第28話 明暗7 (41~44)

 西田も吉村もそれぞれフリーだった土曜日を有意義に過ごした。西田は家族サービスに完全に当てた。一方吉村は、後から聞く分には高校時代の友人に会っていたようだ。とても殺人事件の捜査中とは思えないが、特殊な状況と条件がそうさせたのだから仕方ない。


 9月10日日曜の昼前に、借りている道警本部の車で、吉村がマンションに西田を迎えに来た。西田が外のエントランスを出ると、空にはうろこ雲がかすかに散らばっていた。気温はまだ高いが、季節は確実に秋に入っていたのだと西田は再認識した。


「約束は午後1時だったな? 十分間に合う」

助手席に乗るなり、西田は腕時計を確認した。

伏古ふしこ(札幌の地名)で札幌新道からすぐの場所ですから問題ないです。石狩街道から新道に合流するルートで行きます」

ギアを入れると、2人を乗せた車は南9条通まで出て、そのまま札幌中心部の、大通公園と並ぶ憩いの場である「中島公園」を通り過ぎると石狩街道に入るため左折した。そこからはほとんど信号に停まること無くあっという間に札幌新道との交差点まで行き着き、右折して伏古地区の佐田宅に35分程で着いた。


 約束の時間まで、調整のため多少車内で時間を潰した後、午後1時ジャストにインターホンを押して中へと通された。西田と吉村が通されて座った居間のソファーのテーブルを挟んだ前には、佐田の未亡人「明子」と、佐田の息子「かける(作者注・本編では誠だったものの改定)」、娘の「実由みゆ」が座っていた。


「この度はうちの主人を見つけてくださってありがとうございました」

明子から電話で初めて会話した時と同様に丁寧な礼を言われて、西田は何とも言えない気持ちになった。正直、直接顔を合わせる今回は、ある程度の嫌味ぐらいは言われても仕方ないと覚悟していたからだ。事情があったとは言え、当時の捜査が渾身のモノだったとは、素人目に見ても言えないはずだった。


「いえ、こちらこそ。ご主人を見つけるのに8年も掛けてしまいました。当時の担当者からもよろしくお伝え下さいとの言葉を預かってきています。本当に迷惑お掛けしました。まだご遺体の方はお返し出来ていませんが、詳細を調べるのにもうちょっと掛かるかと思いますので、辛抱ください」

西田は謝罪の言葉を率直に述べた。勿論社交辞令ではなく、心からのものだった。


「さすがに半年過ぎた頃には覚悟はしていましたが、いざ見つかってしまうと、本当に死んだんだなという何とも言えない気持ちですね……」

息子の翔は淡々と語ったが、その言葉の意味は西田にも吉村にも十分伝わっていた。

「しかし、8年前にわからなかったことが、どうして今年になって……」

「とある殺人事件の発覚とそれに伴う捜査がきっかけで、芋づる式にですね」

実由の疑問に吉村が答えた。

「その事件と父の事件が関係があったということなんですか?」

「簡潔に言うとそう捉えていただいて構いません」

「それじゃあ、父を殺した犯人は捕まる可能性があるってことなんですね?」

「それについては……」

実由からの立て続けの質問に、西田は一度答えに詰まって、一旦話を切ったが、思い切ってある程度真実を語ることにした。


「ありのままを言わせていただきます。事件に直接関係したと思われる人物が、既に複数死亡もしくは起訴できない状況にありまして、かなり難しいかもしれません」

敢えて既に死んでいた伊坂や篠田の名前は伏せ、喜多川の現状も言わなかった。遺族もある程度疑っているだろう伊坂については迷ったが、死亡している以上起訴は無理なので、ギリギリまで言い掛けて止めておいた。3人は一様に落胆した表情を浮かべたが、今更変に期待させても反って気の毒なだけだ。

「ただ、そうは言っても、どういうことがあって、お父さんがそういう目に遭われたかということは、やはりご家族としては知りたいでしょうから、我々も真相を解明するために尽力するつもりであることには変わりありません」

