ユニコーンの折れたツノはポケットの中へ END

五月三十一日


 あのイカ公園で姿を消した翌日、リキは半田チカの姿で自分が支笏湖で溺死する姿を動画サイトにライブ配信していた。

 最後に湖から白い手だけが伸び、そこに二匹の小さな鳥が留まってその重さで沈んでいく映像だった。


「偶然もここまでくると異常だな」


 満月が私の膝の上でPCモニターを見ながら呟いた。


「なにが?」


「ノアの箱舟を知っているか?」


「うん。なんとなく」


「ユニコーンはノアの箱舟に乗ることを拒否したんだ。だから自らの力で何日も泳ぎ続けた。そこに荒れ狂う波に呑まれるのを回避しようとした鳥達がツノの上に留まった。そこでユニコーンは力尽きて沈んでしまうという話がある」


「そんな話があるんだ。知らなかった」


 確かにリキの細い腕はユニコーンのツノに見えなくもない。自分が女の子の姿で死ぬ姿を見てもらうことがリキの本当の望みだったのか?もしそうならリキの願いは叶ったと言っていいのかもしれない。この動画が十日以上経つ今でもこの動画を紹介するどの記事にも激かわJKの自殺動画というタイトルがつけられていた。 


「満月。自殺ってどうなんだろ?」


「自分の命なんだから自分で終わらせるのも本人の自由だ。わたしはそう思う。自殺と一言で言っても自殺する奴等にはそれぞれ理由がある。良いか悪いかではなく、できるかできないかということだ。まあこの先無限の未来が広がっている若者に言うことじゃないが、こんな世の中だ、がんばって一生懸命生きて行こうなんて考える奴の方が稀だな」


「どういうこと?」


「つまり……みんなただ生きてるだけってことさ」


「なんかそれって虚しくない?」


「そんなもんさ。ただ……」


「ん?」


「お前達四人にはいい未来がくることを願うよ」


「満月は優しいんだね」


 そうして普通ならなんでもない五月は、この二つの事件のせいで忘れられない五月となった。私はある小説投稿サイトに最後のエピソードになるこの文章を打ち込んでいた。この話が本当の話であることに一体何人の読者が気づくだろうか?


「アタシはまたとんっっでもない発見をしたぞ」


「突然どうしたの?」


 今までリリィが大袈裟なテンションでこんなことを言ってまともな話だった時は一度も無い。


「この大同リキの自殺動画、カメラの先に誰かいるだろ?」


「え!」


「よく気がついたね五月雨リリィ。そうなんだ。ウチもそれが引っかかってたんだ。恐らくそいつが三島トマリ、大同リキ、そして満月の前世を気づかせた九門キゼンって奴なんじゃないかって思ってる?」


「それも視たの?」


「この動画に関して言えばウチの能力は発動してない。ただ三島トマリ、大同リキ、そして満月の前世を気づかせた奴は間違いなく同一人物だよ」


「ここ……聞いて」


 リンゴが突然私の前に来て白いマウスを操作した。プレイ中のリキの自殺動画を1分28秒あたりまで戻し、プレイヤーのボリュームを最大にした。


「……ここ」


「ん?」


 特に何も聴こえない。私は何を伝えたいのかわからずリンゴの顔を見つめるとリンゴは再びマウスを動かし再生中の動画を再びを1分28秒あたりまで戻して一時停止した。


「よく聴いて……人の足音がする……小枝が踏まれて折れる音」


「……そんな音聴こえなかったけど」


 リンゴが再生マークをクリックし、みんなの視線がパソコンのスピーカーから出る音を聴き逃すまいとスピーカーに集まる。


「……」


 確かにうっすらではあるがリンゴの言う通り小さな木の枝が折れる音が聴こえた。


「……どう?」


「うん。本当に聴こえた。でもリンゴあのボリュームで良く聴こえたね」


「……全ての音が……色となって……見えるから」


「な? アタシの言った通りだろ?」


 得意気なリリィに対し私の太腿の上に二本足で立ってデスクで体を支えながらモニターを見つめる満月が唸る。

 爪がちょっと痛いんですけど。


「ん〜」


「なんだよ? またなんか文句つけようとしてるだろ?」


「いや。この映像自体が作られたものである可能性を考えていた」


「冗談だろ? なんの為にだよ?」


「わたしは映像のプロではないからわからないが、自殺した映像が作られたものであるとすれば理由は一つだ」


「まさか……」







「……ああ。大同リキは生きている」







 リキが生きている。映像が完全に偽装であれば確かにその可能性もあるのかもしれない。リキが死んだことすらいまいちピンとこないのに、実は生きてましたと言われた日にわもう訳がわからない。


