第19話

 決戦に、備えてその先、致さぬ存念これ如何に?


 哀れ、愛称『ヴォーヴァ』こと、セミョーノフスキー君は未だ答えを探して四苦八苦。

 まったく、人を驚かせて悦に入る、精神的にいきなり殴り付ける楽しみにふけるのは、実に悪どい趣味だと言えましょう。

 

 社畜時代にもありました、既に答えを決めた上司から、君の考えはと前振りなしのキラーパス。お前、聞く気ないだろ馬鹿野郎、心中罵声をあげて、それでも上司が望む回答(忖度だぞ諸君)を思案した。

 しかも生まれ変わってなお、幼い少女の言葉に右往左往となれば、これは何という罰ゲームですかと、訊ねずにはいられません。前前前世か前々世、この爺は余程の鬼畜だったに違いない。何してくれちゃってんの昔々の自分’Sどもよと、幾度嘆いたことなるか。


 しかし、と素直な若者が驚き惚ける顔を眺め見る。なるほど、これは癖になる。初めて立場を入れ換えて、悪魔のような幼女の微笑みを思い出し、セルゲイは納得する。

 こんなにも愉快な気分になれるなら、確かにいくらでも弄びたくなるのも宜なるか。それでも自重できたのは、何時か何処かの哀れな自分に、被ってしまったからに他ならない。


 死んでも変わらぬ小市民的な気弱さ故か。教えを請わんと頭を下げて、真摯に学ぶ若人を、無碍に困らせ圧迫し、これは可笑しきと楽しむよりも、むしろ心苦しく憐れむあたり、やはり自分は踏みつけられる側だと思われる。いや、これが心優しき人としての当然なのだ。

 

 因みに断じてMではない。踏まれるのも当然至極に御免被る。

 もっとも、あの幼女は真性弩級のSであり、何かが欠落していることは間違いなかろう。


 そうしてセルゲイは、ため息とならぬよう注意して息を吐く。とどのつまりが悪癖を嗜むに、自分は如何にも凡庸過ぎた。


「いえ、申し訳なく、ヴォーヴァ殿。言葉足らずのようでした」


 さて、どうしたものかと言葉を選び、西日が差し込む窓辺に立つと、伝令が指示を携え駆けて行くのがよく見えた。銃剣の支給、追加の教練。動き出した戦闘機械が次に止まるのは、何もかもが行き着くところまで行き着いてからになるだろう。


 今やセルゲイが感じるのは、すべてを巻き込み唸りを上げる、それでいて誰として見ることのできない歯車の、途方もない力強さなのである。


 それは実にセルゲイをして、あたかも負けるはずがないとすら思わせる。だが、それでもなのだ。古今東西、敵も味方も勝ち目を探さぬ馬鹿はいない。

 しかも我が軍は張子の虎に過ぎぬのだ。


「もちろん、戦は致します。ただ、それは一撃で全てが決する戦ではありません」

 勝利か然らずんば死か、そんな決意は不要であり、おそらく危険ですらある。


「しかしセリョージャ、ここで手間取ればゴドノフ公爵軍が近付き、合流されかねん。そうなれば圧倒的に不利な状況で戦うことになるぞ」

「はい。集まる前にこれを叩く。戦の常道たる各個撃破。連中とて知らぬ訳ではありますまい」

「であれば」と言い募る若者に、無理難題に翻弄された老人として、教えずにはいられない。

 

「なれば、不可思議なことです。何ゆえにゴドノフ公爵は行軍を躊躇い、徒に時を浪費したのか? どうしてピョートル皇子はプレオス修道院を引き払い、公爵軍に合流しようとしなかったのか? 軍事的には可能な限り早急に合流するのが最善なのに」


 社畜は思うのだ。何故、もっと早く教えてくれないのだと。納期直前の変更で、どうして何時も最後はデスマーチになるのだと。もっと計画的にやれるだろうと。だが、それは無理なのだ。世の中はそうなるようにできている。


「ヴォーヴァ殿。ゴドノフ公爵はようやく、こちらに向けて動く構えをみせています。しかし、明らかに遅すぎる。あり得ないほどに遅すぎるのですよ」


 実際のところ、定期郵便すらも怪しいのが帝国である。後進国家において通信連絡事情が最悪なのは、世界が変わろうとも不変周知の事実。しかし、両軍が一切の連絡を取らない、取れないなどは流石に無理筋であろう。

