私はファンタジーを「使い勝手のいいガジェット」だと
とらえているようだ、ということに、不意に気が付いた。
戦闘なり魔法なり何なり、場面を派手に演出するために
物語にファンタジー要素を絡める、という書き方ばかり。
そうではないハイファンタジーにまともに出会ったのは、
実は、カクヨムで読み始めてからのような気がしている。
子供時代の読書は現実ベースのローファンタジーが多く、
ハイファンタジーはゲームで覚えたから戦闘は付き物で。
派手な戦闘や魔法の登場しないハイファンタジーは佳い。
幻想異郷と呼ぶべき世界で旅に生きる人の静かな物語は
特にいとおしくて好ましい。ここではない世界の日常が
ひっそりとした息遣いとともに目の前に展開されていく。
ウェブ小説で長らくトレンドの異世界ファンタジーは、
転生、転移、チート、ハーレム、駄女神、悪役令嬢と、
キラキラしてカラフルでノリノリで楽しそうだけれど、
どうもうまく馴染めずに、私は静かな幻想異郷を探す。
佳い作品を読ませていただきました。
『木樵の王』がいちばん好きです。
減圧された部屋の扉が細く開いて、隙間に吸い寄せられるように、お話に引き込まれている。たとえば「このキャラをゼッタイ幸せにする~」みたいな書き手の筆圧は全くないか上手に隠してあり、語り手である旅人は、まず旅をするのに忙しい。自分の旅程にすっかり没頭している彼が周囲の出来事に目をとめるなら、それは読者にとっても興味をそそる事件なわけで、このへんの活写が流れるよう。
旅人の肩のあたりにくっついた虫か精霊みたいに、ともにすべてを目撃し、船を待ったり夜を明かしたり、世界の秘密を知らされたり。使い込んだ旅装束の帯のあいだに、旅行記が一冊押し込まれていて、せがんではお気に入りのをもっかい聞かせてもらうような、炉辺語りの幸福。
四編いずれもクライマックスに立ち現われる映像が地球の重力からすっかり自由になっていて、現実・幻想の別なく、文章で織り上げることのできる光景の一番とおくをエイヤッとなでて着地する。旅人がまたてくてく歩き出す余韻が好き。