道程
やめてください
再度
惨めな私は優しい子に憧れた。人の目など気にせずにただただ自分の真っ直ぐな正義を周りが思う最高な方法で貫くそんな子に憧れた。何度もその子になりたいと思ったし、そんな子の事は好きだった。自分を誇れるような、誰からも愛されるような、恨みをもたず、きれいな心をもって、笑うと愛が溢れるそんな姿を花のようだと光のようだと、例えた。
本当に羨ましかった。憧れすぎて恨みや妬みなどの気持ちなんて掠りもしないほど尊敬した。そんな子を私の理想に建て替えてそんな子の優しさをいつも目で追うようになった。
何時からか、憧れに少しでも近づくため、自分の中にある微かな正義心を周りに知ってもらうため、いい子になろうと思うようになった。そのために頑張ればいいとやっと自分の事を励ますことに成功した。
人に優しくしよう、そうすれば私は理想になれる。そう思った。直感的にではなく長く考え抜得た結果導いた答えだった。誰でも冷静に考えれば優しい子になるには人に優しくすればいいなんてわかるはずなのに、私はそれだけ必死になっていたという事なのだろう。
私は導き出した結論を実行するために何をすべきか、どう行動するべきかまた考えた。今まで人に優しくすることなど考えるみじんも無かったので、自然に答えを導き出せるわけでもなく考える必要があるという事にまた少し自分に失望しながらも自分の理想を作り出して、それに基づいて行動しようと思った。
まず人に優しくするには口から変わる必要があったと思う。普段から毒ばかり吐く私はそこを直すのが最優先だと感じた。人が不快になる言葉を言わない様にしよう、そして、その人が必要としてく言葉を投げかけよう。ただうわべに相手に都合のいい言葉を並べるんじゃなくて、自分の思う最高の優しさを口に出そう。
次は行動だ。すぐ手が出てしまう私はそれをやめることにした。毒を吐かなくなる事に成功した私には容易い事だと思う。次に人のためになる行動をするようにした。モノを拾ったり事を手伝うのは基礎と土台とし、自ら人の手伝いをしよう、人が嫌がる事は出来るだけしない様にしよう。
そして人に対する接し方を変えることにした。私はいつもわがままで他人の迷惑など考える事も無く自分の理想を無理やり押し付けることしかしなかった。が、これからは相手の意見も尊重し、共にベストな方法を導き出そう、どうしても食い違えば私が譲ろう。他人がどんなに私に辛くしても、嫌な事をしても本当に毒を吐かない様にしよう。必要ならば、正しい心とやり方で解決してあげよう。
人を思いやろう、人を大切にしよう、物を大切にしよう、相手からの思いやりを尊重しよう。
人に優しくしようと思っただけで沢山のきれいごとを並べた。今までの私からは出てこなかったような言葉や行動が思い浮かんできて、変われるじゃあないか、ともう一度決意を奮い立たせる。
私は人に優しくする。私は人に優しくする。自分の嫌な所から逃げるため、自分を好きになるため、私は人に優しくする。何回か口に出して唱えてみる。きれいごとを只のきれいごとにしない様にしよう、そう思ったから、もう何回も唱えた。自分のために人に優しくする。もう一度唱えた。もう変われた気がして少し高揚する。ただ一つ、自分のために人に優しくするのだから、むやみに自分を犠牲にする事はしない様にしようとそう思った。
行動に移すのは思ったよりかは苦は少なく、どちらかというと、そう、簡単だった。が、自分の思ったとうりに自分が行動できない。本当に些細な事で怒鳴りそうになったり、日常のように言ってた悪口も簡単にやめれるものではなかった。でも些細な事から、今自分に何が出来るかを考え実行し、ほんの少しずつ変われることが出来た。そして、私が毒を吐かなくなったころにはもう殆どのモノが変わったんじゃないかと思うぐらいに以前の私は居なくなっていた。周りのモノがすべて変わったように思えた。いや、自分が変わっただけなのだがこうも景色が違う。周りの人は私の急な豹変に驚きや戸惑いを感じていると思うとこうも不思議に感じたが、人の目を気にしても仕方ない。私は自分が変わるためにこの選択を作り選んだのだ。理想になるため、自分を好きになるため。
私は自分の理想に近づくために優しさを演じきる事が出来た。演じるといってもその行動と気持ちは自分が思った理想を具現化しているだけの物なのだから本心でやっているものだと自分でも分かっていたが、その行動になるまでの動機があるのだからその時はまだ演じているだけなんだという暗示が私にかかっていただけのだろうと思う。
