第10話 茜色の安心感

「昨日は大変だったね。」

少し早く起きて何となくひとりで学校に行く気にはならなくて、紫音の部屋に上がり込んだ。昨日のことは、文化祭が終わるまではあの場にいた人間だけの秘密。文化祭が終わり次第、先生に相談しようということになった。

「さくちん先輩も人がいいよね。だって、最後の文化祭なんだから、佐々木先輩にも楽しんでもらわなきゃ、って。」

「…犯罪行為だからさ、やっぱりちゃんと対処しなきゃだよね。」

「まぁ、そうだよね。」

はぁ、と二人ため息をついた。

「そうそう、俊さんたちに写真見せてもらったけど、紫音の女装、可愛かったね。」

「…まぁ、僕が女装してるんだから可愛くないわけないよね。」

相変わらずの自信にクスッと息を漏らした。

「生で見たかったな、どうせなら。」

「は、はぁ?見せるわけないじゃん!あかねだけの前でかわい子ぶったって無駄だし~。」

妙に自信家でプライドの高い紫音があたしの前でこんなふうに慌てて繕ったりするのは珍しい事じゃない。むしろ、完璧に可愛こぶってる教室での紫音の方があたしにとっては違和感しかないのだ。

「今日は朝ごはん、なしだからお腹空いた…」

「あのさ、あんなことがあった次の日に朝ごはんのことを心配するってどうなの?」

「だって、食べないと力でないじゃない。」

まあ、そうだけどさぁ、なんて紫音はため息をついた。

「目玉焼き、完熟でしか作れないけどいい?」

紫音の言葉にあたしはきっと目を輝かせた。うん、と頷くと、紫音は廊下に併設された小さなキッチンでフライパンを取り出した。

「料理、しないんじゃないの?」

「最近、卵焼いたりベーコン焼くくらいはするようになった。料理っていっていいのかわかんないけど。」

幼なじみは昔からずっとちょっとずつ成長してる。やらないと豪語していた料理を始めたり、感情的に写真を撮るのは変わらないけど、他人を意識するようになった。体つきだって、あたしよりはるかに小さかったのに、今でも小さいとはいえそんなに変わらない。

「紫音、」

小さく名前を呟いた。どんどん遠くなっていくのかな、私たちは。男女の幼なじみなんてうまくいきっこない。いつまでも仲良しの幼なじみでいれるわけがない。そんなことはわかりきったことで、どうしようもないことだ。いつまでも一緒は、いつまでも頼ることは無理だってわかりきっていたって、あたしはいつだって頼れる存在として紫音が真っ先に浮かぶんだ。

「あたしが男の子だったらなぁ。」

こんな複雑に悩むことは無かった。いつまでも仲良しの幼なじみでいられただろう、きっと。幼い頃は外を一緒に駆け回って、成長すれば殴り合うような喧嘩もたまにして、男女、じゃなければ。

「さっきからブツブツうるさいんだけど、あかね。」

「へ、」

「はい、紅茶。」

うるさい、なんて言いながらも紫音は何も言わない。

「…僕はあかねが女子で僕が男で良かったと思ってるよ。」

「聞いてたの?」

「聞こえてきたの!なんか悩んでるみたいだから、ほら好きでしょ、レモンティー。これ飲んで落ち着きなよ。」

湯気が立つレモンティーをカップごとぎゅっと包み込む。暖かさがカップごと手のひらに伝わって、顔がほころぶ。

「…パンでいいよね。」

少し焦げたベーコンエッグと、食パン。ありがとうと受け取る。朝はご飯派だという、桜先輩の方針でご飯を食べることが多いけど、あたしはどちらかといえば、食べられれば、あわよくば美味しければ何でも良い派なので特にこだわりはない。

