「光」5

それは、夜9時過ぎの事だった。携帯電話の着信で目が覚める。

画面を見ると“公衆着信”と表示されていた。病院からかもしれないと慌てて電話に出る。



「よ、横山君――。」



その声は間違いなくリンさん。酷く泣いている様子が電話越しに伝わってくる。



「リンさん?何かあったのか?」


「花――。」



その一言で飛び起きてダウン片手に部屋を出た。「直ぐにそっちに向かうから」とだけ告げ通話を切る。とにかく走って、ひたすら走って彼女の元へ向かう。寒い風が体をすり抜けていって、刺す様な痛みを感じた。



『ねぇ大変なの!早く来て!』



10日振りにそう連絡が入って、無我夢中で渋谷の街を駆け抜けた事と現在がリンクする。だけど彼女に対する想いは、あの頃とは比べ物にならないほど強い。



今向かってるから、直ぐに行くから、だからまだ行かないでくれ。

時折溢れ出てくる涙を拭っては、死ぬ物狂いで走った。



やっと病院が見えてくる。ふらふらになりながら入り口を目指していると、リンさんが外で待っていた。



「リンさん、花に―― 花に、何か」


「横山君――。」



声にならないほど酷く泣きじゃくり、力なくすがり付いてくる。

嫌な予感が頭を掠め、いいようのない不安で体が震えてきた。



「リンさん!泣いてちゃ分かんねーよ、何があったか教えてくれ!」


「ドナーが、ドナーが見付かった」


「え?」



一瞬にして頭の中が真っ白になる。



「やっと―― やっと花に合うドナーが見付かったのよ」


「嘘、だろ?」


「さっきここに連絡が入ってね、来週には手術―― 出来るって」



そう言いながら再び咽返むせかえるほど泣き出してしまった。

唖然としたまま力なくリンさんを抱き締める。

嘘だろ?俺はてっきり――。そこで、ハッとして我に返る。



「花はそれ、知ってんの?」


「ええ、さっき先生が告げに行ったわ」



本当なんだ。やっと理解できたその時、歓喜の涙が一瞬にして溢れ出た。

喜びを表したくて、思わずぎゅっと強くリンさんを抱き締める。

それから、彼女に会いに再び足を走らせた。



病室に入ると、そこに医者と看護士も居てこちらに目を向ける。

横になっている彼女も俺に気付き、ふっと優しい笑みを見せた。



「花――。」



ビニール越しだけどゆっくり近付き、涙ながらに笑顔を作ったけど、嬉しくて何も言葉が出ない。すると彼女が、口パクで“ありがとう”と言った。






                    ***




その日はとうとうやってくる。彼女の手術日だ。



ドナーが見付かったと言っても、成功する確率は非常に低い難しい手術。

だけど、何の希望もないよりは遥かに良かった。未来は彼女と普通に過ごせるかもしれないという希望、それはいつしか強く抱く夢にもなっていた。



この日は、その夢が叶うかどうかの大切な日。

事前に頼み込んで、病室に彼女と2人きりにしてもらっていた。



「不安?」



そう聞くと、優しい眼差しを向け口を開く。



「大丈夫―― ううん、やっぱり不安」


「おまえはすぐ強がるんだから」


「ねぇ、元気になるような話して」


「え?うーん、じゃあ、未来の話をしようか?俺達は一緒に暮らして、毎日喧嘩して、それで色々あった後に結婚する事になるんだ。だけど花がマリッジブルーに陥って、結婚式前夜に逃げちま――。」


