十九話 マスター登録

 秘書である霞の運転で夜の街道をひた走る一台のリムジン。乗っているのはご老公と幸介の二人だ。朔には廉太郎達と警察に連絡を入れるように頼み、この場には居ない。

「落ち着け、九十九少年。気持ちだけ逸ってもどうにもならないぞ」

「それは解っているけど……」

 険しい顔で返す。焦る気持ちは隠しようが無かった。

 少しでも気分を落ち着かせようとフロントガラスへ目を向けると、一つのおかしなことに気が付いた。

「霞さんだっけ? ナビの確認をしてないんだけど、場所って解ってるんですか?」

「九十九少年。そこの霞はメイドロイドだ。座標データは彼女の頭の中に入っている」

「メイドロイド!? 霞さんが?」

 言われるまで解らなかった。

「はい。私は最新鋭試作機OMRX221の三機ある内の一機です」

「試作機……なんだ」

 瑠璃と比べれば圧倒的に人間っぽい霞だったが、言われてみれば確かにその表情や言葉の端々にいろはからは感じられない違和感があった。

 逆に言えばそれほどまでにいろはは完璧に人間をしていたのだ。

 今更ながらに親友の天才ぶりに舌を巻いた。

 だからこそ、不安が募りもした。相手はメイドロイド専用の窃盗グループなのだ。そんなヤツらが、いろはの特異性に興味を持たないとは思えなかった。

 それこそ、頭蓋を割られ中のプログラムを調べかねない。

 考えれば考えるほど、不安に心が落ち着かなくなっていく。

「でも、どうやっていろはさんはさらわれたんだろう?」

「それならば、緊急停止コードを利用されたのであろうな」

 幸介の呟いた疑問にご老公が答えてくれた。

「緊急停止コードって?」

「メイドロイドが暴走した時に、外部から強制的に機能停止を起こすためのプログラムコードだ。どこのメーカーでも必ず組み込まれているのだが……」

 言いつつ渋い顔をするご老公。

「通常、コード発信用の装置はメーカーか警察にしか存在しないのだが、海賊版が存在すると言う噂があるが、大方そいつが使われたのだろうな」

 険しげに眉を潜めるご老公。メーカーの長としては頭の痛い問題であった。

 そんな殺伐とした空気が満ちている車内に、

 ――――♪ ――♪

 軽快なメロディが鳴り響いた。

 一瞬、それが何なのか解らない幸介。すぐに着メロだと気が付いた。

 携帯端末を手に取り切ろうとするも、映し出された発信主の名を見て考えを変える。

「廉太郎、話は聞いたか?」

 その相手は廉太郎だった。朔が彼と未里そして顧問の千尋に連絡をつけてくれたのだ。

 今、三人ともへきるりに集まっているとのこと。

 現状の確認をすると、何かアドバイスが出来ることがあるかも知れないので、通話はそのまま切らないで欲しいと頼まれた。


      ☆


「おい、起きろ。おい」

 ぺしぺしと、頬に軽い刺激を受け、機能を停止していたいろはは目を覚ました。

「う……ん……なんだ――ヒィッ!?」

 眼前に居る黒ずくめ達に気付き怯えるいろは。後ずさろうにも身体が動かない。

「無駄だ。今のお前は停止コードで首から下の機能を停止させてあるからな」

「停止コード……」

 確かに、口と目以外の部位は微塵も動かせなかった。そんな僅かに動く瞳で辺りを見渡せば、自分が解体工事中のビルに連れてこられたことを知る。

 ただ、不自然なことにその場には、工事用の重機以外に複数体のメイドロイドが見て取れた。

「何だよ、お前らは! 俺をどうするんだ!!」

 幸介の前で無いこともあってか、素が出ていた。

「変なことをしたら、ただじゃ済まさないぞ!」

 叫ぶいろは。身体が動かない以上、虚勢を張るしか出来ない。

「おほっ。本当に感情がありやがる」

 歓喜の声を上げるのはいろはと闘った黒ずくめだ。

「こりゃ、何としてでもプログラムの中身を見ないとな。アクセスできそうか?」

「無理だ。プロテクトが複数設置されてる。解るのは表層のデータだけだな」

 いろはに取り付けたヘッドセットから情報を吸い出そうとしていたが、上手くいかなかった。

「チッ」

 舌打ちが無機質な空間に響き渡った。

「こうなりゃ、頭蓋を開いて直接繋いでみるか? それならプロテクターの一つや二つは回避できるだろ?」

「ちょっと待て。そいつ、マスター登録が済んでいないぞ」

 その言葉に、いろはの頭へと伸ばされた手が止まった。

「マジか?」

「ああ。登録者名がどこにも存在しない」

 表層的なデータとは言え、ディスプレイには無数の情報が表示されていた。

「これなら、上手くすればマスター登録ができるな」

「マスター登録できれば、データの吸い出しも可能か?」

「まぁな。いけると思うぞ」

 何やらきな臭い話を進めていく黒ずくめ達。

「俺の情報を手に入れてどうするんだよ?」

「どうするって、そりゃ、お前。お前のコピーを取って売るんだよ」

「俺のコピーを?」

 語られた内容からして、嫌な予感しかしない。

「メイドロイドってヤツは従順すぎるからな。嗜虐嗜好のヤツには物足りないんだよ。感情なんかも怒りや恐怖を持ち合わせていないときた。そいつをお前は持ち合わせているみたいだからな。誰が作ったかは知らんが、すげーお宝だ」

 今にも舌舐めずりをしそうな雰囲気だ。

「じゃあ、マスター登録を始め――」


「いろはさん!!」


 黒ずくめ達の会話を遮るように、その声は響き渡った。

「幸介!? 何来てるんだよ!! こいつらは犯罪者――うぐ」

 言い切る前に口を塞がれた。

「今行――」

 ズッキュン!

