゃなくてだな」

「足りませんか?」


 不安そうな顔で首を傾げたアルトに、渋い顔を浮かべていたトマスが少し慌てた様子で答える。


「いやいやっ、十分だ、十分すぎる」

「そうですか、よかった」


 やっと笑顔を浮かべたアルトは、安心したようにそう零すと、立ち上がり、


「今回は、ご迷惑をお掛けしました」


 深く頭を下げて、倉庫の出口へと歩き出す。


「お、おいっ、まだ話は終わってねえぞ」


 今度こそ、大慌てで声を掛けるトマスに、


「素材は全て、お譲りします」


 一度だけ振り返って、そう伝えるとそのまま倉庫を後にした。


「…そうじゃなくてだなぁ」


 ぽりぽりと頭を掻くトマスの呟きは、誰にも届くことはなかった。




「思ってた以上に遅くなったなぁ」


 トマス造船を後にしたアルトは、ひとまずブレスレットの回収がてら屋敷に戻り、お昼時であったため昼食を食べてから図書館に向かった。そこで、なんとなく行き詰っていた部分が解消できそうな文献を見つけ、読む耽っていたのだが、閉館の時間となってしまう。そして、今は夕暮れ時、翌日の休みを返上するかなぁなんてことを考えながら、拠点の屋敷へとゆっくり歩いていた。


「遅いわっ」


 屋敷の近くまで帰ってくると、唐突に突っ込まれる。


「…」


 見なかったことにして通り過ぎようとしたのだが、腕を掴まれる。


「それ、朝もやったよなっ」


 暗い茶色のボサボサ頭が怒っている。


「…あれでは、足りませんでした?」


 ハッとしたアルトが、徐に悲しい表情を浮かべる。


「いやいや、そうじゃなくてだな」


 途端に慌て始めた男に、アルトが、すぐにいつもの表情を取り戻す。


「よかったです。では」

「待てぃ」


 しれっと屋敷に入ろうとするアルトを慌てて引き止める。


「…」

「いや、あのな、気づいていないかもしれないが一つだけ聞きたいことがあってだな」


 冷たい視線に慣れ始めてきた男が、一瞬怯むだけで、訳を伝える。


「…ひとつだけですよ」


 相変わらず、涼しげな表情のアルトがはぁっと小さく息を零した。


「あ~、すまんな。でだ、船材の最高級って言われているのが楢材だというのは知っているよな?」

「…それが聞きたいことですか?」


 早く結論を言えと言いたげな顔を浮かべるアルトを、まぁまぁと男は宥める。


「それでだな。その楢材を扱っている造船所は少なくてだな」

「…それで?」

「今回、どうしても受注したいと裏で手を回していたのがアクニだ」

「……」


 相変わらず嫌そうな顔をしているアルトに、男は本当に状況が分かっているのかと問い質したくなるのを我慢して話を続ける。


「それで、その楢材を譲ってもらったのが、うちな訳だが……ご存知の通り、ほぼ全滅した」

「…で?」

「で、って、状況分かってるか?!」


 全く反応が変わらないアルトに、ついに男が吼えた。


「このサンタンデルはおろか、周辺にも船を造るだけの材料がないかもしれないってことでよろしいですか?」


 しれっと返されて、男は口をパクパクとさせている。


「あわよくば、アクニ造船から頂いたものを使おうかとも思っていましたが、元々、木材をどこかから仕入れようとか、思っていませんよ」

「なら、どうするんだっ」

「…楢だけに?ぷっ」


 その駄洒落の何が面白いのか分からない男が呆れたように見つめる中、一頻り笑ったアルトが呼吸を整えてから口を開く。


「これは失礼。でも、この面白さが分からないとは、リバデネイラ殿も―」

「で?」

「…」


 途中で遮られたことに、不機嫌そうに眉を寄せるアルトであったが、自分も早く帰りたいために先を続ける。


「どうするか?でしたっけ」

「ああ、そうだ」


 鋭い視線をぶつけてくる男に、ニカッと笑うとアルトは言うのだった。


「採りに行くに決まってるじゃないですか」

「…は?」


 呆然とする男に、やれやれと頭を振るアルト。


「だから、採りに行くんですよ」

「………はぁ」


 未だに混乱気味の男に、今度は溜息を零すと、少しだけ教えることにする。


「ファビラ様から了承は得ているので、素材集めも兼ねて山へ入る予定です」


 頭では理解できていても、なかなか感情がついてこない男であったが、これだけは聞いておこうと声を絞り出した。


「いつから行くんだ?」

「なぜ、そんなことを?」


 理由を聞かれるとは思っていなかった男は、つい黙り込んでしまう。その様子に、話は終わりだと思ったアルトは、頭を軽く下げる。


「それでは、失礼します」


 しかし、腕を掴まれて止められてしまう。


「…いい加減に―」

「ファビラ様と約束しただろう」

「は?」


 もう話が終わって帰れると思っていたところを引き止められたので、文句の一つでも言ってやろうと振り返ったアルトは、男の呟きに動きを止めた。


「ファビラ様と約束しただろう!」


 聞こえなかったと思った男が再度言った言葉に、この男と出会った時を思い出したアルトは、少し寂しそうな表情を浮かべた。


「そんなに俺の噂が気になります?」


 今まで見せていた、どこかわざと作っているような表情ではなく、本当に寂しそうな顔をしたアルトに、驚いてしまった男は、力なく掴んでいた腕を放す。


「いや、そ、そういうわけでは―」

「休みが明けてから2週間の予定です」


 男の言い訳を掻き消すように伝えられた予定の日。


「ですから、戻ってきたら、すぐに期限の日です」


 淡々と一方的に伝えてくるその笑顔は寂しそうで…


「元々、一人で行く予定でしたから、リバデネイラ殿のお手伝いは今日で終了です」


 そして、告げられた依頼の終了。


「ですから、御心配なさらなくても、聞いていただいて構いませんよ」


 最後に穏やかな笑みを浮かべたアルトは、門の中に消えていった。ボサボサ頭の男トマスは、短い間に何度も助けてもらった恩人に、なんて顔をさせてしまったのだろうと、深い後悔に襲われる。


 その日の夜、自室で寛いでいたファビラの元に、急な来客が訪れる。余程のことでもない限り、取次ぎすらされない夜更けに現れたその訪問客は、余りにも打ちひしがれた姿だったため、慌てて屋敷の中へと案内されたのだった。




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