第245話 名実154 (365~366 期間が空いた理由)


「なんでその時に、佐田の家族なり警察なりに話してくれなかったんだ? 伊坂と揉めたと推測出来る理由まで書かれた手紙を受け取ってたんだから、それを含めて話してくれれば、警察こっちの対応も違ったかもしれないんだよ?」

吉村は明らかに怒りを押し殺した様な口ぶりだった。実際に佐田の手紙の内容を見れば、佐田と伊坂の単なる資金融通の会食ではなかったことがよくわかり、失踪の理由に、より犯罪性が疑われたはずだ。


 一方で、仮にそうだったとしても、そもそも伊坂には資金融通の時点で十分嫌疑があったにも拘らず、大島の介入により捜査は事実上止められたのだから、果たして大将が証言し、証拠の手紙を提出したところで、根本的に情勢が変わったかどうか、西田達にもはっきりと断言出来ない部分はあった。


「確かによっちゃんの言う通り、今思えばその時に警察か家族に通報すりゃ良かったかもしれねえよ。……でもな、俺には警察に対して思う所が強くあったんだわ、その当時はまだな……」

そこまで喋った時の大将は、如何にも苦り切った表情だったが、更に続ける。

「一応顔見知りの駅員に確認してみたら、近くの志野山って旅館のオヤジが『ウチに泊まってた』って連絡したって言うから、俺がわざわざ名乗り出る必要もねえなと、そのまま黙ってたんだ。それから、慌てて家に戻って手紙を家中ひっくり返して探して見返したら、やっぱりこれは伊坂に消されたんじゃねえかってね……」

大将のこの発言に、

「思う所があったってのは、警察に対して何か嫌なことでもあった?」

と西田は尋ねた。


「ああ。それこそ稲の父ちゃんが死んだ機雷事故の話よ……。あの頃は俺もガキだったが、大人の話はよく聞こえてきてよ……。当時の遠軽署の署長が、わざわざ浜で爆破処理するって決めたんだべ? おまけに地元の消防団(作者注・正確には警防団)まで動員して、見物客まで集めてあの体たらくよ……。稲の父ちゃんなんて、殉職させられた挙句、警察官だから外から見りゃ署長の身内な訳で、死んでも地元の連中から色々非難めいたことが、ウチのお袋にも投げ掛けられたってさ……。署長が余計なことしなけりゃ、そして稲の父ちゃんが警官じゃなけりゃ、お袋も苦労しなくて済んだかもしれねえんだ。おまけに、その後もしょうもねえスピード違反やら、店の前にお客さんが駐めた車で駐車違反だなんだと、細けえことにうるさい警官ばかり見てきた。とても警察に協力してやろうなんて気にはならねえよ」


 大将が吐き捨てる様に語った話は、特に機雷事故の部分において、竹下の書いた機雷事故についての道報の特集記事や、取り調べにおける大島の事故直後に関する証言から、大方把握していたこともあり、大将の思いに同情出来る部分はあった。


 当時事故に巻き込まれた地元の警防団などの遺族は、大黒柱を失いその後苦境にあえいだし、事故当時、現場に居た警察官は被害者であると同時に、責任者側としても地元民から相当のバッシングを受けたのだ。


「ってことは、俺達と出会ってからも、本心としてはずっとそういう目で見てたのかよ?」

吉村は尋ねるというよりは、あからさまにショックを受けている言い方だったが、

「確かに最初は警官だって聞いて、よっちゃん達を余り良く思っちゃいなかったのは間違いねえ。でもよ、みんなの人柄を知る様になってから、当たりめえの話だが、警官にも良い奴は居るんだなと気付かされて、考えを改める様になったんだわ。それが94年ぐらいからの話」

と大将に釈明され、少しは落ち着いた様だった。


「まあ、そうでもなかったら、あの頃俺達の捜査に協力してくれるはずもないもんな」

西田もそう言ったが、実際95年当時、事件の発端となった吉見の事故死からの捜査は、大将がもたらした情報無くして進展はしなかった可能性が高い。ただ、そのことが、結果的には大将の首を絞めることにも繋がったという皮肉はあったが……。


「西田さんの言う通りよ。敵だと思ってたなら、一切協力なんてしてねえべや……? まあ結局それが俺にとっては良くなかったのかもしれねえけど、それはもう運命だからよ……。ただ、佐田の件だけは言えなかったわ……。俺がそれで伊坂を脅してたからな……。それについては申し訳ねえと思ってる。でも言い訳じゃねえが、さっき運命って言った様に、心のどっかに協力してる内にバレたら、それはそれで仕方ねえという思いも多少はあったんだわ……。まあ、その後もずっと金を脅し取ってた時点で、信じてもらえねえとは思うけどよ……」

