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 生き物や植物を見るとき、生命力というものを感じるときがある。枯れかけたカモミールが、美しい新芽を出して復活していた。私の心に命の力を与えてくれる。


 四十歳の誕生日に慧くんが連れて行ってくれるまで、みなとみらいにはずっと行っていなかった。瑠夏の父親の実と居たときはたまに行っていた。実の地元は、横浜の元町だ。みのるの父親は、商店街の日本料理店の板前だった。母親は、実が中学生、三歳下の妹が小学生の頃から、別の男の人と一緒に東京に居た。実と妹は、元町のお婆さんたち、父親の両親に育てられた。今は元町に住んでいるかもしれない実と擦れ違うのが怖かった。元町から近いみなとみらい。実が好きだったコスモワールド。出会ったら刺されそうな気がした。実が刃物を持ち歩いている訳がないのに。

 祝日の水曜日に営業したAnuenueは、次の日のクリスマスイブに振替え休日を取った。三人で中華街に行こうと慧くんが言った。

「うまい小籠包を食わせてやるよ」

 中華街は首都高を挟んで元町の隣だ。


 クリスマスイブ。瑠夏へのプレゼントを選びにクイーンズスクエアのディズニーストアとビビティックス、ワールドポーターズの雑貨屋を見に行った。赤レンガとコレットマーレで私もプレゼントをもらった。サンタは本当にいて。今日瑠夏が眠ると、由比ガ浜のアンティークショップで見つけたピーターラビットのオルゴールが枕元に届く。今日は慧くんの家に泊まるので、サンタがどっちに来るのか瑠夏は心配していた。そして中華街の近くのコインパーキングにバンが入った。空は晴れていた。湘くんと一度だけ一緒に中華街に来たことがある。あの時と同じ、東門が見えるパーキングだった。

 去年の大晦日から三日間、瑠夏を連れて母と妹が暮らす大船のマンションに泊まった。離婚は決まっていたのに、律儀というか湘くんは軽バンで大船まで送ってくれた。葉山に来る前に住んでいた、朱里たちと同じ栄区の団地の近く。朱里ファミリーと年明けを過ごした。そして湘くんは、年が明けた三日に帰る時も迎えに来てくれた。横浜横須賀道路に乗った湘くんは葉山と反対の車線に軽バンを進めた。

『中華街でも行く?』

 車のオーディオから「やり直そう」というリリックが流れて体温が上がった。

『これ誰の曲?』

『知らない』

 あの時も晴れていた。首都高に入った湘くんは、新山下インターを降りた。山下公園。中華街が近付いた。『パパ、』と話しかける瑠夏にも、そのときの湘くんは優しく応えてくれた。車の中も気持ちも暖かった。何故か、湘くんと離れずに居れるのかもしれないと思えた。私は。必死に祈っていた。この車内の瞬間が永遠であるように、と。必ず車は止まり、降りることを知りながら。

 慧くんと降りたコインパーキングのアスファルトの上に猫がいた。瑠夏が近付いてボロボロの猫を撫でた。目脂めやにだらけの猫を見て病院に連れて行きたかった。私はあの時の晴れた空と雲を思い出す。湘くんと歩いたのと同じ道。心臓は温まるだけで、何にも覆われなかった。空の雲の隙間。カイの漆黒の体が泳いで行くように錯覚した。

「栗をもらうなよ」

「はーい」

 中華街東門を臨むと、ガルウィングを片側ずつ挙げた信号待ちのフェラーリの集団が、ドアをゆっくり閉じながら発車するところだった。門をくぐるとすぐに、甘栗を手渡そうとする中華女性がいる。みのるが受け取るなと言ったから一度も受け取ったことはないけれど、受け取るとどうなるんだろう。ある後悔があって、その時点に戻れるとしても、私は同じ選択を繰り返すだろう。何度でも。瑠夏に出逢い、慧くんに出逢うために。

 慧くんのお薦めの小籠包は、中華街では食べ歩きしかしたことが無い私にとって衝撃の味だった。二階席から見る中華街は薄闇と電飾を増し、美しく輝いた。グリーンゴールドのプルメリアも私たちの左手で輝いていた。Mau Loa、マウ ロア。永遠に、という意味のハワイ語。この「時」は訪れ、過ぎ去っても二度と消えない。永遠を祈って私は少しずつ少しずつ歩く。holoholo、ホロホロ。散歩という意味のハワイ語。たまに私は海に行く。水平線を探す。水平線の右端には江の島、左端は長者ヶ崎。虹が架かる砂浜をゆっくりぶらぶら歩いていくように。波が決して止まらないように。私も決して止まらない。

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