第246話 名実155 (367~369 吉村の怒り)

「なるほど。ところで大将が元々持ってた架空口座を、いざ使おうって考えになった時、それから足が付いたりして、危害が及んだり、(警察に)捕まったりする危険性については考えなかった? 特に佐田については、実際に殺されてたのはほぼ確定していた訳でしょ? 危険だと思わなかったのか?」

西田が改めて問う。確かに結果的に見れば、北網銀行経営陣と大島との因縁もあり、大島の圧力がたまたま及ばなかったものの、場合によっては脅迫者が誰か突き止められる危険性はあったかもしれない。


「そうかもしれねえが、他の方法で受け渡しをするのも似たようなもんだべ? 警察絡みなら、伊坂が事件に絡んでる以上まず通報されねえと思ったし、仮に通報されるとすれば、その時点でどっちにしても駄目だべ? だったら架空口座に振り込ませた方がまだいいんでねえかと思っただけだ」

「まあ確かにどの方法でも一長一短はあるか……」

妙に納得した西田ではあったが、

「しかし、それだけで終わるならまだしも、その後もずっと要求し続けたのはいただけないな。確かに金額的には早い段階から下げたとは言え……」

と、今更ながら無意味な苦言を呈した。


「正直それは言い訳出来ねえな……。簡単に金を引き出させたもんで、『親子揃って生活が苦しかったのは伊坂のせいだ』って恨みが、ドンドン湧いて来ちまったんだわ……。変な欲が出て来た。それにその金がありゃ、今まで通り安くお客さんに出し続けられるべや?」

「とにかくその罪滅ぼしとして、後々、月々の振込額から慈善団体へと半分ぐらい寄付し始めたってことか」

西田は視線を大将から外して、やりきれなさそうに言ったが、

「それで、伊坂が死んだ後も、息子の政光に要求したんだね?」

と続けた。

「ああ。親父が会社譲って息子が継ぐって話があったんで、慰謝料含めて十分に回収した上、さすがに息子に責を負わせるのはどうかと思ったが、一度悪事に手を染めたらそれに馴れ切ってちまってよ……。息子にも手紙書いて、『オヤジの責任をお前も取り続けろ』って指示したわ。今まで通り毎月15万振り込めってな……。そのうち大吉自体が死んだが、それでも続けろってな」

大将はそこまで言及すると、一度話を続けるのを躊躇ためらう様な仕草を見せた。しかし西田と吉村を交互に直視し、

「今思えば、鬼畜の所業だろうが、何となくそれぐらいの額なら許されるんじゃねえかって言う、変な感覚もあった……。それから数年経って、いよいよ2人が捜査してて、佐田の遺体が見つかって、あの本橋が殺したって報道された時にはさすがに考えたよ……。死んでたせいか、伊坂大吉の実名こそ出てねえが、あいつが関与していたことを匂わす様な報道までされたからな。その捜査の関係で俺のこともバレるかもしれねえと思ったんだわ……。でもどうせここで金振り込ませるのを止めたところで、既にやっちまったことが無くなる訳でもねえし、みんなには申し訳ねえが、捕まったらしょうがねえと……」

最後には大将はバツが悪そうに頭を掻いた。そして

「ただ俺と同じ様に、ガキの頃から恵まれねえ暮らししてる人達を助けたいって思いは嘘じゃなかったけどな……。まあ、それも言い訳と言われりゃその通りとしか……」

と、俯いたまま何とか言葉を紡いで、自分の思いを付け加えた。


「そんな正当化してまで、俺らは安く良いものを出してもらおうとは思ってなかったんだよ、大将! それは俺らだけじゃなく、他の常連客もそうだったと思う。大体、大将を犯罪者として扱わないといけない俺達の気持ち考えたら、その時点で止めといて欲しかったよ……。それなら既に時効で、今となっては道徳面で責めるだけで済んだんだから……」

吉村が淡々とした口調で伝えようとしたことは、こういう結末になってみれば本音としか言い様がないものの、知らなかったとは言え、湧泉のリーズナブルな値段に客が甘えていたのもまた事実だろう。

「そうかもしれねえが、みんなが喜んでくれる顔が嬉しくてよ」

大将がそう口にした瞬間、吉村は突然激昂した。


「何言ってんだよ! 人から脅し取った金で、安い値段維持されても嬉しくも何ともねえよ! 大将が寄付してあげた恵まれない人だってそうに決まってる! 大体そんなもんを言い訳にして、大将は自分の仕出かしたことの意味を本当に考えてるのか?」

