第25話 初デート

「うさぎ、明日休みとれた。空けとけよ」


 突然、部屋に入って来た琉香さん。当然のごとく、こちらの予定は聞かない彼に苦笑い。


「来週から試験だから、週末は勉強しないとだよ。そうだ。琉香さん、休みなら勉強教えて」

「はぁ? ふざけんな。この俺様が数少ない休みを、なぜお前の家庭教師に費やさなければならない」

「えー、じゃぁ、いいよ。友達と遊んできて」


 言った途端、彼の瞳がすぅっと細められた。

 う……まずい。


「へぇ、俺の誘いを断わるつもりか?」

「だ、だって、大学への進学ができるか大事な試験だってこと、知っているでしょ!」

「あんなクソ試験、前日にやればすぐ通る」

「私は、琉香さんみたいに、やらなくたってデキる脳みそはないんだから、勉強しなくちゃダメだって」


 琉香さんを基準に言われたらたまったもんじゃない。

 ブンブン頭を振った私に、彼は肩をすくめた。


「普段からちゃんと勉強していないお前が悪い」

「琉香さんだって、勉強のべの字もしたことないくせに」

「天才は陰で努力するんだ」


 とか言って、教科書すら家に持って帰ってきたことないじゃないか。


「だったら、凡人の私は陰でも見えるところでも努力しないとだよ」


 そう言うと、いい加減しびれを切らしたのだろう、黙り込んだ琉香さんが腕を組んで横を向いた。

 うぅ、これはもう私が折れなければ、機嫌を損ねるパターンだ。

 琉香さんの休みが次いつ取れるのか分からないことはよく知っている。でも……。


「琉香さんと同じキャンパスに通いたいから……」


 最後に一言だけ抗ってみると、少しだけ驚いた顔をした琉香さんが、何とも言えない表情をした。


「大学なんて、仕事忙しくて、ほとんど行ってねーし」

「そうなんだけど……」

「ったく」


 その後、彼は小さくため息をついて、

「じゃぁ、午後からお前の勉強に付き合ってやる。その代わり、午前中は出かけて昼外で飯食うぞ」

 と言った。


 おぉ、珍しい。琉香さんが譲歩した。しかも勉強に付き合ってくれるなんて。


「ありがとう、琉香さん!」


 嬉々とする私に、彼はちっと舌打ちをひとつ。


「で、どこに行きたいんだよ」

「えっと、デ、デートだもんね。遊園地とか?」

「却下。休日になぜそんなハードスケジュールを強いられなきゃならない」


 自分で希望を聞いたくせに……。


「じゃぁ、水族館に行って、その後、カフェでランチするとか。ホントは、夜景の見えるレストランでお食事なんて憧れるけど、それはまた今度、時間があるときにだね」

「デートをしたこともない、モテない女が妄想してそうな王道プランだな」


 琉香さんは鼻で笑って肩をすくめた。


「もう、じゃぁいいよ。琉香さんが決めればいいじゃん」

「仕方ないから、お前の妄想に付き合ってやる」

「え? 本当に?」


 こうして、琉香さんとの初デート『水族館に行って、カフェランチ』が決まった。


◇◆◇


「ねぇ、琉香さん! イルカショー始まっちゃうよ!」


 サメが泳ぐ大きな水槽から離れようとしない彼に大声で呼びかけると、琉香さんは驚いた顔で振り返った。早歩きで私に近づき、「クソバカ。デカい声で名前を呼ぶな」と耳元で囁く。

 ハッとして周囲を見ると、沢山の人が琉香さんに視線を向けていた。


「やっぱり、あれ、琉香くんじゃない?」

「うそっ! 本当だ!」


 キャアァと悲鳴が上がる。

 一斉に、スマホを向けるお客さん。琉香さんの顔がみるみる不機嫌なものに変わっていった。


 あぁ、そうだ。今や、琉香さんは有名人なんだった。


 帽子を深くかぶり直して、その場を離れようとした琉香さんだったが、「握手してください」と沢山の女性に囲まれて、身動きがとれなくなった。あれよあれよと、イルカショー並に、人が集まってきて、気付けばすごい人だかり。


「る、琉香さーん」


 その中に入って行こうとしたけど、場内一杯に人が押し寄せて、私は押しつぶされて身動きもとれない。結局、警察まで出動する騒ぎになって、水族館にいることは不可能になった。


