十八話 そして、暗転

 デートの帰りに立ち寄ったへきるりにて、幸介は疲労困憊とまではいかないまでも、へばっていた。

「九十九君、どうかしたの?」

 注文を取りに来た朔が、幸介の対面に腰掛けているいろはに訊ねた。

「あー、ちょっと無理させすぎたかも」

 困ったように頬を掻くいろは。

「無理って?」

「五時間ぶっ通しでカラオケ……」

 掠れた声で答えたのは幸介だった。

「五時間!?」

「いろはさんと飯食いにカラオケに寄ったんだよ。それでいろはさんが調子に乗って」

「たっはっは」

 驚く朔の視線に晒され、困ったように笑ういろは。

「つい、高音域で歌えるのが面白くてさ。それで幸介の声と比べてみたくなって……」

 若干悪かったかなといった表情を浮かべる。

「それで五時間も……ちょっと待ってって」

 朔はカウンターの中へと戻るとグラスに何かのドリンクを注ぎ始めた。

「はい、これ。奢りよ」

「?」

 白く濁った見慣れぬ飲物に眉を潜める幸介。その正体が解らず戸惑っていた。

「甘酒だよ。歌いすぎで痛めた喉には甘い物が一番でしょ?」

「甘酒なのか? 冷やしてあるけど……」

 言われてみれば確かにそれだった。ただ、幸介の知識では甘酒は冬にホットで飲む飲物だ。

「夏ばて防止に夏には冷やして飲んでたんだって。それに、俳句でも甘酒は夏の季語になってるんだよ」

「へー、夏の季語なんだ」

 一口含んでみれば、甘酒独特の甘みが口の中に広がり、熱唱で痛めた喉を癒やしてくれる。

「カラオケってデートでもしてたの? いろはさんもオシャレしてるみたいだし」

「ああ、私が幸介を誘ったんだ。恋人同士はデートが定番だからな」

「定番って……」

 失敗してるアップデートの内容を知っているだけあってか、朔は微妙な表情を浮かべる。ただしそれも一時で、すぐに別のことが気になり小首を傾げてみせた。

「ねぇ、今私って言ったけど……」

「ああ。私と幸介は恋人同士になったからな。俺やお前じゃ味気ないと思って直したんだ」

「そうなんだ」

 朔としては俺と言ってくれた方が面白かったのだが、さすがにそれを強要するのは野暮すぎると話を切り替えた。

「それでデートってカラオケだけなの?」

「午前中は映画を見たんだけど……見たはずの一作目の記憶が無くて楽しめなかった」

「え?」

「いろはさんには過去に見たっていうデータだけがあって、内容までは記録されてなかったんだよ」

 甘酒のほどよい甘さとショウガの刺激を堪能しながら幸介が補足した。

「ふーん。いろはさんだとそういうことも起こるんだ」

「おかげで、楽しさが半減したよ」

 不満そうに口を窄めるいろはに、朔はおかしそうに笑う。

「何の映画だったの?」

「ちょこゆに2」

「ああ、あれね。1ならウチにディスクがあるけど貸そうか?」

「いいのか!?」

 朔の申し出に飛びつくいろはだった。

 その後も会話を楽しんでいると、少しずつ店内が混み始めた。

「何かあったのか?」

 浴衣姿の多い来客を疑問に思う。

「近くの神社で夜祭りがあるからね」

 そこへ遊びに行く者達の待ち合わせ場所として使われているのだと続ける。

「俺達帰ろうか?」

「ああ、大丈夫、大丈夫」

 目の前で手を振る朔。

「毎年のことだからだいたい解るんだけど、一時間もしたら引けるから」

 それは長年の経験による予測だった。

 祭りが始まる七時頃には店はいつもの平穏さを取り戻すのだ。

「ただ、カウンター席に移動して貰えると有り難いかな」

「じゃあ、私も手伝うよ」

 幸介がカウンターへと移動するのに合わせ、いろははウエイトレスの制服に着替えるべくバックヤードへと消えていった。

「邪魔するよ――っと、今日はえらく盛況だな」

 扉を開けてふらりと入ってきたのは、浴衣姿の客で溢れかえった店内には場違いなダンディさを身に纏ったご老公だった。帽子のつばの下に見える双眸に鋭い眼光を煌めかせては、ざっくりと店内を見渡す。