そして狙って作ったはずの優しさは徐々に本物となり、私は心から人に優しくするという事が出来るようになった。友人たちは私の変化に戸惑い、離れていった者もいるが今の自分を理解してくれる者も少なからずいて、今の私を私が求めた理想として受け入れてくれた。私の変化に気づいて今傍に来てくれた人もいることから、私は本当に変われたのだろうと実感する事が出来た。
私は続けた。困っている人にはできるだけ手を差し伸べ、悩む人がいれば傍に座って共に悩み、涙を流す人がいれば一緒に涙を流すようになった。
私の理想が現実になるまで、どんな
私は、人に対する思いやりを深めようと願った理由、切っ掛けを心の中に大切に収めて、今の自分を誇りに思わず、この気持ちを大切にしよう。忘れず、ずっと心のどこかにしまっておこう。
私は自分の暗示に成功し、自分の理想とする、思い描いた姿になる事が出来た。外見の事などに目もくれなくなり鏡の前に立つと以前の私と違う事を実感する事が出来た。人目も気にせず本心で人に優しくするというのはこんなにも気持ちの良い事だと実感し始めていた。
何時だろうか、人から優しいと言われ始めたのは。突然だったと思う、私は何の前触れもなく聞いたその一言に少しの喜びと自分に対する自信がわいていた。今までそんな事言われた事も無いし、優しいという事は自分が誰かのために立っているという事なのだろうと勝手に解釈して心のどこかにあった陰気な気持ちが振り払われたような気さえした。
当時、それが自分の行いに対して述べられた言葉だと判ると高ぶった私は今じゃ激しい違和感に襲われている。正直に嬉しかったし、人の目から優しいと思われるのは満更でもなかったのだが違和感をぬぐう事は結局できずじまいだ。
私は自分の思った理想を行動に移し替えてるだけなのに人に優しいと思われてしまったのだった。たまたま私がその人にとって都合のいい人だっただけなのだろうか。私のどこに対して優しいという言葉が出たのだろうか。その優しいと思われた行動は私の臆病から来た行動に基づく優しさだっただけなのではないのか。今まで自分が行ってきた行動に何も責任を持たずに貫いてきた同情心などはやさしいということになるのだろうか。受け取り方の違いからか自分の
意味のない考察を並べて相手側の思考を読み取ろうとし答えのない解答を導こうとした。相手にとっては軽く発した言葉だろうし、その発言を覚えていないだろう。勝手に歪んだ妄想を広げ自分を恥じているだけだというのは分かってる。
もっとも優しいなんて言葉は基本的には褒め言葉で、悪意を持って口にする人は知る限り居ないし、受け取る側も素直に嬉しいモノとして捉える言葉だ。実際私も優しいなんて言われて頬を赤らめるくらいの反応はした。
どうしてこういう発想に繋がってしまったのだろうか。私の行動が人に褒められるような行動だと言われることは私自身に大きな希望となるし自分に自信も湧いてくる。そして、何よりも求めてたものだ。だがどうしてこんなに恥じているんだろうか。どうしてこんなに自分が哀れなのだろうか。
そんな不毛を巡らせても、優しいと認められた事実は変わらない。でもこれは褒められたことになるのだろうか?この優しさは偽物に過ぎないんじゃあないか。偽物の優しさが認められただけなのではないか。
人に褒められるためだけに、認められるためだけに作った偽物。こんな根暗の私が人に認められることなどはありえないことなのだろうか。そう思うと徐々に虚しくなるのは仕方ない事なのだろう。なぜ今まで気づかなかったのだろう。偽物を認めさせてそれで自己満足した自分が凄く恥ずかしくなった。このままでは何かはわからないものが良くないと思った。
私はずっと自分の事が嫌いだった。人からなんやら言われるこの容姿も、中途半端に生きているこの性格も。自分の悪い所だけなら幾らでも並べられるぐらい自分に自信がなくて、ずっと不満を感じている。そのうえ、私は人と話すのは得意ではなく、むしろ苦手だった。誰かと笑い合えるような話術も話題性もないのだ。沈黙を避けるために一人を避けるためにいつも笑顔を作って愛想よくして、群れに紛れて特に話す人から不快に思われないようにしてきた。適度に、事も無く一緒に話を聞いてニコニコしているだけの薄暗い存在。もちろん、誰かにとやかく言われる事も全く無かったし、その子たちと一緒にいたことはまあいい思い出だと思う。だからか、私が寂しがりなのか、人に私を見て評価して欲しかった。