「この映像が本物か手が加えられたものなのかはわからないが、映像の改変はさほど難しくない。今じゃ少し調べれば誰でも簡単にできる」


「だけどそんなことしてどうする? なんの意味がある?」


「……わからない。全ては所詮憶測でしかない」


「そもそもその九門キゼンって奴は何者なんだよ?」


「……わからない」


「ミナイはその九門キゼンって奴のこと、何か視てないのか?」


「一度しか視てないから断定はできないけど、そいつがダイノ・コア製薬本社に入って行く光景を視た」


「またダイノ・コアか。満月どう思う?」


「確か……ダイノ・コアには人の前世の記憶について研究しているセクションがある。九門キゼンはそのセクションの人間かもしれないな」


「前世の研究だって? アタシの中でさらにダイノ・コアの胡散臭さが増したぞ」


 製薬会社が前世の研究?ダイノ・コア製薬はそんなことを研究して一体何をしようとしているのか?プロジェクトP・Rのことが腐敗臭のように脳の中心に漂ってくる。

 突然満月が慣れた手つきでマウスを操作し始めた。私は黙ってモニターを見つめる。満月は私がブックマークしている、動画サイトにある無力なれど羽抜け落ちるまでの叫びのコミュニティへのリンクをクリックした。


「あっ」


「レイン。コレってお前が待ち望んでた新曲じゃないのか?」


「……うん。やっとキタ」


 モニターにはずっとずっと待っていて正直頭が変になりそうなくらいまでに待ち望んでいた私の宗教と言っても決して大袈裟ではない無力なれど羽抜け落ちるまでの叫びの新曲がアップされていた。日付けを見ると今日の早朝にアップされたようだ。まだ六時間ほどしか経っていないにも関わらず、再生回数はすでに16万回を軽く超えていた。満月はなにも言わずに再生ボタンをクリックした。

 いつもの彼女の自室であろう部屋がギターを抱えウェブカメラに視線を向ける彼女の背後に映っている。大きめの白い本棚には本ではなく、CDが隙間なくギッチリ収まっていた。


 歌い始める前に彼女は必ず神聖な儀式のように顔の前で左右の手の平を交差させて羽を作る。


 力強いピッキングが弦を傷つけると、彼女お気に入りの歪んだディストーションの音がスローテンポより少し早いリズムでリフを奏で始める。彼女のいつも通りの全力プレイに私は最早モニターから視線を外すことができない。


 サビから始まる今回の新曲は、「彼女の歌が無かったらとっくにこの世に居ないと思うとあなたは言ったけど」という歌い出しから始まった。その歌詞が脳内に届いた数秒後、私は不思議な感覚に襲われた。どうしてだろう?この曲を聴くのは間違いなく初めてのはずなのにこの歌の冒頭の歌詞はなぜか聴いたことがあるような気がする。

 リリィとミナイもモニターを今まで見たことのない真剣な表情で見つめていた。この二人も彼女の信者だ。


「なぁ ちょっともう一回聴いてもいいか? なんか歌い初めの歌詞だけど、なんか聞き覚えがあるんだよ」


「ウチもだよ。なんでだろう……」


「え? リリィとミナイもそう感じたの? それにしてもこのタイトルは偶然なのかな?」


 するとリンゴは無言で突然、マウスに手を伸ばし映像を最初まで戻し再生ボタンをクリックする。サビが終わった辺りで一時停止しモニターに指を指す。


「ここの二回目……ギターちょっとテンポ遅れてる」


「はあ?」


「いくらリンゴの耳が良くてもそれはないんじゃない? ウチには全く普通に聴こえたけど」


「うん。私も普通に聴こえた」


「……今ならもっと……上手く弾ける」


「なんでそれをお前が言うんだよ? しかも上から目線で。なんだよリンゴ、お前彼女のファンじゃなくてアンチか? アンチなんだろ?」


「そうだそうだ。モニターの奥で歌う彼女に謝れ」


「……それは……できない」


 リンゴが心から申し訳なさそうに言った。


「なんで?」









「無力なれど羽根抜け落ちるまでの叫び……彼女は……ここにいるリンゴだから」








「え?」


 リンゴ以外の私達三人はその時、リアクションという人間に与えられた喜怒哀楽を忘れ、永遠に続くかと思われる放心状態へと突入した。

目の前にいる誰もが信じられないサプライズをあっさりと言い放ったドジっ娘の正体が、現在日本の中高生から大人まで幅広い層に支持されている無力なれど羽根抜け落ちるまでの叫びだと彼女は真顔で今そう言った。


