第20話

 一度、社畜に身をやつしたならば、たぶん誰もが通る道。

 勝てば官軍、負ければ賊軍。判官贔屓なんぞは勝ち組側の世迷い言。

 生き抜くためには、ゴマすりヨイショに菓子折付けて、使える伝手は親兄弟、果ては親戚友人に至るまで、時には大っぴらには言えない道すら抜けて、何とか見かけだけでも進捗表に、成績表に、丸を付けねばなりません。


 ましてや生き死を賭けた争いで、正々堂々がっぷり四つに組み合おうなどとは役立つどころか害悪でしかないのです。セルゲイの古い記憶は、かく述べる。

「兵は詭道なりと申します。どうしてわざわざ策もなく、敵の懐に飛び込んで戦いを挑みましょうか?」

 

「しかし、殿下の御下命は如何する?」

 再びの禅問答のような会話にセミョーノフスキーは秀麗な細面を曇らせた。対してセルゲイは首を振る。


「勝て、との命にございます。ヴォーヴァ殿。そして敵軍を打ち倒すだけが勝利ではありません」


「それでは機動術と云うことか? 確かに決戦をすることなく、行軍と位置取りで敵の合流を防いで自壊させることができれば」と、セミョーノフスキーは、やはり未熟といえども軍籍に身を置き栄光を夢見る将校だ。当世流行りの用兵を良く良く心得ている。


 けれど、一度ならず二度までも、筋金入りの庶民の生まれ、セルゲイとしてはそこまで上品に事を治める手段を知りはしない。だから口を吐いて出るのは、お世辞にも立派とは言えない計略だ。


「いえいえ、もっと下世話なやり口です。あることないこと言いふらし、強請に集り、仕手筋と、いわゆる禿鷹どもの作法です」


 野卑た言葉を聞かされて、育ちの良い若者は、きれいに整えられた眉をひそめて訝しむ。

「どういうことだ?」


「万の事と同じくして、戦争においても、その全力は当を得た箇所、つまるところ重心へと指向されねばなりません。あちらこちらに浮気をすれば、貧乏人の無駄遣い、動く物も動かせぬと嘲り誹りを受けましょう」


 それ故、我々が攻めるべきは、ピョートル皇子の名声なのです。


 三十年を垂んとする厳しい兵隊稼業ですっかり白くなった豊かな顎髭をしごいた後に、セルゲイは力を込めて言い切った。


「第一、要地の争奪から決戦を挑む攻め筋は、相手の自由意志を考慮にいれぬ独りよがりの空論とも取れましょう。プレオス修道院は確かに守るに容易い要害です。けれど必ずしも軍を危険に晒してまで守らねばならぬかと申さば」

 と、セルゲイが長口上の言葉を止めて答えを待つや、期待に違わず、若き指揮官は理解を示す。


「相分かる。価値はない。なるほど、確かに敵前逃亡は恥である。だが追いつめられれば、どうなるか? 皇子が一時の恥を許容したならば、ゴドノフとの合流を急ぐだろう」


 やはり迂遠であるやもしれないが、考えることが重要だ。答えだけでは身に付かず、いずれは陳腐化、形骸化。安全教育の基本は、禁止するのではなく、禁止する理由をしっかりと教え込むこと。


「そうです。主導権、敗北の危険、今の声望、一時の恥。ここに戦争の関心事が一致をみせる訳にてございます」

「戦争の重心。まったくもって実に危うい均衡だな」


 その慨嘆にセルゲイは頷いた。現状維持こそ、相手の望み。それに沿ってやるが、相手を制御する第一歩。


「なればこそ追いつめなければよろしかろうと。適度な距離を置いての対陣なれば、皇子にとって最善ではないにしろ、まずもって受けいれられる結果でしょう」


 思案の顔を眺め見て、恐らく相手の身になり考えることを学んだろうと教育係としてはホッとする。


「なるほど。皇子としては戦わないので負けない。よしんば攻められても勝ち目は十二分と修道院に拠って来援を待てる。時間は、皇子にとって味方となるという訳か」


 そして出てきた素直な回答に、心を鬼にしセルゲイは、底意地の悪い笑顔で相対す。忸怩たるも、あのイカレ幼女のやり方に、やはりここは倣う他はあるまいて。


「そこで、破落戸どもの手口です。皇子は帝都における姫殿下の人気をご存知ない。聞いてはおりましょうが、こればかりは肌で感じねば分からぬもの。その上で我々は修道院前面に布陣して、続いて決戦に大勝利する次第にて」


 既に未来は決まっていると断言されて、驚き眼を剥くその姿。まるで常の自分の如くして、おそらく幼女にとっては見慣れたものであったろう。


「簡単な話です、ヴォーヴァ殿。風説の流布。大いに喧伝致しましょう。今ならば、無いこともあると言い張れて、自然と尾鰭端鰭も山ほど付くこと疑いありません。事実、皇子は冬眠中の熊と見紛うばかりに籠もったままなのですからね」