「ご老公、すみません。満席なんですよ。四十分もすれば空くとは思いますけど」

「そうかい。じゃあ、出直すとするかな」

 あっさりと引き下がっていくご老公。客の入れ替わりが激しいので数分も待てば席は空くが、ご老公にしてみれば落ち着いた場所でパフェを堪能したかったようだ。

「また来るよ、朔嬢ちゃん。いくぞ、霞」

「はい」

 こくりと頷くのは、ご老公の背後に控えていた一人の女性だ。これまた上品そうなレディーススーツに身を固めていた。

 その出で立ちからの雰囲気は、大企業の会長もしくは政治家に仕える秘書そのものだ。

 へきるりの盛況は朔の予想通り小一時間ほど続き、七時半を過ぎた当たりで客足は止み、店内は平穏と静寂で落ち着いていた。

「凄い客の数だったな」

「毎年のことだからね。慣れたものだよ」

 テーブルに残された食器を下げながら気軽そうな朔。

「毎日あれはさすがにきついけど、年に数回程度だからね」

 今日の夜祭り以外にも、近くでイベントがあれば起こると続けた。

 一方手伝いを名乗り出たいろはは、バイトを上がる前の一仕事としてテーブルを拭いて回っている。

「いろはさん。俺達もそろそろ帰るか?」

「そうだな」

 時計を確認すると時刻は八時になろうとしていた。

「マスター。そろそろ上がっても良いですか?」

 カウンターに声を掛ければ、奥から頷く気配が感じられた。

「じゃあ、朔さん。お先に」

「お疲れ様。助かったよ」

 着替えるべく更衣室へと向かういろは。途中、通路の窓から消耗品の補填に外の倉庫へと向かっていく瑠璃を見かけた。

 そんな姿を後目に、更衣室の扉を開けようとする――その手が止まった。

 ハッとして振り返るいろは。人と比べて高性能すぎる彼女の瞳――レンズは夜陰に紛れて瑠璃に近づいてくる黒ずくめの男達の姿を感知したのだ。

 慌てて裏口から飛び出し、倉庫へと駆け寄る。

「お前ら、瑠璃さんに何してるんだ!!」

 そこには横たわる瑠璃と三人の男達。そして一台のワンボックスカーが停まっていた。

「瑠理さんから離れろ!!」

「従業員に気付かれた。早く運び込め!!」

 黒ずくめの一人が指示を出し、迫り来るいろはに対して手に持った警棒を構えた。そんな威嚇に怯むことなくいろはは突っ込んでいった。

 仕事仲間の同僚で先輩。そして、女の子が襲われているのだ。

 いろはの思考回路は激しく燃えたぎり、そこにあるのは憤りからくる怒の一文字。それはメイドロイドには決して抱くことのない感情だった。

 そんないろはに対して、黒ずくめは臆することもなく冷静に警棒を振るってきた。

 ドゴッ――

 鈍い音が響く。いろはは警棒を右腕で受けていたのだ。

 普通ならば骨折しそうな一撃だったが、メイドロイドの頑強なボディはそれに絶えきってみせた。

 そしてそのまま逆の手で殴り飛ばそうと振りかぶる――も、

「のわぁ!?」

 その拳は空を切った。

 へきるりでの給仕仕事には慣れたとは言え、今のいろはの姿はウエイトレスの制服である袴に厚底ブーツなのだ。

 普通に運動することさえ難しい格好となる。

 足がもつれ、体勢の崩れたいろはの背中に警棒が振り下ろされた。

「ぐっ」

 くぐもった声をこぼすもそれに耐えきるいろは。そのあまりな異常性に、黒ずくめは気が付くのだった。

「おい! 停止装置をもう一度作動させてみろ」

 背後で瑠璃を運び入れようとしていた仲間に命じる。

 反射的に黒ずくめの一人が手にしていた装置のスイッチを入れた――途端、

「え?」