西田の言葉に吉村も頷いた。

「そうですか……。こちらとしてはお任せするより他ありません。よろしくお願いします」

翔は努めて冷静だった。西田は出されていたコーヒーを口にしたが、あまり悠長に味わっている気分ではなかった。


「係長、そろそろ事件の話を皆さんに聴いた方が……」

そんな西田の様子を見ていたか、吉村が自ら切り出した。

「そうだな。じゃあ早速。もしかすると失礼なことも伺うかと思いますが、捜査のためですのでご協力ください」

「はい、わかっております」

明子が頷いた。

「まず実さんが北見の伊坂大吉に会いに行く前の話ですが、経営されていた食材卸売の業績がかんばしくなかったようですね」

「ええ……。正確に言えば本業の調子そのものは悪くはなかったのですが、お恥ずかしい話、資金繰りに行き詰まりまして……。当時バブルの始まりということもあって、投資話で大きく騙されてしまって……。それで苦しくなってきて、いよいよ父は1987年の初夏ぐらいから金策に奔走していました。その時に突然、北見の伊坂組という会社から資金提供を受けられるかもしれないと言い出しまして」

「それなんですが、伊坂組と実さんの関係というのが、それ以前からあったとは思えないという話が、ご家族からも出ていたようなんですが?」

吉村が続けて翔に質問すると、

「仰る通りです。当時の警察の方にもそう話しました。私達家族から見ても、父が伊坂組の話を出した時にそういう疑問がありまして。勿論、はっきりと問い質すようなことはなかったんですが、今となってはきちんと聞いておくべきでした」

と、悔しそうに答えた。


「当時の伊坂組社長である故・伊坂大吉は、『実さんとは以前から付き合いがあった』と証言しているんですが、やはりご家族は知らなかったと言うことで間違いない?」

西田は資料を読みながら確認したが、捜査情報と当然遺族の証言は一致していた。


「それで、伊坂社長に会いに北見まで出かけていった実さんから、行方不明になる前日の夜、資金提供が受けられると連絡があったとようですが、その時の実さんの様子なんかは、電話ですけどわかりますか?」

「西田さん、そうです。とても喜んでました。私もそれを真に受けまして……」

明子は辛そうな表情をしたが、それで聴取を躊躇するわけにはいかない。

「その時には何か問題があったという認識は、やはり実さん自身もしていなかったんですね。ところで、実さんは、それなりの規模の企業経営者だったということですから、有力者との付き合いもあったかと思いますが、特に政治家とかそういう方面との付き合いのようなものは?」

「と言いますと?」


 西田の質問への翔の態度から、警察からは家族への事情説明の際に、事件捜査終結に国会議員や道議会議員が絡んでいたという、その手の「匂わせ方」はしていなかったと確信した。もし詳しく説明していたならば、自分の側ではなく、被疑者側にそのような話があったと遺族は主張するはずだからだ。念のため、被害者側目線の逆方向からの「ジャブ」を打っておいて助かった。今の捜査のためには全く必要がない質問だったが、当時の捜査がどのように行われたか知るためだけの、西田による質問だった。この結果を受けて、西田も今のところは大島の介入などについて、遺族相手に言及しない方がいいだろうと考えた。

「いや、そういう方面の人とコネがあると、銀行なんかが動いてくれるという話を聞いたことがあったので」

取り敢えず西田はそう誤魔化した。

「そんなコネがあったら、倒産してないですよ。ウチは父が一代で興した会社でしたし、伯父はそれなりに資産家でしたが、あまりコネがある方ではなかったと思います」

気に障ったか、翔はかなり抑えてはいたが、内心憤慨していたのは手に取るように分かった。


「それは失礼しました」

「あ、いや……。こちらこそ大人げない。まあ幸い会社の建物、倉庫と土地を手放して銀行の返済も済んだんで、家は残りましたし、従業員に多少の退職金のようなものも出せましたし、我々にも少しは残りました。会社は無くなってしまいましたが……。不幸中の幸いだったのは、丁度バブルの渦中だったので、不動産価値が上がってたことでしたね。今だと確実に厳しかったでしょう」

強がりの類だったかもしれないが、実際バブルが崩壊する前よりは、処分価格は高かったのは事実だった。


「行方不明になってから、なにか不審な電話などがあったとか、そういうことは無かったんですかね? 捜査資料には載ってませんでしたけど」

空気を変えようとしたか、吉村が尋ねた。

「いえ、身代金の要求とか、無言電話とか、そういうのは一切ありませんでした。あの時も警察の方から聞かれましたが。ですので、少なくとも私達も誘拐とかそういうことではないだろうと」

