エピローグ
「へえ、左韻と洲那さんが名前ごと入れ替わっていたなんてね。しかも――左韻が女性で、メイド服を着ていたあの洲那さんが男性だったなんてまったく気が付かなかったよ」
後日。
僕は部室内で美玖から真相を教えてもらっていた。
韋宇の死体が吊るされていた部室はすっかりと綺麗になっており、まるでそこに韋宇がぶら下がっていたなどなかったかのような有様だった。まるで韋宇の痕跡が無かったかのように思えて……というのは、ひどく歪んだ解釈と鬱屈した思いだ。振り切ろう。
さて、話を戻すとしよう。
「でも思えば、左韻――ああ、僕達と接していた方をそう呼ぶよ、便宜的に――で、そのマンションが燃えた時『その方法があったか』って言っていたのは、洲那さんが自分がいた痕跡を消すためだったことに気が付いたからなんだね」
「そうね。あと、左韻が監視カメラがダミーだって知らなかったのも、元々住んでいなかったからだったって、今更ながら分かるわね」
「もしかして美玖はその時から左韻と洲那さんが入れ替わっていたことに気が付いていたのか?」
「……、……いいや」
含みを持たせたように間を置いてから、美玖は首を横に振る。
「その時は微塵も気が付いていなかったよ。あたしが気が付いたのは、左韻と面会して話を訊いたその時よ」
「そうなんだ」
でも左韻に話を訊きに行こうとした時点で、確証は持てないけれどある程度は推定していた訳だ。流石名探偵だ。
「しっかし、あたしも抜けていたわ」
その名探偵は椅子に深く腰掛けて嘆く。
「水車を用いたトリックなんて大それたものを使用する必要もなく、窓際にいた洲那さんが外にこっそりと結び付けていた糸を切るだけで、自由自在に落下させることが出来たのにさ」
「どうしても水車、って方に目が行っちゃうしね」
「というか、水車にピアノ線が結びついていた時点で発想がそっちにしか行かなかったからなあ……」
あとさ、と彼女は続ける。
「凶器とか森の中に警報があるのに引っ掛からなかったとか、そういう状況から犯人は二人に絞れていたのに、左韻が自白――結局はある意味自白だったけど――それをしたせいで、思考を止めちゃったことも反省点だわ」
「二人ってのは、洲那さんと笑美のこと?」
「そ。あの二人以外は準備すら不可能。まあ、事前に聞いていた、って線も有ったから断言はできなかったけど。後は夜中に水車側のコテージにいても違和感ない人、って言っていたけど――警報が鳴らないポイントを知っていれば隠れながら行けるから関係ないんだよね、あの時に笑美が言っていた絞り方は」
「うーん、そうだよね。……そういえば、左韻は洲那さんから事前に聞いていたのかな? 計画とかそういうの」
「多分聞いていなかったんじゃないか? まさか殺人犯の汚名を被せる、とは洲那さんから左韻に伝える訳がないし。……まあ、でも左韻の奴は嵌められることを気が付いた上で入れ替わりを受けたらしいけどね」
「何で?」
「一つは面白そうだから。もう一つは、刑務所の中を体験してみたかったからだそうだ。犯罪をせずに入る方法があったからやってみた、って。本人がそう言っていた」
「……ひどく呆れる理由だね」
「ま、結局公務執行妨害とかで罰は受けたみたいだけどね」
「それは自業自得だし、あいつのことだから上手くやりぬけたんだろうね……って、それもキャラ付けだったんだっけ」
「そう。『洲那庵』になった瞬間に、見た目変わらないのに立ち振る舞いや言動が一気に女らしくなった。あれは完全に別人に思えたわ……」
美玖が自分の身体を抱いて身震いをする。
僕も恐らくその場にいたら、恐らくは同じ気持ちになっただろう。
(……そういえば)
唐突に思い出す。
通り道、路地裏で襲われた際に言われた言葉。
『それじゃあ人生を入れ替えるのは無理だな。――まだ』
入れ替わる。
実際にやった人間がいたのだ。
(もしかすると、あれは左韻だったのだろうか……?)
