第22話 再会

 琉香さんのマンションはすごく高そうなところで、もちろん、エントランスはオートロック、それどころか、守衛さんまで立っていて、他の住民に紛れて中に入るようなことはできそうもなかった。

 とりあえず、エントランスの呼び出し口で、琉香さんの部屋番号を押してみたけど返答なし。続いて、携帯に電話をしてみたけれど、いつのまにか彼が番号を変えていたことに気付いて呆然とする。琉香さんの私に対する拒絶を深く感じ、心が折れそうになった。


「逃げちゃダメだってば」


 挫けそうになる心を奮い立たせて、私はフンと気合を入れた。


 もう、自分の気持ちをごまかしたりしない。

 この恋が終わるとしても、ちゃんと琉香さんにぶつかって、玉砕して終わりにしよう。

 自分に言い聞かせて、私は青山の事務所に向かった。


「ケイタさん」


 久しぶり会ったケイタさんは驚いたように目を大きくして、「うさちゃん。ずいぶん、印象が変わったね」と言った。


「そ、そうですか? 髪切ったからかな……」

「それだけじゃなくて……。一皮むけたって言うか、なんていうか、すごくいい表情になったよ」


 それは、自分に恋愛なんて遠い世界の話だと殻に閉じこもっていた私が、人を好きになったからだろうか。


「恋はどんな魔法より女性を素敵に変身させる」


 クスリと笑ってつぶやいたケイタさんは、

「琉香なら、五時からここで撮影だから、もう少ししたら来ると思うよ」

 と付け加えた。

 時計を見れば、あと十五分。もう少しで、琉香さんと会える。


「ありがとう。ケイタさん!」


 私は居ても立っても居られなくなって、建物の外に駆け出した。

 まだかなと辺りを見渡せば、私と同じようにキョロキョロと辺りを見回す若い女性が大勢いるではないか……。

 こ、これは、入り待ちというやつか? さすが人気モデル。


 そうこうしているうちに、黒のバンが停まって、中からサングラスをかけた琉香さんが降りて来た。心臓がキュッと縮こまって私は動くことができない。

 一瞬、琉香さんと目が合った気がした。

 けれどすぐに、キャァと女性の叫び声があがって、私は後ろから走って来た女性たちに押されて、その場で転んでしまった。


 しまった。出遅れた。っていうか、め、眼鏡、眼鏡。

 転んで吹き飛んだ眼鏡をキョロキョロと探していると、「あいっかわらず、どんくせーな」という呆れた声が聞こえて、眼鏡が差し出された。


「る、琉香さん……」


 涙が溢れそうになって、声が出せなくなる。


「なんか用? お前みたいなブスが妹とかマスコミに知れたらイメージダウンなんだけど。こんなところをウロチョロされたら迷惑だ」


 琉香さんの舌うち交じりの言葉に、挫けそうになるのを何とか堪えて、私は差し出された眼鏡を受け取った。


「じゃ、じゃあ、マンションの方で待っていてもいい?」


 一瞬黙った琉香さんが、目を逸らす。


「お前と違って、俺は暇じゃねーから、いつ帰れるか分からない。迷惑だから、帰れよ」


 琉香さんは冷たく言い放つと、そのまま事務所へと入って行ってしまった。


 周囲から、ヒソヒソという話し声が耳に届き、いつの間にか皆の視線を浴びていたことに気付いて赤面する私。


「何、あの子。琉香くんの妹なの?」

「えー、違うよー。だって全然似てないし。っていうか、あのメガネはないでしょ。ダサすぎ」


 い、痛い。痛すぎる……。

 君たち。聞こえているよ。しっかり、本人の耳に届いているよ。

 私は聞こえない振りをして、眼鏡をつけて、立ち上がった。


「でも、あの子が転んだ時、琉香くん、ものすごい勢いで駆け寄ったよね」

「じゃぁ、やっぱり妹なのかな?」


 お?

 その言葉は私に勇気をくれた。

 まだ少しだけでも、期待して、待っていてもいいのかな。


 私は再び琉香さんのマンションに戻って、エントランスで彼を待つことにした。だけどすぐに守衛さんに睨まれて、「ファンの方の出入りは禁止されているので」と追い出されてしまった。

