第24話 ファーストキス

「謝ったんだよ、俺は……。瑠偉の振りして……」


 彼の言葉をすぐには理解できない。


「え……ええっ?!」


 瑠偉兄の振りって。じゃぁ、じゃぁ、じゃぁ、私のファーストキスは……。

 驚きでそれ以上声を出せない私の前で、琉香さんが肩をすくめる。


「残念ながら、あれは瑠偉じゃなくて俺」


 ファーストキスの相手は、琉香さん……。


『ひとつだけ、僕は莉兎に内緒にしていたことがあるんだ』

『だけど、悔しいからそれは教えてあげない』


  悪戯っぽく、それでいて少しだけ切なげな笑みを見せた瑠偉兄。


『最初から、お前は琉香のことが好きだったんだ』


 彼の言葉の本当の意味が、ようやく分かった。



 私は最初から琉香さんに恋していたんだ。



「お前、ダンスパーティーの夜、その時の事を大切なファーストキスの思い出だって言ってくれただろ? 俺、すごく嬉しくて、教会の鐘を聞きながら、お前のことを永遠に守ろうって誓った」


 彼は私の瞳を見てそうつぶやいた。


「まぁ、お前は俺じゃなくて、瑠偉だと思っていたから、大切にしていたんだろうけど」

「そんなの……」

「何、泣いてんだよ……」


 琉香さんが動揺したように私のことを見つめる。


「ずっと、意地悪なことしてきたくせに」

「しょうがないだろ。俺にだっていろいろ事情があったんだ」

「私の事、ブスとかペットとか酷いことばかり」

「だから、それは……愛情の裏返しってやつで、悪気があったわけじゃないし。まぁ、いつの間にか癖になって、楽しんでいた感はあるけどな」


 悪びれた様子もなく琉香さんは笑った。


「楽しんでいた感はあるけどな、じゃないよ! もう!」

「だから、悪かったって。これからは言わないから……多分」


 謝り方から全然誠実さを感じない琉香さんに、ふつふつと怒りが込み上げて来た。


「もう! 多分って、なんなの!? 私はずっと傷ついてきたんだからね!」

「何だよ、面倒くせーな。ちゃんと謝ったんだからいいだろ」


 あれのどこがちゃんとなんだよ……。


「何だよ、その顔」

「琉香さんが私のことを好きだったなんて到底思えない」

「はぁ? てめぇ、この俺が告ってやったってのに、ふざけんな」

「もういいです」


 じと顔で黙り込んだ私に対し、琉香さんは大きなため息をついた。

 頬杖をついて、私のことをふて腐れた顔で見つめる。しばらく、迷うようなそぶりを見せた後、彼は口を開いた。


「うさぎはさ……凄く可愛いし、お前が俺を知る前から、俺はお前に惚れてた」


 機嫌悪そうに、ため息交じりに……。

 だけど、琉香さんはちゃんと言ってくれた。


「俺は……莉兎の事、どうしようもないくらい、好きだよ」

「琉香さん……」


 ジワリと涙ぐんだ私の頭をコツンと叩く。


「これで満足? ったく」


 最後に舌打ちまでつけて、だけど、照れて目を逸らす琉香さんがすごく嬉しくて、

「私も、琉香さんの事が好き、大好き」

 私はそう言って彼にギュッと抱き付いた。

 