 さぞかし説得力があることでしょうと嘯いて、セルゲイは練兵場で見かけた、やる気だけは満ち溢れた志願者たちを若者に思い出させる。


「我らが兵も正規軍の兵も、皆同じ。帝都の人々の声は無視できるものではありません」

 人は信じたいものを信じ、見たいものを見る。しかもどんな駄法螺であろうとも、現実の説明として筋が通っていれば、もっともらしく響くもの。


 しかも、兵士が壁の向こうの兵営に、隔離されることなく市民の住処で舎営するのが一般的なこの時代、銃後との境目は近現代に比べて何とも曖昧だ。近衛暮らしが長いとはいえセルゲイも、若い頃は余所様のお宅におじゃまして、突撃! 隣の晩ごはんを地で行った。だからよく分かる。

「軍、すなわち兵どもをして貴族様方は、常に感情なき道具であろうとお思いでしょう。ですが、さにあらず。もし争いが各々の問題であるならば、兵もまた市民なのです」


「教会の守護者、秩序の象徴、遍く民を統べる神の剣たる皇帝。民は素朴であるな」

 若くして既に殿上の出来事に慣れてしまった青年が、うらやましいと感想をこぼす。伯爵様でこれなのだ。ましてや皇子となれば、分かるまい。兵と民草の共感を。一度方向を与えられた群衆がどれほどの力を持ち得るかを。何故だか知らぬが了解済みのアレだけ異端児なのだ。


「玉を握るは我らが殿下。未だ幼き姫君が君側の奸に操られる兄を助け、父帝と正義を守らんとする。はたして正規軍将校どもは、兵の、人々の勢いを押さえ込められましょうや?」

 加えて恐らく、ヘイムダルの角笛を吹きやがった尚書長の暗躍を期待しても罰はあたるまい。苦々しくも忘れられない、セルゲイをこんな立場に追いやった、あの妖怪爺。それくらいの仕事は片手間でやるだろう。

 下からの突き上げと、内部の切り崩し。軍務卿に代表される枢密院の連中も、潮目の変わりを前にして旗幟を鮮明にせぬ不利益が分からぬ筈もない。


「その一方で真偽定かならぬ情報からでも、皇子の価値が暴落すれば、慎重居士たるゴドノフ方は、動きを一旦止めざるを得ない、か」

「然り。援軍の来ない籠城戦。すれば噂が噂を呼び、皇子はますます身動きが取れなくなり、転じて、時間はむしろ我々の味方となるのです」


 ひとたび弾みがつけば、木金月と崩落し遂には暗黒の火曜日がやってくる。果たして皇子の側は買い支えることができようか。


「なれば、やるべきことは野戦築城しかあるまいな」

「ご明察。心を攻めて、待ち構える。そこに至れば、それこそ戦う前に自壊しているかもしれません。戦うにしても、敵の主力たる騎兵の強みが生かせぬ戦ができましょう」


 上兵は謀を伐つ、其の次は交を伐つ、城を攻むるの法、已むを得ずと為す。先ず勝つ可からざるを為して、以て敵の勝つ可きを待つ。すべて社畜時代に読んだビジネス書「猿でも解る孫子の兵法」の受け売りだ。当時はまるで役に立たなかったが、まさか本当に使う日が来ようとは。


「唯一の懸念は、やはり恥も外聞もなく逃げ出すことだが、セリョージャ、どう見る?」

「むしろ、それこそ望ましく。その段において、かく振る舞うような皇子なれば、気にするまでもありますまい。ゴドノフ公爵に任せてしまえば角も立たぬかと」


 川に落ちた犬は打たれる。負け犬に付いていく酔狂な物好きなど、極僅か。しかも将来の立身出世、未来の権力を夢見た支持者なんぞは、何時であろうと手のひら返しの早いこと目を見張らんばかり。

 しかも劣勢を前にしての、大義名分という錦の御旗。

 自分の無罪を、有能さを、ここぞとばかりに証明するため、それこそ何でもするだろう。むしろ、公爵ほどの大身に任せたればこそ、時流を読んで案外と後腐れなく綺麗に幕を引いてくれるというもの。

 もっとも皆で幸せになるために、適当な皇子の側近数名ほどが必要だろうが、必要経費と割り切ろう。


「悪辣なことだ」

 そんな言外の意を汲み、呆れとも感嘆とも取れるようなセミョーノフスキーの声色だった。


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コメンタリー


 勝てば官軍:幕末日本、江戸の狂歌が元ネタらしい。「勝てば官軍、敗ければ賊よ、命惜むな、國のため」。会津しかり、大西郷しかり。基本的に日本人は嫌いですね、この言葉。でも私は好きです。何はともあれ勝たなきゃね。衣食足りて礼節を知るのです。でも、どうしたら勝てるのやら。


 機動術:これまで機動戦と呼んでいましたが、大木先生によるホート将軍の回顧録「パンツァー・オペラツィオーネン」の翻訳を見て、こっちにしました。確かに、この訳語の方が十八世紀な感じで良いですね。ドイツ語ではマネーヴァークンスト。流石はドイツ語、厨二の言葉だ格好いい!


