「光」3

病院に着き部屋に向かう途中、リンさんとバッタリ鉢合わせた。

すると、いい所に来たと言って手招きをしてくる。



「おはようございます。どうかしましたか?」


「学校は休み?もうすぐ卒業でしょ?就職は決まったの?」


「え?突然な――。」


「って、花が聞いておけって」


「何だよあいつ、自分で言えよ」



本当に頑固な奴。怒ってることはもう分かったから、いい加減折れて口利けよ。

腹が立つなんてことは少しも無くて、ただ面白い奴だなと思って笑みが零れてしまった。するとリンさんは、優しい表情で見つめてくる。



「横山君、いつもありがとう」



あまりにも温かい表情と声だったので、不覚にも涙が出そうになった。

リンさんの手には花瓶が握られていて、水を替えてくるから先に入っていてと言われる。泣きそうになってしまった自分を引き締める為、顔を両手で何度か叩いてから扉を開けた。



「花ー、また俺だぞー」



俺に目を移し、彼女は分かりやすくはあっとため息を吐く。

父親を嫌がる年頃の娘みたいな反応だ。



何事もなかったようにいつも通り椅子に腰を落とす。

ふて腐れたような表情で俯く彼女を見つめ、ふっとつい笑ってしまった。

彼女は何笑ってんのよと言わんばかりにムッとした表情で見つめてくる。

距離を詰めて顔を近付けた。



「学校はね、冬休みでもうすぐ卒業。就職のことだけど、もう既に内定もらってますから」


「え?」



思わずそう声を漏らした彼女。だが慌てるようにして両手で口を押さえた。

その仕草がまた可愛い。笑いながら軽く彼女を叩いた。



「なんだよ、喋れんじゃねーか」



すると、ベッド脇にある棚からノートとペンを取り出し何かを書き出す。

そしてそれを俺の前で広げて見せてきた。そこには“何処に就職したの?”と書かれている。



「ああ、花のご提案通りアパレル関係です」



そして再びノートに向かってペンを走らせた。それをじっと見つめ呆れた笑いがつい出てしまう。またもや見せてきたノートには“よく受かったね?おめでとう”と書かれていた。



「あのさ、良い加減喋れば?怒ってるのはもう分かったから――。」



すると、ノートごとバシンと強めに叩かれた。

そしてまた文字を書き出した。それを見つめ、声に出して読み上げてみる。



「は?怒ってないよバカじゃない?って何だよ。だったら何でいつまで経っても口利かねーのか説明しろよ」


“君の中のあたしの記憶を消してる所なの。まずは声から ”


「何だそれ、声の次は何だよ?」


“顔かな?”


「顔っておまえ、それは無理だろ。どうすんだよ?」


“ほら、よくドンキに売ってるじゃない?大仏とかリアルな馬の被り物。あれをリンに買ってきてもらおうかなと思ってるところ”