 信じられない話だがリンゴは確かにそう言った。


 約二分が経過したにも関わらず未だに空いた口の塞ぎ方を忘れてしまった私達三人はただひたすらにリンゴを見つめ続けた。誰もがリンゴから発せられる次の言葉を待っている。

 それに答えるようにリンゴは突然両手を交差させ羽根の形を作り、その手を顔の前に移動させ少し自慢げな顔をする。

「いやっ それは誰でもできるだろっ アタシでもできるわっ つうかなんで今やった?」


「リンゴ。ウチはリンゴの親友だよ。だからこんなことはあまり言いたくないんだけど、こればっかりは見逃せないよ。リンゴが彼女だって言うなら証拠を出したまえ。証拠だ証拠だ」


「そうだ。今ここで歌ってみろよ」


「……それは無理」


「なんでだよ?」


「……あの部屋は音楽スタジオと一緒で壁に防音設備が取り付けてある……この部屋は普通の部屋。人間が全力で歌う音の大きさはアカペラだとしてもかなり大きい……それにギターがない」


 最もらしい理由にリリィは黙り込む。


「なんか証拠ないのかよ?」


 リンゴの言うことを全面的に信じてないわけじゃない。だけど無力なれど羽根抜け落ちるまでの叫びが自分の目の前にいるはずがないとみんな思っているのだ。

 リンゴはリリィの言葉のあと、少し難しい顔をしながら自分の真っ白なスマートフォンを操作している。背面には自分で描いたのか無数の羽根が線の細いタッチで描かれていた。


「……あった。確実な証拠」


 私達三人はその言葉に首を長くして親鳥からの食事を待っていた小鳥のように、リンゴのスマートフォンの画面に集まる。

 画面には今聞いた新曲の歌詞が書かれていた。


「……日付見て」


 そんな少し自信がないような声のトーンに画面を見ると、新曲が動画サイトにアップされた日より二日前の日付が、歌詞の書かれた一番上に表示されていた。この日付はリンゴが入力したものではなくメモ帳のアプリが自動的に入力したものだった。


「……証拠にならない?」


「これって……マジじゃん」


「……ウチは最初から分かってたよ」


「ウソつけっ」


「リンゴっヘッドホンにサインして」


「……うん。じゃあレインだけ……特別」


「レインお前ずるいぞ。リンゴ。アタシの部屋にあるギターにサインしてくれ」


「……無理」


「なんっっっっっっっでだよ? いいだろ別にっ」


















「……あれはベース」













「え? ギターじゃないのかよあれ?」


 きっと誰も



 きっと誰もこんな話信じてくれないかもしれないけど



 人間の前世を視ることのできる私は



 この強烈で最低でキセキのような五月に



 不死身の少女と



 千里眼を持つ少女



 そして



 私の中で神様みたいな存在の



 無力なれど羽根抜け落ちるまでの叫びと友達になったのだった。


 いつの間にか寝てしまった満月の顔でプニプニ悪戯しながら、私はスマートフォンを裏返し背面を見つめる。


 そこにはリキが私の教科書にいたずら書きしたユニコーンの折れたツノが隅っこに貼ってあった。


 私は机の引き出しから小さな絆創膏を取り出し、折れたツノの中間に貼り付け、ポケットの中にゆっくりと入れたのだった。




 PCのモニターには無力なれど羽根抜け落ちるまでの叫びの新曲が一時停止された状態で表示されていた。


 私は笑っている三人を横目にもう一度モニターを見つめる。













 新曲のタイトル


 ユニコーンの折れたツノはポケットの中へ


 そう表示されていた。

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リリィとレインは満月を笑う 千のエーテル @sennoaether

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