実由がはっきりと言った。

「警察が割と早目に捜索と言うか捜査を打ち切ったんですが、ご家族としては当時抗議のようなものはしたんでしょうか?」

「いえ。確かに金策の目処が付いたと電話はありましたが、実際にそうだったかはわかりませんし、失踪してもおかしくない状況でしたので……。納得こそ出来ませんでしたが、それ以上警察の方に続行をお願い出来るほどの確信もありませんでした」

西田が聞くと明子は力なく語ったが、聞いている側も、捜査打ち切りの真相を知る立場としては胸が痛くなった。


「ただ、数年してからちょっと気になるモノが出て来まして、それで一度警察の方に『調べて欲しい』とお願いしたことがあります」

翔の補足で、西田は道警本部で南雲から聞いていた4年前の話だと直感した。危うく聞き忘れるところだった。

「南雲さんにした話のことですかね?」

「西田さん、そうです。南雲さんから聞きましたか? 聞かされていた伊坂という同じ名字の人物が出てくる話だったのと、父が手紙を初めて見てから行方不明になるまで、数ヶ月程度だったということもあり、まあ何か関係あるかと思ったんですが……。警察の方もよくわからないということで……」

「手紙でしたっけ?」

吉村が尋ねた。


「そうです。手紙ともう1つ別に契約文書? みたいな奴が出てきまして……。かなり古いもので時代背景や手紙の内容を考えると、間違いなく戦前のモノですね。父の2番目の兄、つまり私にとっては2番目の伯父にあたる、「徹」という人が書き残したモノです。その人は若くして戦死してしまったので、私は当然会ったことはないんですがね……。まあこう言ってもわからないでしょうから、実物を見ていただいた方がいいかな……。母さん、あれどこにあったっけ?」

翔が明子に問うと、明子は立ち上がって何処かの部屋へそれらを取りに行ったようだ。


「それにしても、失踪から随分経ってから出て来たってことですか?」

吉村が間をもたせるために会話を続けた。

「そうなんですよ。父が行方不明になってから、何か捜索のヒントになるものはないかと、色々探してはいたんですが、今回のモノは、元は会社で使っていた金庫から出て来ました。倒産した後、家の物置に金庫を仕舞っていたんで、しばらくの間気付かなかったというわけです。これについては、私の父方の祖母、つまり父の母ですが、父が行方不明になる87年の5月頃に亡くなっていまして、その時の形見分けで、父の一番上の兄で「ゆずる(作者注・因みに本編では「太」としていましたが、譲に変えます)」という、私にとっての伯父がいるんですが、その譲から父が見せられて、その後は父が保管していたようです。それについては、伯父の譲自身から手紙が出て来た後で聞きました。手紙の中身を読めばわかりますが、徹が兵隊に召集されて、出征間際に祖父母に宛てて書いたようです。


 翔が言い終わると、明子が手に封筒を持って部屋に戻ってきた。明子はそのまま西田に封筒を渡した。西田は受け取って中身を取り出すと、便箋数枚が折りたたまれていて、それとは別に和紙と思われる紙が1枚折りたたまれて入っていた。


「どうぞ読んでください。どちらにも先程も言いましたが、「伊坂」という名前が記してあって、これは例の伊坂組の社長、伊坂大吉と関係があるのかと思って警察に相談したんですがね……」

翔に勧められるまま、西田はまず1枚だけの和紙の方を手にとって開いた。


※※※※※※※


 それは墨で書かれていた。そこには縦書で。右から昭和十六年七月五日と日付があり、「伊坂 太助たすけ」「北条 正人まさと」「桑野 欣也きんや」「免出めんで 重吉、名不明・実子」と記された大きな文字が順に書かれてあった。また、それぞれの下に「砂金百匁割当」とあった。そこからやや右横に離れた位置に、証人「佐田 徹」とあった。これが翔の亡くなった伯父のことだろう。


 更に、免出の欄を除いたそれぞれの一番下には拇印と思われる判が押してあった。しかしそれは朱肉の色ではなく、赤茶色のような色だった。西田は血液が酸化したものだと瞬時に判断した。いわゆる「血判」だと認識したのである。覗きこんでいた吉村も、

「これ血で拇印押してるんですよね? あと、押してない「メンデ」? の所はともかく、桑野って人物の拇印以外の箇所は親指で押してますよね?」

と小声で尋ねてきた。それに対し、

「この感じは、血判って奴で間違いない。それと、俺達は供述調書にサインさせる時、左手の人差し指の腹全体を押させる方法で印としているから勘違いしてるのだろうが、拇印の「拇」の字は本来親指のことを意味するんだぞ? だから一般的には拇印は親指で押すもんだから、他の拇印はそのまま親指を使ってるだけだろう。免出が押してないのは、文面から見ると、分け与えられるのは、免出とやらの名も判らない遺児のようだから、押して無くて当然だな。それにしても免出って苗字は珍しいな。今まで聞いたことがない」