 風説の流布:宣伝戦です。近世でも宣伝は重要なファクターです。たとえばロシアには、偽ドミトリー三人衆。本物よりも偽物の方が圧倒的に存在感あります。コサックの反乱などでは「魅惑の文」と政府が総称した宣伝文が流布されて、反乱の拡大と伝説の形成に一役買ってます。

 誇張される物語と共に敵対者による相手をおとしめる宣伝も行われており、それが行き過ぎて後世において最早、訳が分からなくなった人物としてはドラキュラのモデルであるワラキアのヴラド三世などがいます。史上最大の傭兵隊長ヴァレンシュタインなども、誹謗中傷されて実像が分かりにくくなっていますね。まぁ故にこそ、創作意欲を駆り立てられちゃいますけど。


 要地の争奪からの決戦:そこが戦略要点であるか戦術要点であるかによって大きく変わるということ。戦略要点を重要視したカール大公は、その定義として、その占有が作戦に決定的な有利をもたらす地点とし、決定的とは後方連絡線の安全に直結するという意味とした。そして戦略要点で持久して、兵力を損じずに優勢な敵の疲弊を待つことを作戦の基本に据えた。

 なお今回の例では、これに当たらないので、戦力の保持を優先するならば一旦引いて後日に備える選択肢を相手が採用する可能性も高いでしょうと言うこと。


 銃後との境目:以前にも述べたが当時の軍は兵営暮らしではない。そのため、軍隊は、後年のような閉ざされた空間ではなく、都市の住民や農民と日常生活を共にする、開かれた空間にあった。兵士たちは街で買い物をして、教会に通い、夜には居酒屋でくだを巻き、小銭を稼ぐために、軍務以外の仕事を街で行ったのである。結婚すらしていた。

 もちろん、多くの軋轢と対立が市民との間で発生し、トラブルの元となったが、そればかりを強調するのは間違っている。平時にあって給与が支払われている状態の兵士は、消費者として街の景気を良くする存在であり、小遣い稼ぎの肉体労働や仕事を通しての関係は親近感を情勢するにおいてこれ以上ない効果があっただろう。プロイセン軍兵士の結婚や子供の洗礼における立会人の記録を分析した結果では、下層市民が同僚や親戚よりも多いという結果であり、これは兵士にとって最も信頼のおける人物あるいは親近感のある人間が、同僚や親戚ではなく、身近に暮らす下層市民であったことを、ある程度示している証拠である。


 突撃! 隣の晩ごはん:進め電波少年は面白かった。昔はこんな番組が結構あったのだ。今じゃあ地上波では無理なんでしょうね。ネット系ならまぁ何とかまだあるのかな。


 兵もまた市民:たとえ有刺鉄線で市民と兵士の間が隔てられていたとしても、これは変わらない。一九一四年のアルスター危機に際してイギリス下院における、とある議員の言葉こそ、この問題の本質を捉えている。

 すなわち「もし係争が、単に騒擾だけでありまするならば、軍隊は政府に従うでありましょう。いな従うべきであると、わたくしは信じずるのであります。しかし、もし係争が現実に内戦の問題でありまするならば、軍人もまたわれわれと同じ市民なのであります」

 政治家や軍人は同じ見解を、アメリカ独立戦争に対する姿勢においても述べている。


 皇帝崇拝:どこの国でも素朴に敬愛されているのが君主特権。特に地方はその毛が強い。フランス革命のヴァンデなんてすごい好き。それに比べると都市部は擦れている。ギロチンにかけるくらい。


 ヘイムダルの角笛:神々の黄昏を告げる角笛。ギャラルホルン。ボカロはオワコンと言われていますが、大好きです。特にこの曲最高。スウェーデン大国時代の終焉となった大北方戦争を思いながら聞くと特に良い。誰か動画作ってプリーズ。


 暗黒の火曜日:意外と知られていないような気がします。世界大恐慌は一日にして成らず。下手に頑張ったせいでより一層破滅がでかくなった可能性も否めません。少なくとも買い支えようとした人は即死。


 野戦築城:防御の方が強い戦争の形態であることはクラウゼウィッツさんに指摘されるまでもありませんね。本邦の長篠合戦も結局の所、野戦築城の勝利と言われています。餌をちらつかせて誘い出す。糧道、水の手を断って出ざるを得なくする。使い古されていますが、嵌まればこれ以上なく有効でしょう。


 川に落ちた犬:隣国のことわざとも言われるが、実際は違う模様。最近のSNSの発達で、勝てる相手にマウントを取る輩が増えすぎていると言われているけど、人間の本性なんぞはそんなもので、可視化されただけに過ぎません。


 孫子の兵法:セルゲイさんは横山三国志とビジネス書で兵法を学びました。いつも思うけどビジネス兵法書って役立つ場面ある? 私はありません。


 必要経費:必要って言っているのに削ろうとする阿呆。何なんですかね、あれ。設備投資したくせに維持校正費ケチる馬鹿とか。それはともかく、少数に罪を、実体の無いものに罪をおっ被せて、多数を救うのは良くあること。相手の正統性を理由に裏切るのも悪くないですね。


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ロートルと幼女 旗代 @hatashirorz

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