「琉香さんの妹なんですぅ」とすがってみたけど、完全無視。


 まぁ、こういうファンが多いんだろうな……。

 仕方ないので、エントランスから少し離れた木のそばに身を隠すことにした。

 徐々に日が暮れて、秋も深まったこの季節は、一気に寒くなる。

 うぅ。寒いよぅ。お腹すいたよぅ。

 すっかり辺りは真っ暗になって、携帯を見ればすでに十時を回っているではないか。

 もう、四時間か。あぁ、やばい。トイレ行きたい……。先ほどから必死に考えないようにしていたが、もう限界近くなっている。


「仕方ない、今日は諦めて帰ろう」


 トボトボと道を歩き始めた時、低いエンジン音と共に、見慣れたシルバーのポルシェが敷地内に入って来た。


「琉香さん!」


 思わず車の前に飛び出す。


「クソバカ! 死ぬ気か?!」


 急ブレーキをかけて運転席から出て来た琉香さんに、「な、なんとなじられようと構わないから、トイレ貸して……」と私はすがった。


 ピクリと眉を上げて、私を見下ろした琉香さん。


「ほう。この人気モデルの俺様に、顔を合わせた途端、トイレを貸せと?」


 寒気がするほどの低い声。


「お、お願い、琉香さん……」


 涙声で懇願すると、琉香さんは苦み潰した顔で「車入れて来るから、先入ってろ」とキーカードを渡してくれた。


「ありがとう!」


 私は叫んで、エントランスへ走り出した。


「こら! 入っちゃいけないと言っただろ!」


 守衛さんがものすごい勢いで飛んできて、だけど、私もものすごく必死だったから、彼の顔の前にキーカードを突き付けて、「だから、妹です!」と、私は空いた扉に駆け込んだ。

 えーと、六〇五〇って、六十階?!

 ぐおっとくじけそうになる自分を叱咤して、エレベータのボタンを押す。

 六十階に降り立った時にはもう走れないくらいに切羽詰まっていて、モジモジと内股で歩きながら、私はようやく辿り着いた琉香さんの部屋に入って行った。


 ど、どこトイレ!

 並んだドアを片っ端から空けて、三つ目で見つけたトイレに、会いたかったよーと涙しながら、飛び込んだ。

 はぁ、間に合った。よかった。十八歳にもなって、お漏らしするところだった。

 爽快な気持ちに浸りながら、私はトイレから出て、洗面所で手を洗った。


 クルリと周囲を見渡す。

 しかし、一人暮らしのくせに広い家だな。もしかしたら、うちよりもでかいんじゃないの? 

 リビングに入ったら、全面、夜景の素敵な部屋で、もう感嘆の一言。

 人気モデルってすごいなぁ。


 ほぉと外を眺めていたら、

「ここに来ると言うことが、どういうことか、お前分かってんの?」

 とため息交じりの声が後ろから聞こえて、ビックリして私は振り返った。


 怖い顔で私を見据えている琉香さん。


「だって……」

「ただ、お茶しに来たじゃ、済まないけど。俺は瑠偉みたいに理性が働かないし、それでもいいのかって聞いてんの」

「……いいよ」


 そう答えると、琉香さんは息を呑んだように動きを止めた。


「何……言ってんだよ……いいわけ、ないだろ……」


 苦しげに眉を寄せる。


「いい。そのつもりで来たから」


 私はもう一度言って、彼の綺麗な瞳を見つめた。


「あの可愛いアイドルの子と比べたら、私なんか、月とすっぽんの差だって分かっているけど、私みたいなブスが一緒にいたら迷惑だって分かっているけど、それでも琉香さんのそばにいたい。ペットでもいいから、そばにいさせて……」


 自分じゃどうしようもないくらいに焦がれて、みっともないくらいにしがみついて、それくらい琉香さんが好きなのだと、私は改めて思い知る。


「うさぎ……」


 驚いた顔をした琉香さんは私のことをしばらく見つめて、それから深いため息をついた。


「お前……自分が何言ってるか、分かってんの?」

「月とゲテモノくらいの差って言えばよかった?」


 その言葉に彼は苦笑いして、私のことを見つめる。


「あれは、事務所が仕組んだやらせだよ」

「え?」

「社長の姪っ子で、お前のファンだから、一緒に食事して来いって言われて。あの時、初めて会ったばかりだし、あれ以来一度も会ってない。話題づくりに事務所がでっち上げただけ」


 嘘。そう……なんだ……。


「じゃぁ、事務所のスタッフさんが本命? 大きなリングのピアスしたショートカットの」

「あ? 千夏のこと? なんでそうなんだよ」

「でもこないだ彼女の部屋に泊まっていたし……」

「はぁ? 違うよ。あそこは、ライの家。あいつら付き合っているから、よく千夏も泊まりに来ているだけ」

「そう……なの……?」


 驚いて返す言葉を無くした私に、琉香さんはこう続けた。


「俺は、お前にキスして以来、他の女に触れたことはない」


 琉香……さん。

 ブワッと溢れた涙に、私は思わずうつむいた。

 そんな私に、琉香さんは歩み寄って、頭をくしゃくしゃっと撫でた。


「ずっと外で待っていたの?」

「あ、ううん。あの、ちょっと前に来たところ」

「お前ってホントに嘘が下手な。こんなに冷たくなって」


 私の手を包み込むように両手で握りしめる。


「じ、実は、守衛さんに、ストーカーだと思われたか……も」


 その言葉は途中で遮られた。

 息も吸えないほどきつく彼の胸に抱きしめられて、キュウッと心臓が縮こまる。


「バカだな……お前」


 そう言いながら、その声はすごく優しくて。


「琉香さんが、好きなの……。だから、離さないで」


 私は彼にしがみついた。


「クソバカ……もう離すわけないだろ」


 琉香さんはそう言って私にそっと唇を重ねた。

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