 だから例え何処にもベルティエがおらず、ダース単位で騎馬伝令を送り出す手間を惜しんだとしても、一週間もあれば集結の手筈は整って、今頃は帝都進撃と洒落込みお釣りがくる頃合いなのだ。それが今なお集結にいたらずと来れば、答えは自明。


「合流を躊躇う理由がそれぞれにあったのです」故にセルゲイは、万事すべからく外部からの干渉を受けざるを得ないと指摘する。

「それも、軍事的ではない事柄で」


 そこまで述べれば、枢密官署長官の甥にして、帝国伯爵たるウラジーミル・ミハイロヴィチ・セミョーノフスキーの領分だ。すっかり理解した顔つきで若き伯爵閣下は微笑んだ。

「なるほど、正統性か。言い換えれば名分、声望そして権威」

 戦争の争点は帝冠、あるいは権力。

 誰だって、傀儡にはなりたくないし、賊軍のレッテルを貼られた挙げ句に危ない橋を渡る馬鹿にもなりたくない。


「そうです。そして、これこそが、この戦争の重心なのです」

 然りと、セルゲイは頷いた。


 それは決して軍事的ではなかった。けれど政治の要求と戦の合理、常に上位に来るのは政治でしかあり得ない。クラウゼヴィッツの有名な言葉を紐解くまでもなく、社畜であれば良く分かる。クライアントが無理を通せば、道理など吹っ飛び、不条理な仕様書にあわせた迷路のような結末に至るのだ。

 どうして雨を降らせる空に向かって、やめてくれと命じられようか。下々の者にとって、上の決定は天命に他ならない。


「なればこそ、既に申し上げた通り、プレオス修道院から敵が積極的に打って出ないと予測し得るのです。もう一度、失態を見せれば今度こそそれはピョートル皇子の声望にとって致命傷になりかねません」

「かといって、陣を引き払って逃げ出すわけにもいかない」若き伯爵は言う。「主導権を完全に失いかねん」


 ゴドノフ公爵に頼りすぎれば、勝利してもそれは皇子の勝利足り得ない。権力を握れずとなれば、戦う意味はない。

 たしかに勝つだけならば素早く合流をはかるべきだった。それをしなかった、あるいはできなかったのは、つまるところ皇子のあらゆる意味での力の不足。本来ならば帝都の掌握を以て、公爵の戦力と声望に互するはずだった。


「ひどい話だ。セリョージャ、貴方の功績がすべてをご破算にした」

「勿体なく」

 皇子は失敗した。けれどどうして、おめおめと引き下がれよう? 幼い少女に都を押さえられ、逃げ出す者に誰が従うものか。


「そして、公爵側からも動けない。帝の生死は不明。もう一人のイヴァン皇子の立ち位置も分からないとなれば、大義名分もなし、加えて帝都近在の正規軍の動き次第では全てを失うような賭博はあり得ない」

「だからこその政治の季節のはずでした」

 セルゲイの苦笑を、つい先ほどにやり込められたばかりの若者が満面の笑みで同意する。

「公爵は動かされた。殿下なればこそ、だ」

「はい。後援する貴族勢力は劣弱。それでいて強硬姿勢は偽りなし。誰であっても逆転の目があると見て取ることでしょう」


 摂政体制、共同統治、権力の分割を飲み込めば交渉材料は幾らでもあった。長い帝国の歴史で、帝が並立したことだってあったのだ。しかし、全ては過ぎ去り戻らない。

 セルゲイは付き合わされる身になって欲しいと切に願う。

「現に、未だ我々は正規軍の戦力化に成功していません。皇子との間で、おそらく何らかの新たな協約を取り結んだかと」


「しかしだ、セリョージャ。であればやはり、今のうちにピョートル皇子の軍を叩くべきではないか? これまではどうであれ既にゴドノフは合流を決意したのだろう?」

「そうです。皇子の軍は瓦解させねばなりません」セルゲイは頷いた。

 だが一点、付け加えねばならない。

「手段を問わず」と。


 そもそも要害に籠もる敵に向け、劣弱ないしは同等な戦力で命運を賭した決戦を挑むなど、それは勇気や果断ではなく、あらゆる原則に反した無謀でしかない。

 たしかに攻めるべきは退くに退けない皇子が居場所。破るべきは権威を示す皇子の軍。

 しかして見誤るなかれ。落とすべきは、その声望。


「軍事行動の帰結として、我々は常に戦闘を予期するべきです。ですが、それは必ずしも戦闘が生起することや、その戦闘が決定的であることを意味してはいないのです」


 にやりと笑って見せて、恐らくこの爺さんは、詐欺師の顔をしていたことでしょう。


********

コメンタリー


 愛称:二人は愛称で呼び合う関係性としました。ウラジーミル・ミハイロヴィチ・セミョーノフスキー君なのでヴォーヴァとしました。あわせてセルゲイもセリョージャとなります。もっとも、この小説は似非ロシア風味なので、厳密にやっていく気はありませんのであしからず。


