「光」4

午後1時――

いまだに“手術中”と書かれた文字は光っている。



不安で不安で堪らない。

震える手を何度も押さえつけては自分を落ち着かせようとした。

そんな俺の横でリンさんは、宥める様にして背中を摩ってくれている。

色々なことを考えた。そこで意を決して顔を上げる。



「リンさん―― 花がこの先助かる方法は、他にない?」


「あたし達はね、ずっとずっとドナーを待っていたの。だけどそれが叶わない今では、他に何も方法がないのよ」


「本当にドナー以外では無理かな?金が必要なら俺、何をしてでも頑張って稼ぐから」



リンさんは涙ながらに首を横に振る。

それを見たら、我慢していた俺も泣き出してしまった。



「じゃあこの先、花を待つのは―― 死だけってことかよ」



どんなに泣いても涙はおさまらないし、心の痛みだって引くことは無い。

彼女が倒れたのを初めて目の当たりにして、本当に重病なんだというのを思い知らされた。



「ドナー以外ないのよ。だけどね横山君、これから私が言う事を怒らないで聞いてね?花はね、横山君が居る時は弱い所をあまり見せないけど、だけど本当に辛そうな姿を何度も見てきたの。今までよく病気と闘ってきたなって思うとね、もう楽にさせてあげたくなる」


「リンさん、そんな事言うなよ―― 聞いてて辛くなる」



悲しくて泣き過ぎて気を失いそうだった。

この先また彼女を失うかもしれないという予想はしていたけど、それが近いという現実に直面すると、窮地に追い込まれたように心が脆くなる。



その時、“手術中”と書かれた光がふっと消えた。

思わず二人で立ち上がり扉を見つめる。

少し経ってから中から医者が出てきた。



「とりあえず今回は持ち応えましたが、危険な状態に変わりありません。次にこのような事があった場合、手術が成功する可能性は極めて低いです」



そう告げられ、ホッとしただけでなはく、絶望的な気持ちにもなり力なくふらっと椅子に座り込む。



「現在どのような状態かお話がしたいので、来てもらえますか?」


「ええ。横山君、大丈夫?先に帰って休んでもいいからね」


「いや、此処に居ます」


「そう」



そのまま1人で暫く何も考えずに居た。心が空っぽの状態に近い。



すると、手術室から彼女が寝ている状態で現れる。我に返って近付こうとしたら看護士に止められた。距離を取って着いて行くと、いつもとは違う病室に入っていった。扉の前で呆然と立ち尽くすことしか出来ない。

何も出来ない。彼女の病気を治すなんてことは、俺には出来ない。

なんて無力な奴なんだろうと思った。



すると中から看護士が出てきて、顔を見たいのなら、抗菌マスクを着用して接触はしないという約束のもと入室してくれと言われた。



恐る恐る中に入ると、緑色の大きなビニールで仕切られていて、彼女はその中で酸素マスクを付けて眠っている。近くの椅子に腰掛けその寝顔を見つめた。

このまま目が覚めなかったらどうしよう。そんな不安を抱えたまま時だけが過ぎていった。



どのくらいこうしていたかは分からないけど、突然彼女の手がぴくっと動く。

咄嗟に立ち上がると、ゆっくり目を開き朦朧とした様子で俺を見た。

そしてか細い声を出す。



「あれ、あたし――。」


「倒れたんだ。大丈夫か?」


「そっか―― なんだか、君が遠いね。それに緑色」



そう言ってふっと力なく微笑む。

今にも泣いてしまいそうだったか堪えた。



「あたしね、眠りながらずっと、夢、見てた」


「どんな夢?」



彼女は途切れ途切れに声を出す。辛そうだったけど、聞いてあげようと黙って耳を傾けた。



「お母さんが居たの。僅かな記憶にあった思い出が夢に、なってて、あたしの名前の由来を教えてくれた。貴方はお花のように、綺麗に成長する子になりますようにって、付けたのよって」


「そうなんだ。やったじゃん、名前負けしてねーよ」


「君、は?君の名前の由来は?」


「俺?分かんねーな。聞いた事もねぇし」


「大輝だからきっと、大きく輝ける人になりますように、だと思うな」


「そうなのかな」


「じゃああたしは花だから、君の大きな光に、惹かれるのね」



いつもとは違う部屋に移され、自分が今どんな状況なのかを薄々勘付いているのだろう。彼女の目から涙が零れ、ゆっくりと頬を伝っていった。

もらい泣きしそうになったけど、此処で泣いて悲しんでると思われたくない。本当は辛いのに、彼女はいつも強がっていた。それはきっと、俺を悲しませない為だ。

だったら今度は、俺が強がらないといけない。



「ねぇ、君の光であたしを元気にして。あたしの病気、治してよ」


「花――。」


「死にたく、ないよ」



今にも消えそうな声でそう呟く。

それは、彼女が初めて俺に見せた弱さだった。



その後、彼女は涙を流したまま自然と眠ってしまう。

それを見つめながら気付かれないよう泣いた。



あの涙を拭ってやることが出来ない。手を握って安心させてやる事も出来ない。

少しずつ彼女が遠くなっていく。



傍で見守るって決めた。それは辛いことだって分かっていた。だけど実際に直面してみると、何もすることの出来ない自分にもどかしさと怒りさえ覚える。



お願いだ――

彼女を何処にも連れていかないでくれ。

その代償に、俺がこの先どんな困難に遭ってもいいから。

だから、彼女をまだ生きさせてやってくれ。



そんな風に強く願った。



そこへリンさんが戻ってくる。

酷く泣きじゃくる俺を見つめ、交代するから帰って休みなさいと言われた。

泣き過ぎて意識朦朧としている。何も言葉が出ずに、言われた通りふらふらしながらホテルに戻った。



ベッドに倒れこむようにして寝転び、目を瞑って眠ろうと思っても勝手に涙が溢れ出てくる。静かな部屋に居ると、孤独感に襲われた。

彼女が生きている間は明るくいようと頑張っては来たけど、此処にきてもう限界だ。こんなにも辛いとは思わなかった。



だけどこれは、俺が選んだこと、望んだことだ。

どんなに自分が悲しくて辛くても、最後まで一緒に居るとそう決めた。

だからこれでいい。もうこの世に居ないと聞かされただけのあの日々に比べれば、この辛さには意味があるんだとそう思えた。

自分が選んだ道に後悔は無い。



彼女との思い出を脳裏に浮かべ、またあの夏を一緒に過ごせたらなんて事を考えた。



『ちょっと、何をボーッとしてんの?アイス買いにいくよ!』



病気なんて嘘みたいに色んなもん食ってたな。



『約束したじゃない、嘘つき』



それでいて怒った顔をよく見た。振り回されても全然構わないから、またあの元気な姿が見たい。



気付かなかった―― 当たり前のように送っていたあの日々が、かけがえのないものだったなんて。そんな風に思い出に浸っていたら、少しずつ涙がおさまり眠ってしまっていた。

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