見えない刃 11

次の日の夕暮れも近くなってきた時間に私と千葉君は、学校の最寄りの駅にいた。

彼の書いた小説でこの場面が、夕方の街の中で駅から学校に向かうところから描かれているからだ。

それを再現するためにそこを歩くことにした。

私と千葉君は、学校へ向かって小説に描かれている道の通りに歩き始めた。

歩き始めるとすぐにもう青々とした葉をつけている桜並木を抜けて、次に銀杏の並木が見えてきた。

「ねぇ、千葉君。

空は、ここを通りながら何を考えていたと思う?」

私は、千葉君に尋ねた。

「春は、桜。

夏は、鳴り注ぐ蝉時雨。

秋は、紅葉する銀杏。

冬は、星空。

それと一緒に歩いていたんだと思うよ。

一日として同じ様相でいないそれ達を噛みしめていたんだと思う」

千葉君の「だと思う」は、だいたい確信のような気がする。

そんな自信を言葉から感じ取れた。

それに私もそう思った。

角を曲がって銀杏を眺めながら歩くと橋が見えてきた。

橋の下には、細々とした川が流れていた。

橋を渡りきると坂が訪れる。

「いつも私の意見に千葉君が、正解と言い渡すだけだからたまには、千葉君としての彼の小説の見解を聞きたいな」

私は、隣を歩く千葉君に尋ねた。

「俺の見解ね…」

考えをまとめるように遠くに目をやった。

そして、決心したように私の目をじっと見た。

「あいつがさ、小説を書き始めたきっかけっていうのは、小学校の時のイジメが発端なんだよ。

自分には、あの書店のおじさんと俺がいるから大丈夫だけど、世界には誰も頼れる人がいない子供だって大勢いるはずだって。

だから、そんな子達も助けられるような人間になりたいって。

本なら世界中で読まれることが出来る。

だから、小説という形をとったんだ」

千葉君が、一度言葉を切った。

私は、黙って聞いている。

人の話は、遮ってはならない。

意見を述べたいのなら最後まで話を聞いてからだ。

「この『四色』には、あいつの今までの経験と言えるものがいくつか入っている。

俺達が、追いかけているこの景色たちもその一つだ。

その一場面一場面が、あいつらしくて、懐かしい話なんかが入っていてむず痒くなる。

現実世界でこんなセリフを言うような奴は、いないだろうってくらいに。

それでも、あいつが描いたのは、現代の人間の姿だ。

人は、沢山のことを知っていき、沢山のことを忘れていく。

忙しいのだから、日々に追われているのだから仕方ない。

そんな言葉ですべてを片付けてしまっている現代人を。

誰もが、同じだけの時間を有している。

どう使うかは、自分たち次第であるけれど、それが有意義になるかどうかは、僕らの選択次第だ。

他の人に任せることは、絶対にない。

未来を選択するのは、僕らなのだ。

僕らしかそれを作ることは出来ない。

人の儚さ、人が人間でいることの難しさ、そして人の美しさをあいつは、伝えたかったんじゃないのかな」

思わず、拍手をしてしまった。

私は、千葉君にヒントをもらってようやくその四つの景色の意味を分かっているというのに。

プロットを見ていたとしても単純にすごいと思えた。

千葉君を見ていてひとつ分かった。

この単純さも現代では、珍しがられてしまうのだろう。

他人を蹴落として、昇格したいとか。

自分の時間を無駄にさきたくないから誰かが困っていても助けなかったりだとか。

現代人は、自分のことばかりで周りを見ていないのだ。

だから、誰も単純に物事を考えることが出来ない。

自分で複雑化しているのだ。

単純に考えることの楽さを大切さを彼は、教えてくれた。

「ありがとう」

千葉君に礼を告げた。

告げなければならないような気がした。

もう二度と礼を言えないような気がしたからだ。

気がつけば、昇降口にたどり着いていた。

靴を履き替え、去年まで使用していた教室に向かう。

ちょうど、夕日が教室に差し込んできている時間だった。

「懐かしいな。

この教室も」

千葉君が、慈しむような手で教卓をなでた。

彼と同じクラスであった千葉君は、とてもこの教室を懐かしんでいた。

私は、隣の教室であったから特に思い入れは無いのだけれども、不思議と暖かい気分になった。

窓の外に目をやると海が遠くに見えた。

赤色で染め上げられた教室には、私と千葉君が二人。