僕を襲った人間。
今となっては誰だか分からない。
「そういえば左韻は今、どこにいるとか聞いている?」
「さあ? あれから連絡すら取れなくなったから」
真実の直後、左韻の連絡先に全く繋がらなくなった。
きっと僕達との繋がりも完全に切るつもりなのだろう。
僕達と接していたのは、あくまで『色乙女左韻』として、だ。
洲那庵としては知らない。
洲那庵である彼女は、僕達と知り合っていない。
「……っ」
唐突に怖気が走った。
「なあ美玖。あほみたいな質問していいか?」
「その前置きが凄い気になるけど……なに?」
「洲那庵って――本当に洲那庵か?」
「……どういうこと?」
眉間に皺を寄せる美玖に、僕は自分の思考を伝える。
「左韻を名乗っていた洲那庵。だけど、あれだけ性別も違う別のキャラクターを演じていたんだ。だから――その洲那庵ってのも誰かと入れ替わっているんじゃないのか?」
「……っ!」
美玖もようやく理解したようだ。
僕の伝えたいこと。
そして、あの少女の本当はどこにあるのか、という恐ろしさを。
「……それ以上は思考を止めよう、久羽」
美玖が大きく息を吐く。
「これ以上はただの推測で、推定で、予想で予測だ。これ以上は思考の海に嵌って、いらない想像に苦しむだけよ」
「……ああ。分かった」
納得はしていないが、了解した。
もう会うか分からない人間に対して思考を割くのは無駄だ。
悩むのは今、この場でいい。
そこまで悩む余裕は、僕にはないのだから。
「そういえばさ」
別の思考を向けるべく、敢えて言葉で話を逸らし、僕は美玖に問う。
「左韻が笑美に何か囁いていたけど、あれって――」
「うぬ。あれはこう言ってきたのだ。――『色乙女左韻はあなたの傍にずっといますよ』と」
部室の扉が唐突に開き、外からそんな声が聞こえて来た。
そこにいたのは、袖の短いTシャツにジーパンというラフな格好をした女性。
だが、その女性には見覚えがあった。
僕は目を丸くして思わず問うてしまう。
「笑美? なんでここにいるんだ?」
「このサークルに入るためだ」
杉中笑美は、飄々とした態度で笑い掛けてきた。
「なあ、美玖。そんな話聞いていたのか?」
「いいや、今初めてだわ……ちょっと整理が追いつかない……」
「他大学でもいいですよね? よろしくお願いいたします」
「ちょ、ちょっと待った!」
恐らくは入部届であろう紙切れを持ってぐいぐいと迫る笑美にストップを掛ける美玖。
「何でここが分かったの? というか何で入りたいの?」
「うぬ。一つ目の質問は、現代の探偵の調査能力は凄いですね、って言葉で、二つ目は、あの事件で解決する喜びを感じたので、探偵サークルに入りたいなと思ったからです、という言葉で説明が付きます。もっとも、あの事件の私の推理は間違っていましたけど」
「あー、うん。納得したわ」
美玖がタジタジになりながら頬を掻く。
やはり笑美は世間とは少しずれている所があるようだ。
しかしまだ混乱しているようなので、話題を強引に戻しておこう。
「それより、さっきの話を訊いてもいいかな?」
「うぬ。いいですよ、伊南殿」
笑美の身体が僕に向く。
「で、先の話とは?」
「左韻が笑美に囁き掛けてきた内容――『色乙女左韻はあなたの傍にずっといますよ』ってことについて」
「うぬ。最初は意味が判らなくて、いつでもお前を監視しているからな、って意味かと勘違いをしていましたが、よくよく考えた時、いつも傍にいたイオちゃんが色乙女左韻殿だ、と示唆したようにも思えたので、イオちゃんにあの後、訊ねたんですよ」
笑美は笑みを崩さずに告げる。
「『あなたは誰?』って」
「――」
「それを訊いたらイオちゃんは『ごめんなさい』とだけ言ってどこか行っちゃったんですよ。まさか死んじゃうとは思っていなかったんですけどね」
悲しいです、と少し目を伏せる笑美。
でも、これで分かった。
洲那庵――本名、色乙女左韻が自殺した理由。