人に褒められたかった。人に認められて必要とされることで自分の存在を見出そうとした。愛想笑いをし過ごす日々の中で、何時の間にか自分は何もできない役立たずの愚図だと思い込んでいたのだ。そんな奴が人に認められるだろうか、自分に何の取り柄があるんだろうか、こんな私がどう変わるというんだろうか。いや、自分から誰かに認められようと行動しようとするだけ愚図ではないじゃないかと少し自分の変わろうとする行動の勇気に励まされながらようやく決断する事が出来たのだ。
私は只褒められたい、認められたい、誰かからか必要とされたい。そのためには私がそれに見合った存在になる必要があると思ったけれども、方法が分からなかった。本当に何かを実行する力も何かを変える力も無いのだ。昔からそうだったのに、少しの勇気を持った私が尊く感じてしまったのが恥を知らない私の悪い所の一つだと思う。
何に対しても臆病で、自分から何かを成し遂げることすらせずにずっと受け身で、決断すら他人任せだった。誇りを持てるような才能も無い。どれぐらいそれが好きで努力しても、努力を人に気づいてもらう事なんて無かったし、たまたま褒められることの事が出来ても必ず私よりできる子がいる。私なんかその事の土台に立つのさえ許されないのだ。じゃあ、こんな私が何をしようか、何を成し遂げようか、何をできるんだろうか。ずっとそればかり求めてきた。
私は人に特別優しくしようと思って接したことは無いと思う。自分でも判ってるように、自分自身の価値観ぐらいにしか興味はないのだ。私は他人にいくら凄いと思われるようになるかしか意志的に行動をしない。では、私に対する優しいという事は事実なのかもしれない、自分の意志を持たないで優しさという行為を振りまいていたのだから。
少し意外だった。私には今まで自分でも気が付かなかったものを持っていたのだから、嬉しかった、今までの無駄でくだらない悩みなどを人に話してみたくなるほどには私に感心する事が出来た。私には何から与えられずとも持っているものがあったんだと。
私は本心から優しいのだろうか、いや、私は優しいのだ。私には何の取り柄もないのだから優しさ位持ってたって何も悪い事じゃあない。いままで沢山の欲を注ぎ込んできても、私の欲しかったものなんて手に入らなかったのだから。だから、私はやっと優しさと云う取り柄をやっと手にすることが出来たんだ。
そう考えるようになった私はすぐにまた、自分の取り柄が優しい事という事に決めつけては人に
過ちに気づくのにそう時間はかからなかったはずだ。少しだけ思考に落ちるだけでいいのだ。私は自分の行動を振り返った。特におかしい事はしてないし、人に優しいと言われている。それだけで満足なのだ、やはりあの時の違和感などとのモノは私の中にある
私はずっと勘違いしていたのだ。自分が振り撒いた優しさが本物であると、真意をこめて人々に贈ったものだと。でも知っているのだ、自分は人に褒められる為であれば無意識にでも褒められる行動を実行することが出来るのだと、本当の人に対する優しさも知らないくせに調子に乗ってずっと自分や周りをだまし続けているのに気づいた私はまた自分の恥知らずな行動を悔やみ、自分を勘違いさせた私を怨んだ。
私は逃げた。いや、逃げたかった。何に襲われるわけでもなく、何かを恐れる必要も無いのに私の中で敵を作り、その空想と戦っているだけだと解っているけれども逃げたかった。
自分では気づいてなかったんだ。だから今までの行動は本当の優しさだったんだ。と、また自分のゆりかごの中に戻ってしまう。誰かにあやされることを期待して一人で泣き止むこともせずに、人が集う事を願うだけ。
自らから思った、自分は哀れだと。何回同じことを繰り返すのかと、何回自分を恥じて怨むのだろう。人の栄光ばかり気にしてることしか出来ないくせに、実際栄光なんておこがましい物を手に入れた事も無いくせの自分は脚光を浴びることが出来ようになるんだ、などと図に乗ってまた初めに戻ってしまう。
そんな私はまた恥ずかしいと自分を憾んだ。
テレビの画面をただただ見つめる日々、母が心配し部屋を出這入る音が聞こえる。
望んだものは結局手に入らないし。
やめてやめてやめないで 酒山七緒 @nanao
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