第247話 名実156 (370~371 カーラジオから流れてきた「人生劇場」)

 それからどれくらいの時間が経過したのだろうか。おそらく数分だったのだろうが、相変わらず信じられない程の間に感じられた時、大将はすっと顔を上げて西田と吉村を見た。この時、西田はともかく吉村はまだ顔を伏せたままだったので、それには気付いていなかった。ただ、ひょっとすると吉村としては、さすがに言い過ぎたと思い、大将の顔を直視出来なかっただけかもしれない。


 大将の目は明らかに赤く充血していたが、既に涙は止まっていて、意外なことにさっぱりした様に見えた。そして、

「俺はこの後どうすりゃいいんだべか?」

と口を開いた。

「さっきも言ったけど、一応、政光には特段の処罰感情はないと本人からは聞いてる。ただ、被害者が被害を申し出ない限り犯罪扱い出来ない親告罪と違って、表沙汰になった以上、この金額では……。とにかくこうなった以上は自首して欲しいんだ」

西田は冷静に告げた。


「自首?」

それを聞いた大将は露骨に怪訝な態度を取り、

「何時までにすりゃいいんだ?」

と、ややふてくされた様に尋ねてきた。

「当然、出来ればすぐにだけど、大将にも色々済ませなきゃならんこともあるだろうから、なるべく数日以内には……」

西田も淡々と返した。

「そうか。……ただ、こっちも出来れば色々と身辺整理してえところだから、やっぱり1ヶ月から2ヶ月は必要だな。それでいいべ?」

大将の口から出た思わぬ言葉に、それまで顔を伏せていた吉村が急に顔を上げ、

「おい大将何言ってんだよ! 自首は自分が犯罪者だと警察に知られる前に白状することで本当は成立するんだ。今回みたいに警察の捜査で明らかになった様な場合には、単に出頭という扱いで減刑される可能性はほとんどない。本来であれば、俺達は大将を逮捕しないといけないんだ! それでもギリギリのラインで、何とか自首扱いにしてやろうと思ってるのに、その勘違いした態度は何だってんだ!」


 直前まで意気消沈していた吉村に、再び怒りが点火してしまったが、さすがにこの大将の言動では仕方あるまい。西田としても、

「自首を促すのが、俺達が大将にしてあげられる最大限の配慮なのは事実だよ。正直、それですら警察官の本分を考えれば間違いと言われても否定出来ない。だからこそ、大将も自分のやったことの意味を反省してるなら、出来るだけすぐに遠軽署でいいから行ってくれ。それが俺と吉村の切なる願いなんだ、わかって欲しい」

と、ある意味懇願するしかなかった。


 しかし、その西田の更なる説得に対しても、

「うんなこと言われようが、店のこともあるし、始末しねえとならねえことは山程もあるんだ! それが嫌なら逮捕してくれとしか言い様がねえな」

と、開き直りと言って過言でもない発言をした。

「大将! いい加減にしてくれ!」

さすがに吉村は、拳を座卓に打ち付けて強く抗議したが、西田はそれを制し、

「とにかく、出来るだけ早く自首してくれ。それが今の大将に残された唯一の方法だ」

と言うと席をスッと立った。そして吉村に、

「行くぞ」

とだけ、振り返りもせず短く命じると、玄関へとさっさと向かい始めた。


 吉村もそれを追いつつ、

「何言ってるんですか課長補佐!? 良いんですかこれで!? ちょっと!」

と叫んだが、西田が無反応のまま歩を玄関の方に進めていたので、舌打ちしながらも仕方なくそのまま付いて来た。一方の西田は玄関で靴をすぐに履き、何の躊躇もなくすぐに家から出た。それを吉村も何とか追う様にし、西田は無表情で、吉村はかなり苛立ったまま車に乗った。そしてそのまま帰路へと着いた。