と西田は説明した。すると黙って会話を聞いていた翔が、

「私もちょっと気になって調べたんですが、広島県に多い苗字らしいですよ。多いと言っても数百人レベルみたいですが」

とミニ知識とも言うべき情報を入れてくれた。


 確かに警察が被疑者から取る供述調書に押させる拇印は、通常左手の人差し指だから、吉村がおかしいと思ったのは不思議なかった。ただ、警察が人差し指を拇印(この場合正確には指印という方が妥当かもしれないが)に実質指定しているのは、その方が警察が想定している意味で、「指紋が判りやすい」というだけの理由である。警察は判別しやすいように、指の腹全体を転がすように指紋を取る。一般的な押印の仕方である、「押し付ける」形は、指紋の照合の際にズレが生じるので鑑定が難しくなり、それを避けるためである。


 そしてその指紋の取り方にもっとも適合しているのが人差し指なのである。尚、一般的には、内規で左手の人差し指を指定している都道府県警が多いが、右の人差し指を指定している県警もある(作者注・当小説においては、道警についてどういう規定をしているかわからないため、一般的な左手の人差し指を前提に執筆させていただきます)。


「あ、そうなんですか……。拇印の拇が親指のことだなんて初めて知りました」

いつもだったら、ここでもう一つツッコミを入れるところだが、さすがに遺族を前にふざけている場合ではない。西田は自重した。

「あ、ついでにもう一つ、この字読めないんですが……」

「吉村、これはモンメって読むんだ」

「ああ、聞いたことありますね。昔の単位ですか?」

「そうだ。重さの単位だ」

「じゃあ今の単位で言うとどれくらいなんですかね?」

西田はやられたと思った。吉村の無知をわらっていたが、自分もモンメがどの程度の重さを言うのかについての知識がまるっきりなかったわけだ。これは上司の沽券に関わると、黙ったまま脂汗をかきそうになったところで、二人の会話を見守っていた翔が助け舟を出してくれた。

「私もこれを初めて見た時気になりまして、ちょっと調べたんですが、1匁は約3.75gだそうですよ。そして当時の金の価格がおおよそ1g当たり4円で、当時の1円が今の2千から3千円前後じゃないかと言われているようです。色々な物価と比較するとズレが生じるんで、あくまでおおよそですが」

内心かなり助かったのだが、西田は素知らぬふりをして、

「そういうわけで金が百匁となると、ほぼ375gぐらいで、当時売った場合の金額を今の価値にすると4円に375gに平均2500円掛けて……」

と唱えたが、暗算に集中しようとした横から、

「いや、それより4に2500掛けてから375掛けた方がわかりやすいでしょ。375万ですね。ですから4人で当時、今の価値でいうところの1500万ですか。かなりの金額価値ですね……」

と吉村があっさり答えてしまった。結局は吉村に上司としての沽券は砕かれた形になった。

「確かにそうなるかな……」

苦し紛れに西田は吉村の答えを追認した。

「まあ大体そうなるんじゃないかと、私も考えていますよ。今は金の価値は当時よりかなり落ちていますが」

翔もこの時ばかりは、それまでの二人の会話を聞いていただけに、なにか含み笑いしているかのように西田は感じた。いや、ただの「被害妄想」だったかもしれないが。


「それにしても、これは何を意味しているんですかね? 金の分け前を記した契約書のようですが?」

西田は照れ隠しもあり、話を変えようとした。

「それはその便箋の内容を見てくださった方がいいと思います。何となくですがそれで意味が判るはずです」

と翔は真面目な顔で西田に語った。西田はアドバイスに従い便箋を開くと、吉村にも見えるようにして読み始めた。便箋は多少酸化して黄色くなっていたがボロボロという程ではなく、字はペンと思われるもので青インクで書かれていた。