「クソバカが」


 揉みくちゃになりながら、ようやく車に辿り着くと、めちゃくちゃ機嫌の悪くなった琉香さんが、私を睨み付けた。


「ご、ごめん。うっかり」

「うっかりじゃねーよ。ったく、なにその眼鏡。コントみたいな顔しやがって」


 琉香さんが、片方のレンズにひびが入ってフレームが曲がった私の眼鏡に呆れた顔をする。


「さっき揉みくちゃにされた時、落として、踏んづけられちゃったんだよ」

「ほんと鈍くせーな、お前は」


 ため息交じりに彼は言うと、車のエンジンをかけた。


「どこ行くの?」

「眼鏡を買いに行くに決まってんだろ。その眼鏡で、街を歩く気? お前はいいけど、隣を歩かれる俺の気持ちも考えろ」

「この際、眼鏡やめてコンタクトレンズにしようかな」


 そう言ったら、琉香さんがチラッとこちらを向いた。


「やめておけ」

「なんで? まさか、ブスのくせにとか、今更、言い出す気じゃないよね?」

「虫よけ効果がなくなるから、ダメだ」


 眉をしかめてそんなことを言う。


「なにそれ?」

「お前のその牛乳瓶底レンズが繰り出す渦巻きには、蚊取り線香ばりの虫よけ効果があるんだ」

「は? 訳わかんないんですけど」

「いいから。言うとおりにしろ。眼鏡は俺が買ってやる」


 有無を言わさぬ琉香さんによって、二人のデートは水族館から眼鏡屋さんへと場所を変えた。


◇◆◇


「お久しぶりです。琉香さん。今日は新しいサングラスをお探しですか?」


 木のフレームの珍しい眼鏡をしたオシャレな店員さんが親しげに近寄って来る。代官山にある水色の壁が鮮やかな眼鏡屋さん。わざわざこんなところじゃなくたって、近所の眼鏡屋さんで十分なのに。


「あぁ、こいつの眼鏡、壊れたから」


 そう言って私を指さすと、片方のレンズにヒビが入って曲がった眼鏡をかけた私に、店員さんは一瞬吹き出しかけて、目を逸らした。

 今、絶対、心の中で爆笑しているな。

 私はそんな店員さんに気付かない振りをして眼鏡を選び出した。


「これどうかな?」

「いや。お前にはこれが似合う」


 渡された眼鏡は黒いフレームの丸メガネ。


「えー、これ? これ似合う人って、ハリーポッターかジョン=レノンだけなんじゃないの?」

「ここ数年、お洒落な女の子の間で流行っているんですよね。さすがファッションリーダーの琉香さんです。抜け感が出ていい感じになると思いますよ」


 店員さんがすかさずお勧めしてくる。なんだ、琉香さんのことだから、私をからかっているのかと思ったら違うんだ。

 木のフレームの眼鏡をオシャレにコーディネートする店員さんだ。ここはひとつ、信じてみるか。

 私はそう思って、その丸メガネをかけてみたのだけど……。


 いや、なんていうかもう、昭和初期感、満載なんですけど……。


 店員さん絶句後の、「えっと、なんていうか、もろハマっちゃいましたね」って、抜け感はどこ行った。

 琉香さんが隣でお腹抱えて笑っているし。


「もう、自分で選ぶよ。これどうかな?」


 私は琉香さんを無視して、別の眼鏡をつけてみた。


「凄くお似合いですよ」

「却下」

「なんでよ、似合うって言ってくれているのに」


 首を振る琉香さんに私は納得いかない。


「お前みたいなブスにそんなお洒落な眼鏡は必要ない」

「ブスって言わない約束でしょ!」

「俺が言ったんじゃない、彼の心を代弁したんだ」


 いきなり話を振られた店員さん。「えっ!?」と動揺している。


「もう、店員さん困っているじゃない!」

「何言っている。昭和の香りをプンプンさせやがって」


 琉香さんの言葉に店員さんがビクリと肩を震わせた。


「ぶっ。あ、あの。じゃぁ、こちらなんかいかがですか?」

「今、笑いましたよね? 確実に昭和初期の女って思っていますよね?」

「い、いえ、そんな。ほら、このボストン型なんていかがでしょうか? ラウンド型より使い勝手もよくて、だけど甘い感じに仕上がるので、お勧めですよ。眼鏡女子ファンにはたまらない、萌えタイプです」


