第21話 焦がれる心
美姫さんの件があってから、一ヶ月。
瑠偉兄は相変わらず優しかったけど、一つだけ変わったことがある。それは、私に触れなくなったことだ。以前のように、一定の距離を保ったまま、兄として接してくる。
そんな彼を遠くに感じて寂しさを覚える反面、これでよかったのだと安堵する自分がいた。
彼がGプロジェクトの活動に力を入れ始めたことも、私にその思いを強くさせていた。
今思えば、瑠偉兄の夢について、彼と話したことなんてなかった。きっと、美姫さんとは将来について語り合っていたのだろうと思うと、自分が瑠偉兄の隣にいる資格なんてなかったのだと、改めて感じていた。
こうして、私達の関係は元に戻り、二人の時間はそれぞれに流れ始めた。
「えー。じゃぁ、結局、琉香先輩も瑠偉先輩もどっちも手放しちゃったってこと? もったいねー」
額を手で押さえて、天を仰ぐようにしてみせた千歳さんに、苦笑いする。
「しょうがないよ。今回のことがなかったとしても、甘えているばかりじゃきっと、いつかダメになっていたと思う」
「バカだなぁ、うさぎは。女は愛されてなんぼなんだよ? 瑠偉先輩に甘えていたらよかったのに」
「でもね、今思うと、やっぱり瑠偉兄の彼女っていう立場は私の居場所じゃなかったんだなって、元の関係に戻って、そう思った。兄妹としてそばにいる方が落ち着くというか、しっくりくるというか」
千歳さんは私の顔を見て、ふーんとつぶやいた。
「あんなに素敵な人なのに、そういうもんなの?」
「八年も兄妹として育ってきたからね」
「でも、琉香先輩はそうじゃなかったんでしょ?」
彼女の言葉に私はドキリとした。
「それは……。琉香さんは最初からお兄さんって感じじゃなかったし」
「それって、異性として意識していたってこと?」
「ちっ、違うよ。ただ、お兄さんって言うより、クラスの虐めっ子みたいな感じだったってこと」
「でも兄として見ていなかったってことに変わりないよね? つまり、琉香先輩は、恋愛対象だったってことでしょ?」
まるで私の気持ちを探るように千歳さんが詰め寄ってくる。
「そ、そうかもしれないけど、でも、いずれにしても、もう過去のことだから」
慌てて手を振った私に、千歳さんは、
「いいの? それで」
と聞いた。
「いいも何も、私と琉香さんじゃ釣り合いとれないし」
「そうかな。ダンスパーティーの夜、二人の雰囲気すごく良かったけどな。あの時の琉香先輩、大切そうにうさぎを見ていてさ。なんかお似合いだなってちょっと悔しかった」
彼女の言葉は私を動揺させた。
厳かな鐘の音の中で、おでこに優しくキスをしてくれた琉香さん。
私を見つめる彼の瞳が、イルミネーションに反射してキラキラ輝いていて、夢の中にいるような気持ちにさせた。
「でも、彼はもう私のことなんて忘れちゃっているよ」
私はその思い出を心の奥に押し込んだ。
「そうかな。忘れようとしているのは、うさぎなんじゃないの?」
「それは……」
見抜かれた自分の気持ちに、思わずうつむく。
「もう一度、琉香先輩に会いに行ってみたら?」
「もう遅いよ」
あの時、彼を待つことができなかったのは、私の弱さだ。
自分に自信が持てなくて、自分の殻に閉じこもって……。
私は琉香さんの気持ちを確かめようともせず、彼への想いを封じ込めて逃げ出した。
そんな私が今更彼に会いに行ってなんになるだろう。
「もう過去のことだから……」
もう一度、私は自分に言い聞かせた。
◆◇◆
それから数日後、表面上は平穏に流れ始めた私の日常を、嘲笑するかのような出来事が起こった。
学校帰り、何気なく寄った本屋さんに並べられた週刊誌。
そこに大きく掲載された写真とその見出しに私は息を呑んだ。
『人気モデル 琉香 グラビアアイドル 雪名と深夜のデート』
背の高い彼の横で、小柄な可愛らしい女の子が嬉しそうに笑顔で彼を見上げている。
誰、これ。琉香さん、この人と付き合っているの?
