最終章 光
「光」1
看護士さんは、彼女が助からなかった事を知らないのかもしれない。
いや、そんなことは有り得ないだろう。
だけど――
あり得もしない小さな希望に賭けてみたくなった。彼女の真似でもするようにして。
意を決してリンさんの元へ行くと、分かりやすく驚いた表情で見つめられた。
「横山君、よね?どうして此処に――。」
「お久し振りです。実はその、俺、聞いちゃったんですよね―― 彼女がまだ生きてるって」
ポーカーフェイスを装ったが、緊張で心臓がばくばくいってる。
リンさんは険しい表情のまま固まっていた。それは“何を言ってるの?”とも見えるし“何故知っているの?”というようにも見える。馬鹿なこと言ってるかもしれないなんて、少し怖気づきそうになったその時、ふと彼女を思い浮かべた。
ぺらぺらと
変に勇気が湧いてきて、別にもう可笑しな奴だと思われても構わないと思った。
「最近、医者と知り合う機会があって知る事が出来ました。この病院に居るって聞いて、それで来てみたんです。酷いじゃないですか、あんな嘘を付くなんてどうかしてますよ」
するとリンさんは、困ったように頭を抱えてため息を吐く。
変な奴に会ってしまったと呆れられたかもしれない。
しばらくそのままお互い無言で、不穏な空気に包まれた。
ここまで来たら後戻り出来ない。次はどんな言葉を掛けようか迷っていたその時、独り言のようにしてリンさんが喋った。
「やっぱりね、止めた方が良いって花に言ったのに――。」
「え?」
「本当にごめんなさい。今は花の強い希望で、館山の病院に移ったのよ」
「ちょ、ちょっと待ってください。花はまだ、生きてるんですか?」
「え?それを知っているから来たんでしょ?」
「い、生きて――。」
ふいに涙が溢れ出た。
何なんだよあいつ、マジで何なんだ。人を騙すにも程があるだろ。
涙が止まることはなく自然とどんどん流れた。
それを見たリンさんが何度も“ごめんなさい”と謝ってくる。
「だけどね、病気は嘘ではないのよ。花の命は短い。横山君が衰弱していく恋人と一緒に過ごして、そして看取った後に一人ぼっちなんて可哀想って、いつか死ぬなら今別れたいって花がそう言っていたの。その気持ちを、分かってあげてちょうだい?」
言いたいことは分かるけど、だけど腹が立つ。子供のようにして泣きじゃくった。
「分かんねぇよ、何だよあいつ――。」
リンさんは暫く宥める様にして背中を摩ってくれていた。
そんな中思ったのは、今すぐ彼女に逢いたいということだった。
「リンさん、花に逢いたい」
「――だけど、悲しくなるだけよ。好きだけでは乗り越えられない辛さなの」
「そんな事は分かってる。だけど俺はこのまま逢えない方が辛いんだよ。看取れたら良かったのにって、何度もそう思って色々と後悔した。頼むよリンさん、もう二度とあんな想いを味わいたくない」
リンさんは今にも一緒に泣いてしまいそうなほど、悲しい表情を見せている。
途惑うように目線を下に落とし、唇を噛み締めていた。
彼女の望みなら極力何でも聞いてきた。だけどこれだけはどうしても譲れない。
俺の望みはただ一つ、最後まで彼女の傍に居ること。
「横山君も聞き分けないね。花とソックリ」
そう言いながら手を引いてきて、出口に向かって歩き出す。
そして振り返らないまま言った。
「連れていくけど、花に追い返されるのを覚悟して」
「リンさん、ありがとう」
今度はまた逢えるという喜びで涙が出る。いつからこんな泣き虫な奴になってしまったのか情けなくなる程だったけど、彼女と再会出来たら泣かないよう今の内に泣いておこうと思った。
リンさんが運転する車に乗り込み、一緒に館山の病院を目指した。
暫くしてから窓の外に目を移すと、その道のりが記憶に残っていて懐かしい気分になる。彼女と過ごした二日目、館山へ向かう途中の出来事を思い出した。
『ねぇ、もっとちゃんとしたものが食べたい』
彼女がドライブスルーで買った食べ物に文句をつけ出した。
『うるせぇなぁ、だって今から館山だぞ?どっか入って飯食う時間なんか――。』
『あ、これ美味しい』
『結局食ってんのかよ』
『何か言った?』
『いや、そんなことより俺にも食わせて』
『食べさせるの?なんか看病みたい』
『誰の為に運転してんだよ』
『ねぇ――。』
このまま言い争いになるかと思いきや、彼女は食べる手を止め落ち込んだように顔を俯かせた。本当に感情の起伏が激しい。気に掛けたい所だったけど、久し振りの長距離運転に緊張していたこともあり、何も言わずに反応を待った。
『もしもあたしが風邪とか病気の時は、こんな風にして君が食べさせてくれる?』
『こんな風にって、俺まだ食べさせてもらってねーんだけど』
『もう、真面目に答えてよ。食べさせてあげるのはそれから』
はあっとうな垂れるようにしてハンドルに持たれ掛かる。横からじーっと見つめてくる視線を感じた。ちゃんと考えないと駄目な空気だ。
信号で止まった時に、彼女の目を見て思ったままを伝えた。
『そりゃ食べさせるだろ。早く元気になってほしいから』
そう伝えると、嬉しそうに笑顔を見せる。
そしてポテトを俺の口に持ってきて言った。
『合格』
***
「横山君?着いたわよ」
リンさんに肩を揺すられ、ハッとして目を開いた。
入院生活は暇でよく眠ってしまっていた。その習慣が抜け切れていないせいか、さきほど滝の様に涙を流したせいか、爆睡していたようだ。
外に目を移すと辺り一面が緑色だった。
リンさんに続き車を降りてみると、大きな木々に囲まれた駐車場に居た。坂を下りて振り返ってみて分かったが、どうやら此処は結構な山奥らしい。
目を細めて遠くを眺めると、恐らく彼女と行ったであろう海が一望出来た。
中に入りロビーを見回すと、ぱらぱらと疎らに人が居る。お見舞いに来たであろう花束を持った人、車椅子に座る老人と看護士さん、パジャマを着た小さな子を抱きかかえる父親らしき人。それぞれが、何か理由があって此処に居る。そしてこの中にはきっと、彼女も居るんだ。そんなことを考えていたら突然胸がドキドキしてきた。
本当に逢えるのだろうか?もう二度と逢えないと思っていたからこそ、現実味が湧かない。それに、もしもこれも嘘だとしたら?
リンさんの後ろを黙って歩きながら、心の中では色々な感情と葛藤していた。
エレベーターで5階に上がり降りて直ぐ、ひとつの部屋の前でリンさんが立ち止まる。
「ちょっと待ってて」
そう言って一人で中へ入ってしまった。
ふと部屋の前の表札に目を向ける。そこには“七瀬 花”と書かれていた。
名前を見てもいまだ半信半疑だ。緊張で息苦しくなってきたその時、扉が開かれリンさんが顔を覗かせる。
「居ないわ花、何処かへ行ったみたい」
中を覗いてみると個室の部屋で、ベッドの上にはあのブサイクな猿が座らされていた。それを見た瞬間、胸に熱いものが込み上げてくる。緊張という感情さえ吹き飛んでしまった。
間違いない、彼女は此処に居る。
「あの子、外が好きだから、また屋上に散歩に行ってるのかもしれないわ。横山君、此処でちょっと待――。」
最後まで聞かずに、エレベーターに向かって走り出した。
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