「紫音ってブラック、似合わないよね。」

「人が好きなもんにケチつけないでくれる?」

「紅茶はともかく苦いからコーヒー飲めない~とか言ってそうだもん。普段のぶりっ子具合だと。」

男のくせに超絶ぶりっ子。そしてそれが似合うとくる、幼なじみを精一杯真似てみる。

「僕の真似のつもり?」

一瞬の嫌そうな顔のあと、

「僕、コーヒー苦いから飲めないんだよね~」

再現される。実際に目の前でやられると笑うしかない。紫音ってこんなにあたしと話す時とほかの人と話す時じゃトーンが違うんだ。嬉しいとか、嬉しくないとかそんな感情はないけどなんだかちょっとだけあたしだけが知ってる紫音が見えた気がした。

「甘いの嫌いじゃないけど、たっぷり牛乳の入ったコーヒーはコーヒーだと思えないから好きじゃない。素材の味、とかそういうの興味無いけど、」

「ところで、さ。なんで佐々木先輩はあんなこと、したんだろうね。」

「僕は佐々木先輩じゃないからわかるわけないでしょ。」

あたしの疑問を紫音は一言で一蹴した。そりゃそうだよ、佐々木先輩がなんであんなことしたのかあたしも紫音も完全にわかるはずがない。だけど、気になるの。仲が良かった事知ってるから。桜先輩の部屋にだって何度も遊びに来てたし、一緒にご飯を食べたことだってある。

「あかねが悩むことじゃないよ。…ところで、あかねのクラスのかき氷、売れ行きいいんだって?」

「あー、うん。凍らせたいちごをそのまま削るかき氷と、普通のかき氷があって、いちご人気なんだ。結構高いけどね。」

サラッと話を変えられた。もうこの話はおしまいだと言わんばかりに。紫音はいつもそうだ。あたしに都合の悪いこと、自分に都合の悪い事は全部自分だけで終わらせようとする。そのほんの少しあたしに頼ってくれてもいいのに。


学校へ行くと今日のシフトの確認だとシフト表がはられていた。

「え、後夜祭も…?」

撤収日は別にあるため後夜祭でも模擬店は開かれる。とはいっても残ったものを売りさばくための大セールみたいなものだ。それまでに売り切れてしまえば問題は無い。ただ、あたし達のクラスの立地が悪すぎるのだ。いくら売れているとはいえ、3階の端の教室。予想よりは人が来てくれるけど多いか少ないかでいえば断然少ない。後夜祭でたたき売りは確実だろう。なんなら出張もするかもしれない。今はそんなことはどうでもいい。

「あたし、後夜祭は無理って言ったよね?」

文化祭実行委員の女の子に詰め寄る。

「でも日向さん、ミスコン出るわけでもないし、彼氏とかいるわけでも、」

「紫音と約束してるの。いくら幼なじみとはいえドタキャンはできない。」

「紫音、紫音って、口開けば紫音くんのことばっかり!幼なじみだからってずっと隣にいることないじゃない。もう決まったことなの。嫌なら誰か交代する相手探して書き換えといてよ。」

しまった、そう思った時には遅かった。実行委員は紫音のことが好きなのだ。だからあたしが邪魔で後夜祭のシフトに急に入れたんだ。紫音のクラスは立地がよく、更に喫茶店系はお客さんがよく来るという。紫音は間違いなく後夜祭の間はフリーになる。ぎくしゃくしてた夏休みを文化祭で取り戻せると思ったのに、

