-第50訓- 女子は未来の自分に忙しい


「……居場所、なかったんか?」


 由比さんと同じ目線に立つも、顔は向けず訊いた。


「…………」


 彼女は何も答えない。やはり聞くべきじゃなかったか。慣れないことはするもんじゃねぇな。向いてねぇんだこういうの。

  よし、今からでもさっきの発言は撤回しよう。まだ間に合う。


「すまん、やっぱr……」


「調子に乗ってる」


 ……え?

 前言撤回を宣言する前に、由比さんは表情を変えないまま、ぼそりと呟いた。

 え、うそ、ガチですまん……確かに調子に乗ったかもしれん。うわこんな怒ると思わなかった。マジか……。


「自分のこと可愛いと思ってる」


 彼女は続けてまたぼそりと呟く。

 お、俺が? そう見えるの? 確かにわりかし自分のことは好きではあるがそこまでは……。まだ間に合うとか思ったけどこれ手遅れ……?


「男子に媚び売ってる」


 さらに続けて呟いた。

 ……ん? あれ? なんかこれ違うな。俺のこと言っているわけじゃない? 媚はさすがに売っていないだろ俺。ましてや男に。いや女にはもっと売っていないが。


「……だったかな」


 由比さんは軽く首を傾げてみせる。ええと……?


「なんかね、周りからはそう見えてたらしいよ。中学の時のうち」


「……ほう」


 なんとなくだが、色々察せはしたので相槌だけ打った。

 『調子に乗ってる』、『自分のこと可愛いと思っている』、『男子に媚び売っている』……これは、由比さんが中学時代に誰かにそう言わたということではないだろうか。


「周りというか、クラスの女子たちからかな。中学入ってしばらくは問題なかったんだけどね、途中からそんなことを言われるようになっちゃって、一時期クラスに居場所なかったんだ」


 由比さんはしゃがんだまま右の人差し指で砂をいじくる。

 なんとなく見たことはある。中学で由比さんのような扱いを受けている女子を。

 今までクラスで元気だった子が、ある日突然物静かになったと思ったら、一部の女子からそのようなことを囁かれ始めていたからって状況を。

 まぁぶっちゃけよくあることだ。誰でも多少なりとも思い当たる節はあるだろう。

 でもよくあるからって当人が傷つかないなんてことはない。

 俺だってそうだ。恋人に酷い振られ方をしたなんて話、聞き飽きるほどよくあるが、実際性格が捻じ曲がるほど傷ついた。

 そうなると彼女はそれによって一体どのくらい――――。


「だから部活に逃げたの。うちの女バレは強かったのもあってバレーできればクラスでの立ち位置とか関係なく受け入れてくれたから」


 なるほど。俺はどうだったかな。居場所をなくしたわけじゃなかったけれどあえて似た表現をするのならば、考え方を変えることで心の拠り所を探していたのかもしれない。


「でもうち、チビだしやれるポジションなんて限られてたから、その居場所守るために必死で練習してたんだよね」


 リベロかな。バレーは詳しくないが、リベロがそういうポジションだということはなんとなく知っている。


「おかげで三年生が引退した後、二年の秋からレギュラーにもなれた。すごいでしょ?」


 由比さんはこちらに小さく微笑んで自慢する。その最後の一言が空元気だということは言うまでもなく気づいた。

 ああ、すげぇな。すげぇよ。そんな小さい体でよく頑張ったと、素直に思う。


「だから七里くんが訊いた『バレーが好きだったんだな』っていうのに『うん』とはちょっと答えられないかな」


 ……なるほど。

 もしかして彼女がこの見た目と言動で恋愛経験が乏しいのは、中学時代は周りの女子の目を気にして学校であまり男子と絡まなくなってしまったとかそういうことに起因するのだろうか。髪も短かったようだし、部活ガチ勢の女子には男子も近寄りがたかっただろうし。

 そういうことも含めてなるほどなと、今まで点と点だった彼女のパーソナルに線が引かれて、文字通り合点がいった。

 