 いろはは自らの身体が急激に重くなっていくのを感じ取った。

 そして次の瞬間彼女の意識はブラックアウトし、その身体は身動ぐことなく地面に倒れ込んでしまった。

「何が起こったんだ?」

「こいつもメイドロイドなんだよ。そっちの旧型はいいから、こいつを運び込め。どんなOSをしてるか知らないが、怒りの感情を抱けるメイドロイドだ。高く売れるぞ」

 機能停止を起こしたいろはの身体は、瑠璃の代わりに車の中へと運び込まれていった。


      ☆


「た、た、た、大変! 九十九君、大変!!」

 けたたましくも叫んではバックヤードから朔が戻ってきた。その背後には申し訳なさそうな顔をした瑠璃が控えている。

「どうしたんだ、飯島さん」

「いろはさんが、いろはさんがさらわれたの!!」

 それは偶然だった。

 貸す約束をした映画のディスクを取りに自室へと戻っていた朔が騒ぎを耳にし、店の裏で行われていた凶行に気付いたのだ。

 もっともそれは車が発進する直前であり、助けることは適わなかった。

「どう言うことなんだよ、それ!?」

 あまりに突飛な話に頭がついてこない。理解出来ない状況に、ただただ頭を振る幸介だ。

 朔は、瑠璃を狙った誘拐現場にいろはが駆けつけ、代わりにさらわれたのだ――と、自分の見解を伝える。

「それで、誘拐犯はどっちに行ったのか解るか?」

「ゴメン。裏路地を大通りの方へと向かっていったけどそこからは……」

 部屋の窓からでは東に行ったのか西に行ったのかすら解らなかった。

「チッ!」

 感情を吐き捨てるように舌打ちし、それでも捜そうと外へと向かう。

「おっと」

 開けた扉の向こうに立っていた客にぶつかりそうになり、反射的に身を捩るも勢いは止まらず扉の枠に当たってしまった。

「どうした、少年。血相を変えて」

「ご老公!? いろはさんがさらわれたの! 多分、瑠理さんの代わりに連れ去られたとの」

 来客の正体に気付き、朔が話した。

「この間、ご老公が言っていたヤツらだと思う」

「むっ、例の窃盗グループか」

 ぎらりとその眼光に凄みが増した。

「霞」

「はい」

 ご老公が手を出せば、背後に控えていた霞が一台の携帯端末を手渡した。

「少年、少し待っておれ」

 今にも店を飛び出そうとする幸介を押しとどめ、ご老公は手早く電話を掛け始めた。

「私だ。第二の瀬尾に繋いでくれ」

 待つこと暫し、目的の相手が電話口に出たのか更なる話を始めた。

「ロボコンで貸し出している機体の情報は解ってるな? そうそれだ。その中で扶桑高校に貸し出しているヤツだ。現在位置を調べられるな? やってくれ」

 キョトンと自分を見つめる幸介達の視線に気付き、

「今、部下にいろは嬢の現在地を調べさせておる。すぐに解るから待っておれ」

 ニヤリとほくそ笑むご老公。そんな計り知れない翁に対し、

「ご老公って何者なんだ?」

 幸介は無意識にそんな疑問を呟いていた。

「あなた方がいろはさんと呼称している機体――OMR631の製造元である大江戸電機株式会社の会長に当たる江戸屋玄朗様です」

「大江戸電機の会長なのか!?」

「うそ、知らなかった」

 驚くのは幸介だけではなく朔もだった。

「よし解ったぞ。少年――」

「九十九です。九十九幸介」

 名前を伝えていなかったことに気付く幸介。

「では、九十九少年。行くぞ。いろは嬢の奪回だ」

 ご老公は駐車場に止めてある自分の車に乗るように言う。

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