「ここ、俺が二年生の最後に座ってた席なんだ」

そう言うと真ん中の列の窓側寄り、前から四番目の席に腰をかけた。

「空の席は確かここだよね」

私は、窓際の列の一番後ろの机を撫でた。

サラサラとしていて木の香りを感じることが出来た。

「そう、最後の最後で最高の席を引き当てたって言ってたかな」

「言ってたね」

笑いあった。

千葉君と。

そして、夕日から顔を背けた。

「どうしても答えを出さなくちゃいけないのかな」

私は、千葉君に問うた。

短い沈黙が、返ってきた。

「この事に答えを出してしまったのなら私は、空のことを忘れてしまいそうで怖いんだ。

私の人生は、きっとこれからも続いていく。

その中で日々に追われるようなつまらない人間になってしまうかもしれない。

逆に色々な人とかかわり合うかもしれない。

私は、自分の目指す先を提示できていない。

だから、忘れてしまう気がする。

この事に答えを出してしまったら空について考えることが無くなってしまったら」

私は、自信がなかった。

彼にあれほど自信を持った方が良いと言ったのに。

自分のことになると全然ダメなのだ。

「たとえ、忘れてしまったとしてもそれはそれで仕方ない。

だって、君の言ったとおり俺達の人生は、これからも続いていく。

沢山の人と関わる。

いつか、他の誰かと家庭を持つかもしれない。

その日々の中であいつのことを忘れるかもしれない。

でも、俺はそれでいいと思う。

どんな人と関わったとしてもさよならの時は、必ず来る。

どんなさよならにでも意味がある。

その意味を俺は、俺達は、まだ何も知らない。

だから、その意味を知らなくちゃいけないんだよ。

これから、それを知るために答えを出す。

出さなければならないんだ」

さよならの意味か。

確かに私は、まだ何も知らない。

どんな人と関わってもそれは必ず訪れる。

すべての生命に終わりがあるから。

こうやって逃げていてもそれこそ意味が無いんだ。

私は、答えを得なくてはいけない。

『I do.』ではなくて『I must.』。

前に進む覚悟を持った。

「それじゃ、早速始めようか。

主人公は、忘れ物を取りに駅からここへ戻ってきた。

それで偶然にもこの景色に遭遇する。

その時の心情を答えよ」

まるで国語のテストのようだ。

彼の気持ちになって私は、考える。

千葉君は、言った。

主人公が、この景色を見たのは偶然だと。

果たして偶然なのだろうか。

見るべくしたから見た。

そうなのではないだろうか。

よく世の中には、偶然やたまたまという言葉で片付けられてしまう事柄が、沢山ある。

それらの中に不運にもと呼ばれるものも含まれてしまう。

運命論を信じるのなら出会うべくして出会うわけだし、起こるべくしてその事は、起こる。

全てのことには、理由がある。

だから、偶然という言葉で片付けられるものなどあるはずが無い。

彼ならこう言うだろう。

「すべての物事は、どこかで必ず繋がっているんだよ」と。

花のように真っ赤な夕焼けが、私を包み込んでゆく。

答えは出た。

「空は、この景色で伝えたいことなんてなかった」

私は、千葉君の方に振り返った。

「この景色で空が伝えたかったことなんて一つもなかったんだよ」

もう一度繰り返した。

千葉君は、目を丸くしている。

「それが、君の答えでいいのかい?」

「ああ、問題としては主人公の心情を答えよだったね。

ごめん。

主人公の心情は、前に進もうと思ったんじゃないのかな。

私と同じように。

この景色には、それだけの力がある。

空もたまたま見つけたんじゃないかな」

私が誇らしげに胸を張ると千葉君は、優しく笑った。

「うん…」

間を置いて。

「正解」

優しく言った。

その顔が、彼のそれと重なった。

私は、振り返り夕日を眺めた。

この夕日に懸ける彼の願い。

そんなものは存在しないだろう。

彼の伝えたいことは、前の三つの景色に全て詰め込まれていた。

希望と絶望。

美しいもの。

人が忘れてはいけないこと。

さよならの意味。

それらを私はまだ知ることは出来ていない。

けれど、私は、これからその意味を知るために歩き始めるのだろう。

「この空のどこかにあなたが、いるのなら聞いて欲しい!

