第244話 名実153 (363~364 佐田実からの手紙)


拝啓


相田 泉様


 突然の手紙で驚かれているかと思いますし、また無礼をお詫びいたします。

おそらく記憶されているかと思いますが、先月の盆にあなたの店であなたの名前

や父上の名前について会話した、札幌の初老の男が私、佐田実です。

その節はお世話になりました。


 本来であれば、直接お伺いして説明することが適切かと思いましたが、只今

仕事の問題で予定が立て込んでおり、長い時間お邪魔させていただくことが

なかなか難しいため、封書という形で先に連絡させていただくことにしました。


 また、電話で説明するにはかなり込み入った話であることに加え、同封してある

ものをお渡しする必要からこのような形になったこと、重ねてお詫びいたします。


 そう遠くない時期に、きちんと説明するため、改めてお伺いさせていただくつもり

でおりますので、その点もよろしくお願いいたします。


 また、この手紙以外に同封してある別の手紙のコピーは、他に同封してある

証文、つまり契約書に該当するものが書かれた経緯について説明したものです。


 その証文は、仙崎太志郎と言う方が、自分の下で働いていた人夫に遺した砂金

の分配について確約させるためのもので、私の兄である佐田徹が証人として

作成したものでした。別の手紙のコピーについても、兄が書き遺したものです。


 血判付きの古い証文を見ていただければ、私の話が本当のことだと信じて

いただけると思います。


 その証文や手紙は別途読んでいただくこととして、早速説明させていただきます。


 ※※※※※※※


 ここまで見て、西田と吉村はほぼ同時に、わざわざ偽物の証文を作って伊坂を騙した佐田が、何故北見に北条兄弟の本物の証文まで持ち込んでいたのかを瞬時に理解した。この手紙を、北見での会食での結果が出た直後に大将に差し出す為に、北見へと持参していたということが推測出来たからだ。


 北条兄弟の本物の証文があれば、この大げさに言えば荒唐無稽な話を、大将にある程度信用させることが出来ると佐田は考えていたのだ。そしてそれが今見当たらないことと、喜多川が北見でそれを保管していた意味をもほぼ察していた。ただ、はっきりと確認する必要があるので、

「これに書いてある証文は入ってなかった?」

と西田は確認した。それに対する大将の返答は、

「ああ、入ってなかったんだわ」

という案の定の回答だった。


 佐田は、おそらく手違いで封筒に証文を入れ忘れたのだろう。そのことで、殺害された9月26日の早朝に、本来であればそのまま札幌へ直帰する為に乗るはずだった特急「おおとり」の指定席特急券を、北見駅で遠軽までに変更することになったと推理した。忙しい身とは言え、大事な証拠物を入れ忘れた上、出来るだけ早く会食の「成果」を伝えたい前提であれば、途中数時間程度ロスするとは言え、持参して大将に直接手渡す方を選択しても、そうはおかしくはなかろう。


 そして西田が考える「成果」とは、北村が遺したテープで、松島元道議が会食時の様子について語っていた内容からすれば、免出の遺児が受け取るべきだった砂金についても、免出の遺児、つまり大将が見つかったので、しっかりと対処しろという意味合いの発言を、伊坂大吉相手にしたということだ。


 ただ皮肉なことに、その直後に佐田は伊坂大吉の陰謀に掛かり、本橋達に生田原の山中で殺害されることになってしまった。しかし、成果を早く伝えたいという心境を前提にすれば、「砂金がまだ残っている」となれば尚更、資金繰りの問題で忙しい状況とは言え、その状況自体は伊坂からの援助の確約で確実に開けつつあり、砂金を掘り出す為に更なる時間を掛けても、すぐに大将に渡してあげたいという心境にはやってもそうはおかしくなかろう。


※※※※※※※※※※※※※※(手紙続き)


 まず、あなたの父上の免出重吉氏は、その仙崎氏の下で人夫として働いており

一緒に働いていた仲間に昭和16年の初夏に殺害され、生田原の山中に埋葬

されたと兄の手紙には記されています。


 そしてその直前に、雇い主であった仙崎氏は病死しており、遺言により免出氏

にも砂金が渡るはずだったものの、免出氏に不幸があったため、子に渡そうと

いう話になったようです。


 しかし、免出氏の子、つまりあなたは、当時は居場所はおろか名前すら判って

いなかったらしく、証文の方にも具体的な名前は記載されていませんし、具体的に

渡す術は、当時はなかったのも確かと思われます。

 