横に居た西田も一瞬驚いたが、

「吉村、落ち着け」

と低く呻くような声でたしなめようとした。しかし吉村はそれに対して反論する。

「西田さん! 大将はわかってないんですよ! 自分のやったことの本当の悪辣さを! どっかで伊坂側に責任をなすりつけたり、『人の為』という言い訳があるから、完全に自分の罪として受け入れようとしてない。俺にはそれが悔しいんですよ! 大将の本来の人となりがわかってるから尚の事ですよ!」

かなり興奮していたせいか、普段の役職名である「課長補佐」ではなく、「西田さん」と呼んだことすら気付いていない様だったが、吉村の言っていることは紛れもなく正論ではあった。


 吉村は基本的に表面上は軽く見えるところがあるが、それでいて正義感という意味では、案外根本的に強い部分があると西田は時折感じていた。


 95年の年末、北見方面本部の大友刑事部長から、一連の捜査への関与が完全に閉ざされることを告げられた時、西田以上に息巻いていたのは吉村だった。異を唱えなかった西田に失望し、機嫌が悪くなっていたのだ。


 そして先日、大阪から帰札した竹下と3人で話していた時も、内輪の論理で殺人まで突っ走った本橋や東館についても、どこかで「仕方ない部分があった」と言う雰囲気を醸し出していた西田や竹下を強く制していた。


 そんな吉村だからこそ、悪びれないとまでは行かないが、僅かだが正当化している大将の言動が許せなかったのだろう。ただ吉村はついに、大将が認識すべき核心を突く事実を告げ始めようとしていた。西田としては、わかっていてもなかなか口に出せなかったことだ。


「……大将。確かに伊坂大吉は、大戦末期の沖縄での従軍経験で苦汁を舐めて、終戦後にヤケになったことも含めて色々あって、大将や北条の取り分の砂金まで一度は奪い取ったかもしれない。しかし、すぐに仲間を裏切ったことを後悔して、『おそらく手渡せないからと』いう言い訳込みで、自分が取った大将の分の砂金は換金せず、その上もう1人の桑野が横取りしたことになっていた、北条の分は自分のポケットマネーで弁償して、息子の政光にそれぞれ託してたんだよ……。政光は今でもそれを保管して、何時でも渡せるようにしてあるんだ……。その上、伊坂が太助から大吉に改名した時に、その『吉』って字は、一度は自分で横取りしようとしたことを悔いて、大将の親父さんの名前の重吉から取ったってぐらい、思い入れがあったそうだ」

吉村から思わぬ真実を語られて、

「おい、それは本当なのか?」

と大将は明らかに狼狽して2人に確認した。自分の悪事の正当化の根底の1つが崩れたのだから、元は人が善すぎるぐらいの大将にとっては、大きな誤算であったことは間違いない。


 更に西田が、

「吉村の言ったことは本当だよ。確かに伊坂大吉は、自分勝手で人も殺めるような冷酷な所はあったけど、自分の仲間に対する思いというのは、ああ見えてかなり強いところがあったらしい。息子の政光も親父の言いつけを守ってちゃんと手を付けずに保管してたし、俺も捜査の中で実物を確認してる。後、これはまだ公にはなってないんだが、その桑野欣也ってのは、今騒ぎになってる『当時』の大島海路なんだ。そんなこともあって、伊坂は大島が政界へと行ってからも、自分の会社の業績を上げる為に奴を利用出来たんだ。大島も伊坂から、表向きの支持者としての資金的なバックアップもあったし、一蓮托生の関係ではあったけど」

と補足すると、大将は口を半開きのまま二の句が継げなかった。当然ながら、大島海路の正体は正確には小野寺道利ではあるが、細かい説明をしている場合でもなかったので、取り敢えずそのまま伝えていた。


「まさか、そんなことが……」

再び顔を伏せ、やっとの思いで出て来た台詞に吉村は、

「俺達もずっと伊坂と桑野が、当時は知るはずもなかったけど、免出の息子だった大将や北条の分の砂金を横取りしていたと思ってた。でも実際には違ったんだ……。大将の親父さんの免出は、大吉から話を聞いてた政光や大島の話だと、仕事仲間から可愛がられてたらしい。なかなかの男前だったって話もあった。そして何より、大将の親父さんは、大将と大将のお袋さんを置いて出ていったことを後悔していたんだと……。一度、免出が隠れてお袋さんの様子を見に来たことがあって、その時に生まれた子が男だと知ってもいたって。合わす顔がなかったからそのまま会わずに戻ったと言う話も、大吉とかにしていたそうだ。だからこそ大吉も何とかして砂金を、その免出の愛息、つまり大将に届けたいと願っていたんだよ」