 それからは秋の日の落ちの早さを痛感させられる様な、午後4時近くで既に夕暮れし始めた国道242号を、ただ黙々と留辺蘂方向へと向かって車を走らせるだけだった。


 ただ、吉村自身は終始黙々と運転していたという訳でもなかった。車のエンジンを掛けて走り出してからしばらくは、吉村が一方的に、「どうするんですかこんなんで!」と言った様に、怒鳴り気味に何度か西田に話し掛けてきたものの、西田が終始無反応だった為、吉村もすっかり黙り込んでいただけだった。そして車中の空気に耐えかねたか、吉村は西田に許可を得ることもなくラジオを勝手に付けていた。


 西田の方はと言えば、その吉村の行動にも特に何か言及することもなく、外の代わり映えしない、紅葉も終盤の山間やまあいの景色を見やっていた。だが正直言えば、吉村に対して言うべき言葉は勿論、自分自身も見失っていただけとも言えた。

 

 確かにあの大将の態度は、到底深く懺悔した人間が取るべき態度ではなく、吉村の怒りも当然のことだった。さりとて、自首を促す以外の手段を西田は取り様がなかったのである。結局のところ、大将を出来れば逮捕したくなかっただけなのだ。言わば現実逃避としての、大将宅からの「逃亡」と言えた。


 気不味い2人を挟んで、ラジオからの音声はダラダラと流れるままだったが、どんな番組なのかは、西田は当初「心ここにあらず」という状態で、全く理解していなかった。しかし聞いているうちに、リスナーからの便りを読んで話を展開するありがちなトーク番組で、リクエスト曲があれば掛けるという、まさにありきたり中のありきたりな構成の様だと理解していた。曜日や時間帯を考えても、若年層向けと言うよりは、主婦や働きながら聞いている大人向けの番組なのだろうと、西田はそのままぼんやりと聞き流していた。


「次のお手紙は、函館のカーベイさん? です。『いつも職場の美容院でお客様と楽しみに聞いています』。これはこれは、こちらこそありがとうございます! 『私事ですが、付き合っていた彼氏と婚約して来年の春に式を挙げることになりました』。ほう! それはおめでとうございます! 今は幸せの真っ只中でしょうねえ。それでええっと、『ただ、彼の母親には余り良く思われていない様で、正直この先嫁姑関係で上手くやっていけるのか不安です』。なるほどー。確かにこれはちょっと気になりますねえ……。『クラさんは既婚だと聞いていますが、夫側から見て嫁と姑の関係が良くない場合にやはり気になるものですか? 彼はそのうちなんとかなるとしか言ってくれないのですが……。何かアドバイスがあればお願いします』。はいはい。私のところはカミさんもお袋も最初から割と仲良しなんで、こういう問題は全く心配なかったんですが――」


 そこそこ年齢は行っていそうだが、「クラさん」なる軽妙なDJの語り口と放送内容が2人の置かれている状況とかけ離れていて、何とも言えない空気感のままで車は生田原町内へと入った。当たり前とは言え、番組はそんなことには一切構わずにそのまま進行していた。