※※※※※※※


 この手紙は同封してある、仙崎大志郎という人物が、生前に貯め続けた隠し砂金の遺産の分配を記した証文の経緯と説明を記したものです。自分は戦地に召集されることになり、生きて帰れるかどうかわかりません。もしもの場合には、証文の経緯を第三者として証明できるものが居なくなってしまうため、ここに書き残すことにいたしました。父さん母さんにおいては、私にもしものことがあった場合には、これを読むように言い残しておきますが、内容に驚かないでいただきたい。当然のことながら、これを読む機会が二人に訪れないことを、自分自身の為にも願ってやみませんが、繰り返すように念の為、以下に記させていただきます。


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 私、佐田徹は、仙崎大志郎氏(以下・仙崎)の生前の意思に基づき、証文の四名に仙崎の遺産である砂金を等分に分け与える義務を負い、証文においてその権利を確定させるものとする。


 私と仙崎の関係は昭和十二年より勤務した滝上たきのうえ金山きんざん時代に遡る。滝上村(作者注・現在は北海道・オホーツク総合振興局・滝上たきのうえ町に当たり、遠軽の北西部に位置)の川に砂金掘りとして入っていた仙崎と、釣りで渓流に分け入ることが多かった私が、たまたま親しくなったことが始まりである。仙崎は自分より早目に滝上を去ったが、私がその後、北ノ王鉱山で勤務し始めると、生田原村で砂金を掘っていた仙崎氏と偶然再会。仙崎の仮住まいの山中の小屋を頻繁に訪ねるなど、更に交流を深め信頼されるに至り、このような責を負うことになった。


 仙崎には遺産を残す血縁者も居らず、もしもの場合には、自らの砂金掘り業の使用人に仙崎本人所有の四百匁の隠し砂金を分け与えるように、私に常々言い残していた。故に、証文に記載してある、使用人である三名と死亡した免出の遺児(免出が生前に「直に会ったことのない子供がいる」と常々言っていたと三名が証言していたため)にこれを分け与えることにした。尚、この依頼を受けた時点で、自分自身も手数料として仙崎氏より金五十匁を既に受け取り済みである。


 仙崎はその後、昭和十六年六月十八日の未明から早朝に掛けて病死したと思われる。当日早朝に異変を受け、北ノ王鉱山事務所まで山より下りてきた桑野欣也によって私は連絡を受け、仙崎の山小屋に駆けつけたものの、桑野の言う通り既に死亡していた。かねてより、「自分に何かあった場合には、使用人に平等に分けるように」との言葉に従い、砂金を分け与える必要があると考えた(この時点では使用人にそれについて明かしていなかった)。医師ではないため、断言は出来ないが、遺体に不審な点は見当たらなかったこと、仙崎が大変信頼していた桑野の説明、表情からも、病死との確信に至った。亡くなる直前に突然夜中に大きないびきをかいていたということから見て、脳関係の何かが死因ではないかと当時考えた次第。最終的には医師の判断が必要かと考えたが、使用人の中には、「自分達が疑われる可能性がある」として、公にするのをあまり良い顔をしないものがあったため、そのまま埋葬することになった。流れ者のような身分の者もおり、そういう感情があったのは理解できなくはなかった。


 尚、仙崎が死亡した時点で使用人は五名居た。私は一度仕事に戻るため、遺言の説明を同日の仕事の後にしようと考えていた。ところが十八日の昼過ぎ、そのうちの免出重吉が、同じく雇われていた、高村哲夫に殺害されてしまった。残る、最終的に遺産を受け取ることになった三名が、仙崎埋葬の後、生田原の中心部に前記二名を留守番にして買い出しに行った間に、殺害されたた模様であった。状況から、高村が小屋にあった仙崎や使用人の金品(遺産は元々仙崎が隠してあるので無事)を盗って逃亡しようとして、それを免出が止めたところ殺害されたものと見られる。これについては桑野から自分が聞いたものであるが、桑野の話から事実の可能性が高い。当然、前記の「良い顔」をしなかった者には高村も含まれていた。


 その後戻って状況に気付いた三名の追跡により発見された高村は、激怒した、桑野を除く二名により殴打され殺害されたものである(あくまで三名よりの伝聞であるが、仙崎だけでなく自分から見ても、一般人基準としても教養があり実直な、信用すべき桑野の言葉に嘘はないものと思われる。他二名も桑野は加担していないと証言した。また殺害行為は、主として伊坂が怒りに任せて木刀で殴りつけ、北条がこれに追従。後から桑野が止めに入るも間に合わなかったと、三名それぞれ一致して証言していた)。これにより免出の遺児(桑野達が聞いていた本人談では、婚姻を経ておらず、私生児という形であったようで、免出が詳細を語っていなかったらしく氏名とも不詳)にも分配し、免出を殺害した高村関係には一切の分配はないものとすることとなった。免出は仙崎の横に埋葬した。当初高村は放置して熊にでも食べさせてしまえという案もあったようだが、倫理面は勿論、事件が発覚する可能性が高くなるという私と桑野の反対により、二名とはやや離れた場所に埋めたものである。