「あ、でもバレー嫌になりかけたことはたっくさんあった。むちゃくちゃ練習キツかったしね。何回か練習中吐きにいったことあるもん! ゲーって!」


 由比さんはおどけて見せる。これも空元気だろうがさっきよりは幾分かマシで、彼女もこの曇った空気を払拭したいのだろう。ならば、そちらに乗っかろう。


「あー、だから楽寺さんと仲良いのか。同じバレー部だったんでしょ?」


「そう! 知ってるんだねー。優花も髪短かったんだよー。それはそれで可愛かったけどね。今よくお団子にしてるのも当時の名残で髪がひらひらするの慣れないからなんだって!」


「へー」


 お。いつもの元気が出てきた。やっぱり由比さんはこうじゃねぇとな。

 この感じを斜に構えて見る女子は確かに一定数いそうだし、俺も最初は何なんだこの女と思ってたっけか。

 でも、最高だ。由比さんはこれでいい。いや、これがいい。


「優花とは中学で一回もクラス一緒にならなかったから完全に部活仲間って感じだったなー。実際あんまり遊んだこともなかった。だから高校入ってプライベートで一緒にいる時間増えて『え!? 優花って普段こんな子なの!?』って驚くことも結構あったよー」


 そういうもんか。ま、俺も中学で所属していた野球部の連中とはあんまりつるまなかったな。ウェスと航大とばっか遊んでたし。


「逆に良かったんじゃのうて? わかりやすい線引きできて」


「線引き?」


「あーいや、その中学のクラスの女子たち? が由比さんの陰口叩いてたおかげで、『こいつら仲良くなる必要ないやつらだ』ってわかりやすく線引きできたわけじゃん? 逆にそれなかったら素出せずそいつらと薄っぺらいお友達ごっこしてたかもしれないからっていう」


 何の気なしに発した言葉だったが、由比さんはそれを聞いて「あれ……?」と何かを思い出そうとするような仕草をする。あれ、何かマズかった? クラスの話は蒸し返すべきじゃなかったか。

 ……と思ったが、どうもそうではないようで、


「七里くん……前にもうちにそんなこと言ってなかった?」


「……? いやわからん」


「何かすごい聞き覚えあるんだよね……何でだろ」


 すると由比さんは「あっ」と急に立ち上がった。うお、どうしたどうした。


「一年だ一年! 一年の時だっ!」


 は? それは高校一年生の時という意味ですか? だが一年の時俺は由比さんと絡みないぞ。


「あのね! 高校入学してね! 七里くんとすれ違った時に言ってたの! 七里くんが!」


 ど、どゆことー? 高一の時すれ違いざまにさっき言ったようなことを由比さんに囁いたりでもしたってのか? いやないわ。絶対ない。


「とりあえず落ち着いて話さね?」


 俺は由比さんと違いゆっくりと立ち上がってそう諭す。


「はっ! そ、そうだよねごめんなさい……」


 由比さんは深呼吸してから話を始める。


「うち、今の高校入ったのって中学の女バレの友達が多かったからってのもあったんだけど、高一の時のクラスに誰も同中の子いなかったんだよね」


 そういう理由で高校選ぶことあるんだ。俺なんか同じ中学のやつ高校に一人もいないぞ。塾一緒だった人はいるけど顔知ってるってだけの仲だし。


「でさ、中学のトラウマがちょっと蘇って、最初の頃いろいろ遠慮しちゃって友達あんまりできなかったんだよね。見た目もたぶん今よりダサかったし」


 そうなのか。高一の時の由比さんを俺はまったく知らない。ダサかったんだ……でも高一の最初なんてみんなそんなもんでしょ。学生証の写真は高一の最初の頃撮ったのずっと使うからたまに見せ合って笑い話になるし。


「それでね、移動教室かなんかの時、七里くんとたぶんイナっちかなー? が向こうから歩いてきて、二人の会話が聞こえてきたんだ」


 確かに稲村とは一年の時からの付き合いだが……俺はそれも全く覚えていない。


「それで七里くんが言ったの、『丁度いいじゃん。要らねぇ友達整理できて。自分の好きに生かなんでどうするんじゃ』みたいなことを。それにイナっち……だったと思う人が『ひでーやつだなお前は』ってつっこんでたけど、うちは結構それが衝撃で、刺さったんだよね」


 こうぐさーっと、と大袈裟なリアクションを取る由比さん。


「でね、思ったんだ。そうだよねって。高校にも中学の時みたいな女子たちがいたとしても、嫌われたら嫌われたでいいじゃんって。自分の好きなように生きなきゃ意味ないじゃんって」