たとえ、世界中のすべてが、君のことを忘れても私は、忘れない!

私が好きだった君のことを忘れない!

何よりあなたを愛していた私を忘れない!

だから、私は、前に進むね!」

教室の窓を開け放ち、空に向かって叫んだ。

私の心の中に出来たこの感情を。

力いっぱい。

この想いを。

私は、不思議と彼にこの言葉が届いているような気がした。

だって、空に彼は必ずいるもの。

名前が、空というくらいなんだから。

「良かった。

本当に良かった。

これで心置きなく僕も逝けるわけだ」

千葉君が、後ろで呟いた。

ここで私は、一つの疑問を抱いた。

千葉君の一人称は、『俺』では無かっただろうかと。

たまに『僕』となっている時があった。

そういう人なのだろうか。

不思議に思って私が振り返った時だった。

どさりと音を立てて千葉君が倒れた。

「ち…ばくん?」

呼んだが返事はない。

私は急に焦り始めた。

一体どうしたのだろうか。

体調が悪かったとかだろうか。

私は、千葉君に駆け寄り体を揺すぶった。

反応はない。

目を覚ますような気配もない。

こういう時は、どうすれば良いのだっけか。

頭は、揺さぶらない方がいいんだけっか。

焦りで自分の考えがまとまらなくなり始めた。

一度深呼吸をして落ち着く。

保健室に連れていくべきだろうか。

いや、夏休み中である今に養護教諭は、いないだろう。

救急車を呼ぶべきだ。

よし私の考えは、まとまった。

すぐさま実行に移そうとしてスマートフォンを取り出した時だった。

千葉君が、座っていた席の机の上に封筒が置いてあった。

表に大きく私の名前が書かれていた。

冷静になりすぎた私は、そちらに興味を持ってかれていた。

「なんだろうこれ?」

不思議に思ってつい、裏返した。

そこには、反畑空と書かれていた。

私は、目を見開かずにはいられなかった。

急いで開封をする。

中には、二枚の便箋が入っていた。

どちらも筆跡は、間違えなく彼のものであった。

『まずは、何も言わずにいなくなった事を謝らせて下さい。

ごめんね。

そして、先に一つ断っておく。

これは、決して千葉のいたずらや悪ふざけでも何でもないことを書いておこう。

 約束を守れなかったことを怒っているかもしれない。

本当に申し訳ない。

僕の身に起きたこと、それは悪意の暴走に巻き込まれたこと。

簡単に言えば、自分で予期せずに、死んでしまったのだ。

死ぬ直前に人は、走馬灯を見るというけれどあれは嘘だね。

僕が保証しよう。

それで、次に目が覚めたら目の前に天使を名乗る男がいた。

そして、こう言ったんだよ。

「あなたは、まだ下界に未練があります。

だからその未練を精算してからまた来てください。

きちんと成仏していない霊が、天界に来られると迷惑なんです」ってね。

笑っちゃうだろう?