 ボストンだかラウンドだか、よく分からないけど、とりあえず萌えタイプに反応した私は、「じゃぁ、それで」と手に取った。

 途端、「却下」と琉香さん。


「お前はこれにしろ。そしてレンズは薄くするな。分厚い渦巻きレンズのままでいい」


 なんだかんだあって、結局、前とほとんど同じタイプの眼鏡になった。


◇◆◇


「ありがとう。琉香さん」


 眼鏡屋さんから出たところで、代金を支払ってくれた琉香さんにお礼する。


「あぁ」

「よくよく考えたら、琉香さんから何かプレゼントしてもらうなんて初めてだね」

「いや、誕生日に一回くらいは何かやったはずだ」 


 言われて過去を遡ってみるが、思い当たるものがない。


「えー、もらったことないよ」

「あげたよ。多分」


「それってさぁ、『お前に早くあげたくて、待ちきれず昨日買ったせいで溶けちゃった』ってアイスの棒を渡された時のこと? 絶対自分で食べちゃったくせに」

「それは小学生の頃のかわいいジョークだろうが。高校の頃、オシャレなの買ってやっただろ」

「それ、首輪でしょ。『Dearうさぎ。お前に似合うと思うよ』なんて、わざわざメッセージカードまで添えて。一瞬喜んだだけに、その後の打ちのめされ感ったらなかったからね」

「シャレの分からない女だな」


 肩をすくめる琉香さんにため息が漏れる。


「もういいです。もうすぐ誕生日だから、これ、誕生日プレゼントってことにするね」

「誕生日はちゃんとしたもの買ってやるよ。それは、今日のお詫びだから」

「え?! べ、別に琉香さんが悪いわけじゃないからいいよお詫びなんて」


 なんだか優しいことを言われると、何か裏があるのではないかと、体が勝手に身構えてしまう。けれど、琉香さんは本当にそう思ってくれていたみたいで、小さくため息をついた。


「……好きな場所にも、ろくに連れて行ってやれねーし」


 つぶやくように言った言葉に、胸がキュンとした。


「仕方ないよ。好きになった人が有名モデルだったんだもん。琉香さんと一緒なら、どこにいたって嬉しいから、私、大丈夫だよ」


 そう言うと、琉香さんは一瞬動きを止めて、パッと目を逸らした。


「あたりめーだ。俺様といるんだ、砂漠の真ん中にいたって、感謝しろ」


 あ。照れてる。


 ふふと思わず笑みがこぼれてしまって、

「うるせぇ。何笑っている。丸メガネに交換するぞ。昭和初期」

 琉香さんが機嫌悪そうに、私の頭をクシャクシャとかき回した。


◇◆◇


「だーかーらー、どうして、こんな簡単な問題が分からないわけ?」

「だって、琉香さんとは脳の構造が違うんだから、もっと分かりやすく教えてよ」

「あー、もう無理。苛々して、見ていられない」


 琉香さんがシャーペンを投げ出して、はぁとため息をついた。


「少し、休憩しよーぜ」

「うん。じゃぁ、コーヒーでも入れて来るよ」

「いいよ。コーヒーは」


 立ち上がった私の腕を引いて、琉香さんがぐいと引き寄せた。バランスを崩して、彼の胸に倒れ込んだ私をギュッと抱きしめる。


「いつまで待たせるわけ?」


 耳元で囁く甘い声。

 私を捕える熱い瞳。


 ゆっくり重ねられた唇に、心臓がぎゅぅっと掴まれたように苦しくなった。


 琉香……さん……。 


 彼に与えられる甘いキスに、体が熱くなって、頭の芯がボーっとなって。

 気付けば吐息を漏らしていた。


「うさぎ……」


 唇を離した琉香さんが、じっと私の瞳を見つめる。その熱い視線の意味を受け取って、思わずうつむいた。


 琉香さんとちゃんとお付き合いを初めてから、もう一ヶ月……。仕事で忙しくてなかなか会えないというのもあるけど、多分、私に気を使って、彼はずっと我慢してくれている。

 だけど、そろそろ限界なんだろうなって、それは時々感じていた。


 そう思いながらも、

「……べ、勉強しないと……」

 なんてバレバレの言い訳をした私に、琉香さんは再びため息をついた。


「分かったよ。今日はキスだけで我慢する。その代わり、誕生日は土日とも開けとけよ」


 私の誕生日は再来週の土曜日。


「お休み、とれるの?」

「土曜の夕方まではどうしても外せない仕事があって無理なんだけど、夜と翌日は空けてもらったから……」


 そう言って、艶めかしく私を見つめた琉香さんは、最後に「覚悟しとけ」と付け加えた。

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