 そんなかっこいいこと言ったかな。何か盛られてね? 前文は確かに俺が言いそうなセリフではあるけど。


「それでね、移動した教室の授業で二人組組むことになったんだけど、あえて一番ハードル高そうな人と組も! って決めたんだ」


 おお、それはすごい。やっぱ行動力あるよなこの子。


「その相手がね、げぬーなの!」


 うわ、それはマズい。やっぱ変だわ行動力の方向性。


「げぬー当時から女子に人気だったからさー、他の女子たち出し抜いてげぬーに『一緒にやろ!』って言いに行ったの」


「マジかよ。それ大丈夫だったん?」 


 嫌われてもいいやと開き直ったのはいいが、もはやそれ周りの女子にわざわざ嫌われにいってね? 知らんけど。


「うん! げぬー他の女子たちに『アタシ、この子に組もうってお願いしてたから』ってフォローしてくれて。やばい! 超優しい! だから人気なんだ! 好き! って思ったなぁ」


 ふーん。なぜか知らんが女には甘いからなあいつ。


「そっからはうち、げぬーとばっか遊んでたなー。一年の時はずっと」


 もしかして鵠沼がやたら由比さんのことで俺に絡んでくるのは「私の親友を傷つけたなんて許せない! キー!」ってことなのか? どちらにしろウゼぇのはかわらないけど。


「うちとげぬーを繋げてくれたのは七里くんだったんだね」


 完全に笑顔を取り戻した由比さんはこちらに向き直る。


「そら由比さんの行動力のおかげじゃろ。俺は稲村と世間話してただけじゃ。全く覚えちょらんし」


「それでも大感謝だよ。ありがと」


 何か照れくさいな。やっぱり褒められるのは苦手だ。


「……でも、そっか」


 何か呟きながら、由比さんは裸足になっている足を波打ち際の方に進めていく。おいおい、そこまで行くと波が寄せた時に足まで届いちまうぞ。


「あれがきっかけだったんだね。今思えば」


 しかし彼女はそんなこと気にせずにその場に立ち止まり、背中で俺に語る。


「完全に不可抗力じゃけどの。そんな前から鵠沼と仲良かったんだな」


 なんというか、俺と稲村みたいな感じか。由比さんと鵠沼は。


「——違うよ」


 彼女が静かにそう言ってこちらに振り返る。

 すると俺の思った通り波が寄せてきて、彼女の足元を濡らす。

 しかし由比さんはそれに全く狼狽えることなく、そのままそこに立つ。

 そして、言った。


「うちが七里くんを目で追うようになった――――そのきっかけ」


 トクンと、胸が鳴った。

 月の光に仄かに照らされて、微笑む由比さんはとても神秘的に見えた。

 小さくて、綺麗で、輝いていて……でもそんなことをこんなはっきりと、堂々と言う姿、小波で濡れた足を気にしない姿は以前の彼女よりもどこか大人っぽくて、少し遠くに感じるような神々しさもあった。


「わー足濡れちゃった。七里くんの言う通り帰りにたくさん砂ついちゃうね」


 幾分か遅れて、彼女は濡れた足をぱたぱたさせる。


「でも、いっか! 今年の夏は海で遊べなかったし、これで遊んだことにしよ!」


 またいつもの由比さんに戻ると、「あーあ、もうすぐ夏休み終わっちゃうねー」と両手を広げて伸びをする。


「でもうち、学校楽しみなんだ。だって二学期は文化祭あるし、ハロウィンあるし、クリスマスもある。年が明けたら修学旅行。それで三年の体育祭終わったら受験モードだし、これからが一番楽しいよね、絶対」


 うちの学校は二期制で、四月から九月までが一学期、十月から三月までが二学期になる。彼女の言う通り二年の夏休みが明けてから来年五月の体育祭までイベントが盛りだくさんではある。


「そうじゃの。ただハロウィンとクリスマスは学校関係ない気するけど」


 それに由比さんは「あ、そっか」と笑って頭を掻く。

 そんなに学校、楽しいんだ。

 俺も別に学校は嫌いではないが、彼女のようにキラキラした展望やワクワクする思いまではない。それなりに過ごして、それなりに楽しんで、それなりにやっていければいいってくらい。