 ただ、あなたから聞いた話の経緯を考えても、あなたの年齢を考えても、

免出重吉という名前の希少性を考えても、まず間違いなくその遺児は、

相田泉さんあなたご本人と考えてよいはず。


 あなたが本来得るべきであった砂金は、兄からの手紙ではその後の顛末までは

わかりません。


 しかしながら、証文や手紙にも出て来る、その後我が家を訪ねて来た別の相続

有資格者であった、北条正人氏の弟である北条正治という方の証言を聞く限り

別に出て来る桑野欣也と伊坂太助、これは今は大吉と改名して、北見の伊坂組の

社長でありますが、彼らに終戦直後に横取りされたものと考えております。


 本日、北見にてその伊坂と直接会い、あなたの相続分につきましてもきちんと

対処するように伝えておきましたので、おそらく近いうちにあなたに相当分を

お渡し出来るかと思います。


 うっかりしていて、伊坂にきちんと確認しないままでしたが、多分砂金としては

残っていないと考えております。砂金の具体的な算定額についてははっきりして

おりませんが、慰謝料含めれば相当額になるかと思います。

砂金だけで100万前後に慰謝料同額を加え、おそらく200万は堅いでしょう。


 残念ながら、もう一人の桑野欣也と言う人物の行方は、私も調べようとしました

が無理で、伊坂にも確認しましたが、こちらも不明ということで掴めていません。


 ただ伊坂は資産家ですし、今は彼に取り敢えず賠償させることが先決でしょう。

可能性として、桑野の行方を掴めることはそうないと思われる点は残念ですが、

伊坂ですら奇跡的に突き止めた側面があり、まだマシな方かとは考えております。


 尚、同封してある証文は、本来北条正人氏のもので、それを弟の正治氏が

受け継ぎ諸般の事情から私が預かっているものです。


 ですから、あくまであなたへの説明と証明のために送付しただけですので

後で回収させていただくことになるかと思います。その点はご理解ください。


 この話を今突然切り出されて納得することは、そう容易いことだとは思い

ませんが、証文を確認していただければ、その各自の印が血判によるものだと

お判りになるはずです。


 つまり適当な気持ちで作成した偽物のような、いい加減なモノではないと

判断していただけるかと思います。


 何分なにぶんわかりにくい話で、事態をよく飲み込めていないかも

しれませんが、その点含め、改めてお邪魔した際に詳しく説明させて

いただくつもりです。


 おそらく早ければ10月の上旬から、遅くとも中旬辺りまでには再訪

出来るかと思います。それまでお待たせすること、ご理解いただければ

幸いに思います。


                            敬具


                       昭和62年9月25日

                             佐田 実


※※※※※※※※※※※※※※


 西田と吉村は手紙を読んで、重要な点を幾つか確認していた。まずは、やはり佐田は大将の分の砂金を伊坂に弁償させるつもりだったこと。そして、桑野欣也が大島海路であることどころか、正体が小野寺道利であることすら佐田は一切把握していなかったことだ。


 つまり、伊坂大吉は大島海路に「正体が小野寺だと佐田にバラした」という、完全なハッタリをかまして、佐田殺害計画に加わらせたということになる。大島はまさに犯す必要もない佐田実殺害に関与したが故に、後に北見共立病院における殺人も起こす羽目になったという、何とも救い難い結果だった。


 無論西田達も、佐田が大島海路の正体を伊坂から教えられたということに疑問を持っていない訳ではなかったものの、こうなってみると改めて虚しさだけが残ったとしか言えなかった。


 それにしても、大島には「正体を佐田にバラした」と言いつつ、会食の場で佐田から桑野の消息について聞かれた際は、「一切知らない」と突っぱねた伊坂の心理はどのようなものだったのだろうか。双方をおちょくって楽しんでいたのかもしれないが、西田の中には、少なくとも佐田に対して知らぬ存ぜぬを通したのは、わざわざ大島への利害関係を持つ人間をこれ以上増やす危険性を嫌ったか、そもそも「消す」つもりだった以上教える意味がないと考えたのではないかという、2つの考えが浮かんでいた。


 現実問題として当時の政治状況が、大島に佐田に対して「事実」を把握しているかどうかの確認を取らせなかったことはともかく、大島が佐田に「正体を知っているか」どうか直接確認する危険性については、伊坂はどう考えていたのだろうか。当然だが、政治状況まで理解した上でならその心配はない。しかし、西田はそれ以上に、大島が佐田に確認することは案外難しいということを、伊坂は読み切っていたという説を採っていた。


