第26話 誓い

 誕生日当日————


『少し遅くなるけど、九時半頃迎えに行くから、夕飯食わずに待ってて』


 琉香さんからのメールに心躍る。予定通り、九時半に迎えに来た彼は、

「腹減っただろ。飯食いに行くぞ」

 とそのまま踵を返した。


「琉香さん、家でもいいよ。また騒ぎになったら困るし。何か出前取ろうよ」


 そう言うと、彼はチラッと私を見て、

「いいから。ついてこい」

 と、再び歩き出した。


「どこ行くの?」

「妄想女の行きたそうなところ」


 あ。もしかして夜景の綺麗なレストランかな。なんて、ウキウキする私。

 予想通り、高層ビルの駐車場に車を止めた琉香さんは、エレベータで最上階へと向かった。


「ちょっと、目閉じて」


 なんだかサプライズな香りがして、私の期待は最高潮に。こんなにハードルあげて、大丈夫か琉香さん?


 なんて浮かれていたけれど、一瞬、頭の中を赤い首輪が横切った。


 いや、待てよ。琉香さんのことだ。ここまで期待させたのには何か裏があるのでは?

 まさか、期待させるだけさせて、最後に私を突き落とす気じゃ……。


 高校の頃の苦い思い出が蘇って、警戒音が鳴り出した。メッセージカードに胸を膨らませ、プレゼントの包みを開けた私を、琉香さんはお腹抱えて笑っていたっけ。

 先ほど感じたサプライズからは、今や裏切りの香りがプンプンと……。


「いいよ。目開けて」


 言われて、彼の企みに身構えながら、怖々目を開くと……。


 そこはまるで水中にいるような青い世界が広がっていた。


「すごい……」


 その言葉しか出てこない。

 天上から壁一面に広がった水槽。まるで水族館のように色とりどりの魚が泳いでいる。間接照明に照らされて、青い光がゆらゆら揺れて……。

 しかも反対側の窓ガラスには一面に美しい夜景が広がっているじゃないか。

 空中にいるような海の底にいるような……。不思議な感覚。幻想的ですごく素敵。


「さぁ、行くぞ」


 彼に連れられ、真ん中のテーブルについたところで、私はあることに気が付いた。


「もしかして、貸し切りにしたの?!」

「これなら、二人でゆっくりできるだろ」


 自慢げにニヤッと笑う琉香さんに、私は感嘆のため息を漏らした。

 水槽と夜景に気を取られて気付くのが遅れた。私たち以外にお客さんは誰もいない。


 すごい……。

 すごい、すごい、すごい。


「満足したか? 妄想女」


 からかい気味に聞いてくる琉香さんに私は「妄想以上だよ」と大きくうなずいた。


「いらっしゃい、琉香」


 そこへ、スキンヘッドで耳にいくつものピアスをした厳つい男性が、姿からは想像できない鼻にかかった甘ったるい声で話しかけた。


「彼女が、琉香の心を射止めたラッキーガールね」


 そう言ってウィンクをひとつ。

 ゾワリ、としてしまったのは、許してほしい。


「ここのオーナーの樹里さん。貸し切りにしてほしいって我儘、聞いてくれたんだ」

「あ、ありがとうございます」


 琉香さんの言葉に慌ててお辞儀をすると、

「あの琉香が一生のお願いなんて頭下げるんだもん。断るわけにはいかないでしょ」

 と言って笑った。


「余計なこと言うなよ」


 途端、琉香さんが眉をしかめる。


「あら、照れちゃって。さすがに予約が入っていたから、閉店間際の遅い時間になっちゃったけど、この後は自由に使ってもらっていいから、ゆっくりしてね。お料理もシェフが腕によりを込めたスペシャルコースよ」


 不機嫌な顔をしている琉香さんの頭をよしよしと撫でながら、樹里さんはそう言って、店の奥へと戻って行った。

 きっと、こないだの水族館の件があった後に、このお店を予約してくれたのだろう。琉香さんの気遣いが嬉しい。


「ありがとう、琉香さん。でも、貸し切りなんて、お金かかったんじゃない?」

「いや、ちゃんと金は出すって言ったんだけど、樹里さんがいらないって。ああ見えて結構いい人なんだ」


 ああ見えてというところに苦笑いしてしまったけど。こんなに素敵な誕生日を迎えられたことに、樹里さんにも琉香さんにも大感謝。

 その後出て来たお料理も本当に美味しくて、瞬く夜景も、美しい魚が泳ぐ青い空間も、何もかもが素敵で、あっという間に時間は過ぎて行った。

 最後に、うさぎの形のチョコが乗ったケーキをいただいた後で、「少し、水槽を近くで見てきてもいい?」と、私は席を立った。

 後からやってきた琉香さんが、私の後ろに立つ。


「うさぎ。そのまま前向いていて。誕生日プレゼント、いろいろ考えたんだけどさぁ」

 となんだか楽しげな声。ん?