「ちょっと、何か生々しい」


「生々しい方が想像しやすくて良いだろ?てか、結婚とかになったら本当に逃げ出しそうだな――。」



そう言いながらポケットから箱を取り出し、パカッと開いて見えるように前に出した。



「プロポーズの時はもっとちゃんとしたもん用意するから、取りあえずはこれで我慢しろ」



すると彼女は、驚いた顔でゆっくり上半身を起こす。



「花の婆ちゃんの前で約束したようなもんだし、ずっと前から用意してた」



すると途端に目を潤ませ泣き出してしまう。



「バカ泣くなよ!こんな俺だって最近涙腺壊れちまってんだから、もらい泣きしちまうだろ」


「ありがとう、凄く嬉しい」



自棄やけになって捨てようとした事もあった。だけどもし捨ててしまったら、彼女へ対する想いまで捨ててしまうような気がして捨てられなかった。

今では捨てなくて良かったって、心の底から思う。



「それでその、さっきの話だけどさ、手術が上手く行って退院したらさ―― えっと、花の婆ちゃんってのは、まだ先になると思うけど」



緊張で言いたいことがすんなり出ない。

だけどこの日に言おうと決めていたんだ、今言わないでいつ言うんだ。

そう自分に言い聞かせ、渇を入れるように両頬を叩く。



「い、一緒に住」「一緒に住もうって言いたいの?」


「おい、明らかに今言おうとしてただろ!?被せて来てんじゃねーよ!」


「だって中々言わないんだもん。待ってられない」



これから手術だというのに、彼女はいつもと変わらない。

関心さえしてしまうほどだ。



「それに、嬉しいけど今指輪見させられた所ではめられないし」



そう言う顔を苦笑いで見つめる。

もっとナーバスになれよとも思ったけど、いつもの彼女を見ることが出来て幸せな気持ちにもなっていた。



「それで、返事は?」



すると彼女はいたずらな笑みを見せる。そしてそのまま目を上に向けた。



「だけど手術が成功する保障はないし、ここで約束しといて手術が失敗したら、あたし嘘つきになっちゃうじゃない?」


「おまえはもう充分嘘つきだろ?」


「何よ、これから手術なんだからもっと労わってよ」


「いや、これから手術する人間には見えないから」



そんな風に言い合いしていたら、仕込んでいた人物が到着したようだ。

病室をノックする音が聞こえる。彼女は「もう時間?」と名残惜しそうにしていた。



「いや、サプライズでゲストを呼んでおきました」



そう言って扉を開けた。入ってきた人物を見て思わず吹いて笑ってしまう。

呼んだのは圭太と一ノ瀬さん。揃いも揃って花を見た瞬間に泣き出したのだ。



「は、花さん――。」



俺達なんかよりもずっと泣き虫な2人が登場。一ノ瀬さんなんか見た目に付随して、子供のようにわんわん泣いている。彼女もその様子に笑っていた。



「圭太君と亜美だ。ちょっとやだ、泣かないでよ。あたしは元気だから」



2人に彼女を励ましてもらいたい。そんな気持ちで此処へ呼んだのに、まさかの彼女が2人を励ましている。



「花さんが生きてて本当に良かった。だけど水臭いっすよ、俺達にもっと早く病気のこと言ってくれてれば――。」



そのまま何も言えないほど泣く圭太を思わず叩いた。



「おまえらが泣いてんじゃねぇよ」



すると甲高い声を引っくり返しながら、一ノ瀬さんが口を開く。



「あたし、ずっとずっと花さんに逢いたかったの。今日のこと聞いて、もっと早く来たかったのに、横山君が駄目って言うんだもん」


「大輝は花さんを独り占めしたいだけ何だよ」


「ちげーよ、2人が今日来る事に意味があるわけじゃん。花の大事な友達だし、励ましてもらおうかと思ったのに」



なのにこのざまだ。呆れてそれ以上何も言えなくなった。

すると痺れを切らしたように、彼女がため息交じりに言う。



「もう、2人に余計な心配させちゃ駄目じゃない。ますます手術し難い」


「えええ」



喜んでもらえるかと思いきや、結局3人から反感を買う形となる。

がくっと肩を落としていると、圭太が涙を拭って明るい声を出した。



「そうだ俺、伝えたいことがあったんだった。実は俺、花さんの事が好きだったんです」


「今じゃないだろ!」



思わず体当たりで突っ込みを入れた。

彼女は目を丸くしていて、一ノ瀬さんはさっきまで泣いてたのにけらけら笑っている。圭太は構わず笑顔になって話し続けた。