「あかね、うち変わろうか?」

「…ほのちゃん、彼氏と回るんでしょ、大丈夫。1回紫音と話し合ってみるし、楽しみにしてたじゃん。」

付き合ってすぐの文化祭、一緒に回るんだって嬉しそうに笑ってた友人の邪魔はしたくない。

「てか、実行委員だからって感じ悪すぎ!直前まであかねのシフト、後夜祭入ってなかったじゃん。なんなのマジで。」

「まぁ、仕方ないよね、」

「いやいや、どう考えてもこれ人数足りてんじゃん。」

ほのちゃんだけでなく他の子達も実行委員にも聞こえるところなのに大きな声で意見を言う。

「ねぇ、後夜祭シフトの子でさ、あかねいないと困るって子いる?元々のシフト6人じゃない?7人いないとダメ?」

ほのちゃんの声に、後夜祭シフトの子達は6人で大丈夫と答えてくれる。

「こっちがダメって判断したんだからダメなの!」

「ねぇ、なんで?理由は?あかねはさ、クラスのシフトもちゃんと入ってるし、部活のシフトもあるんだよ?」

「人数が足りないから。」

「足りてるでしょ、どう見ても!」

言い争いになってしまった。

「…ほのちゃんいいよ。あたし、紫音に断ってくるから。今ちょっと抜けるけどそれくらいは許してくれるよね?早めに話さないと向こうも困るし。」

あたしが諦めてしまえばそれで終わる。紫音には悪いけど埋め合わせだっていってケーキでも奢ればいい。それだけで解決できるんだ。

「…あのさ、他クラスのことに僕が口挟むのもどうかと思うけど、事前に相談なしに後夜祭シフトに入れはちょっとおかしいんじゃないかな?」

「紫音?!」

あはは、と手を振りながら紫音が入ってくる。その姿は女装している。今日はあたしも紫音も朝1で教室の方、最後に部活のシフトが入っているし、最後と後夜祭の間のわずかな時間で片付けもしてしまわなければいけない。

「てか、実行委員の子ってもう一人いるんじゃないの?」

「お、俺は何も聞いてないぞ!今朝俺も見て驚いたし、聞いた時はもう許可ももらったとか言うから、」

「…私怨、かな。」

ぶりっ子声も表向きの笑顔も保ったままだけど、紫音の声がとんでもなく低いものに聞こえた。

「…もういい!日向さん別に後夜祭シフト入らなくていいから!これで満足?!」

なんであたし逆ギレされてるんだろう、まるてあたしがみんなを味方につけて虐めてるみたい。

「あのさ、満足も何も当然のことだから。そこ、間違えないでくれる?あ、ごめんね、口出して。」

教室から出ていった紫音を慌てて追いかける。

「紫音、ありがと、」

「いろんな女の子のお誘い断ってるんだから、あかねいなかったら僕のそのお断りは無駄になっちゃうでしょ。」

なんだか、これは紫音の本音じゃない、そう思った。そう思えばあたしは問うだけ。

「本当は?」

「…高2の楽しい思い出、欲しかったから、」

「あたしも同じこと考えてたよ。」

あたしはニコリと笑ってみる。

「くだらないね、僕はもう行くから。」

あたしはそんな紫音の背中を見送って教室に戻る。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ同じ気持ちだったんだな、なんて、嬉しくなる。


「日向さん、邪魔なんだけど!」

さっきの事であたりが強い実行委員をみんながいい感じにさばいてくれる。

「ところであかね、美術部と写真部の共同作品はどうにかなった?」

「うん、もともと、美術部が担当してたところは少なかったし、色々代用したら何とか昨日1日で完成したよ。」

「私行った時まだ全然埋まってなかったから心配だったんだよね、良かった。」

友人の言葉にありがとうと返す。完成したことよりも何よりも大変なことがあったんだけどね、とは言いたいけど言えない。まだ何も話してないからわからないけど多分、あの共同作品を台無しにしてくれたのも佐々木先輩だろう。

「にしても、あかねがいるとお客さん多いなぁ。主に男の。」

「は?たまたまでしょ。」

はいはい、と流しながら私はゴミをまとめたり机を拭いたりして回る。最初は暇かななんて思ったけど回転率が早いおかげか忙しくてシフトはすぐに終わっていた。

「あかね、シフト終わった?」

制服に着替えた紫音が立っていた。

「終わったよー。」

クラスTシャツ姿のあたしと制服姿の紫音。並ぶとちょっとアンバランス。

「紫音のクラスはTシャツないの?」

「あるけど、マジできたくない。仮にも僕アパレル関係の社長息子だよ?ダサい格好できない。」

さっと指を刺された方向には紫音のクラスの子らしき集団が楽しそうにはしゃいでる、

「た、確かに紫音ぽくないね…」

派手なショッキングピンクは紫音には似合わない。

「…ご飯、食べ行こ。」

「うん!」

お弁当なんてものは持ってきてないし、食堂も空いてないから模擬店で買って食べるしかない。昨日は朝一で回ったからあんまり並ばなかったけど今日は昼時だからちょっと並ぶかな。でも、紫音とふたりで並んでるならいいや。