 今まではこういうことを言う人に対して「ふーん、頑張るねぇ」としか思わなかったが、今は何だか……、


「……由比さんは、前向きじゃの」


 何だか……羨ましい。

 前を向いて、未来を見ているそんな彼女が。


「前向き? そうかなー?」


「ああ、そうだよ」


 俺も由比さんも、いやたぶんみんな、十六年も生きていればそれなりに過去に傷を持っている。そしてみんな自分なりにそれと向き合って今を生きている。

 こう言うと「そんな大げさな」と大人は一蹴するのだろうか。それでも俺たちはまだ未熟だから悩んで悩んで悩み抜いて、正しいのかも間違っているのかもよくわからないまま何とか答えを出そうと必死に生きているのだ。

 そんな中でも由比さんは特に前を向いて生きているように思う。前を向いているというより、後ろ向きになるという概念がないという感じだ。

 話を聞くまでは由比さんにあんな過去があったなんて想像もしなかった。普段の彼女からはそんなもの微塵も匂わなかった。

 けれどそれは彼女が必死にそれを隠していたからではない。なんなら隠す気すらそもそもないのかもしれない。

 なぜなら由比さんはその過去を完全に克服し、本当に〝過去〟にしてしまっていたからなのだろう。

 由比さんのあの行動力もたぶんもともと彼女が持っていたもので、中学の時に失われかけたが、高校で完全に取り戻した。しかも変な方向にも走ってしまうくらいに数段レベルを上げて。

 彼女にとって前を向く、未来に生きることは当たり前で、過去を振り返っている暇などないのだ。


 〝女は未来の自分に忙しい〟


 なんて、誰かが言っていたが、由比桜という女はまさにそれだろう。

 彼女にはこれからやりたいことがたくさんあって、そんな大昔にあったことなどいちいち考えている時間はないのだ。少し思い出したりしたとしても多少感傷に浸る程度で、数分後には自然とまた未来へ旅立っている。


 〝男は過去の自分に用がある〟


 対して俺は、これそのものだ。女嫌いミソジニストとは過去に生きることそのものだ。

 今でも過去の傷を背負って、前を向いているとは言い難い。何なら生きるのに前とか後ろとかいう概念すらなかった。

 俺を見て何かありそうだと感づく人間は少なからずいるだろうし、思いっきりミソジニズムをむき出しにしてしまう瞬間もある。

 そのくせ過去は隠して、人にはなかなか話さない。大っぴらにしたくないし、できる限り話したくはない。

 なぜなら俺は彼女と違い、過去を〝過去〟にできていないからだ。

 俺のこのミソジニズムはもともと男なら誰でも持っている程度のものだったが、中学でそれが完全に覚醒し、高校でもそのまま。いやむしろ知識や経験がついた分肥大化している節さえある。

 俺にとって過去を背負って生きることは当たり前で、それを忘れることなどできない。


「えーそっかー。褒められた。えへへ……あ! これ男気じゃんけんのやつ!? 勝った人にはそうやってお世辞言う感じ!?」


 照れ隠しなのか本気なのかはわからないが、由比さんは俺の言葉を素直に受け取らない。


「……ああ、だからか」


「……へ?」

 

 ああ、だから————だから羨ましいんだ。

 由比さんは俺にないものを、俺には手に入らないものを持っている。

 俺がやらないことを、俺にできないことを平然とやってのける。

 前までは「意味わかんね」と吐き捨てていた全てが、いつしか羨ましい気持ちに変わっていっていたんだ。

 だから彼女といると、彼女を見ていると、まるで自分にもそれが身についたようで楽しいのかもしれない。


「…………」


 楽しいなら、本当に自分もそうなるべきなのだろうか。

 過去を〝過去〟にして、前を向いて未来に生きる、そんな自分に。

 難しいだろう。俺のこの捻じ曲がった性格を矯正するのはそんな簡単なことじゃない。何をしたら直るのか、どれくらいの年月がかかるのかすらわからない。

 そもそも俺にはそんな風にはなりたくないというミソジニストとしてのプライドもある。こいつが消えてなくなるというのが一番想像できない。

 まだ、わからない。何もかもがわからない。

 今わかっているのはただ一つ。


 俺は由比さんに――――恋をしているということだけ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

女嫌いスクラップアンドビルド 霜月トイチ @Nov_11th

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