天使なのに成仏だって。

管轄が違うような気がするんだけれどね。

それともとある聖人漫画の通り本当にあの二人は、仲良しなのだろうか。

まだ、下界にいる僕には分からないんだ。

ああ、話がそれたね。

それでさ、下界に下ろされてどうしたもんかなって墓石の上で考えていたんだよ。

未練と言われても夢を叶えられなかったことも未練だし、君との約束を守れなかったのも未練である。

その二つを精算するには、長い年月が必要だし、何より叶えるための肉体を僕が有していない。

さてさてどうしたもんかと悩んでいると僕の墓参りに千葉が来たんだよ。

あれは確か、七夕の日かな。

天の河の美しさに心を奪われていたのを覚えている。

だから、つい、ね。

千葉の体を借りてしまったんだよ。

乗り移るというのは案外簡単で本当に漫画のようだったよ。

君もやる機会があったらやる事をおすすめするよ。

って、それはあまりにも不謹慎か。

ああ、また話がそれた。

いつもそうだね。

僕は、大切なことを先送りにしすぎている。

その後、星を眺めてもう一度自分の未練は、なんだろうと考えていたんだよ。

そしたら、君が来た。

息を切らして。

君の顔を見た時僕は、驚いたよ。

だって、僕の知っている君の顔には程遠かったのだから。

いつも活力に漲っていて僕をどこまででも連れていってくれそうなその顔に。

その時に気がついたんだ。

僕の未練は、これだと。

君を悲しませたことだと。

君を追い詰めてしまっていたこと。

君をそんな人間にしてしまったこと。

だから、せめて、君の顔に笑顔を取り戻したいと思った。

君が、前に進めるようにすることが僕が千葉の体を借りてすべきことだと思った。

 今の僕に出来ることは、少ない。

直接君に正体を明かしても信じるわけがないと思ったからね。

だから、自分の書いた小説を使った。

君なら僕の描いた景色を見たいと言ってくれると思ったから。

あの日に編集者の人が、来てくれたのは好都合だったよ。

すんなりと僕の小説を利用することが出来たから。

一つ言っておこう。

千葉も僕のパソコンのパスワードは、知らなかったよ。

たとえ親友と言えど、見せたくないものはあるからね。

だから、今知っているのは君だけだ。

でも、だからと言ってジロジロ色んなものを見ないでくれよ?

恥ずかしいものが結構あるから。

あとプロットがあると言うのも嘘だ。

だって、自分の頭の中でどうするかは考えてあったのだから。

忘れるはずのない僕の伝えたかったことをわざわざ紙に書き出したりはしないよ。

ともあれ、君に僕の景色を見せる三日間の旅が始まった。

旅というには、いささか物足りないものがあったかもしれないけれど。

あの都会の街では、おじさんに会うことが出来て良かったよ。

ああ見えて心配性なところがある人だから元気にしているようで良かった。

君も僕の伝えたかったことを見事に当ててくれた。

あの街で小学生の僕という人間が形成されたんだ。

次の田舎町、僕らの町のシーンと星空のシーンでは、ああも簡単に当てられるとは思っていなかったから驚いたよ。

僕の予想では、もう少しかかるかと思っていた。

それで仕方なく千葉の家に行ったわけだ。

僕と千葉とが、中学時代によく遊んだ場所に。

光ちゃんに対して自分のことを好きだからなというのは少々照れくさかったかな。

たまに光ちゃんから熱い視線を感じていたんだよ。

それがまさか僕と千葉のBL妄想だったとは思わなかったけれど。

最後に君のサンドウィッチを食べられてよかったよ。

正直に伝えることの出来ていなかった味の感想も伝えることが出来た』

ここで一枚目は、終わっていた。

私の手は、震えていた。

千葉君の体を乗っ取った?

未練を精算するまで天の国には、入れない?

信じたくはなかった。

けれどもこの筆跡を見る限り、信じるしかなかった。

そして、二枚目に移ろうとした時だった。

「ん〜?