大将も西田の考えを肯定すると同時に、自分の協力が仇となって捕まるなら、それはそれで受け入れるという、ある意味中途半端な覚悟をしていたのも事実の様だった。


「それで大将は、佐田が伊坂に始末されたんだろうと思ったとしても、そこから大将が伊坂大吉を脅迫するのが、こちらが把握している限り、翌年の92年の夏頃からだとすると、その間に一体何があったのか、教えてもらえるかな?」

ここで西田は軌道修正を測った。


「正直な話、佐田が伊坂に殺されていたとしても、それはそれで気の毒だとは思ったが、その時の俺には直接何かする気はなかったんだわ。警察に協力するのも嫌だし、面倒なことに巻き込まれるのも嫌だとね。わかるべ? それに、そろそろ自分の店を畳んで、どっかの料亭で雇われ板前になろうかと悩んでる時期だったもんだから、そっちの方に気が行ってたってこともあったんだわ」

「え? 湧泉を畳むつもりだったの?」

大将の告白に吉村が思わず反応すると、

「ああ。正直言うと真剣に考えてたんだわ」

とポツリと答えた。


「何でまた? 客が入ってないってこともなかったんだろ?」

西田が訝しげに尋ねると、

「客に安く提供して喜んでもらおうって頑張ってたんだが、やっぱり色々無理がたたってよ……。かと言って値上げするのも悪いし、にっちもさっちも行かなくなっちまったんだな、気持ちの中で」

と返した。


 実際のところ、湧泉のメニューが味や素材を考えれば相当リーズナブルなのは、吉村達に連れられて西田も初めて訪れた時から感じており、従兄弟などから魚介類を仕入れることもあったとは言え、かなり無理をしていたのは、今から思えば西田も認めざるを得なかった。


「ったくバカな。ちょっと値段上げたぐらいで文句言う様なのは、ハッキリ言って客じゃないだろ、そもそも」

吉村は大将の妙な人の良さをある意味詰なじったが、その大将が直後にとんでもない悪事を働くのだから、そのギャップに対する嘆きもあったろう。

「ところが、翌(92)年の夏になると、大将は伊坂大吉を脅迫するというか、佐田からの手紙に見せかけて、伊坂に手紙を出すことになった訳で、それには一体どんな心境の変化があったの?」

悔しそうな吉村を尻目に、話の展開上ほぼ同じ疑問を西田は繰り返した。


「それはな……」

そう言うと大将は、

「悪いけどちょっとタバコ吸わせてくれ」

と言って、座卓の上にあったタバコのケースから取り出して火を付けた。大将の吐き出す白い煙は僅かに前へと進んだ後、すぐにゆっくりと天井に向かって上がっていき、途中で形を失うことを繰り返していた。


 「人生は泡沫うたかたである」という例え話はよく言われることだが、今、目の前で消えていくタバコの煙もまた、泡沫の様に西田には感じられていた。これまでの警察官そして刑事人生において、事件に関わって嫌な気分になることは言うまでもなく多々あったが、今日程複雑な感情を抱いたままで、被疑者と対峙していたことはなかった。


 延べ7年、実質1年と2ヶ月捜査に専念し、一連の事件を無事解決した先に、絶望とまでは言えないものの、喜べない結末が待っているのだから、残念ながら運命と言ってしまえばそうなのだろう。今日、今目の前で起きていることが泡沫のように一瞬の幻であって欲しい。そんな思いを抱きかけた瞬間、大将は灰皿にタバコをねじ込むと重い口を開いた。


「確か初夏の頃だったかな……。今でもよく来てくれるウチの常連さんに、又吉興行って、小さな土建会社やってる社長さんが居るんだわ……。その人は伊坂組とも取引があるというか、下請けなんかで工事に入ることがあって、昔から伊坂組についての話はチラホラ聞いてた。それでその又吉さんが言うには、同じ様に下請けやってる別の土建会社の社長が、バブルの時に不動産会社だったかの株に手を出して大損したって話でさ。資金繰りの関係で、出来るだけ早くに伊坂組への期日前の工事代金の売掛金を払って欲しいと掛け合ったんだと。ところが期日前ってのもあったが、伊坂の社長、つまり大吉がそれを拒否して、その会社は潰れて夜逃げしたってな……。その会社も伊坂組とは相当取引が長くて、幾らバブルが弾けたって言っても、まだ余裕があったはずの伊坂組なら、普通に1千万ぐらい払ってやれたろうにと、愚痴ってた訳よ。間違いなく伊坂組がデカくなるのに、それまでの間貢献してくれただろうにってね……。それで、その話を聞いて俺も何か義憤って言うのか、そういうの? すごく頭に来てよ。ちょっと懲らしめてやろうという気持ちが、徐々に頭もたげて来たんだわ。佐田は伊坂に消された可能性があるわ、佐田の話が事実だとすれば、俺の砂金は横取りされたわって怒りも勿論あった」