「何食べようか。」

「唐揚げ!絶対からあげ!」

「好きだね」

紫音が苦笑して行こうかと、歩き出す。少しいつもより歩幅が大きくて歩く早さが早くて、まって、と手を伸ばした。

「…あ」

「あかね、何やってるのかな。」

私が手に取ったのは紫音の腕でもなんでもなく、かといって宙を掴んだわけでなく。

「さっいあくっ、なんであんた達こんなとこいるわけ?」

佐々木先輩の腕だった。

「いや、あたしのクラスこの階ですもん…」

「…まぁいいわ。それじゃ」

「待ってください!」

あたしはつい呼び止めてしまった。どうしても知りたいことがある。どうしても聞かなきゃいけないことがある。何でやったのかとか、どうしてなんてものではなく。

「何よ。」

「なんで、」

言葉が詰まる。あんなことしたんですか、じゃない。はっきり聞くべきだってわかってるんだ。

「共同制作のモザイクアートを汚したりしたのも先輩なんですか。」

「あぁ、あれね。そうよ。」

紫音の問に佐々木先輩はあっさりと認めた。

「なんでっ、」

「あなたはさっきからなんでなんでばかりね。日向ちゃん。」

「…先輩がやったなんてあたし信じたくないんです。」

そうだ、あたしはそう言いたかったんだ。あたしは、佐々木優茉という先輩が桜先輩に嫌がらせをするような人間だと信じたくなかった。

「信じたくないも何も、事実なんだもの。言い訳のしようもないわ。」

潔くて、さっぱりしていてでもどこか優しい。そんな印象はもうない。ずるくて、ひどい人。そんなふうに思ってしまう。

「…私なんかに構ってないで楽しんできなさいよ。私は屋上で暇つぶしてるから。」

屋上、あいてないですよ。そんなあたしの声は消える。

「あかね、行こう。」

「…うん。」

残ったもやもやを吐き出すかのように、あたしは馬鹿みたいに笑った。慣れない自撮り、意味の無い写真をたくさん撮った。

「あかねがそんなに気にすることないでしょ。」

「紫音はなんで気にならないの?!」

写真部美術部の展示教室で一息ついたあたしに紫音がどうでも良さそうにいう。

「いや、別に気にならないわけじゃないけどさ。だいたいわかるじゃん。理由なんて、」

「…いや、分からないんだけど。」

「はい、まずヒントね。さくちん先輩は蒼ちん先輩からの視線、嫉妬、異性からの嫌な好意以外には鈍感です。蒼ちん先輩は周りの状況にはすぐに気づくけど鈍感です。」

「…え、まさか、」

そう、そのまさかだよ、と紫音がいう。

「…あたし、失礼だったかも、」

「は?失礼も何もないでしょ。」

「だって、」

あたしの言葉に紫音が頭にはてなマークを浮かべる。

「だって、佐々木先輩が桜先輩のこと好きだってことでしょ?!」

あたしはあっけに取られたような顔をした紫音に気づかずに喋り立てる。

「そりゃ、桜先輩も気づかないよね、同性から向けられる恋愛感情なんてなかなかないもん。佐々木先輩も複雑で、どうしても桜先輩に振り向いて欲しかったんだきっと、」

「違うから。全くもって違うから!あかねも鈍感だったの忘れてたよ!…答え合わせはあと。お客さんだよ。」

あたし達の会話に驚いたらしい中学生らしき女の子たちが顔を見合わせて、おそるおそる教室を除いてる。

「ど、どうぞ!」

「中学生?」

紫音の質問にはい、と元気そうな女の子が気持ちのいい返事をする。