そう言って大きくため息を吐いた。


「そんなこととは露程も知らずに、伊坂家から金を脅し取ってたとは、俺もとんでもねえこと仕出かしちまったんだな……」

大将は視線を座卓の上に向けたままで、2人とは目も合わさずに後悔を口にした。さすがにここに至っては、本格的に自分の行いの悪辣さについて本格的に考え始めたようだ。


 しかし吉村は、更に追い打ちをかけるようなことを喋り始めた。

「大将。それはまだ伊坂が佐田に対する殺人犯だったってことで、今大将がどう思っているかはともかく、それでもちょっとは罪の意識を減らせるかもしれない。でもね、俺が大将に本当に後悔して、罪を深く意識してもらいたいのは、もっと別のことなんだよ……」


 この発言の意味を取りあぐねたか、大将は顔を徐に上げて吉村を凝視した。吉村もまた、大将と視線を合わせたままで、口を閉ざし掛けたが、意を決したように喋り始めた。


「大将は憶えてるかな? 7年前、俺達が最初に生田原で遺体を掘り起こして殺人事件が発覚した時のこと。被害者は米田って言う大学生で、母1人子1人の家庭だったもんだから、大将は自分の境遇と重ね合わせて同情してくれたんだ。俺と課長補佐が、捜査で大阪や米田の実家のある倉敷からこっちに戻ってきた後のことだった。それで、俺達が湧泉で飲み食いした勘定を全部、その米田の母親に香典として届けるように言ってくれたんだよ。俺もあん時は大将の心遣いが嬉しくてさ、感動すら覚えたぐらいだった……」


 西田がある意味危惧していた通り、大将にとって最もショックになるであろうことを、吉村は敢えてストレートに伝えようとしているのは明らかだった。ただそれでも尚、大将に自分のやったことの意味を理解して欲しいという強い思いがあるのだろうと、西田は今度は敢えて黙ったまま聞いていた。今の西田にはほぼ出来ないことだったが、それは優しさが理由というよりは、おそらく優柔不断に近いものであって、逆に吉村は大将と親しいが故に、そこまでの決意を固めているはずだった。


「一旦話を戻すけど、大将が最初に佐田を装って手紙を出して、それを伊坂が受け取った直後、伊坂は大将が考えた通り相当驚いたらしい。佐田を殺害することを命じていたけど、自分で殺した訳じゃなかったから、佐田が死ぬのを直接は見てなかったからね……。それで、例の佐田を殺した本橋と一緒に殺害現場に居て、協力していた自分の部下の篠田って奴に、佐田が本当に死んでいるか確認しろと命令したそうだ。篠田としては、自分の目で見て確信があったから面倒だったらしいけど……。そして篠田は、あの常紋トンネルの近くに埋められている佐田の遺体を、5年越しに確認しに行ったんだ。そしてその時……」

吉村は急に言葉に詰まったが、苦しそうな息遣いまで聞こえてきたので西田が様子を窺うと、あの吉村が明らかに目に涙を溜めていたことに気付いた。基本的に、悪く言えば軽薄に近いまでに陽気な吉村の初めて見る姿に、西田も内心かなり面食らっていた。言うまでもなく、大将もその姿にかなり重大なことが語られる、否、おそらく何が起きたのかについては、既に半分察しているのではないかとさえ西田には思えていた。


「……その時たまたま、鉄道が趣味であの場所に撮影に来ていた米田が、篠田が佐田の遺体を掘り起こしている時に遭遇して……。うーん……。口封じの為に……殺害されたってのが……、真相なんだ。……これについては7年前の時点で、俺達も想定はしてたけど、政光に対する取り調べで、政光がそういうことが実際にあったと聞いたと証言してる。篠田は95年の時点で既に病死してたから、これまではあくまで推測に過ぎなかったけど、今はもう……事実として……確定してるんだ」


 吉村から告げられた衝撃の事実に、大将は文字通り頭を抱えていた。それはそうだろう。自分と同じ立場の母子に訪れた不幸に同情していた大将が、意図していなかったとは言え、実際には自らが引き起こしたことが原因となって、不必要な不幸を誘発していたのだから。根が善人であればある程、ショックも大きいのは当たり前のことだ(作者注・伏線後述)。


