「光」2
逢える。夢でしかもう逢えないと思っていた彼女に、再び逢える。
そう思ったら体が勝手に動いていた。
エレベーターは2台あったが中々来ない。
ゆっくり点滅する階数表示を見ていたら居ても立ってもいられなくなった。
階段を見つけ無我夢中で駆け上がる。頭の中では彼女との思い出が映し出されていた。
『あたしはぁ、七瀬 花でぇす。あたし、彼の奥さん』
へらへら笑い、女優顔負けの演技を繰り広げる彼女。
『ね、君はもうあたしをシカト出来ないでしょ』
頭が可笑しいと思えるほどの言動、周りをも巻き込む迷惑振りに最初は頭を悩ませた。だけど次第に憎いという感情が好きに変わり、彼女の全てを知りたいと思うようになった。
『あたしも君が好きなの。だから逃げたくなる』
悲しそうな顔、意外とすぐ泣く所、強がる所、我が儘な性格、子供みたいに無邪気な笑顔――
『どうしよう、あたしすごく幸せ』
キリがないくらいに、その全てが愛しい。
どんどん胸が高鳴っていく中、“P1”と書かれた扉の前に到着した。
肩で息をしながら、迷わずにその扉に手を掛ける。
開けた瞬間、外の光に目が眩み暫くその場に立ち尽くした。
その光に慣れようと、目を細めながらゆっくり足を前に出す。
フェンスに囲まれた広い屋上で、所々にベンチが置いてあり疎らに人が居た。
きょろきょろしながら歩いていたその時、車椅子に座るある後姿に目が奪われる。
前よりも痩せていて、ニット帽を被っているから長い髪は見えない。
他の人が見たら、彼女だと言い切ることは難しいだろう。
だけど俺には分かる。
やっとだ、やっと見付けた。
「花――。」
力なくそう呟き足を進ませると、ゆっくり振り返り目が合った――。
更に細くなった輪郭、特徴ともいえる目は痩せたせいで、二重が窪んでもっと大きく見える。真っ白な顔で、健康には見えないその姿は病気だということを物語っていた。
彼女の表情は、驚いているというよりもショックを受けてるというものに近い。
「嘘、でしょ?どうして此処に居るの?」
今になって全身に汗を感じてきた。何十階分も猛スピードで駆け上がってきたせいで、呼吸も荒く上手く声が出せない。
「嘘でしょじゃ、ねぇよ。そりゃ、こっちの台詞」
すると彼女は、力なく悲しげにふっと笑みを見せた。
「何かさ、前も久しぶりに会った時、息切れしてたよね君」
「俺、いつも花を追っかけてばっかだ」
感情が徐々に高ぶってくる。
生きてた―― 彼女はまだ、生きていた。
堪らない気持ちになり抱き締めた。
もう彼女を捜すのは懲り懲りだ。
離さない、もう二度と離さない。
その想いを表す様に、力を込めて抱き締めた。
彼女はそっと背中に手を回しきて、肩を揺らして泣き出してしまう。
「おまえさ、何やってんだよ。何でこんな嘘付くんだよ」
「嘘じゃない。君がこんな風に捜しに来なければ、このままあたしは死ねたのに――。」
「生きてるだろ!?おまえはまだ生きてんじゃねーか」
彼女に逢えたら泣かないようにしよう。そう思っていたのに、涙はどんどん勝手に零れていった。彼女も声を殺しながら泣き、力なく背中を何度が叩いてくる。
「どうして来たのよ、もう生きていられなくなるのに。あのまま終わるのが2人の為じゃない」
「何でもそうやって勝手に決めんなよ!俺は逢いたかったんだ―― おまえが病気だろうがなんだろうが、ただ逢いたかった」
「あたしは―― こんな姿、見られたくなかった。どうしてそれを分かってくれないの?」
「病気だって花に変わりはねぇだろ?俺はこのまま逢えないより、今のがずっとずっと幸せだ」
彼女はそのまま暫く泣いていた。
自分の胸に居るのが不思議でたまらなくて、それでいて奇跡でも手にしたようだ。
夢ではないことを強く願う。
初めてこの手にした時よりも、ずっとずっと胸が高鳴り、離したくない気持ちでいっぱいだった。
彼女がそっと体を離し、涙を拭ってから強い眼差しを見せる。
「だけどもう逢いに来ないで。しつこい男は嫌いだし、迷惑なだけなの」
そしてもう行けと言わんばかりに背を向けた。
その後姿をじっと見つめる。
いつもそうだ。近付くと離れ、手にするとそれを振り解こうとする。