 仙崎はおそらく病死のため、警察には通報する道義的必要性はないものの、免出、高村の件は明らかな殺人ではあるが、免出を殺したのが高村であり、また高村には殺されるに値する責もあることから、私はこの件につき結果的に黙認したもので、警察沙汰になるのを避けた。仙崎死亡の際、医師への通報をしなかったのと同様の理由もあったことは理解いただければ幸いである。


 最終的に残る3名に、仙崎の生前の意思を説明した上で砂金の分配を確定させ、それぞれに同じ証文を作成して渡した。だが、私もあくまで仙崎より聞いていただけの、砂金が埋められていた場所の確定並びに掘り出しに時間が掛かること。同時に事件の発生もあり、早急に三名が居留地から去る必要があること。相手の私生児となっているはずの、免出の遺児の姓名、所在が判明していないことの三点により、その時点では分配そのものはしなかった。


 これを記している昭和十九年二月二十日時点においても、当然のことながら未だに分配はされていない。三名には落ち着いた段階でそれぞれ自分と連絡を取るように伝えた。分配は三名と免出の遺児に確実に分配できるようになった適切な時期に、順次行うものとすることも伝えておいた。ただ、その適切な時とは、当方が判断すべきものとして決まったが、三名がその後、生田原の自分の前に現れることもないまま、北ノ王鉱山が休鉱になったため札幌へと自分が移転してしまった。ついには召集されるに当たり、場合によっては、残る三名によって、免出の遺児分を残した上で分配するということも許可せざるを得ないと考えている。以下に説明する埋められている場所は、未だ当方しか知らない状態である。


 仙崎が自分の金を埋めたと生前自分に語った場所は、国鉄石北本線常紋隧道ずいどう(作者注・隧道=トンネルのこと)生田原出口より三百五十メートル(百尺)程生田原方面へ行った場所から、生田原方面に向かって右に見える仙崎氏の小屋から真東に斜面を三十メートル強(十尺)程登った場所にある巨石の真下三メートル(約一尺)と聞いている。だが未だ自分自身存在を確認したものではない。ただ、仙崎の性格を考慮すると実在するものと確信を持っている。


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 以上がこの証文が出来た顛末の一切であります。昭和十八年の金山廃止令(作者注・正確には金鉱山整備令)により、北ノ王鉱山も廃鉱となったため、既に書いてありますが、父さん母さんが知っているように、私は札幌で勤務することになってしまいました。そして、そのことについては三名は知らないままであります。


 念のため、小樽の実家の住所については、三名が生田原を去る前に告げており、連絡が付かないままの場合、三名は最終的には小樽の家を訪れる可能性が高いと考えております。万が一のことが自分にあった場合、権利者の中で、同封されているのと同じ形式の証文を持って訪れる者があれば、父さん母さんにおいては、住田の遺児の判明前であっても、三名により免出の遺児の権利分を残した上で分配、共同管理することで発掘を許すと、埋められているとされる場所も含め伝達することを望みます。尚、伊坂においては、高村の殺害に主導的に関わるなど、短絡的、激情的であり、自分から見て人間的にやや信用出来ない面があることから、伊坂単独で訪れた場合、砂金の在り処を彼には伝達されないことを望むものであります。


 三人の風貌を念のため書いておきます。伊坂太助は、丸顔で目は大きく、左の肘あたりに大きなほくろがあります。北条正人は瓜実うりざね顔で目は細く、前歯が2本抜けていました(その後もっと抜けたかもしれませんが)。桑野欣也は、それほど特徴の無い顔でしたが、元は豊かな家に育ち、岩手の旧制中学に通っていたようで、無骨者が多い人足稼業に従事している人物としては、教養があるように思います。背は意外と高かったように思います。おそらく六尺(作者注・おおよそ180ちょっと)近くあったと思います。喋ると東北・岩手訛の強い点も特徴です。当然、最も重要なことは証文を持ってきていることですので、その点においては厳重にお守りください。出来れば、証文の拇印との比較もしていただけるとありがたいのですが、それはしなくても構いません。桑野以外は右手の親指、桑野は右手の人差し指で押してありますので、目の前で押させて比較していただけるとより正確な持ち主判断が出来るとは思っております。