ジリジリと妬ける胸。
自分の中で沸き上がった感情に、私は狼狽する。
なんで今更。
閉めたはずの彼との思い出が蓋をあけて、私を苛ませる。
気付けば、その雑誌を購入していた。
自分の部屋に入って、見ない方がいいという抑制も利かず、買ってきた雑誌を開いてしまう。雑誌の中には、お洒落なレストランで楽しそうに食事をする二人の写真がたくさん載っていた。
女性のはにかむ笑顔。そんな彼女を柔らかな表情で見ている琉香さん。
自分がこんなにも動揺している理由は分かっている。
それは、写真に写った女性が、これまで琉香さんが付き合っていた女性のタイプとは全く違うからだ。
純情さを醸し出す白いワンピース、伏し目がちに微笑む可憐な笑顔。
琉香さんは沢山の女性と付き合っていたけれど、ドライな関係を容認している大人の女性にしか手を出さなかった。
彼女には本気なのかもしれない……。
そう思ったら、苦しくて、ジリジリと胸が妬けて。
狂おしいほどに琉香さんを焦がれている。
私は堪らずに雑誌を引き裂いた。
二人の顔が見えなくなるほどにビリビリに破いて、気付けば息を切らして、無残に散った紙屑の中で、涙を落とす自分がいた。
「どうして、今更、涙が出るの……」
鏡に映った自分は、髪を振り乱して、涙で顔がグシャグシャになって、あまりに醜い。
美姫さんの声が聞こえた。
『自分じゃどうしようもないくらい相手に焦がれて、醜さを晒してしまうほどにその人が欲しくて。理性が利かず、泣いて喚いてみっともないくらいにしがみついて。それくらい彼のことが好きなんだから!』
あぁ、私、凝りもせず、まだ琉香さんのことが好きなんだ。
過去のものになったと思っていたのに、結局、何も変わらない。自分の気持ちを思い知らされて、私は大きな声を上げて泣いた。
本当に自分は愚かで、救いようがないバカだ。
もう、どうすることも出来ないのに。
私は再び彼との思い出に蓋を閉めようと試みたけれど、後から後から溢れて来る想いを止めることはもう不可能で。ただただ渇求する心に、耐え切れず涙を流した。
◇◆◇
翌日——
その日は土曜日で、学校が休みだった私は、昼近くまでベッドから出ていかなかった。
昨日受けたショックからまだ立ち直れていないと言うのはもちろんの事、一晩中泣いて、真っ赤に腫れ上がっている瞼を、瑠偉兄に晒すことはできなかったから。
「莉兎、まだ寝ているの?」
ドアの外から瑠偉兄の心配そうな声が聞こえて来た。
「うん。ちょっと、昨日DVD見ていたら、夜更かししちゃって。もうちょっと寝るね」
布団の中からそう言うと、しばらくの間があって、「入ってもいい?」と瑠偉兄が言った。
「ごめん。酷い格好しているから無理」
顔を合わせたくなくて慌てて答えると、瑠偉兄のため息が聞こえて来た。
「琉香の記事、見たの?」
なんでもお見通しの瑠偉兄が静かに聞いてくる。
彼には敵わない……。
黙り込んだ私に、「入るよ」と瑠偉兄は言ってドアを開けた。
咄嗟に布団を頭からかぶった私を見て、再びため息をついた瑠偉兄が、
「顔を見せて、莉兎」
と言った。
「史上最強にブサイクな顔をしていると思うので、それはできません」
「どんな顔していたって、莉兎はかわいい妹だから大丈夫だよ」
瑠偉兄……。
彼の優しさに敵うはずもなく、私はおずおずと布団から顔を出して起き上がった。
私の顔を見た瑠偉兄は優しく微笑んで、黙ったまま頭を撫でてくれた。
「感涙もののDVDを見過ぎただけだから」
そう言うと、
「莉兎がそういうことにしたいなら、それでもいいけど、だけど話してしまえば楽になるよ」
と返してくる。
「琉香が好き?」
直球な上に剛速球。
構える準備をする余裕もなくて、私の涙腺が再びブワッとゆるんだ。
慌ててうつむいて首を振る。
「琉香が恋しい?」
ハラハラと涙が零れ落ちているけど、それでも私はうつむいたまま首を振り続ける。
「じゃぁ、僕が教えてあげる。最初から、お前は琉香のことが好きだったんだ」
顔を上げると、瑠偉兄は優しく微笑んでいた。
「ごめんね。僕はお前を手放すことができなくて、ずっとその事実から目を逸らしていた」
そう言って、彼は一枚のメモを差し出した。
「琉香の家の住所。何かあった時のために、連絡先くらい教えておけって、聞いておいたんだ。莉兎、琉香に会っておいで」
「瑠偉兄……」
「さっきテレビで琉香が今回の報道を否定していたから心配ないよ」
「琉香さんにとっては、スキャンダルだもん。否定するよ」
「本当にその女性と付き合っているなら、琉香はそんなことを気にしたりしない。母さんのお腹の中から一緒にいた僕が言っているんだ。間違いないよ」
瑠偉兄が私を安心させるようにうなずく。
だけど、琉香さんの隣にいた女性があまりに素敵すぎて、私は勇気が持てず、黙ったままうつむいた。仮に二人が付き合っていなかったとしても、彼女は琉香さんを好きなのかもしれない。あの子だけじゃなくて、彼の周りには素敵な女性が他にもたくさんいる。きっと、私なんかが、太刀打ちできるはずがない。
「莉兎、また逃げるの?」
少しだけ厳しさを帯びた顔をした瑠偉兄が、真っすぐに私を見つめた。自分の弱さを見せつけられて、ギュッと心臓が収縮した。
「そんな顔しているくらいなら、琉香に会っておいで。お前が幸せになってくれなくちゃ、僕が振られた意味がないじゃないか」
「瑠偉兄……」
「ちゃんと自分の気持ちを伝えて、それでもダメだったら、またここに戻ってくればいい。僕はいつでもお前のことを待っているから」
どうして……。
どうして、瑠偉兄はこんなに優しいんだろう。
どうして、私はいつも彼に与えてもらうばかりなんだろう。
「瑠偉兄。ごめんね。いっぱいいっぱい瑠偉兄の優しさに甘えてばかりで、本当にごめんなさい」
「謝るのは僕の方だよ。僕はひとつだけ、莉兎に内緒にしていたことがあるんだ」
瑠偉兄はそう言って、しばらく無言になった後、その続きは言わないまま、立ち上がった。
「だけど、悔しいからそれは教えてあげない」
なんだか悪戯っぽく、それでいて少しだけ切なげな笑みを見せて、瑠偉兄は言った。
「さぁ、早く準備して行っておいで」
「……ありがとう、瑠偉兄」
彼の優しさに再び涙が溢れそうになるのを堪えながら、私は大きくうなずいた。
いつまでもウジウジしていたってしょうがない。自信がなくて、殻に閉じこもっていた自分から卒業しよう。
それで、琉香さんが受け入れてくれなかったとしても、それはその時だ。
ここで逃げたら、私のことを真剣に考えてくれている瑠偉兄に対して失礼だから。勇気をくれた彼に心から感謝して、私は琉香さんに真正面からぶつかることを決意した。
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