「楽しい?」

「はい、すっごく!賑やかですね、色遠って。」

「うん、賑やかだよ。もし、君がうちに入学するならきっと好きになると思うよ。」

わぁっと楽しそうに女の子は笑った。

「…この写真、綺麗ですね。誰が撮ったんですか?」

「ありがとう。実はそれ、僕なんだ。」

好きなものを撮ったんだ、なんて楽しそうに笑う。

「えー、ホントですか?!すごーい!」

「ホントだよ。」

紫音の写真は、たくさんの人に褒められる。昔ほど感情的な写真ではないけれど、奥に潜んだ感情の深みが増した今の写真はあたしも大好きだ。悲しさとか嬉しさとかそれをグチャグチャにしたような名前のない感情を写真を使って表現する、それが紫音。それが紫音の写真。素直になれないだけの毒舌は写真がカバーする。

「先輩、笑顔も素敵ですね!」

なんて可愛いことを中学生が言うもんだからあたしはつい、吐き捨ててしまった。

「つくろった笑顔も素敵ね。」

その場が軽く凍る。

「ご、ごめ、」

「ごめんねー、プラ板でもやってく?彼女が教えてくれるよー。怖くないからね。」

紫音がさらっと、会話を流した。おどけたように言った言葉に、二人は頷いてくれた。

「さっきはごめんね、感じ悪かったよね。」

恐る恐る言ってると思っていたよりも笑顔で、全然大丈夫です!と返ってきた。

「先輩たちは寮生ですか?」

「そうよ。」

「アパートタイプですか?」

寮生には二種類いる。一つは、寮母さんがいて、ご飯が付いてくる、普通の寮。もう一つが私達のようなほぼ一人暮らしのアパートタイプ。学校が運営しているアパートなので、家賃は学校に支払うことになるためそんなに高くはない。コウくんたち、奨学生は寮生の場合、どちらかを選べるのだが、学校としてはアパートタイプを推奨している。遊びに行くお金以外は学校から支給されるので、どちらでも同じなのだが、寮は基本二人一部屋なのでいくら家事がないとはいえ、不都合が多いのだ。そして何より、アパートタイプは学校の周りなので、徒歩圏内だ。空いた時間は勉強に当てられる。ってことらしい。よく分からないけど。

「うん、2人ともアパートタイプだよ。」

「へー!どうですか、一人暮らし!」

「楽しいよ。アパートのみんな仲いいから。」

一緒にご飯食べるし、誕生日会したりするよ~と紫音が笑う。

「お誕生日会!本当に仲いいんですね!私もアパートタイプ希望しようかなぁ。」

「遠いの?」

希望を出せば遠い順から寮に入ることが出来る。どちらのタイプになるかは抽選だが、アパートタイプの希望者は少ないのでほぼ大丈夫だ。

「割と。片道2時間半くらいですかね。」

「え、じゃあ今日何時に家でたの?」

「7時半です。9時半に着いたので。」

わー、はやい、とあたし達は声をあげる。あたしたちも同じくらいに家を出たけれどそれとはだいぶ違う。

「色遠、第一希望なんです。」

お金を積めば入れるよ、なんてことは決して言ってはいけない。ある程度のお金さえあれば入れる学校ですなどとも言ってはいけない。裏口入学がある訳でもないし。ただ、お金持ちが集まってるのは事実。

「頑張ってね。楽しみにしてる。」

紫音がそう声をかけた。なんてことないただの猫をかぶった言葉のはずなのに、あたしの胸に突き刺さる。そんな事言わないでよ紫音。あたし以外の誰かに優しい言葉を向けないで。

