番外編 中学生

 中学二年生の秋、夏樹の目には赤色や橙色ではなく、紅葉が灰色に見えていた。

 そんなとき、夏樹が通う中学校では、二年生を対象に職場体験を実施していた。

 夏樹が選択した現場は、郵便局だった。

 そこで、夏樹は郵便物の仕分けをしながら、母親である牧村朱夏宛の手紙を探った。

 けれど朱夏宛の手紙は一通もなく、職場体験の三日間はあっという間に終わってしまった。

 社会の一歩を踏み出した夏樹の感想はただ一つ。

 なにかが違う。これだけだった。

 けれど、夏樹はとぼとぼと児童養護施設へ帰る途中、あるものを見付けた。

 それは掲示板に掲げられた指名手配のポスターだった。

 ふと、夏樹は目が留まった。

 「見付けた方は警察へ通報してください」という文章に。

 夏樹は、これだ! と思った。

 母親を探すには警察の力が必要だ、と思ったのだ。

 けれど夏樹は警察の仕事について、ほとんど知らなかった。

 十四歳の中学生では、仕方がないことではある。

 そこで、夏樹はある行動に移った。

 職場体験後に施設に帰るのではなく、ある場所に向かったのだ。


 「おい、ここは遊ぶところじゃないんだぞ!」

 夏樹が辿り着いたのは、児童養護施設より最寄りの交番だった。

 そこで、夏樹は単刀直入に「お仕事を教えてください」と言ったのだ。

 そして夏樹を一蹴したのが、新米警官の杉田という男性だった。

 「では、警察はどのようなお仕事をしているんですか? 教えてください」

 夏樹は食い下がらなかった。むしろ、杉田の服を握って攻め寄った。

 「そんなに知りたいのであれば、親御さんにでも訊けば良いだろう。俺は忙しいんだ!」

 事情を知らないとはいえ、杉田が咄嗟に出した言葉に、夏樹は心に痛みを感じた。

 静かに、夏樹の手が離れていく。

 「・・・・・・無理だよ。だって俺、施設に住んでいるし」

 すると、杉田はハッとした。

 「すまない。無神経なことを言ってしまった」

 そう言って、杉田は夏樹の頭を軽く撫でた。

 しばらく、夏樹は無言で彼の手を受け入れた。

 そして頭を上げた。

 「本当に、すまなく思っている?」

 「ああ、本当に、だ」

 上目遣いで夏樹は杉田の顔を見た。

 杉田は気の毒そうに頷いた。捨てられた子犬を見るような目だった。

 夏樹はその表情を見逃さず、パッと花が咲いたように作り笑いした。

 「じゃあさ、警察官にできること、教えてよ。母さんの代わりに」

 「・・・・・・おい、調子に乗るな、ガキ」

 杉田は憎まれ口を叩いたが、目は「嫌だ」とは語っていなかった。

 「教えてよ!」

 「ダメだ!」

 「じゃあ、いいよ! 帰って施設の先生に訊くから」

 「あ、おい!」

 夏樹は一目散に交番を去った。杉田が手を伸ばしたが、間に合わなかった。

 「ったく、最近のガキは」

 「若いって良いな」

 杉田と夏樹のやり取りを眺めていた交番の長、部長でもある吉野が呟いた。

 「部長! なにを呑気に仰っているのですか!」

 「まあまあ、杉田。良かったじゃないか、我々の仕事を教えても」

 「あのガキにですか?」

 「お前に似ているじゃないか。それに良い目をしている。警察官としての素質は十分にあると思うぞ。そうだ、ついでに受験勉強とか見てやったら良い。施設に住んでいるならば、私立の特待生枠に入ったほうが助かるだろう。高校も、大学も」

 「つまり、全部私に押し付ける気では?」

 「意外と馬が合うかもしれんぞ、ハハハ」

 吉野はゆっくりと茶を啜った。

 「今日も平和だなあ」

 この町にVIVIDが潜んでいるとも知らずに。


 翌日の放課後、夏樹は施設には帰らず、例の交番に向かった。

 夏樹はあらかじめ、施設の職員に「お巡りさんに家庭教師をしてもらう」と言って学校に行ったのだ。

 吉野の言葉が実現した、と言わんばかりに、杉田は開口し言葉を失った。

 さらに吉野は夏樹に進学の手順、つまり特待生としての入学、大学は法学部を選択するということを耳打ちした。

 「じゃあ、決まり! 今日からお巡りさんが家庭教師だ!」


 「へえ、お前頑張ったじゃん!」

 一年後の冬、夏樹は見事、第一志望校の特待生として合格した。

 一年間の受験勉強は大成功だということだ。

 その間、夏樹はずいぶんと背が伸びた。声も低くなった。

 けれど夏樹自身の成長を、本当は朱夏に真っ先に伝えたかった。

 「ま、お巡りさんで我慢するか。高校に行っても、大学受験があるし」

 「お前、恩人に向かってその言葉はないだろう」

 杉野は夏樹の頭をぺちんと叩いた。そのときは一年前とは違い、肘を上げなければ夏樹の頭には届かなかった。


 二年後、夏樹は高校二年生、十七歳になった。

 「お巡りさん! この前の全国模試、A判定だったよ!」

 学校の帰り、夏樹はいつも通り、飛び込むように交番へ入った。

 けれど、そこには杉田の姿はなかった。

 代わりに、夏樹が普段勉強で使っている机の上に菊を挿した花瓶が置かれていた。

 「あれ、吉野のおじさん? あの人、今日は非番?」

 影に包まれた吉野が机の上で両肘を立てていた。

 「・・・・・・ああ、夏樹君」

 吉野は立ち上がり、夏樹に歩み寄った。

 「君には、命を賭しても使命を成し遂げる勇気があるかね?」

 「どうしたの? 急に」

 夏樹はきょとんとした。

 「これを見なさい」

 吉野はある新聞の記事を見せた。

 夏樹は吉野に言われるまま、その文字を目で追った。

 「う・・・・・・そ・・・・・・」

 「嘘ではない」

 夏樹は吉野から渡された新聞を落としてしまった。

 記事によると、夏樹の家庭教師を務めていた杉野が、発砲事件に巻き込まれて殉職、つまり亡くなったということだった。

 彼の供養のため、机の上で菊の花を花瓶に挿していたのだ。

 夏樹は悲しみよりも先に、鳥肌が立っていた。

 勢いのある彼のことだ。犯人と勇敢に闘ったのだろう。そして彼の体が真っ赤な血で染まった。

 それが、夏樹の想像した杉田の最期だ。

 「どうなんだい、夏樹君。それでも警察官になる気はあるかね?」

 吉野の表情は険しかった。

 一人の市民としてではなく、夏樹を大人として見た質問だった。

 夏樹は十秒ほど黙り込んだ。けれど、吉野と夏樹は互いに目を逸らさなかった。

 夏樹は死について恐怖を感じている。このまま逃げたら、灰色の世界で気楽に生きることになるだろう。

 けれど、夏樹にはやるべきことがある。なんとしても。

 「なる! 俺は警察官になる!」

 再び世界の彩りを取り戻すために。

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VIVID 加藤ゆうき @Yuki-Kato

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