 これについては、大島自身も自白の中で、「相手に何をどこまで知っているか、どうやって探りを入れるかは、相当難しい話だ」と語っていた。相手が全く知らなかった場合、確認の為に余計なことを言えば、わざわざこちらから相手に弱みを伝えることになりかねない部分がある。また、直接触れずに匂わせつつ、佐田の認知度を探ることも相当難しい。直接的に弱みがバレなかったとしても、何か隠していることがあると察知されることは十分あるだろう。


 それに、仮に大島が伊坂の嘘を佐田と接触して勘付いたとしても、伊坂には実際に佐田にぶちまけるという最終手段もあるのだから、大した痛手ではないと認識していた可能性もある。やはり、大島としてはある意味「詰んでいた」のかもしれない。だが、そんな推理や虚しさの感傷に浸っているよりも、まずは真相を確認しなくてはならないのも確かだった。


「この手紙が来た時、大将はこの内容についてどう考えたの? 信じた?」

吉村が切り出すと、

「そりゃかなり驚いたって。親父が戦前には既に殺されていたって話もそうだけどよ、遺産の砂金だとか相続がどうたらとか、俄には信じられなかったよ……。そして何より、手紙に書いてあった証拠だっていう証文だとかが入ってねえんだから、信じようがないべや?」

と返された。その意見は全く以てその通りとしか言い様がないもので、佐田自身が手紙に書いていた、内容の信憑性を担保するはずの北条兄弟の本物の証文が入っていなかったのだから、佐田の話をそのまま信頼しろと言っても相当無理があったろう。


「封筒の裏に佐田の住所があって、これは実際に佐田の家のモノと一致してるんだけど、手紙を出すなりなんなりして、事実関係の確認はしなかったの?」

西田が更に確認すると、

「西田さんよ。如何にも嘘みたいな話に、わざわざ食い付く程惨めなことなんてねえべ? そりゃひょっとしてって思いは無くはなかったよ。でもよ、わざわざ確認してやっぱり嘘だったら、これ程情けねえことはねえべや? だから、佐田がまた来るっていう10月の中旬まで一応待ってみて、それで来なかったら、やっぱり嘘だったと言うことにしようと思ったんだわ」

と答えた。


 確かに詐欺被害者ですら、騙されたことを恥じて、警察に通報しないまま泣き寝入りするパターンは決して少なくない。理由は今まさに大将が述べたことと同じで、自分が騙されたことを公にすることが、騙されたことに対する恥の上塗りとなるという認識があるからだ。


「手紙を大将に差し出した翌日の午前中には、佐田は本橋達に殺されていたんだから、会いに来れるはずがないよな……」

「その時はそんなことがあったとはわからねえから、11月頃になっても現れなかったもんで、やっぱり騙されそうになったといきり立ったもんよ……。それで手紙ごと破り捨ててやろうと思っていたら、丁度どこにやったかわからなくなってたんだわ。そのまま数年放置してたって話よ」

吉村の独り言の様な台詞に大将は被せた。


「今まさに数年放置って話があったけど、改めて思い出す必要が生じたのが、それから4年後の平成3(1991)年の年末に、おそらく遠軽駅に張り出してあった、佐田の行方を尋ねるポスターか、一緒に配布されていたチラシを見たことじゃないかと考えてるんだが、どう?」

「全くその通りよ、西田さん! たまたま駅に寄ったら、見覚えのある顔のポスターが壁に張り出してあって、その下の机にチラシがあったんだわ。まさに佐田の顔で、チラシを見ると4年前の9月末に、北見で行方不明になったってんで、その時になって、あの手紙の内容が本当で、佐田は始末されたんじゃないかと、初めて考える様になったんだわ」


 大将のこの証言が示す通り、やはり、佐田の家族が1991年の12月に遠軽や生田原で行ったポスター掲示やチラシ配布(伏線後述)が、事件が動き出す契機となっていたのだ。


※※※※※※※伏線後述


明暗7 (最後の方)

https://kakuyomu.jp/works/4852201425154922648/episodes/4852201425154983599


以下なろう版につき、当小説とは無関係


修正版明暗7(ラスト)

https://ncode.syosetu.com/n5921df/28/



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る