「皮肉なことに、それまで年齢の割に意気軒昂だった大吉がすっかり身体も心も弱った理由に、大将から脅されたことに加え、全く無関係な大学生まで巻き込んでしまったこともあったと政光は証言してる。あの大吉ですら、何の罪もない若者が犠牲になったことを篠田から聞いて、大変申し訳ないことをしたと思っていたんだよ……。だから大将は、結局のところ大将に対しては特に悪さをしていなかった伊坂家を脅して金を取った上に、大吉の寿命を縮め、更に何の罪もない米田も結果的に殺される様なことを仕出かしたんだ! その上で幾ら米田の母に同情しようが、恵まれない人達に寄付しようが、どんな意味があるっていうんだよ! ただの偽善中の偽善じゃねえか!」

そこまで喋った時の吉村は、既に顔を涙でくしゃくしゃにして、大将の「裏切り」に強く「抗議」していた。


 対峙していた大将もまた、自分の行動の罪深さを深く認識したか、深く頭を垂れたままで嗚咽していた。西田は2人に掛ける言葉も見出だせないまま、いつもよりやけに長く感じる時をやり過ごしていた。


 しかし、そんな中で吉村が、

「しかもだよ大将……。大将のやったことは、他人に迷惑を掛けたってだけじゃないんだよ! 大将自身にとってもマズイことになったんだ。篠田が米田を殺害した後、佐田の遺体……。これは既に白骨化してたんだけど、佐田が生きているとか言う騒ぎが起きたことで、何かしら佐田の殺害について勘付いている奴が居る可能性を考えて、篠田はそれをもっと安全な場所に隠そうとしたんだ。そしてその場所として、タコ部屋労働の犠牲者の遺骨が納骨されてた所が発覚しづらいと思い付き、そこに遺骨を混ぜようとしたんだ、佐田の遺骨をね。ところがそこには、大将の親父さんも身元不明の遺体として、犠牲者達と同じ場所に、それらとはちゃんと分けて納骨されてた」

とまで言い出した。西田としても、この事実はおそらく大将にとってもかなりキツイ話だと思ってはいたが、今更止め様がない。


「その経緯はね。昭和52(1977)年の話だけど、親父さんと佐田の兄貴の手紙に書いてあった仙崎と、親父さんを殺した挙げ句伊坂達に復讐された高村の3体分の埋葬されてた遺体が、当時の国鉄職員によるタコ部屋労働者の遺骨収集活動の最中に、常紋トンネル付近でたまたま発見されてたことに始まるんだ。それらを無縁仏として預かっていた寺が、タコ部屋の犠牲者も供養していた関係で、都合上一緒に安置されたんだ」

ここまで言うと、吉村は大将の理解度を目で探ったが、問題ないと確認して、

「しかも、その発見した連中の中に篠田も居た。それで篠田が、佐田の遺骨と元々安置されてたタコ部屋労働の犠牲者の遺骨に、別に安置されてた3体分の遺骨含めて全部混ぜたもんだから、折角親父さんの遺骨として判るはずだったものが、今じゃ全く見分けられなくなっちまった……。何を言いたいかって言うと、大将の悪事がものの見事に自分に降り掛かってきたんだってこと!」

吉村の暴露に、西田は横で「今ここでそこまで言わなくても」と、こうなることが理解っていたにも拘らず思わず顔を歪めていた。


 一方の大将はと言えば、既に消え入りそうな程落胆していたので、この吉村の「とどめ」が大きく影響したかは、西田にははっきりとは判断付かなかった、それでもショックとしては大きいことは間違いないだろう。本来であれば、その話が本当か確認を西田に求めても良さそうなものだが、それすらなかった。


 西田としては取り敢えず2人を落ち着かせようと、

「吉村はちょっと取り乱してこんなことを言ってるけど、大将が根が善人だとわかっているからこそ、ここまで辛辣な言い方になってる。色んな誤解や不運が絡んだとは言え、ちょっとした出来心が、思わぬ大きな不幸を招いたって事実を、吉村は大将に認めてもらいたいだけなんだよ。……大将も辛いのはわかる。でも1番辛いのは間違いなく米田の母親だと思う。正直、こんな結末は全く思ってもみなかった俺達も辛い。とにかく、深く悔いて欲しいとしか言い様がない、今は」

と告げた。


 その言葉を掛けられた後も、大将は深く項垂うなだれたまま、涙が鼻を伝ったせいか鼻ずすりを繰り返していた。


※※※※※※※伏線後述


明暗27 (真ん中付近の湧泉来店から)

https://kakuyomu.jp/works/4852201425154922648/episodes/1177354054880320860


以下なろう版に付き、当小説とは無関係


修正版・明暗27 (真ん中付近の湧泉来店から)

https://ncode.syosetu.com/n5921df/48/


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