第10章 涙


 また今年もこの場所にやってきた。

 1年は長いようで短い。ついこの間もここに立っていたような気がする。私は水が張られたバケツを置き、持って来た赤と黄色の花を添える。いかにも仏花というのはイヤなので、花屋の人には親戚の子供が生まれるからとウソをついて明るい花を見繕ってもらった。

 この冷たい重い石の下に彼は眠っている。10月19日、今日が夫の命日だった。墓石には久谷慎と刻まれている。


 十二年前、結婚して2年目の年。私は息子の手を引いていた。まだ歩き出したばかりで放っておけば好き勝手にどこへでも行ってしまう。目が離せない時期だった。

 太鼓台をかくのが初めてだという彼は真新しい法被に袖を通し、うれしそうに意気揚々と家を出て行ったことを覚えている。かきくらべは運動会みたいだと大人気なくはしゃいでいた。しかし、その年は太鼓台の喧嘩が多い年で、喧嘩が喧嘩を誘発して日増しに激しくなっていった。峰泉太鼓台も例外ではなくその渦中にいた。

 要領を得ない彼は判断を誤ってしまった。逃げればよかったのになぜ前に出て行ってしまったのか。彼の性格からすればあり得ないことではなかったのに、私は彼に危険を促す配慮が足りなかった。

 かき棒は彼の側頭部に直撃し頭蓋骨を砕いた。病院に運び込まれたときにはすでに瀕死の状態だった。そして翌日の朝、彼の意識は戻らぬまま息を引き取った。それからの記憶は私にはない。葬式も気がつけば終わっていて、焼かれ人の体を失った彼がこの墓の下に眠っていた。

 あのとき、もう少し私が彼を気遣うことができていれば、もう少し駆け出すのが早ければ、あと少し私の手が長ければ、彼を助けることができたのだろうか。そんなことばかりを思う。もう何千何万回と繰り返し悔やみ続けた。そんなことがあるはずないとわかっているのに、父や母、他人のせいにもした。そうしないと私の心は壊れてしまいそうだった。実際、私は太鼓台の姿を今もまともに見られなくなってしまった。町に貼られたポスターや写真でさえ気分が悪くなり吐きそうになる。まだそれは今も続いている。

 その一方で私が悲しみに暮れ、父をはじめ、河島家の人間が太鼓台から離れてしまうのもイヤだった。父も今でこそ太鼓台をかきに行くが、事故からしばらく何年かは太鼓に近づきもしなかった。本当は母が連絡を取っていたことを知っていたのに、音信不通だということを理由に弟にも一切知らせなかった。

 息子にはどうしても本当のことを伝えることができず、物心ついたときには父親は交通事故で死んだとウソをついた。自治会からの謝罪を受け入れる代わりに、この出来事が息子の耳に入るようなことがないようにしてほしいと約束してもらった。特別扱いもしないで家族に普通に接してほしい、と切に願った。

 今でも迷う。はたして私の判断は正しかったのだろうか。またそんなことばかり考えてしまう。憎いはずの太鼓台を憎みきれず愛し切れてもいない。それでも私たちは次の世代に太鼓台を伝えていく役目がある。親から子へ、それからまたその次の子供たちへ。この先ずっと。

 彼が生きていれば、今も親子3人であのアパートに暮らしていただろうか。それとも父からお金を借りて家を建てて暮らしていただろうか。庭で犬がいて休みの日には彼と息子が散歩に出かけていく。ひょっとしたら息子には弟か妹かがいただろうか。

 頬を一筋の涙が伝う。私は墓の前でひざを折り崩れ落ちた。ここでは私は本能に逆らえない。理性もなく思考もなく、私にできることといえば泣くことだけ。自分自身が保てなかった。人一人いない墓地で声をあげて思い切り泣いた。今も私は彼の抜けた穴を埋められずに、まだ闇の中をくるくるとさ迷い続けている。


 しかし人間は不思議なことに泣くだけ泣くと少し気が晴れる。毎年の恒例行事。これだけ泣けば来年またここに来るまでは大丈夫だろう。気持ちが落ち着いたところで彼の墓石に水を撒く。涙でぬれた頬を撫でる風には冬の匂いが混じっていた。


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