第25話 歌声

第25話:歌声


イムラさんは地下扉の前に座り込み、ヒトミ、馬場崎さん、ヨシタカさん(ヨッシー)を見上げた。ただ転んだだけなのに恥ずかしくもあり、何だか後ろめたくもあり、ただただ黙り込んでいた。ヨシタカさんは「その扉、中からしか開かないんでちょっと待っててください」と声をかけ、部屋に入っていった。バタンッと閉まるドアの音が深夜の静けさの中で響き、その音が合図だったかのように、シゲさんと中尾さんが上の階から「そろそろ始まる?」と降りてきた。そこへ「どこでやるの?」と、イワヨシさんがユリエといっしょにどこからともなく近づいてきた。ユリエが階段下でうずくまっているイムラさんに気づき、でかい声で「そんなところでどうしたんですか〜?」と心配そうに階段を駆け下りた。「どうしたどうした?」と、サカイさんがいつの間にか現れて覗き込むと、その後ろには直美ちゃんがいた。


ヨシタカさんの部屋には、おびただしい数のワイン瓶(ボトル)が敷き詰められ、中から地下室につながる階段脇にもズラリと並んでいる。ワイン瓶を倒さないよう足音を立てずに降りて、開けますよ〜と扉越しのイムラさんに声をかけながら静かに開けた。小さな声で「早く入ってください、真っ暗にしますから」と迎い入れると、暗闇の中で人差し指を口元にあてて、しぃ、、と合図した。そして、さっき拾った枝を、真剣な表情で空のワイン瓶に挿入した。


すると、小さな光がその瓶から漏れてきて、地下室がじわじわと明るくなっていく。地下室の壁が透けていき、瞬く間に野原が広がった。


ヨシタカさんの部屋と地下室は、枝に念を込めてワイン瓶に挿入する作業を何年も繰り返した結果、ハイリ星と尼御前の墓をつなぐ第3のポイントになっていた。


澄み渡った広大な空の下に広がる野原。

遠くから裸足の女性がダッシュして近寄ってくる。あのへんな走り方はイクミンに違いない。


ヨシタカさんが、「さあ、そろそろ始めますよ、イクミンが来たら目をつぶってください」


イクミンとの再会を早々に済ませて目をつぶると、今度はあたりが暗くなっていき、風の音が遮られてより静かになった。

再び目を開けるとそこには満天の星空。


ヒトミがくわえタバコに火をつけようとするので、ヨシタカさんが「ここ、禁煙なんですよ」とささやいた。その時、「タバコも吸わせてくれないんだ」と不満を漏らしそうになったヒトミが、しまおうとしたタバコを床に落としたことに気づかないほど美しい声がきこえてきた。

一番光る星の真下にほのかに光る人影、そこから鳥のような美しい歌声が広がっている。


苦労や悩みや雑念を抱え、雑居ビルやバルに集まっている一人一人には、それぞれ語りつくせないほどの人生の物語があり、そこには尊さや儚さが無数に隠されている。なんだかでも今は、そんな物語があったことをふわっと忘れさせてくれる心地よさだけが心を満たしている。


皆、いつか終わってしまうことはわかっているが、いつまでもこの歌声を聞いていられるような気がしていた。


ここは雑居ビル地下室に設けられたライブ会場。ついに地球でハイリのデビュー。

それを祝うように、枯れた枝の先からポンッと芽が出た。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あるバルの物語 @takechan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