なんで俺学校にいるんだ?」

千葉君が目を覚ました。

「あれ?どうして○○さんもいるの?」

自分の今置かれた状況を理解出来ていないようだ。

「ねぇ、千葉君。

今日が何日だか言える?」

「七月七日?」

千葉君は、今日から数えて二週間と三日前で止まっていた。

私が聞いても私とどこかに行った記憶はないという。

彼からの手紙を千葉君に見せた。

もちろん一枚目だけだ。

そして、今日までのことを千葉君に説明した。

読み終えると千葉君は、ため息をついた。

「本当にこいつは…全く…本当にそういう所だよな。

そういう無根拠になんでも言ってのけるところだよ。

言うだけならただだって。

そして、そんな所に俺は、憧れてたんだろうな。

そんなあいつをカッコイイと思っていたんだよ」

千葉君の目には、キラリと光るものがあった。

「確かに空は、自分に正直でハッキリと言っていたね」

「流石にメガネとメガネ美少女のためなら何でもできるととあるセリフを教室で言い放った時は、変態だと思ったけどな」

「そんな事もやってたんだ…」

二人で笑った。

私もそんな真っ直ぐなところに惹かれたのだろう。

私は、二枚目に目を移し始めた。

『なんとか一枚に収めようと思ったのだけれど無理でした。

許してください。

さて、最後の景色。

夕日だけれど。

君は、僕の考えを気がついてくれただろうか。

これを手に取っているということは、そういうことなんだと思うけれど。

僕が、あの夕日で伝えたかったことは何も無い。

だって、たまたま出会ったんだもの。

まだ、部活を辞めて間もない頃に。

だから、君がこの答えに辿りつけたのなら僕は、心置きなく成仏だってできるよ。

君は、もう前に進めるよ。

君がこの手紙を読んでいる頃は、千葉の体から僕はいなくなり、千葉はそこら辺に寝転がっているかもしれない。

後で千葉に謝っておいてくれ。

無断で体を借りてごめんと。

そして、千葉はいいやつだからこれからも仲良くしてやってよ。

長々となってしまったけれど、僕が君に伝えたいことも残り三つとなった。

心して聞いてもらいたい。

この場合は読んでもらいたいというほうが正しいのだろうか。

君は、いや君に限らずこの世にいる全ての人間は、この地球という歴史の幹に生えた一枚の葉だ。

以前君は、僕の名前が僕という人間をよく表していると言ってくれたね。

でも、僕は君の方が君という人間をよく表していると思うよ。

一枚の葉と書いて「一葉」。

君という人間の色で、どんなに季節が巡っても色あせることはない一枚の葉。

僕はその一枚の葉に心を奪われたのだ。

だから、君は君のままでいて欲しい。

これが、僕の最後の望み。

夏目一葉(なつめかずは)さん。

あなたは、あなたらしくいてください。

 二つ目。

僕は、死んでようやく分かった。

よくテレビで報道されるニュースのことは、どこか遠い世界のことで自分とは関係のない話だと思っていたことに。

誰もがそうなんだ。

まるで交通事故だ。

自分が人を轢くとは思っていないし、轢かれるとも思っていない。

発狂した彼に刺されてようやく分かったよ。

誰も悪意に巻き込まれるとは思っていないんだ。

君もいつかその悪意に巻き込まれてしまうかもしれない。

それでも自分を見失わないでほしい。

この先の人生で立ち止まって振り返る時が来ると思う。

だけれど、安心して。

君には、君のことを大切にしていた人がいたのだから。

これは、僕からのエールかな。

負けないで。

最後に別れの言葉を。

先程も述べたとおりに君の人生は、君のものだ。

だから、好きに生きて欲しい。

別にほかの誰かを好きになってもいいよ。

許してあげる。

君は君でいてください。

そして、ありがとう。

僕に色々なものをくれて。

僕は、君の前だと僕らしくいられた。

君がいてくれたから「四色」が、書けた。

伝えきれないほどの感謝を君に贈ろう。

ありがとう。

僕は、悔いなく逝くことができる

                   反畑空』

そう手紙は、締め括られていた。

読み終えた時に私の視界は、歪んでいた。

ぼやけて何も見えなくなっていた。

ダムが、決壊をした。

声もなく私は泣いた。

ただただ、涙が流れた。

感謝をしなくては行けないのは私の方なのだ。

私は、彼の喜ぶ顔が見られるだけで幸せだったのだ。

彼が、教えてくれる色々な話が好きだったのだ。

彼の芯の通った真っ直ぐぶれない所が好きだったのだ。

私に人を好きになるということを教えてくれたのだ。

人を愛し、人に愛されると思っていなかった私に『愛』ということを教えてくれた。

感謝してもしきれないのは、私の方だ。

「何が、書いてあったのかはあえて聞かないよ。

それは、君が胸のうちに保管しておくべきことで、俺が知るべきことじゃない」

私が泣き止むと千葉君が、優しく話しかけてくれた。

「全く、俺に何も残してないあたりがあいつらしいというかなんというか…」

「体を勝手に借りてごめんだって書いてあったよ」

「ゴメンで済んだら警察はいらないんだよ。

空、待ってろよ。

いつか、天国に行ったら文句のひとつでも言ってやる。