                       昭和十九年二月二十日 徹


※※※※※※※


 冒頭から、寺川名誉教授の証言で出て来た、おそらく身元不明遺体の「甲」と目されていた仙崎の名前が出て来たことに、思わず顔を見合わせて驚いた二人ではあったが、その先を読み進めるごとに出てくる事実の羅列に、ただただ唖然とするばかりであった。砂金の隠し場所の目印と書かれた「巨石」にも、2人は生田原現場周辺の捜査で何度か見た「アレ」のことだろうという確信があった。


 この手紙の内容が事実だとすれば、丁寧に埋葬された、殴打された痕跡があった「乙」は免出、殴打された上で捨てるように葬られた「丙」は高村ということになる。いやあまりに昭和52年の身元不明3遺体収容と状況が符号していたことを考えても、これが作り話だとは到底思えなかった。時系列を見ても、その後に話を合わせて創作することは不可能だ。逆に言えば、あの事件を知らなければ、ただの創作としか思えなかったかもしれない。南雲から照会を受けた、4年前の北見方面本部の担当者が、手紙も証文もまともに相手にしなかったのもわからなくもなかった。


「この内容は、あの3名の遺体発見という時効事案の事情説明になっているってことでいいんですよね?」

吉村は遺族の前とは言え、高まりを抑えきれずに居たが、それは西田とて同じだった。

「そうとしか言い様がないだろ? 問題は伊坂太助という人間が先代の伊坂社長と具体的にどういう関係だったのかということだけだ。そこに実際に『縁』が存在していれば、佐田さんの殺害に伊坂が絡んで来る十分な根拠になってくる。苗字が同じだから親族という可能性が高いのだろうが……」

「しかし係長、1つだけ問題があります。自分達は佐田実さんが伊坂と会っていたことから、伊坂太助と伊坂大吉との間に関係があったのではという疑念を抱けますが、『伊坂太助』という名前を見ただけで、当時の佐田さんが『伊坂大吉』との関係を真っ先に疑うとは思えないんですが?」


 吉村の指摘は全くその通りだった。佐田の遺族にせよ、自分と吉村にせよ、伊坂大吉が佐田の失踪に絡んでいるという可能性が高いことを知っているが故に、この手紙を読んだ時点で、伊坂太助と大吉の関係性を疑うことが出来たが、佐田がこれを読んだ段階で、太助と大吉の関係性を「伊坂」というキーワードだけで結び付けられるかは怪しいのだ。伊坂という苗字自体は、そうありふれたものではないが、佐田実が手紙を初めて読んだ段階で、いきなりそういう発想になるとは思えない。


「吉村の言うことはもっともだな。ただ、篠田が生田原の現場に行って米田を殺すきっかけとなった伊坂からの電話の内容といい、これといい、あまり正確に把握しようとこだわり過ぎると、反って前に進めなくなるから、そこは上手く誤魔化しつつ捜査していくしかないだろ?」

西田はそう答えるにとどめた。


「わかりました。それは保留しておくということで。それで話の続きですが、もし隠し砂金が残っていれば、多少は金策の助けになりますからね」

吉村の発言で西田は重要なことを聞かなくてはと思った。

「すみません、大変失礼なことを伺いますが、佐田さんが失踪した当時、どの程度の資金の必要額、或いは借り入れがあったかおわかりになりますか?」

聞きづらい直接的な質問をすることもいとわなった。この話をきちんと調べておくことが重要だと考えたからだ。それにしても、渡した証文が自分の父の事件に関係有るかもしれないと感じていたとは言え、目の前の刑事二人の会話が当然通じているわけもない三名の遺族だったが、西田の質問に佐田の妻である明子は、

「当時で年末の返済必要額が2億程だったと……」

とポツリと言った。


「2億ですか……。わかりました」

と西田は言うと、

「佐田さんの狙いは残されたという仙崎の金ではなく、伊坂……」

とそこまで吉村に言いかけて躊躇したが、

「伊坂から直接融通してもらうことだったと思う」

とやや濁して表現した。吉村も西田の意図を察したか、

「なるほど。戦前で時効とは言え確かに知られたくないことですね」

と頷いた。


 西田は、ある程度正当な理由があったとは言え、高村殺害に伊坂太助という、伊坂大吉と同姓の人物、いやおそらく血縁者などの関係者が関与していることを利用して、脅して金を引き出そうとしたのではないかと考えたのだ。実際、残された砂金全部を手に入れたとしても、今それを売ったところで、375gの4人分である1500gに今の金の単価1200円(作者注・2016年現在4500円程度の単価)を掛けた180万程度では、到底足りる金額ではなかった。金を探していたかどうかは定かではないが、実際に伊坂に会いに行ったこともそれを裏付けていた。