大将はそう言うと、拳を握り締めた。


「それで、おそらく死んでいるだろう佐田が生きているかの様に装って、手紙を書いたってことか……」

「そうよよっちゃん! 自分が殺したはずの男から手紙が来たらそりゃびっくりするべ? それで、佐田から来た手紙の字を真似て、伊坂のところに『俺は実は生きてるぞ』ってな文章作って脅してやったって話。佐田と伊坂が、おそらく手紙にあった消印の日付の当日会って、免出おやじの子供について話したってことも書き込んでやったよ。字を真似るのは、網走の料亭での修行時代に、散々板長から品書きの練習させられて、見本を見て書く訓練してたのが活きたな。そもそも料理人は字も上手くねえと上にいけねえから、筆からペンまでしっかり練習してたんだわ。佐田自体がかなり達筆だったのもむしろ真似しやすかった。そして、佐田が俺に送って来た、兄貴が書いたって言う手紙のコピーを更にコピーして入れてやったんだ」


 大将は状況が状況だけに抑え目ではあったが、少し得意そうな言い方をしていた様に2人には思えていた。そして西田も湧泉に初めて入った時から、壁に掛かった品書きを見て上手い字だと感じていたが、こんなことに役立っていたとは、その時は露程も考えていなかった。


 87年に、佐田実が伊坂大吉をまず手紙で脅迫した際に、証文と徹からの手紙のそれぞれのコピーが同封されていて、92年の大将からの手紙にも徹の手紙のコピー(正確には更にコピーしたもの)が同封されていた上、筆跡や会食のあらましなどまで記載されていれば、かなりのインパクトがあったことは、政光の証言と合わせ想像出来た。


 同時に、政光からの証言を得た時に、92年の脅迫状で何故証文のコピーがなかったかについて、その時はそれ程深く考えてなかったが、こうなってみると非常に明快な答え合わせでもあった(伏線後述)。


「しかし、大将は伊坂が佐田の文体を見ているという確証はなかったんだろ?」

西田が確認すると、

「ああ。確かにそれはなかったわ。ただ佐田が伊坂を脅してるなら、どっかで書類のやり取りだの念書だの取ってる可能性もあるし、まあそこは大した意味はなかった。ただ、こっちは佐田と伊坂が会ってた日にちまで、手紙から判ってるんだから、それでも十分だべや」

と答えた。


 実際のところ、佐田は最初に伊坂に手紙を出していたと、政光が証言していたのだから、大将の読み通り伊坂は佐田の文体を知っており、そのことが大将のハッタリの信憑性を高めていた。


「そんな感じの手紙を何度か出したんだって?」

吉村が問い質す。

「はっきりは憶えてねえが、おそらく2、3回くらいはそんな感じで出したんじゃねえか? そしたら、最初の手紙から2週間ぐらいした後、又吉社長が店に来た時、『最近、伊坂の様子がおかしいって。めっきり老け込んで、以前の脂ぎったギラギラした感じがねえんだ』って話してきてよ。これはやっぱり佐田を殺ったのは間違いなく、俺の手紙がかなり堪えてるんじゃねえかと確信したんだわ。そこで終わっときゃ良かったんだが、店の資金繰りのこともあって、魔が差しちまったんだな……。おまけに、佐田の話が事実だとすれば、俺にはオヤジから本来貰い受けるものがあって、それを伊坂に横取りされてたってことだろ? その分ぐらい回収しても許されるだろうって頭があった」


 大将の言う通り、確かに金銭的な部分では、伊坂には大将は「貸し」があったとも言える。ただその回収手段として恐喝を選び、更に伊坂は少なくとも大将の為に砂金を換金せずに保管していたのだから、この件については決して正当化されるはずもなかった。しかし、西田も吉村もそのことには触れず、否、触れられずにに話を先へと進める。


「最初の恐喝で200万要求したのは、この佐田からの手紙に書かれていた見積額が影響したんだね?」

「よっちゃん、それもあるけど、丁度お袋の墓を立てた時、あんまり金がなかったもんだから、安い石で立てちまって、遠軽ここは寒暖の差が激しいべや? それで20年もしねえ内に石に割れ目が出来ちまったもんだから、新しいのに立て直そうとずっと考えてたんだわ……。良い石だと数百万するってんで、知り合いの石材屋に聞いたら、『200万もありゃ良いのを調達してやるよ』と言われてたもんだから、それもあったんだわ」

恐喝した金の振込先から、母親の墓石に使ったのはわかっていたが、最初から使途が明確になっていたのだと2人は知った。


※※※※※※※伏線後述


名実70 (最初の方)

https://kakuyomu.jp/works/4852201425154922648/episodes/1177354054883091337


以下なろう版につき当小説とは無関係

修正版・名実42(最初の方)

https://ncode.syosetu.com/n5921df/119/


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