「だけど好きんです。その時はこの想いを伝えないでおこうと思ってました。でも今だからこそ伝えておかないとと思って―― それと、新しく恋をして彼女が出来ました」


「はあ!?てかそれ、俺も知らねぇ!」



俺に何でも言えよとか言っておきながら、自分のことは完全に棚に上げてやがる。

実は自分勝手な奴等に囲まれてるな俺。そう思っていると、圭太はすっと一ノ瀬さんの手を取った。



「その彼女ってのは、ここに居るんだけど」



驚きすぎて何の言葉も出ない。一ノ瀬さんは途端に顔を赤くさせ、小さな声で何かを言いながらもじもじし出した。



「亜美、本当なの?男の子恐いとか言ってたくせに、あの亜美が?」


「う、うん、なんだかそういうことに」


「圭太、いつの間に?」


「花さんの事で一緒に協力し合ったこととか、大輝が居ない間に一緒にボランティアに参加したりしたんだ。そんな日々の積み重ねの中で、そういうことになりました。大輝忙しそうだし、いつか言おうと思ってたんだけど」



だからって今言うことないだろ。そんな風にちょっと呆れたけど、2人が来て場が和んでいることに気付き、仕方ないなとそれ以上突っ込んで聞くことは止めた。



「だから花さん、元気になったら4人で色んな所に遊びに行きましょう」



圭太の提案に彼女は表情を明るくさせる。



「それ凄く良い。なんだか楽しみになってきた」


「でしょ?また夏に4人で花火しましょうよ!そしたら全員が大切な人と過ごせます」


「圭太君って相変わらず良い事言うよね」



しみじみしそう言う彼女の横顔を見て、露骨に顔を歪ませてやった。

圭太に全部持っていかれた感が否めない。サプライズが裏目に出たかもしれない。

まあでも良いや、彼女は嬉しそうにしてるし、4人で遊ぶ事を思い描いて前向きに手術を受けることが出来るかもしれない。



「七瀬さーん、そろそろお時間ですよ」



そこへ数名の看護士がぞろぞろと入ってきた。

その後ろには、微笑ましそうに俺達を見るリンさんも居る。

手術室へ向かうため、彼女はストレッチャーに移された。

それを見た圭太と一ノ瀬さんは、慌てるようにして駆け寄る。



「花さん、私待ってるね。頑張って」


「俺、絶対成功するって思ってますから。だから俺達のもとに、大輝のもとに帰ってきてください」



俺は――

その様子を眺めたまま、何も言えずにいた。

2人に向かって優しく微笑む彼女を見つめていると、ふと目が合う。



「花――。」



結局そんな風にして名前を呼ぶことしか出来なかった。

どんな言葉を掛けたら良いのか分からない。

不安な気持ちが顔に出ていたのか、そんな俺を見て彼女はふっと笑顔を見せた。



「手術が成功して退院できたら、一緒に住むんでしょ?」


「え?」


「だからあたし頑張るよ。行ってきます、大輝」



驚いてしまい、手術室へ向かう様子をぽかんと口を開けた状態で見つめる。

つい言葉が漏れた。



「あいつ―― やっと名前で呼んだ」






どんな未来が待っているかは分からない――。

だけどそれは、誰にだって言えることだ。

悲しい事がこれから待ち受けているかもしれない。

だけどその分、在り来たりな幸せを心から噛み締める事が出来ると思うんだ。



当たり前は永遠に留まらない。彼女に出逢う前の俺は、何かを失う“悲しみ”当たり前がそこにある“愛しさ”を知らなかった。同じ明日は来ないからこそ、全てを愛しいと思って大事にしていきたい。いつか後悔しないために。




『出口かと思ったら、ここ何処?』


『俺が出口まで案内してやるよ』




彼女との出逢いの奇跡を、心から噛み締めた。



信じよう、これから2人で過ごせる時を。どんなにゴールが見えない真っ暗なトンネルに入ってしまったとしても、2人で一緒に居れば何も恐くない。

その時は俺が光となって、彼女の生きる道を照らすんだ。

彼女が傍に居れば、いつだって奇跡を手にしてると思える。



この先どうなるかは分からないけど、今の俺には何一つ後悔はない。



とにかく、今1番大切なこと、それは――



彼女が目の前に居る。

今の俺には、それだけが全てだ。






              ◆◆END◆◆

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SWEETY 君と彼女の最後の恋 おかし坂美 @Bambii

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