「次は北見の……水上さんからの電子メールですね。ついさっきこちらに届いたばかりです。『退職後数十年時間が経ち、時間を持て余すことが多い中、この番組と出会い一時の楽しみとさせていただいております』。ほう! 大先輩の方からの様ですね。これはご丁寧にありがとうございます! こう言っていただけると、放送しているこちらとしても嬉しい限りですね。しかし、失礼ながら、かなりのご高齢の方が、電子メールで番組宛にお便りを送ってくれるというのも、まさにIT時代を象徴していると言いますか……。そして続きですが、『さて、我が人生を振り返るに当たり、どうにも思う様に行かなかったことばかりで、今更ながら後悔だらけの人生でありました』。ははあ。まあこれは50近い私でも、毎日の様にああすれば良かったこうすれば良かったと思うことばかりですから、これだけの人生の大先輩の方であれば、まあ思うところは多々あるでしょうねえ……。それで、『また、単に自分の思い通りにならないというだけの話であれば、それは社会に出ている以上は仕方ないという納得も出来るかとは思いますが、人として譲ってはいけない様なことまでも、その場の空気などに流されるまま有耶無耶にしてしまうこともありました。当時から周囲とぶつかろうが何だろうが、筋を通すべき時には通しておくことが最善だったと考えてはいたものの、実行となるとなかなか出来ないものでした』。なるほど、本当にこれは難しい問題です。しがらみとか人間関係とか、個人の良心や考えだけではなかなか越えられないものが出て来ますから……。社会人になると年齢に拘らず、こういう悩みは誰でもあるでしょうねえ……。『そんな小市民の私にとって、人生の応援歌と言えば、村田英雄の人生劇場でした。あの腹の底から響く様な力強い声で、[義理が廃ればこの世は闇だ]と歌われると、そうだそうだと思いつつも、自分の情けない現実に嫌気が差したのも事実です。そんな村田英雄も今年の6月に亡くなり(作者注・2002年6月13日他界。享年73歳)、男の生き様を歌い上げられる歌手がほとんど居なくなって、年寄りとしては寂しい限りです。そんな私の為に是非、人生劇場を番組内で掛けていただけると幸いに思います』。うーんそうですねえ。村田英雄さんも亡くなってしまったんですよねえ……。昭和を代表するスター、大歌手が姿を消すというのは、私ぐらいの年齢の人間からしても、寂しいモノがあります。わかりました! それではリクエストにお応えして、村田英雄の人生劇場をどうぞ!」


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村田英雄「人生劇場」(本編でリンクしていた動画が著作権の関係で消去されたらしいので、別動画で)

https://www.youtube.com/watch?v=6zfLpTMxv04


(作者注・歌唱中の「吉良の仁吉」とは、かの有名な「清水次郎長」の兄弟分として活躍した人物のことです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E8%89%AF%E3%81%AE%E4%BB%81%E5%90%89


また、動画中に出て来るひげの爺さんは、昭和歌謡にこの人ありと言われ、「人生劇場」の作曲も担当した名作曲家の古賀政男です)


尚、人生劇場自体は昭和13(1938)年に「楠木繁夫」という戦前の歌手により、既に世に出てヒットしており、村田英雄版(1959年リリース)はそれ自体がカバー作ということになります。ただ、本格的にヒットしたのは1962年辺りからだった模様です。この歌を作詞した佐藤惣之助は1952年に既に他界していました(幸いと言うと語弊がありますが、「詞」についての著作権の問題はこれでクリアーされています)。


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 2人はこれまで同様黙って聞いていたが、歌がDJによって途中で切られるとほぼ同時に、吉村は生田原町内の中心部で車を歩道側に寄せ、ゆっくりとスローダウンしながら停まった。

「どうした!?」

西田は視線を吉村からそらしたままで問い質した。上司の当然の問いに、部下は一言、

「これでいいんですか、課長補佐は?」

と低く、こちらも視線をフロントガラスの方に向けたままで、文脈を無視して言い返してきた。

「これでいい?」

西田が相手のフレーズを繰り返して尋ねると、

「大将についてですよ」

とぶっきらぼうに言った。


「はあ……。だから自首する様に言っただろ?」

西田は溜息を吐き、今度は吉村の方を見ながら無機質に反論すると、

「大将の言う通りにしたところで、一体全体どこが自首なんですか! 確かに俺達が自首を促してる時点で、本当の意味での自首じゃないことは確かです。しかし、だとしてもさすがに大将の言う通りに、悠長にやってもらう為にそうしてる訳じゃない。言い換えれば、ギリギリの武士の情けみたいなモンでしょう? 待てて数日が限度です。それ以上認めれば、俺達がこれまでやってきたことの自己否定になってしまうんですよ?」

とそれまでとは違い、西田の目を直視しながら強く訴えかけてきた。

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