いや、一つじゃ済まないな。

何個でも何度でも言ってやる」

千葉君は、意気込んでいた。

私の知っている千葉君の姿ではなかった。

やはり彼が、さっきまでそこにいたのだろう。

一言くらい言ってくれても良かったのではないだろうか。

私の胸のうちにも怒りが少し芽生えた。

私達は、空に向かって叫んだ。

「「いつか、きっと文句を言ってやるからなー!」」











この物語の後日談。

いや、エピローグだ。

あれから二年の月日が流れた。

どんなに悲しくてもどんなに悔しくても時は無慈悲に流れていくものだ。

私は、きちんと大学生になることが出来て、今日も元気に学校に通っていた。

「少し肌寒くなってきたね」

隣に並んで歩く同じサークルの男子が、話しかけてくる。

季節は、秋になろうととしていた。

彼がいなくなってから訪れる三度目の秋。

散りゆく葉のように悲しみも薄くなってきた。

今は、悲しみというよりもいつかまた会ったときに彼に誇りに思ってもらえるようにという気持ちの方が勝っていた。

「そうだね。

そろそろ半袖じゃ寒くなってきたよ。

タンスの中から長袖のシャツでも引っ張り出しておかないと」

彼からもらったものすべてを道しるべにして私は、一歩ずつ前に進んでいる。

将来の夢だって見つけたのだ。

私の将来の夢は、翻訳家になること。

旧約聖書によるとバベルの塔なんてものを作るから私たちは、言葉を分断されてしまったらしい。

だから言葉の違いが生まれ、すれ違いを生んでいる。

なら私は、それを無くしていきたい。

彼ではないけれど、私は相手に百パーセント伝えることの出来ていなかった言葉を伝えたいと思った。

そうする事で彼の思い描いていた景色に近づくような気がしたから。

彼が遺してくれた景色の中でそれだけは、まだ見ることが出来ていなかった。

生きている間には、見ることが出来ないのかもしれない。

それでも、諦めたりするもんか。

この夢は、彼からの借り物ではない。

私自身が見つけたものだ。

彼の夢を借りるのなら小説家でも目指しているさ。

「今日のサークル活動って何やるか聞いてる?」

「え、今日ってサークルあるの?

ないかと思っていた」

「あると思う。

部長に連絡してみるね」

今日は、てっきりサークルはないと思っていた。

だから、千葉君と飲みに行く約束をしていた。

私は、まだ飲むことが出来ないのだけれど。

あれからというもの千葉君とは、仲良くなったものだ。

大学に入って彼は地元に、私はこの国の首都に。

それでも、たまに会っている。

気軽に話せる友達がいるというのは、いいことだ。

私は、まださよならの意味を知らない。

けれど、空との別れに意味があったのは確かだ。

うまく言葉には、出来ないのだけれど、確かにそうであると言い切ることができる。

「サークルはないそうだ」

部長に連絡を取ってくれたようだ。

私の所属しているサークルは、ボランティアを行うことを主な活動としている。

この間も老人介護施設に訪問をしておじいちゃんおばあちゃんと遊んできた。

ボランティアなんて時間があって、お金があるやつの道楽だという人がいるかもしれない。

自己満足だという人がいるかもしれない。

だけれど、そう思われても私は構わないと思った。

だって、手を差し伸べた先に笑顔があるのだから。

「良かった。

私が、間違えたかと思ったよ」

私は、ほっとため息をつく。

「ごめん」

「謝る程のことでもないよ」

この青年は、悪い人ではないのだけれども少し自分に自信がなさすぎる。

いつもオドオドしているような。

根は、全然悪い人でもない。

頼りないと言えるのかもしれない。

「ねぇ、このあと時間あるかな?」

その彼が、いつもに増して真剣な顔をして聞いてきた。

「うーん。

予定はあるけれど、まだ時間はあるよ。

なにかな?」

「僕は、君のことが好きなんだ。

付き合って欲しい」

これは、驚いた。

まさか告白されるとは、思わなかった。

と、言うかどうしてこのタイミングなんだろうか。

私は、理解出来ない。

ムードとかそういう類のものを吹っ飛ばしすぎじゃないかい?

などと考えて嬉しい気持ちを紛らわす。

告白されて嬉しくない人などいるのだろうか。

いたらぜひ教えてもらいたい。

その人に好きになることの大切さをご教授しようじゃないか。

嬉しい気持ちに嘘は、ない。

ないのだけど、好きですと伝えた後に「僕は、君のことが好きじゃない。愛している」と言われるくらいの衝撃はなかった。

そのくらいのことを言ってのけろと言ってやりたい。

だから、この問いに対する私が持ちえている答えは、たった一つだけだ。

「ごめんね。

君の想いに答えてあげることは出来ない。

私、他に好きな人がいるんだ!」


                -fin-

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恋と呼ぶには儚すぎる 速水春 @syun

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