 駆け寄ろうとした幸介の足下で、瓦礫が爆ぜた。黒ずくめの一人が発砲したのだ。

 慌てて柱の陰に隠れる幸介。まさか銃まで所持しているとは思わず、打つ手が無かった。

「あれはお前の持ち主か? まぁ、いい。どちらにしろマスター登録をし忘れたアホだからな。今ここでマスターが変わるところを見せつけてやるよ」

「もご、もごもご」

 口を押さえ付けられたままも叫ぼうとするいろはだったが、その音は声にはならない。

「初めてくれ」

「了解」

 手早くキーボードを叩き出す。次々とマスター登録に必要なセッティングが済んでいく。そんな様子を遠巻きに見守りながら、幸介は携帯端末で廉太郎から一つの指示を得ていた。

 そして、

「いろはさん! これから俺が言う言葉をよく聞け!!」

 叫び、

「476547586741」

 十二桁の数字を口にするのだった。

 それは仮登録時に決めておいた本登録用のパスワードだ。

「本登録用コード確認。登録声紋との一致を検知。OMR631シリアルナンバー579y-f62x-9e4k、個体名称九十九いろは。本機はこれより、九十九幸介を正式なマスターと認めます」

 突然の出来事に虚を突かれた黒ずくめ達。

「あのガキ、この土壇場でマスター登録をしやがった」

「それならそれで好都合だ。あのガキに命令させれば済むだけだ! 何をしようが、このメイドロイドは動けないんだからな」

「いろはさん! 命令だ!! 自分の身を守れ」

 幸介が命じた瞬間、いろはのデータを漁ろうとしていた黒ずくめの一人が吹き飛んでいた。いろはが殴ったのだ。

「個体名九十九いろははこれより自機の保全を第一に活動します」

「何で動けるんだよ!?」

 反射的に距離を取る黒ずくめ。停止コードが通用していないことが信じられなかった。

 そしてその疑問は幸介も抱いていた。

「廉太郎。どうしていろはさんが動けるんだ?」

『停止コードよりもマスターコードの方が上位に来るように改竄しておいたからさ。幸介君が命じる限り、いろはさんは他の何にも縛られないんだ』

 無茶苦茶な親友だった。

 でも、今はそれが有り難かった。

「お前ら、手を貸せ! 押さえ込むぞ!!」

 黒ずくめは、他の盗んだメイドロイドをコンテナに詰め込んでいた仲間に助けを求めた。

 いろはを中心に取り囲む窃盗犯グループ。その手には各々武器が握られていた。

 殴りかかられてはそれを腕や足で受け止めるいろはだったが、次第に押されていく。

 いくら頑強な身体をしていたとしても多勢に無勢。武器を持った男達相手に勝てる見込みが薄かった。

「コネクト。ダウンロード」

 メイドロイド専用のサーバーへと繋ぎ、戦闘データをダウンロードし始めるいろは。それまで単純に力任せだった攻防に技が加わった。

 動きづらいウエイトレスの制服だと言うのにその動きは可憐にして巧み。洗練された達人のそれへと変じていた。

 メイドロイド故に速さこそ無いが、巧みなステップ一つで身を逸らしては紙一重で窃盗犯の攻撃を躱し、逆にあしらっていく。

 一人減り二人減る窃盗犯。

「すげー」

 そのあまりの奮闘ぶりに、そんな呟きが口を衝いて出た。

「九十九少年、避けろ!!」

 いろはの演武に見入ってしまっていた幸介には、その叫びの意味が一瞬理解できなかった。

 そして、その意味するところに気づいた時には、破砕用の鉄球が彼目掛けて迫り来ていた。

 窃盗犯の一人がビル破壊用にあった重機の一台をやみくもに動かしたのだ。

 反射的に避けようとするも、瓦礫に足がもつれ逃げられない幸介。今まさに、それが当たる寸前――彼と鉄球の間に一つの人影が飛び込んできた。

「うりゃぁぁぁぁぁ!!」

 中腰に身を構え、螺旋を描くように拳を捻り叩き込むいろは。彼女の右腕は鉄球の質量に押され潰れていくも、渾身の一撃は鉄球にヒビを入れていった。

 互いに砕け散るいろはの右腕と鉄球。その破片が彼女や幸介を襲った。

 こぶし大の欠片が幸介の頭を掠め、その衝撃で気を失う。意識が完全に没する寸前、彼が最後に見たのは、黒ずくめの放った凶弾に頭蓋を打ち抜かれるいろはの横顔だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る