「あっ、舞白ちゃん、私、吹奏楽部の演奏見に行きたい。」

「ごめん、時間忘れてた!失礼します!」

すごい勢いで頭を下げて舞白ちゃんたちは出ていった。

「可愛かった、ね。」

「うるさかった、の間違いでしょ。あーいうのはあさとさくちん先輩だけで十分なんだけど。」

元気だとか、明るいはあの2人以外にいたら困る、うるさいから。なんて、言っているけど、本当は違うのだろう。

「…ま、受かったとしてもいろは荘に来るとは限らないしね。」

「アパートタイプ、結構あるもんね。」

いろは荘以外にも9つ。アパートタイプの定員は60人になっている。一棟、6人。地元が近い人同士が同じ寮になりやすく、必然的にあさちゃん、桜先輩、蒼先輩は同じ寮になったらしい。

「…紫音はあーいう子がタイプ?」

「そんな訳ないでしょ。」

ほっとした。あたしは胸をなでおろした。…なんで?ほっとする理由なんてない。胸をなでおろす必要も無い。これじゃ、紫音のこと、いや、ないないない!

「…真っ赤な顔で百面相しないでよ、あかね?」

「百面相なん、」

「おつかれー!!」

あたしの反論と桜先輩が教室に入ってくるのはほぼ同時だった。

さっと片付けをして、少しばかりのミーティング。

「…あの、」

「モザイクアートの件なんですけど、」

あたしの言葉を紫音がとった。

「昨日のストーカーの件で薄々気づいてるかも知れませんけど、佐々木先輩が犯人です。今日、本人から聞きました。」

「…」

状況を知らないあさちゃんとコウくんの2人が、顔を見合わせる。

「さくちん先輩の写真の件は本人同士で決着をつけてくれればいいと思います。でも、モザイクアートの件、僕は許さない。」

蒼先輩が紫音の言葉にほかのみんなは、と顔を見合わせる。

「…あたしも、許せません。」

何も出てこなくて必死で言葉を探す。

「あたしたち、ギリギリになっても絵を描いて、持ち帰ってまでやったし、…完成したのを見せたかった、から、」

楽しい催しになったんだと思う。でも達成感はなかった。

「俺も許しません。なんだかわけのわからない事情で、それに、先輩が申し訳なさそうな顔をする必要も、浅葱が悔しいって泣く必要もないのに、こんなことになった理由くらいは知りたいです。」