 一方で、伊坂としてはいつまでも佐田の「要求」を受け入れなくてはならない事態は避けなくてはならないだろう。そうなると佐田を「消す」ことも選択肢の一つだ。そうだとすれば、後は伊坂太吉と伊坂大吉の関係性の証明が出来れば、捜査はかなり前進するだろう。


 他の問題としては、この手紙を南雲から受け取った警察、具体的には北見方面本部の「そっけなさ」が意図的な隠蔽を意図したものだったかどうかだが、西田はそうは思っていなかった。昭和52年の3名の遺体発見は遠軽署が単独で捜査しており、しかも結果的に事件は立件できなかった。それを北見方面本部が把握していたかどうかは相当疑問だったことがあったからだ。それを知っていたか知っていないかは、この手紙の信憑性に影響を与えただろう。


 また、仙崎の存在についても、昭和52年当時、事件の捜査に当たった遠軽の捜査関係者ですら把握していなかったのだから、この佐田徹の手紙を読んだところで、内容を信用するのは無理があったのは間違いなかった。手紙も証文も、言わば子どもたちの遊びに出てくるような、架空の宝島の地図とその説明のような扱いだっただろうことは想像に難くなかった。


 ただ、経緯を全て知っている西田や吉村始め強行犯係にとって、この手紙は無縁仏3名が出た背景の全貌解明を手助けするだけでなく、佐田の殺害事件の解明に導く、道標となる可能性すら出て来た。

「すみません。ちょっと電話掛けさせてもらいます」

西田は携帯を取り出すと遠軽署に連絡をした。出た大場に課長に替わるように頼み、大まかな説明をすると、沢井課長はファックスで早く書面を送るように指示した。

「ファックスありますかね?」

即答で翔にファックス使用許可を得ると、全てを遠軽署に送った。そして500円玉を誠に手渡した。丁寧に辞退した翔に、

「民間の方のファックスを使ったので、貰ってもらわないとむしろ規定違反となり困ります」

と西田は半ば押し付けるように渡した。そして、

「重ね重ね申し訳ないんですが、この手紙と証文、しばらく、しばらくと言っても長期間になるでしょうが、我々がお預かりさせていただいてよろしいでしょうか? お約束とまでは行きませんが、もしかすると捜査が進展するかもしれません」

と申し出た。


「本当ですか? 役に立つのなら勿論自由に使って頂いて構いませんが。それにしても4年前は警察はまともに取り扱わなかったのに、役に立つんですか?」

と不思議がる明子を前に、

「当時とはこの手紙が置かれている状況が全く違うということです」

と吉村が西田に代わって言った。

「そうなんですか? 4年前、この手紙を見つけたものの、警察の方にまともに相手にされなかったので仕方なく、この手紙に出てくる生田原に主人が行ったのではと思い、藁にもすがる思いで、周辺の遠軽駅や生田原駅に主人の写真入りのチラシやポスターを置いてもらって、心当たりのある人がいないか探したりしたものです。結果は、遠軽の旅館に、行方不明になる1ヶ月程前に2泊ほど宿泊していたことがわかりました。実際に、行方不明になる1ヶ月程前、主人は出張と称して3日程家を開けておりました。その点で一致していたのですけど、ただ、出て来たのはそれだけでした。今回は主人の遺体を見つけてくださった刑事さんの言葉ですから、大変心強い限りです。是非よろしくお願いします!」

明子は西田と吉村の手を両手でそれぞれ握った。西田も吉村も、それぞれ空いていた手で夫人の手を握り直すと、西田は

「結果はどうあれ、全力を尽くします」

と力強く言った。そして続けて、

「本来であれば、この手紙の件についてもうちょっと詳しく聞かせていただくべきかもしれませんが、今は急いで調べたいことがあるんで、またお伺いさせてもらうかもしれません。その時もご協力願います」

と告げた。3人の遺族は当然のことながら全面協力を約束してくれた。

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