「莉兎……」


 琉香さんは少し驚いた声を出して、それから、突然、私をベッドに押し倒した。

 唇を重ねた彼が、すぐに、シャツの中に手を忍び込ませてきたので、そのあまりに性急な展開に心の準備が追い付かない。焦った私は、体を捩って、

「パ、パパとママに承諾を得なくていいの?!」

 と咄嗟に声を上げた。


「……なんで、今更そんなこと言うんだよ」


 一瞬動きを止めて体を起こした琉香さんは、心底嫌そうな顔をして舌打ちをついた。


「だって……」


 瑠偉兄はパパとママの承諾を得てからだと言って手は出さなかったけど……。とは、さすがに言えない。


「あ。お前、今、俺と瑠偉を比べただろ」

「え?!」

「へぇ、ここに来て、あいつと比べるとはいい度胸だな」


 動揺する私の反応に目を細める琉香さん。


「そ、そういう訳じゃ……」

「どうせあいつは、ちゃんと親に認めてもらってからとか言って、手を出さなかったんだろ」


 ため息交じりに言って、苦味つぶした顔をした。


「まじ、ムカつく。あー、ほんっと、瑠偉って、なんでそうなんだよ。あいつの前に立つと自分が情けなくて堪らなくなる」


 そう言いながら吐息を一つ落とした後、琉香さんは私を静かに見つめた。


「小学の頃からの片思いだぞ? いい加減、思いを遂げさせてくれよ」

「片思いじゃ……ないでしょ」

「え?」

「だって、ファーストキスの相手は私の初恋の人だから……」


 そう言うと、彼は動きを止めて、それから、「ったく」とつぶやいた。


「じゃぁ、もう一度、ファーストキスをやり直させて。今度はちゃんと俺として」


 そう囁いて、琉香さんは私のことを見つめた。ゆっくりと、唇を重ねる。


 本当は、最初から両想いだったんだね……。


 ようやく想いが通じ合った私たちは、その日、回り道した長い時間を取り戻すように、何度も口付けを交わした。


◆◇◆


 正月——

 日本に帰って来た両親の前で、琉香さんが土下座をした。


「ごめん。そういうわけだから、俺、こいつと正式に付き合いたい」


 私達が恋愛関係にあることを正直に告白し、許しを得ようと床に頭をつけた琉香さんに対し、パパとママは呆気にとられたように彼を見た。


 何て言うだろう、パパは激怒するかもしれない。ママは泣くかもしれない。

 そんな心配でもう一週間前から眠ることも出来なかった私。緊張で脚が震えている。


「戸惑う気持ちは分かるけど、落ち着いて聞いてあげて」


 すかさずフォローを入れてくれる優しい瑠偉兄。すると、ママが静かにうなずいて、うつむいたパパの肩を抱いた。


「そう。莉兎は琉香を選んだの」


 穏やかに微笑む。


「怒ら……ないの? っていうか、なんでそんなに落ち着いているの?」

「だって、見え見えだったもの。瑠偉も琉香も、莉兎のことが可愛くて仕方ないって感じだったし」


 唖然とする私達兄妹の前で、ママは苦笑いを浮かべる。


「最初はどうしたものかって、悩んだけど。パパとママが、あなた達の恋愛の邪魔をする権利なんてないから、流れに任せようって、パパと決めたのよ」


 ママの言葉を聞いたパパは、ちょっとだけ不服そうに眉をしかめた。


「僕は流れに任せようとは言ってないぞ。瑠偉なら仕方ないと言っただけだ。だから、僕は莉兎を日本に置いていくのは嫌だったんだ。瑠偉、父さんはお前のことを信じて莉兎を託したって言うのに、なんで琉香に手を出させたんだ!」


 徐々に怒りを立ち昇らせてきたパパに対し、ママが諌めるようにポンポンと肩を叩く。


「だから、きっと琉香に持っていかれるよって言ったでしょ。瑠偉は優しすぎるのよ」

「いや。瑠偉だぞ。ただ優しいだけの男じゃないぞ。顔もよくて、頭もよくて、背も高くて、それかつ優しい男なんだぞ」

「莉兎みたいな箱入り娘は、瑠偉のようなパーフェクトな男より、琉香みたいにちょっと悪い要素が入った男に惹かれるんだって。女心が分かってないなぁ」

「うるさい! 莉兎、お前は見る目がないぞ。パパは悲しい」


 二人の会話を黙って聞いていた琉香さんが片眉を上げて、ピリピリとしたオーラを体中に滲ませている。

 うわ。まずい。これはまずい流れだ。


「なんだよ、それ、さっきから。父さん、俺に対する評価、酷過ぎだろ」

「当たり前だ、琉香! お前は何人もの女性を泣かせてきたくせに、可愛い莉兎にまで手を出すとは何事だ!」

「今はもう莉兎だけしか見てねーよ……こいつを泣かせたりなんか絶対にしないから」


 琉香さんがふて腐れた顔で言った。

 うわっ。今のは効いた。


 真っ赤になる私の前で、

「父さんは、そんな言葉信じないぞ!」

 と、なんだかパパはどんどん頑なになっていく。


 瑠偉兄が小さくため息をついた。


「父さん、琉香がたくさんの女性と付き合っていたのは、莉兎に対する気持ちを誤魔化そうとしていたからだよ」


 瑠偉兄の言葉に、パパは心底感心したようにうなずく。


「恋敵のフォローをするとは、本当にお前はデキた男だな。莉兎、いいのか? 考え直すなら今だぞ」


 そこへ、ママがパンパンと手を叩いて、その場を収めるように咳払いをした。


「はい、そこまで。お父さん、いい加減諦めて、京都に連れて行きなさい。あなたの負けは確定よ」


 ポンとパパの肩に手を置くママ。

 へ? 京都? 負けって、どういうこと?


「いや、まだ負けとは認めん! これから莉兎が心変わりするかもしれないだろ」


 パパがぷぅと子供のように頬をふくらます。


「な、なにそれ……まさか、私達で賭けしていたの?」

「そう。ママが琉香でパパが瑠偉に賭けていたの。あぁ、久しぶりの京都だわ。庭園が素敵な宿がいいわね」

「マ、ママ。僕は働いていないんだよ……」

「お小遣いから出せばいいじゃない」


 小躍りするママとしょんぼり肩を落とすパパを前に、私は言葉を失って呆然とする。琉香さんに至っては怒りを通り越したようで、舌打ちしたきり、黙ったままだ。

 そんな中、クスリと笑った瑠偉兄が、こう切り出した。


「母さん、京都はまだ待っていてくれるかな? 勝負はついていないから」


 にこやかな顔で突然そんなことを言い出した瑠偉兄。


「なんだよ、それ」

「僕は諦めるとは言っていないよ。まだ莉兎は十八だし、この先、僕を選ぶ可能性だって十分あるだろ?」

「はぁ?」


 苛立った様子で目を細める琉香さんに、瑠偉兄がニコリと笑って再び口を開く。


「もし、お前が莉兎を傷つけるようなことをしたら、遠慮なく彼女を奪うつもりだから。覚悟して」

「だったら問題ねーな。俺が莉兎を傷つけるようなことするわけないから」


 優しい笑顔を浮かべる瑠偉兄に対して、挑戦的に見据える琉香さん。

 二人の会話にドキドキと心臓が飛び跳ねる私。


「どうやら、勝負はこれからのようだな」


 三人の顔を見比べたパパがニヤと笑った。

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