「私も許さない、です。写真をあんなふうにしたり絵をあんなふうにしたり、悔しい、から。」

拙い言葉で2人は言った。少し泣きそうなあさちゃんはコウくんに背中をさすられていた。

「…理由わからないのが困るんだよな。」

昨日よりかだいぶ落ち着いたらしい。蒼先輩は、静かに言葉を発した。

「桜は…みんなに任せるよ。」

桜先輩はまだ落ち着いてないらしい。いや、だいぶ落ち着いてはいるんだろう。きっと考えたくないんだ。

「…後夜祭!ね、後夜祭、行こ?」

シーンと流れた空気を桜先輩がパンっと手を鳴らして雰囲気を変えようと明るくいう。

「…うん、行こ。琥珀、行くぞ!」

あさちゃんは桜先輩の思いをなんとなく感じ取ったのかな。しぶるコウくんを無理やり立たせようとして引っ張って、コウくんが諦めたところで出ていった。

「桜、優茉と話すよ。」

「…俺も。」

ふたりが出ていって、あたしと紫音だけがその場に残った。

「どこも人混みだね。」

「あかね、ここで待ってて。僕食べ物買ってくる。」

たたき売りをしている屋台を指さす。

「あたしも行く!」

はいはい、とあたしを待ってくれる、紫音の隣へ行く。ここはあたしの特等席。いつか、紫音に好きな人ができて、あたしを待ってくれなくなった時までは。

「ところで紫音、答え合わせ、してよ。」

真っ暗になっている、紫音の教室に2人で忍び込んで、たたき売りされていた焼き鳥を頬張る。

「…好意、は正解。ただ向けられてるのは当たり前だけど、さくちん先輩じゃない。」

「…鈴木先輩?」

「…それはボケのつもりかな。」

紫音は大きなため息をついた。

「蒼ちん先輩。」

「あぁ、蒼先輩かぁ。」

…あれ、

「そんな素振りみせたこと、」

「あるよ、さくちん先輩も蒼先輩も気づいてないけど、佐々木先輩はよくさくちん先輩の先にいる蒼先輩を見ていたし、声のトーンも蒼先輩と話す時は少し高かった。」

あたし何も気づかなかった、と気分は沈んでしまう。紫音はまたため息を一つ。

「っていっても、気づいたのはあさの言葉を聞いてからだけどね。」

「あさちゃんの言葉?」

「一昨日、あさが言ってたんだよ。吹奏楽部、多分金管楽器の音が聞こえたって。最初は鈴木先輩かなとも思ったんだけど、あの人ガラケーだったから写真の画質的にないなって、」

つまり、と紫音が一呼吸置く。

「吹奏楽部は、一昨日は楽器を運んで6時頃には帰ったはず。僕達は7時半まで残っていた。そして、その時間に吹奏楽部の音が聞こえるわけがない。僕達が気づかなかったってことは、体育館の方で吹いてたんだろうね。下駄箱の方で聞こえたんだと思うから。そこならあさたちが帰るのが見える。それを確認して教室に忘れ物でもしたって言って、美術室の鍵を借りに行ったんだろう、ってのが僕の見解かな。」

「…なんだか納得出来ないなぁ、」

桜先輩と佐々木先輩は本当に仲が良くて、蒼先輩が嫉妬しそうなくらいだった。あたしは、なんとなくいいなぁ、って思ってたのを覚えてる。桜先輩以外で初めてちゃんと喋った先輩でもあるし、見かけると向こうから手を振ってくれる。日向ちゃん、なんて、笑いかけてくれて、嬉しくて、

「信じたくない…納得もしたくない…。」

「…あかねの、好きなようにすればいいよ。」

2人で黙って買ってきたご飯を頬張る。味がわからなくて、ただ黙って飲み込んだ。

「また、楽しい思い出作れなかった、かな、」

「…僕は、楽しかったこともあったよ、一緒に回ったのも、長い列に並んで喋ったのも、部活シフトも、楽しかった、けど。」

あかねはちがうの、紫音の問にこの二日間を思い出す、

「…楽しかったよ、」

紫音と桜先輩と蒼先輩のクラスの長蛇の列に並んだ。部活シフトの時にいろんな中学生と、いろんな大人と話した。紫音があたしのために、クラスのことに口を出してくれた。助けてくれた。

「ショックが大きかったかもしれないけどさ、楽しいこともあったでしょ、」

「うん。」

今こうやって、たくさん話をしてるわけじゃないけど紫音が隣にいる。それがなんだか安心する。

「…ところで今朝なんで女装したまま現れたの?」

「別に!あかねより可愛いから見せてあげようと思って!」

「まぁ、たしかに可愛かったけど、…今朝の紫音、言ってる事かっこよかったよ。」

ちょっと笑ってみる。紫音の顔がちょっと赤くなる。

「当たり前の事言っただけだし!…あの子ちょっと理不尽だったから、」

自分に自信があって、何でもできる。でも、褒められるとありがとうって言って平気そうな顔をしてるけど本当は照れてる。そんなところは昔と変わらない紫音。不思議な安心感が心の中を占めた。

…紫音のそういうとこ好きだなぁ、

あたしが呟いた言葉は宙に消えた。花火の音があたしの言葉をかき消して、あたしたちはたちあがった。

「綺麗だね、」

「花火だって、僕には負けるけどね。」

呆れたけど笑って、あたしは思う。

どうかずっと、いや、せめて来年まではこんなふうに笑っていられますように。

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colorS 文月羽琉 @469ma

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