「やっぱり首輪っていうのはどう? 俺のペットだってことが分かる様に」


 そう言って、私の目の前に黒い皮の首輪をブランとぶら下げた。


「えっ! ここまでこんな演出しておいて、オチはそれ?」

「不満なの?」


 い、いや、まぁ、ここまでしてくれただけでも、ありがたいですけど。

 けど、なんなんですか、そのプレイ的なエロさは……。

 動揺する私にかまわず琉香さんは私の髪の毛を上げて、首輪をつけようとする。


「ちょ、ちょっと」

「前向いてろって……」


 有無を言わさず、私の首元にひんやりとした感触が。


 けれどそれは……。


 水槽のガラスに映った首元のきらめきに息を呑む。

 三日月のチャームに雫型のダイヤモンドが連なった可愛いネックレス。


「琉香さん……」

「お前は俺のペットだから、それずっとつけてろ」


 もう、なんなんだ、この完璧な演出は。


「……ペットって言わない約束でしょ……」


 涙が出そうになって、私はうつむく。


「文句でもあるわけ?」

「ない……。琉香さんのペットでいい」

「何それ、やばいんだけど」


 彼が後ろから私をギュッと抱きしめた。


「お前の事、押し倒しそう」


 琉香さんはそう言うと、私の腕を掴んで、突然、歩き出した。


「ど、どうしたの?」


 戸惑う私の前で、ニヤリと笑う。


「決まってんだろ。今日はスイート押さえてあるから」


 そう言って、人差し指でクルクルと首輪を回す彼の甘い視線に、心臓がドキンと飛び跳ねた。


◆◇◆


 ホテルに着いて、部屋のドアを閉めた途端、琉香さんは私を壁に押し付けるようにして、唇を重ねた。

 熱く口付けしたのち、すぐに手が服の中に伸びてきて……。


「あ……る、琉香さん。シャワー浴びたい」

「却下」

「な、なんか、前にもこういうやり取りした気が……」

「だったら、無駄な抵抗していないで、言うこと聞けよ、うさぎちゃん。俺のペットでいいんだったよな?」


 艶っぽくきらめく瞳が私を捕える。


「で、でも、せっかく、こんなきれいなホテルに泊まるのに、ちゃんとしてからしたいな……」

「一緒に入るならいいよ」

「それは無理!」


 慌てて首を振る私に、琉香さんが片眉をあげる。


「我儘なペットだな。ご主人様に逆らうなって言っているだろ」

「る、琉香さん……」


 後ずさりした私を彼は楽しげに見て、

「まぁ、いっか。お風呂は後の楽しみにとっておくとして、じゃぁ、出る時これ着てきて」

 と言いながら、自分の着ていた白いシャツを脱ぎだした。


 それを私に「はい」と渡す。


「こ、これ着て来るの?」

「そ。中には何もつけるなよ。で、眼鏡外して、ボタンは第二ボタンまで開けてきてね」


 細かい指示まで与えられて、言われた通り、お風呂に入った私は何も身に着けず、琉香さんの白いシャツをかぶった。


 え、エロイ……。

 これが男物のシャツ一枚という、裸でエプロンに次ぐ、噂のあれか。

 かがめばお尻が見えるギリギリラインの裾も、谷間が見え隠れする際どい胸元も。なんて計算されたエロさなんだ。


 恥ずかしくて、脱衣所から出ることができない。


「いつまで待たせるんだよ。早くしろよ」


 外から、琉香さんの苛立った声が聞こえてきた。


「こ、これ、ちょっと、恥ずかしいんですけど」

「何言ってんの? これからもっと恥ずかしいことするのに」


 そ、そうなんだけど……。


「早く、来いよ」


 ドア一枚隔てて、彼に甘く囁くように言われて、私は全身を羞恥に染めながら、ドアを開けた。琉香さんが絡みつくように見つめてくる。


「で、電気……」

「だから、ダメと言われると分かっていて、無駄な抵抗するな」

「だって……」

「もう黙れよ。その恰好……予想以上で、まじやばい」


 琉香さんはそう言って唇を重ねた。

 口付けしたまま、彼に抱き上げられ、ベッドに運ばれる。大きな体に覆いかぶさられて、鼓動の音が鼓膜に響くほどに打ち付けている。