それを被って病室に居る彼女を想像し、ぶっと噴出すように笑ってしまった。



「おまえバカだろ?病院であのふざけたマスクはねぇわ。それ買わされるリンさんの立場にもなってみろよ。それにな、そんな事されたら逆に忘れらんねーわ」



すると、それもそうだなと言わんばかりにハッとした表情を見せる。

さっき想像したが再び脳裏を過ぎり、思い出すように笑っていたら、彼女も笑いを堪えながら微笑んだ。



久し振りに見たその柔らかい表情に釘付けになる。

やっと笑顔が見れた。そう思ったらついキスをしてしまった。



「ちょっと、何すんのよ!」


「あーあ、喋ってるし」



思わず声を上げた彼女に、再び笑いが止まらない。



「もう諦めろよ。とりあえず今日一日は花の声忘れられねーから、もう普通に話せば?」


「やられた」


「最初から普通にしろよ」


「何なの君?意味分かんない。よくもまぁ懲りずに毎日来るよね」


「言っただろ?俺はそう簡単には花と別れねぇって。付き合ってる時に病気の事を知ったとしても、絶対に別れられなかった」



そう告げると、眉を下げ悲しい表情で顔を俯かせてしまう。



「うん―― 分かるよ。だけど、だからこそ、あたしから離れなきゃって思ったの」


「それはそれは、無駄な努力だったな」


「絶対にバレないと思ってた。知ってたのはリンとアパートの管理人さんだけだったし、きちんと口止めしておいたから」


「え!?あの管理人知ってたのかよ」


「会ったの?」



あの管理人のおばちゃん、女優になれるぞ。



まああそこで知ったとしても、変らずこうして彼女を追い掛けただろう。ちょっと遠回りしたけど。特に話す必要もないと思ったので、首を横に振った。



「だって救急車とか来たんだもん、管理人さんには言わない訳にはいかないじゃない?」



それを聞いて、言わないでおこうと思ったけどハッとしてつい聞いてしまった。



「まさか、花の隣に住んでるあの小学生も知ってたのか?」


「良ちゃんにも会ったわけ?何やってんの?」


「それはこっちの台詞だろ。急に居なくなったら心配するに決まってんじゃねーか」


「良ちゃんには―― あの子には言えないよ。まだ小さいじゃない」


「どうやらプロポーズされたらしいな」


「そんな事まで知ってるんだ。でも大丈夫、あたしの事なんて大人になったらすぐに忘れちゃうよ」



それだ。すっかり忘れてたけど、ずっと面と向かって言ってやりたいと思ってた事があったんだった。それは間違いだって、おまえは何も分かってないってことを俺が教えてやる。



「あのな、よく聞けよ。おまえが思ってる以上に、意外と人間って忘れられねーもんだぞ?あの良って小学生だって、いくら大人になってもおまえみたいな女に突然消えられた事は、一生忘れらんねーと思う」


「おまえみたいな女って何よ」


「花を捜し回ってた時、サークルの奴等だっておまえを覚えてない奴は居なかった。自分がどれだけ人の心に残って、それでいて強烈なキャラだってことを分かってないだろ?」


「君さ、さっきから喧嘩売ってるの?」



そっと彼女の手を握ってその存在を確かめた。

触れる事が出来る。目を見て話すことが出来る。こんな風に言いたい事を何でも伝えることが出来る。その全てが奇跡そのものだった。



「花、現に俺の記憶からおまえが消える事は一度もなかった―― 死ななかったんだ」



ぽろっと彼女の目から涙が零れる。

頬に触れてその涙を拭い、優しく頭を撫でた。

出来ることならこんな形でもずっと傍に居たい。何処へも行かないで欲しい。



「これから何があっても、一生忘れないから」



彼女は声を上げて泣き出してしまう。そっと顔を胸まで引き寄せて抱き締めた。



「忘れたくてもな、おまえみたいな強烈な女を忘れろっていう方が難しいだろ」


「何よバカ。あたしは天国に行って、君なんか忘れてやるんだから」


「いいよ。俺もそっちに行ったら、また捜し出して思い出させてやる」



彼女はぎゅっと力強く抱き締め返してくる。

このまま一生離したくないと思った。人を愛するという事の深さを教えてくれたのは彼女だ。こんな気持ちをくれた事に感謝してる。



病気という悲しい現実は変えることが出来ない。彼女が死ななければならないとしたら、こんな事を神様に願うだろう――

いっその事、彼女が死ぬ時に俺も連れてってくれって。

死んでもずっと傍に居たいんだ。この想いが変ることはない。



泣くだけ泣いた彼女は、涙を拭いながら枯らした声を出す。



「泣き過ぎて喉が乾いた。水が飲みたい」


「出た。水道水じゃなくて、ちゃんと売ってるやつだろ?」


「そう、さすがだね」


「待ってろ」



小走りでロビーまで行き自動販売機でペットボトルを買った。



彼女がやっと心を開いてくれた気がする。

残り少ないかもしれない時を、これから共に過ごしていこう。

二人で乗り越えていきたい。そんな事を考えながら再び病室の扉を開けた。



「はいお嬢様、水ですよ――。」



思わずペットボトルから手を離した。

すると、スローモーションのようにゆっくり落ちて、床に転がっていく。



彼女がベッドの下で倒れていた。

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