それは笑美に全てがバレたのだと悟ったからだ、と。
そこに対して、同情も何も湧かない。
ご愁傷様だとも言えない。
言わない。
韋宇を殺害しておいて、何を被害者ぶっているのだ。
ざまあみろとは思わないが、憤りは感じる。
結局、自分勝手な奴だったな、と。
「――話変わるけどさ」
と、美玖が声を挟んでくる。
「こんな大学の探偵サークルに入るなんて、笑美の両親とか許してくれるのか?」
「うぬ、それは大丈夫ですよ。今の私、結構自由ですから」
笑美が胸を張る。
「こういうことが自由にできるようにするために、あの婚約者候補を選定する、ということをしたのですから」
「えっ……?」
僕と美玖の声が重なる。
「じゃああの婚約者候補の話って……」
「勿論、親に婚約者を勝手に選ばれないようにするためですよ。果ては誰かに無理矢理襲われかけて、そんな話はもういい、って親に言わせることが目的でしたから。だから日土殿を婚約者候補に入れたのですよ。あれだけ短絡的な人間がいれば、私に対してなんらか危害や被害を加えることが想定できましたから」
結果的にもっと大袈裟な話になってしまいましたけれどね、と笑美は苦笑する。
「だから私は最初から婚約者なんて選ぶつもりはありませんでしたよ。あの食堂でも、婚約者候補からは選びません、って宣言しようと思っていましたから。そこら辺の話についてはイオちゃんにも内緒にしていましたが」
――ぞっ、と体の芯を冷たいものが通り過ぎたような感覚が走った。
今まで、正直に分からなかった。
洲那庵――本名、色乙女左韻が犯行に及んだ理由。
先程の言葉を訂正しよう。
洲那庵は自分のことしか考えていなかったわけではない。
杉中笑美のことしか考えていなかった。
だから彼女の婚約者候補を殺害し。
婚約者を選ぶという親の思考を変え。
そして、全てがばれた際には絶望してこの世を去った。
自己勝手で。
そして――笑美勝手な奴だ。
そこにあった感情は何だろう?
恋?
愛?
友情?
……今となっては分からない。
だが。
「――そんなことよりも、私が入部していいかどうか、判断をお願いします」
無邪気な表情で美玖に懇願している様子の彼女の中には『イオちゃん』は既に消え失せていた。
それはとても虚しいことだが、死んでいる彼には分からないだろう。
だからある意味幸せだ。
彼は彼女の心の中で生きていると思っている。
思いながら死んだだろう。
でもいない。
死んだら死んだままなのだ。思い出の中に生きることなんてできない。
(……ああ、そういえばいつか言ったっけ)
生きている。
だから満足している。
(まさに今の状況だ)
僕は生きている。
結局、のうのうと生きている。
殺された人がいた。
自殺した人がいた。
名前を殺した人もいた。
いろんな殺され方をされた人がいた。
だけど、僕は生きている。
何も殺されずに生きている。
それはやはり幸せなことなのだ。
そう再認識した所で、
「あー、もう。入部していいから落ち着きなさい」
「本当ですか? わーい。ありがとうございます先輩!」
「同い年じゃない」
「でも探偵歴はそちらの方が上じゃないですか」
「……どこまで調べたのよ?」
「うぬ。それは秘密、ということで」
「ぐ……色々とやりづらいぞ、これ」
「入るのはいいけど、サークルの名前どうするんだよ?」
微笑ましい? やり取りをしている二人の日常の中に入っていくことにした。
色々なことは忘れない。
忘れないが、常時覚えてもいない。
過去にいた人は生きていない。
僕は今、生きている。
今だけで精一杯なのだ。
だから、さよなら、も、ありがとう、も言えない。
言えることはたった一つ。
機会があったら、また会おう。
KATID ~孤独なクウと名探偵な彼女~ 狼狽 騒 @urotasawage
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