 シャツのボタンを一つずつ外されて、壊れてしまいそうなくらい鳴り響いている心臓に耐え切れず、私は彼の胸を押し返した。


 そんな私に対して琉香さんは何も言わず、一旦、私から体を離して、上から静かに私を見てきた。

 きっと、ここにきてふざけんなと怒る気だろう。身構えた私の前で、彼は一瞬何か考えるような仕草をした後、ポケットに手を突っ込んだ。


「琉香……さん……?」

「俺のペットでいいんだったよな?」


 取り出したのは、さっきの黒い首輪で……。

 フルフルと首を振った私に対して、楽しそうに笑った琉香さんは、「言った言葉にはちゃんと責任取れよ」と、私の首にそれをはめた。


「すげぇ、エロイ」


 悩ましげに瞳を細められて、全身がカァッと燃えるように熱くなる。その視線から逃れようとした私の顔を覗き込んで、彼は悪戯っぽく笑った。


「ねぇ、うさぎ。うさぎは、琉香さんのペットですって言ってみて」


 熱く濡れた瞳で見据えながら、そんなことを言ってくる。


「やだ」

「言わないつもり?」


 首をかしげて、口端を上げる琉香さん。


「言わなきゃ、お仕置きだからな」


 ニヤリと笑ったまま、挑発的に私を見てくる。

 もう……。


「ほら、うさぎは?」

「……うさぎは……って、もうやだ」

「いいから続き」


 うぅ……こんな時まで、私をからかって……。

 非難の目で見ても、彼の鋭い瞳は言うまで許さないと告げている。

 諦め半分、私ははぁと特大のため息をついて、横を向いた。


「琉香さんのペット……です」

「いい子だ」


 まるで小動物を撫でるように、よしよしと私の額を撫でてきた彼に、全身が羞恥に包まれて、思わず彼を睨みつけた。


「琉香さんの意地悪」

「怒るなって」


 ふっと息を吐くようにして笑いながら、彼が首輪を外してくれる。


「可愛かったよ、うさぎちゃん」


 満足げに言った後、琉香さんは再び私に覆いかぶさり、唇を重ねた。

 その体の重さに心臓がドクリと音を立てて……。

 思わず体を強張らせた私に対し、優しく包み込むようなキスを一つ落とした彼は、そっと唇を離して私を見つめた。


「まだ怖いか?」


 突然、そんなことを聞く。


「怖いよな。初めてだし。こないだのこともあるし……」


 私の答えを聞く前に彼は小さなため息をついた後、「今日はやめておくか?」と聞いた。


 あぁ、首輪のくだりは、からかっただけじゃなくて、私の緊張をほぐそうとしたのか。

 ホントにもう……。

 いつも私のことを虐めてばかりのくせに、本当はこんなにも優しい。


「大丈夫……」


 いつの間にか、そう答えていた。本当はすごく怖かったけど、そんなに優しく見つめられたら、嫌だなんて言えない。


「琉香さんとなら大丈夫」


 しっかりと彼の目を見返してもう一度伝えると、琉香さんは切なげに眉を寄せた。


「なぁ、うさぎ。俺、お前のことを一生大切にすると誓うから」


 めったに見せない真摯な顔でつぶやいた彼の言葉。

 胸がいっぱいになって、言葉を返すこともできない。

 ただただうなずくと、

「好きだよ、莉兎」

 彼は甘く囁きながら、額にキスを落とした。


 そして————


「まだ早いって思うだろうけど……」


 私の左手を手に取り、なんだか苦笑いを浮かべた後、琉香さんは薬指にそっと口付けした。


「来年の誕生日には指輪やるつもりだから」


 彼の優しい瞳も、甘い声も、密着した私の胸に届く鼓動さえも、全てが愛しくて涙が出て来る。


 コクリとうなずくと、琉香さんは静かに微笑んで、そして、再び唇を重ねた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ファーストキス 水面 @minamo_asuka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