第23話 不器用な優しさ

 すぐに熱くなった口付けは、脳を支配するように甘くとろける。

 琉香さんの手がもどかしそうに私の上着を脱がせた。


 急に恥ずかしくなった私は、

「あの、シャワー浴びたいな」

 とお願いした。


「ダメ。もう無理」


 琉香さんがそう言ってシャツのボタンに手をかける。


「じゃ、じゃぁ、電気消して」

「ダメ」

「る、琉香さん……」


 後ずさりした私を見て、彼はニヤリと笑った。


「さっき、ペットでもいいからってお前言ったよな? ご主人様に逆らうなよ」

「そ、それは……」

「それとも自分で脱ぐ?」


 有無を言わせぬように言って、黙ったまま、私のことを見つめる。

 恥ずかしくて顔が熱くなるのを感じながら、私は首を振った。


「早く、しろよ」


 熱に浮かされたような琉香さんの囁き声。


「でも……」


 いつの間にか、ジリジリと窓際まで下がっていて、背中にあたったガラスのひんやりとした感触に鳥肌が立った。


「琉香さん……ここじゃ、見られちゃうよ」

「全面、東京湾だから、誰にも見られないよ」

「で、でも恥ずかしい」

「だから、お前は俺のペットなんだろ? 言うこと聞けよ」


 躊躇する間もなく、再び唇を塞がれた。

 窓ガラスに私を押し付けて、責め立てるように繰り返す熱いキスは、それだけでクラクラしてしまう。体中に広がる甘い刺激でどうにかなってしまいそうだ。

 もう、脚に力が入らない……。


「……琉香、さ……ん」


 私は力が抜けて、ズルズルとその場にへたり込んでしまった。


 しばらく黙ったまま私を見下ろしていた琉香さんが、しゃがみこんで私の顔を覗き込んだ。


「ねぇ、お前、瑠偉に抱かれた?」


 息が切れて、頭がぼおっとしていた私は、ほおけたまま琉香さんを見つめ返した。


「ケイタが、お前の事、ずいぶん大人っぽくなったなって言ってた。俺も、事務所の前で会った時、そう思った。……瑠偉とは、どこまでしたの?」

「な、なにそれ……」


 急にそんなことを聞かれて、動揺して口ごもった私に、小さくため息をついた琉香さんは、

「まぁ、覚悟はしていたから、仕方ないけど」

 そう言って、私の体を脚で挟み込むように腰を下ろした。


「お前を突き放したのは自分だからさ。けど、やっぱりムカつくな」


 琉香さんは自分の前髪をクシャッとかき回して、もう一度ため息をつく。


「あの時、俺、自分のことが許せなくて……。うさぎは酷い目に遭って、心に傷を負っていたのに、俺はお前のことを理解しようともせず、ろくに話も聞いてやらなかっただろ? 俺じゃ、お前の事を幸せにできないって痛感した」


 琉香さんは私のことを苦しそうに見つめて、頬に手を触れた。


「だから、あえて突き放した。うさぎは俺より瑠偉といる方が幸せになれるって思ったから」


 それはとても不器用だけど、彼なりの優しさで……。

 初めて聞かされる彼の胸の内に、涙が出そうになった。


「俺、家を出た時、瑠偉に言われたんだ。お前が戻らないなら、もう遠慮はしないよって。だけど、瑠偉は俺と違って、ちゃんとお前のことを分かっていてさ。もう完敗だなって思っていたから、お前が瑠偉に抱かれても、仕方ないって諦めた」

「ねぇ、琉香さん。瑠偉兄とは……してないよ」


 そう伝えると琉香さんは、「まじかよ?」と、拍子抜けたような顔をして、つぶやいた。


「二人きりで、何ヶ月も暮らしていて? じゃぁ、お前、どこまで許したんだよ。さすがに、何もなかったなんてことないだろ。キス? 胸に触れた? それとも……」

「そ、それって、言う必要ある?」

「聞きたくねーけど、すげぇ気になるから、教えろ」

 

 言うまで逃さないと言わんばかりに彼がじっと見つめてくる。


「……あの……キスだけ」


 ちらりと琉香さんを見ると、彼は何とも言えない顔をして、唇を噛んだ。


「キスだけでよかったと思うべきか、唇を奪われて腹立たしいと思うべきか……」


 ブツブツと独り言のようにつぶやいた後、

「まぁ、いいや。俺は今日、それ以上の事をお前にするし」

 そう言って、形の良い唇に浮かべた小さな笑みと共に、射ぬくような瞳で私のことを見つめた。



 私を抱きかかえて、別の部屋に入って行った琉香さんは、そこにあるキングサイズのベッドにゆっくりと腰を下ろした。

 琉香さんに抱っこされた状態でベッドの上に座ることになって、なんだかすごく恥ずかしい。

 顔を合わせられなくてうつむきがちにしていると、琉香さんは、私の眼鏡をとって、顔を覗き込んだ。


「うさぎ、こっち向いて」

「や、やだよ……こんなに至近距離から、改めて顔見せるとか」

「なんでだよ」

「だって……ブスとか言うし……」


 琉香さんの視界から逃れるように胸に顔を押し付けると、彼はため息をついて、

「お前はさ、可愛いよ。本当に」

 そう言った。


 あまりに驚いて、思わず彼を見上げてしまう。


「嘘……だ。初めて会った瞬間からブスって言ったくせに」

「うさぎ……」


 再びため息をついた琉香さんは、「俺、本当はお前が妹になる前からお前のこと知っていたんだ」と突然切り出した。


「え……?」

「お前は気付いていなかっただろうけど。運動会の対抗リレーでさ。俺がごぼう抜きでゴールして。みんなが俺を羨望の眼差しで見る中、ひとりだけ俺を見ていない女がいたんだよ」


 苦味つぶした顔で、私の頬をムギュッとつねる。


「お前が、俺の事ガン無視で、目の前を横切って、リレー中に転んだ奴のところに駆けて行ってさ。まじ衝撃だったね、あれは」


 よく覚えていないけど、きっと、保健委員か何かをやっていた覚えがあるから、怪我した選手のもとに向かったのだろう。

 だけど、琉香さんは、さも私が悪いと言いたげな顔で、軽く私を睨んだ。


「敵チームの女ですら、みんな俺を称賛していたのにだぜ。ムカつく女だなと思って、それからお前の事見かけるたびに気になって、目で追うようになって……いつの間にか、好きになっていた」

「え?!」


 い、今、好きになっていたって……。

 琉香さんが私のことを?


「嘘……。だって、こんなブス嫌だって、琉香さん……が」

「仕方ないだろ。突然、妹になりましたなんて言われて。初恋の相手が妹なんて冗談じゃないって、動揺して、ふて腐れて、それで思わずあんなこと言った」

「う、そ……。そんなのって……」


 初恋の相手? あまりに衝撃的な告白で、うまく呑み込めない。


「まぁ、そういうこと」

「まぁ、そういうことって……。そのせいで私がどれだけ傷ついたと思っているの?!」


 ほんとは凄く嬉しかったのに、驚きと動揺と恥ずかしさといろんな感情が押し寄せて、混乱した私は思わず怒鳴ってしまった。


「だから、それは、すぐに謝っただろ」

「謝ってないよ! 琉香さん、一度も謝らなかったでしょ」

「だから……」


 琉香さんは何かを言いかけて、言いづらそうに言葉を呑んだ。


「だから、何?」

「謝ったんだよ、俺は……。瑠偉の振りして……」


 気まずそうに目を逸らして、彼はそうつぶやいた。

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