一見自分勝手で我が儘な女に見えるけど、その行動全てに意味がある事を今ではよく知っている。あの頃はそれに翻弄されるがままだったけど、今は違う。
意図が読めるようになったからこそ、その行動全てに腹立たしささえ覚える。
おまえは何も分かってないって。
「あっそう。迷惑なんだな?だけど俺は今まで散々おまえに迷惑掛けられてきたから、もう聞かねーよ。これからは自分がしたいように勝手に動くから」
「ちょっと――。」
強がってるのが見え見えなんだよ。
そのまま耳を貸さずに屋上を後にした。
リンさんに挨拶してから病院を去り、ある考えがあって付近を散策した。
彼女が生きていると分かった今、ずっと後悔して出来なかった事をやってみようと思ってる。それは、彼女の支えになるということだ。
一通りどうするか考えが纏まった数日後、遣い道がなかったバイトで貯めたお金を全て引き出した。学校もちょうど冬休みだったし、死ぬ物狂いで落とした単位を
病院からは離れるけど、館山にあるビジネスホテルに長期滞在をする手続きを取った。部屋に荷物を放り投げ、電話と財布だけを持って出る。
そして彼女が居る病院へと足を進めた。
その時に思った。俺は彼女の嘘に、初めて勝つ事が出来たんだって。
***
それから毎日のように彼女に逢いに行った。
俺が顔を出すと、彼女は露骨に嫌な顔を見せだんまりを決め込む。
一切口を開かない。
だけどそんな事はちっとも気にならなかった。
彼女が生きてるということ、それだけで充分に満ち足りた気分になる。
彼女が好きそうな本や食べ物を持って行き、ベッド脇にある椅子に腰掛け独り言のように喋り続けた。最近世間で流行っていることや、芸能人のお騒がせニュース、彼女が居なかった空白の時、その時の想い等をひたすら話す。そして夕方になると、彼女の声を聞かないまま帰った。
そんな事を何日も繰り返した。
だけど――
ホテルに戻って部屋に1人になった途端、不安と悲しみに襲われることもある。
彼女はいつか本当に居なくなってしまう。そうなってしまったら、その時の喪失感を乗り越えることが出来るのだろうか。考えると落ち込んでいくだけで、良いことなんて何もない。本当は再び失う事に酷く怯えていたけど、彼女のがもっと恐くて不安だろうなと考える。
彼女が幸せだと思えることをしてあげたい。
一緒に過ごす時に色を足していきたい。
そう思うといつだって不安に打ち勝つことが出来た。
はらはらと雪が舞う2月。
彼女に会いに行く為すっかり早寝早起きになっていた俺は、早朝に1人海を見に来ていた。寒くて垂れる鼻水を何度も
こんな風にぼーっと自然を見る機会がすっかりと増えた。
昔はこんな事する機会なんてなく、何ならしようとも思わなかった。
暗い中ガンガン鳴り響く機械音に包まれて、酒を飲み手当たり次第女に手を出す日々。今ではそれらが全て嘘だったみたいだ。
その日々に戻りたいと思うことはもうないだろう。
何故なら、暗闇の先にある光を見付けたからだ。
俺の生きる力となる光―― それは彼女以外考えられない。
「そろそろ入れっかな」
ぼそっと呟き病院へ向かった。
そんな時、圭太から着信が入る。あれからは包み隠さず圭太に全て報告していた。
だから心配してかよく電話を掛けてきてくれる。
「圭太、今日早起きじゃね?」
「寝てねーんだよ。イベントがすげぇ盛り上がっちゃってさぁ、朝5時までぶっ通しで働いたんだよ―― って、大輝おまえ今何処に居んの?すげーんだけど風の音が」
「ああ、ごめん、海の近くに居る」
「花さんあれからどう?口利いた?」
「いや、頑固だから無理。なんで喋んねーのかいまだ理由分かんねーけど」
「そっか。なあ、本当に俺と一ノ瀬さんも行っちゃ駄目?」
「いや、俺でさえあれなんだから、この場所チクったらきっとすげー切れるぞ。まあ、前みたいに戻れたら花に提案してみるよ」
「そっか、待ってるよ。頑張れよ」
「おう」
心細くて寂しいような気持ちを抱く時、圭太の声を聞くとホッとして落ち着いてくる。彼女が手紙に書いていた通りだ。圭太は間違いなく心の支えになっていた。
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