 忖度:世界に誇れる日本の文化。これぞ神髄なるぞと遂には流行語大賞に御座います。外国語にできない絶妙なる機微に、そりゃボランティアも忖度したくなること請け合いです。何がおもてなしだよ、奴隷か? ムラ社会爆発しろ。


 前前前世:一億と二千年前から愛してるのと同じくらい怖いストーカーの恋の歌。まぁでも、宇宙と地上に引き裂かれてから十四年越しのハッピーエンドは、新劇での二十年待った二人目遂に救出成功以来の感動でした。次は元のタッグを再結成して、バッドエンドですね、分かります。Qと一緒。ほんと、雲とか秒速なんて、おじさんトラウマですよ。


 ベルティエ:言わずと知れたナポレオンの参謀長。ワーテルロー直前に自殺(推定)。やはりナポレオンはブラック上司だったようである。もっともこいつも権力を振りかざすブラック上司であったので、どっちもどっち。但し、参謀としての優秀さはナポレオンの折り紙付き。ワーテルローにおけるグルーシーの来援失敗の原因ではないかとも。グルーシーに対して伝令一人しか派遣しなかった当時の参謀長スールトと比較したナポレオン曰く「ベルティエなら一ダースの伝令を出した」


 戦争の重心:戦略を論ずる本で頻出する格好いい言葉の一つ。なんか頭が良い感じがする。クラウゼヴィッツは、敵を完全に打倒するには、敵にとって最も重要な部分、すなわち敵の重心に向かって全力を挙げて集中的に突撃してゆくことこそが肝要であるとした。

 その重心として、クラウゼヴィッツが挙げているのは、敵国で軍を重心を成すような場合には軍。敵国の首都が国家権力の中心地であるばかりでなく、政治的団体や党派の所在地である場合には首都。敵の最も主要な同盟者が敵よりも有力である場合には、この同盟者。諸国の同盟軍の場合は、同盟国間の利害関係。国民総武装の場合には指導者層などと具体例を挙げている。つまり、最も効果的な目標への全力で攻撃を主唱した。今回のケースでは諸国の同盟軍の場合を変容して設定している。戦争目的はパリ、作戦目標はフランス軍の言葉もここから派生する。


 政治の要求と戦の合理:戦争とは「ほかの手段をもってする政治の継続」であるとはクラウゼヴィッツの有名な言葉であるが、その順序を考えると、別の表現であるところの「政治こそ戦争を発生させる」の方がわかりやすい。

 なお、政治の継続とした場合、J.C.ワイリーが指摘したように、戦争を仕掛けられた側としては、それまでの外交政策(政治)の破綻であり、継続性はないように見受けられる。なお、理想的プロイセン軍人モルトケは、この目的としての政治的意図と手段としての戦争、という関係性を受け入れていないので面白い。

 あるいはビスマルクが悪いのか? ともかくもクラウゼヴィッツの誤用の責任はモルトケ以降のプロイセン参謀本部にも結構あるのでは?


 攻めるべきは:いろんな意見がある。ここではクラウゼヴィッツとモルトケ、ワイリーの考え方を採用している。つまり戦争目的とは敵を自分の意図した度合いで制御すること。戦争目標は敵の重心。作戦目標は敵軍隊が戦争目標の防衛に当たっている限りは、その軍隊。

 戦争目標と作戦目標が同一となるのは、攻撃側においては防衛側の軍が著しく動揺している時、あるいは問題にならないほどに薄弱であるとき。今回のケースでは、戦争目標と作戦目標は同一とはならない。


 軍事行動の帰結:リデルハートに代表される一般的なクラウゼヴィッツ批判として、軍事力の破壊が最重要であり、すべての行動はこの目標に向かって進められるという主張がやり玉に挙げられることが多い。戦争論の第四部の決まり文句だけを追うとドエラいことになる。実際問題として、戦争論終盤のクラウゼヴィッツはそこまでガチガチの決戦主義者ではなかったように思われる。ともかくもワイリー曰く「敵の軍隊をなんとしてでも戦闘で打ち負かさねばならない」という制約を自らにかけてしまうことになると(中略)幅広い選択肢を考えることさえ拒否してしまうことにつながりかねない、ので注意するべきポイントでしょう。


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