エピローグ 『!?』

「……病院?」

 幸介が目を覚ますとそこは白を基調とした病室だった。

「あっ、九十九君目を覚ましたのね」

「身体、大丈夫?」

 扉を開けて入ってきたのは、千尋と朔の二人だった。

「先生? それに飯島さんも。ここは?」

「ここは大江戸ホスピタルよ」

「ご老公が経営してる病院だよ。あの後、ここに運び込まれて治療したの」

 身体を確認すれば、怪我を負った箇所には包帯が巻かれていた。

「幸い、大ケガは無かったから、安静にしていればすぐに治るわよ」

 優しくも諭すように声を掛けてくれる千尋だったが、幸介には身体に走る痛みよりも気になることがあったのだ。

「いろはさんは? いろはさんはどうなったんだよ!?」

「いろはさんはその……」

 気まずそうに顔を歪めては伏せる二人。最悪の状況が幸介の脳裏に過ぎった。彼が最後に見たのは、撃ち抜かれたいろはの姿なのだ。

「いろはさんは死んだのか?」

 歯噛みするようにくぐもった声で訊ねる。

 死んだと言うには語弊があるが、幸介の胸中に飛来した喪失感は正に死別そのものだ。

「いろはさんなら死んではいないよ」

「廉太郎!?」

 そこには廉太郎と未里の姿があった。

「いろはさんは生きているのか?」

「生きていると言えば生きているんだけど……ちょっとね」

 どこか歯切れの悪い言い方だった。

「いろはさんは中枢部分が破壊されてネ」

 廉太郎の代わりに未里が言葉を続けた。

「メモリやストレージなんかが半壊状態。そのままいろはシステムのデータが意味消失するトコだったんだけどサ。ご老公の爺様が助けてくれたんだヨ」

「ご老公が?」

 ただ、助けたと言う割には朔達の表情がおかしかった。

「あの爺様、いろはさんの全データを霞さんに移動させたンだ」

「霞さんの中に? そんなこと可能なのか?」

「あの試作機、スペックだけでもいろはさんの数倍だったかンね。さすがは最新式ダ。一時的な待避には問題無かったッて寸法」

「じゃあ、助かったのか?」

 期待を込めて訊くも、未里は困ったような表情で首を横に振った。

「霞さんの中に移したいろはさんの全データはそのままご老公が用意してくれた別の身体に移したんだけど……ちょっとばっかし厄介な状況に陥ってしまってね」

 前髪で瞳の隠れた廉太郎の顔からは表情が読み取れなかった。

「まぁ、こればかりは口で説明するよりも、直に見て貰った方がいいかな」

 混乱している幸介を連れて、廉太郎達は病室を後にした。

 向かったのは病院に併設して存在する研究施設であり、一行が訪れたのはメイドロイドのノウハウを医療技術に転用しようとした研究室の一つだ。

「いろはさんは今、新しく換装された身体をチェックしてるんだ」

 そう前置きし、幸介には扉の所で待ってるように言う。

「いろはさん。新しい身体の調子はどうだい?」

「廉太郎か」

 大江戸電機のスタッフによってチェックを受けていたいろはが振り返った。

「新しいって言うのがよく解らないんだけど、いつも通りかな」

 その姿はボロボロになる前のいろはそのものであった。

「なんだ、正常じゃないか……良かったよ、いろはさん」

 つい、中へと足を踏み入れてしまう幸介。

「みんなが心配そうに言うからすげー気になったんだぞ」

「あっ、マスター。目を覚ましたんですね」

 いろはの発した言葉に固まる幸介。明らかに対応が違っていた。

「あのぉ、いろはさん? 俺のことをマスターって?」

「マスターはマスターじゃないですか。何かおかしなことでもありましたか?」

 キョトンと小首を傾げる。

「ねぇ、いろはさん」

「ん? 何、朔さん」

「あたしは朔で良いんだよね?」

「朔さんは朔さんじゃないか」

「じゃあ、未里ちゃん先輩達は?」

「未里先輩に廉太郎だろ?」

 それが何と不思議そうないろは。そんな彼女の再び廉太郎が声を掛ければ、

「いろはさん」

「はい、マスター」

 幸介に対してのみ、いろはの態度が違っていた。

「マスター登録をした影響だと思うんだ。それと、霞さんの中にデータを移したことにより、彼女の影響を受けたみたいなんだ」

「おかげで、九十九クンだけはマスター扱いだナ」

 目覚めた時の煮え切らない彼らの態度はそれが原因だった。

「何だよ、それ! 何なんだよ、それ!?」

 今にも泣き出しそうな顔で慟哭する幸介。そんな後輩を見かねたのか、未里が囁く。

「一つだけ奇跡を起こす方法があるかもネ」

「未里先輩!? 方法があるなら教えてくれ!」

 藁にもすがる思いだ。

「覚悟はあるかイ?」

「俺に出来ることなら何でもする」

 即答。

 幸介の腹は決まっていた。いろはが正常に戻るなら何だってしてみせる。

「じゃあ、そこの椅子に座ってみてくンろ」

 言われるままに腰掛ける幸介。更に、

「いろはさんはこっちだネ」

 その対面にいろはを立たせる。二人がにらみ合ったのを確認して、

「千尋チャンはこっちだね」

「私も? って言うか、チャン呼ばわりしないで」

「へいへい、谷川センセー」

 千尋をいろはの背後に移動させ、

「それで何をするんだ?」

「何をって、こーすンだよ」

 千尋の背後に回るとその背中を強く押した。よろめく千尋。そのまま体勢を維持できず、目の前にいたいろはの身体を押した。

 そして、

「え?」

 玉突き事故の如く重なり合ういろはと幸介の唇。始めはキョトンとしていたいろはだったが、急激にその顔が赤く染まっていく。

「な、な、な、何してるんだよ、幸介!」

 身を退かし、幸介の頬を叩くいろは。あまりの出来事に茫然自失だった幸介だったが、いろはが正常なことに気付き、逆に抱きついてきた。

「いろはさん、元に戻ったんだな」

「ちょっと待て、戻ったって私は始めから正常だぞ。ただ、マスターコードが優先されていただけで――ってどうして私は元に戻れたんだ?」

 二人して答えを求めるように未里を見る。

「あー、冗談のつもりだったんだけど、本当に戻れたんだナ」

「未里姉、何をしたんだい?」

 廉太郎もまた興味があった。

「んーっと、乙女モジュールが生きていたら、お姫様は王子様のキスで正気に戻るかなと思っただけだヨ。あれって変な場所に入り込んでいたみたいだからサ」

 それはあまりにいい加減な憶測からの手段だった。

「まぁ、愛があったってことだネ」

 そう気軽に曰ってくれる未里だった。


 そんなこんなで、二人の関係は面白くもおかしく続くのであった。


《了》

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